
知人が入院したという知らせを受け、見舞いに行った。
いつもながら、逡巡してしまう。
つまり、病院とは病いと戦う場であり、そこに見舞いと称して、他人が健康をひけらかしに行くことが、入院している人にとっていい気持ちがするのだろうか、自己満足ではないか、といつも考えるからである。
これは吉村昭も同じ考えをもっていて、昭和40年代を中心に書いたエッセイ「お医者さん・患者さん」(昭和60年・1985)で述べている。
この本には、吉村が小さい頃からこれまで感じた、医者についてのさまざまな視点がある。医者の資質や手術など、専門性が高い医療の場面で、とかく立場が一方的になりがちな医者と患者の話はもちろんのこと、西洋医学と東洋医学、、動物実験や胃カメラの話、禿と癌、戦争と医者、自殺についてなど、いつもながらの鋭い見識に感服させられる。
他に医者に関する著述も多い。
著者自信が結核を患い、二十歳の頃、戦後間もない昭和23年に胸の手術をした経験があるので、さらに説得力が増す。
いつもながら、逡巡してしまう。
つまり、病院とは病いと戦う場であり、そこに見舞いと称して、他人が健康をひけらかしに行くことが、入院している人にとっていい気持ちがするのだろうか、自己満足ではないか、といつも考えるからである。
これは吉村昭も同じ考えをもっていて、昭和40年代を中心に書いたエッセイ「お医者さん・患者さん」(昭和60年・1985)で述べている。
この本には、吉村が小さい頃からこれまで感じた、医者についてのさまざまな視点がある。医者の資質や手術など、専門性が高い医療の場面で、とかく立場が一方的になりがちな医者と患者の話はもちろんのこと、西洋医学と東洋医学、、動物実験や胃カメラの話、禿と癌、戦争と医者、自殺についてなど、いつもながらの鋭い見識に感服させられる。
他に医者に関する著述も多い。
著者自信が結核を患い、二十歳の頃、戦後間もない昭和23年に胸の手術をした経験があるので、さらに説得力が増す。