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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

味を訪ねて 吉村 昭 62

2019-12-15 | 吉村 昭
2010年(平成22年)10月発行の吉村明の「味を訪ねて」を読んだ。吉村は2006年(平成18年)に亡くなった。

1968年から1994年まで、雑誌に掲載された順に、自宅周辺、取材先などさまざまな地域で経験した「食」についての34のエッセイ集。

手帳に地域別に店を書きこんでいる食通の著者の良い話。東京はもちろん、札幌から沖縄、長崎、宇和島など食べ歩き気分に浸れる。吉村は、代金で測る食通なら、自分はその逆である。食通でない食べ物の随筆もあっていいと。

ペテン、タラバ蟹の記憶、梅干しにカツオ、味覚極楽、苦しいときの寿司だのみ、家の近くの富寿司、カステラの手づくり三百五十年の味、長崎半島でフグとカマボコ、、舌の味、宇和島の不思議なうどん屋、美しき村に家族と遊ぶ、千鳥足の教訓、札幌の夜、焼酎のこと、増量作戦、市場で朝食を…、洋食屋さんらしい洋食屋、沖縄のビフテキ、苦手の店、燈台もと暗し、私と浅草、取り寄せ物、午前様から更生、ホテルと旅館。食べる?、思い出の一杯、上野・根岸、浅草、日本酒は酒の要、年越しそば、食物の随筆について、鯊釣り、結婚式と披露宴、湯沢の町の準住民、そばという食べ物、日本酒は花盛り。

吉村は、ゴルフや賭け事はしないと言う著者は、毎晩の晩酌を楽しみに欠かさない。ビール、日本酒、焼酎とウイスキーの水割り。
日本酒好きの著者。一時は日本酒が安穏とした酒蔵によりおいしくなくなり、晩酌から消えたという。しかし、焼酎ブームを機に発奮したのか日本酒がおいしくなったと。しかし、価格の高さ、意匠の凝りようには警鐘を鳴らす。

天に遊ぶ 吉村 昭 61

2019-12-01 | 吉村 昭
原稿用紙10枚程度の短編を21篇集めた「天に遊ぶ」(平成11年(1999)発刊)を読んだ。夫婦や男女の絆や縁などを通じ、人生の断片を語る。
「短編を書くのがこんなに楽しいとは思わなかった。天空を自在に遊泳するような思いで書き続けた」という。短くもそれぞれ人の寂しさを感じさせる吉村節を堪能アレ。

取材で訪れ、天明の飢饉の文書に、後に書いて貼った鰭紙(ひれがみ)を通し、今とつながる機縁を書いた「鰭紙」
後輩の後添えの話。美人のお相手の同居人とはだれか。「同居」
取材で訪れた農村。帰りに警察に尋問される。「頭蓋骨」
作家の葬式に現れる老婆。葬儀場に緊張が走る。「香奠袋」
戦時中の思い出。お妾さんと2人の子供。「お妾さん」
桜田門外の変の現場責任者の水戸浪士の関鉄之助の病気を探る。「梅毒」
50過ぎの川瀬が別れた妻、君枝に喫茶店に呼び出される。川瀬の同僚の年下の男に求婚されたという。吉村にはめずらしい艶のある作品。「西瓜」
子どもの頃、一時期共に暮らした男と親戚の葬式で出会った。彼は、小さい頃謝って弟を殺していた。「読経」
大津事件で国賊と呼ばれた津田。彼の遺族を取材で訪れた。「サーベル」
半年前に定年退職した浦川は、妻の伯父が亡くなり葬式に行こうとしていた。妻が悔やみから帰ってきた。恋愛結婚だった伯母に伯父の死を伝えると。「居間にて」
大学時代の友人の家が強盗に遭った。友人との共犯を疑われた私は、警察に出頭する。「刑事部屋」
獣医の磯貝は、肺がんの犬を治療する。「自殺」
パトカーが磯貝の病院にやってきた。心中の片方が犬だった。「心中」
戦時中の思い出。「鯉のぼり」。出征中の父に代わり孫と暮らす祖父。その小学生に入って間もない孫がトラックに轢かれて亡くなる。
従妹の芳恵が男と行方がわからなくなって数年。ある町にいることが知らされる。面会を頼まれ向かった町。「芸術家」。
戦時中の思い出。「カフェー」。煙草屋の主人と自転車屋の2階に越してきた男。その男に誘われてカフェーに出入りするようになった主人。
「鶴」。同人誌の仲間の54歳の死。葬式に行く私。仲間が作家をあきらめた25歳も年上の同居の女性と会う。
「紅葉」。終戦後、冬には閉じる湯治場での出来事。隣部屋の男女の営み。男は殺人で捕らえられる。
「偽刑事」。八丈島での取材。飲み屋で、ある男を刑事だと嘘をつく。その嘘に苛まれる。
「観覧車」。2度の浮気で妻の玲子と別れた島野。月に1回の一人娘との面会で、玲子への思いが募る。男の性(さが)
姉が病気で亡くなった。その葬式に昔、姉と結婚を誓った久保田が現れる。「聖歌」。

「鰭紙」から「偽刑事」19篇は1997年1月号から翌年7月、「観覧車」は1996年1月、「聖歌」は1999年4月に掲載。


破船 吉村 昭 60

2019-11-03 | 吉村 昭
民俗の香り 「破船」 吉村 昭

3年の年季奉公が明ければ父が帰ってくる。小さな港町。17軒の極貧の村に暮らす9歳の伊作を通し人々の暮らしを描く。
鰯、蛸、烏賊、秋刀魚と季節の魚を採り、自然の恵みに暮らしの糧を得る村人。
常に死と隣り合わせの毎日の中で、冬、時化のとき夜行う塩焼きは穀物交換のための塩を得るため、海岸で火を焚く行事であった。しかし、一方、その火をめがけやって来る船を座礁させ、荷を奪い取る慶事「お船様」を待つ手段でもあった。
しかし、これが村を震撼とさせる凶事となる。
息を潜めるように慣習に固執し、共同体としての暮らしを営む人々。
私小説や随筆、歴史小説とは異なり、新境地を開拓した異色の民俗小説。昭和57年(1982)刊行。

敵討ち 吉村 昭 59

2019-10-06 | 吉村 昭
人間模様 「敵討ち」

吉村は2つの敵討ちを取り上げる。いずれも江戸末期から明治当初の混乱期である。
「敵討ち」は、天保9年(1838)、24歳の時に叔父と父を手にかけられた松山藩士の熊倉伝十郎の物語。
この敵の本庄茂平次は、時の天保の改革の鳥居耀蔵の手先として使われていた。
そういう時代背景にも触れながら、時にもてあそばれながらも、7年の歳月の後に敵を討つ。
帰藩し、家督を継ぐが、嘉永6年(1853)、探索の時に罹患した梅毒により、早世する。

また、「最後の仇討ち」は、明治維新の慶応4年(1868)、11歳の時に父・母を惨殺された九州秋月藩の次席家老、臼井亘理の子、六郎の仇討ちの話である。
この仇討ちの13年という歳月はまさに藩にとっては激動の時代である。廃藩置県、徴兵令、廃刀令と武士制度が崩れ去る中で、明治6年に仇討ち禁止令が出るとはいえ、仇討ちの美風はまだ残っていた。
六郎は明治24年(1891)に釈放され、北九州の地に暮らし、大正6年(1917)に60歳で没する。
武士の時代において、無事、本懐を遂げれば、敵討ちは美談であろう。しかし、相手を探し続けながら、果たせるかどうかも分からないこの制度は。ある意味残酷でもある。
今の時代では思いもよらぬことである。
吉村の記録を追いながら、敵討ち後の人生も重ね合わせる語り口は得意とするところである。歴史と対峙させながら、翻弄される2つの人間模様、一市民の人生が淡々と語られる。



深海の使者 吉村 昭 58

2019-09-01 | 吉村 昭
「深海の使者」は吉村昭が昭和48年(1973)に発刊したいわゆる戦争文学の一つ。

題名からわかるように太平洋戦争に突入した昭和17年、日独両国の関係強化のためその行き来の手段とし採用された潜水艦の物語。

陸地はもちろん、制空権も限られた中、日本とドイツの道は海の下しか無かった。

太平洋からインド洋、そしてアフリカの南を通り、大西洋へ。敵の襲来と海流の恐怖。病気や深海での厳しい生活の様子も。
往復に4ヶ月の行程、滞在時間も換算すると204日もかかった。ましてや国際的にも戦局は悪化の一途をたどる中の出来事である。
19年には英米軍のフランスノルマンディー上陸、米軍のサイパン上陸と日独を取り巻く状況はますます悪化してくる。

ドイツに向かった5つの潜水艦のうち、1隻が往復。ドイツからの潜水艦も2隻の内1隻が到達できた。

吉村の綿密な資料分析がそこに生きる人々の生き様を映し出す。終戦時の欧州在住の日本人の動向、終戦後の潜水艦の末路がむなしさを誘う。

海の祭礼 吉村 昭 57

2019-08-04 | 吉村 昭
海の祭礼

「海の祭礼」(昭和64年・1989)は、幕末の嘉永の7年間を舞台に、日本初の英語教師といわれるラナルド・マクドナルドと、通司として開国の激動を生きた森山多吉郎(栄之助)、そしてぺリーの黒舟来航を軸に展開する長編小説である。

1800年に入り、日本は北はロシア、南はイギリスなどのヨーロッパ諸国の訪問に見舞われていた。
あくまでも長崎を居転移にオランダのみを窓口として鎖国政策を頑として採り続けていた日本。
その中で、両親にアメリカ人とインディアンを持つロナルド・マクドナルドは、その人種差別に耐えかね、日本への思慕を募らせる。そして、1848年・嘉永元年(ペリー来航の5年前)、24歳の時、捕鯨船の船乗りとして日本に近づき、単身で北海道の利尻島に流れ着く。当時の通例で9月に長崎へ移送。そこで通史の森山栄之助と出会う。

森山栄之助は、外国の日本への来訪や捕鯨船員の漂着などの日本を取り巻く状況の変化に英語取得の必要性を痛感し、同時に自分の非力さを実感していた。
緊張感の中で使命感に燃え、長崎で、マクドナルドがアメリカに帰る4月までの8ヵ月間、必死で英語を学ぶ。栄之助29歳であった。

そのような中、嘉永6年(1853)6月にペリーが浦賀に来航、翌年も再来航し、日米和親条約を結ぶ。その後、栄之助は通詞として、さまざまな幕末の外交交渉の前面に出て活躍、神経をすり減らすことになる。

吉村はなぜこの時期にペリーの来航があったのか。アメリカの日本への接触の背景に、当時の経済発展があったとする。
捕鯨は、17世紀中から始まっていたが、舞台を大西洋から太平洋へと舞台を移し、日本海沿岸もその渦中となった。その船団の基地としての日本。
そして、当時の綿紡績の貿易相手として中国を重要視した。アメリカは国土の西への拡張ともに太平洋を視野に入れることとなったため、ヨーロッパやロシア各国に対抗するための太平洋航路開拓であったとする。

その後、栄之助は、まさに激動の幕末の激務のためか、明治4年(1871)に51歳でその生涯を閉じ、マクドナルドは明治27年(1894)にアメリカでその一生を終える。

開拓精神に燃えたひとりの若者は、目的を果たすことなく人生を歩んだが、その蒔いた種は、幕末の日本を救うこととなった。しかし、その業務はひとりの若者をあまりにも過激に燃焼させ、早世につながった。まさに幕末の外交外史ともいえる一編である。


再婚 吉村 昭 56

2019-07-21 | 吉村 昭
吉村昭の短編集、「再婚」平成7年刊行。8つの短編からなる
「老眼鏡」(平成7年)。結婚を前にした後輩の時田に儀式を済ませたいと相談を受け、昔の下宿主の梅川のおばさんを紹介する成瀬。
「男の家出」(昭和61年)。夫婦生活に疲れた義兄は、家出をする。その義兄が急死。その遺体をめぐる女とのやり取りを綴る。
「再婚」(昭和62年)。常見は3年前に妻を病気で亡くす。58歳になり、友人の勧めで見合いをする。昔、好意を寄せていた会社の同僚、裕子と会うが・・・。
「貸金庫」(昭和62年)。心筋梗塞で亡くなった53歳の兄には27歳の愛人がいた。弟の信彦はその愛人からある頼みごとを託される。
「湖のみえる風景」(昭和55年)。箱根のホテル経営者峯子は50歳。27歳の時に夫を亡くし、息子の耕一と暮らしている。そこに起こった無理心中事件。
「青い絵」(昭和50年)。2年前に亡くなった弟の3男潤が3度目の家出をした。その原因が、潤が書いた水彩画にあるらしい。その絵は「家族」。
「月夜の炎」(昭和57年)。空襲警報が発令、そこに敵機が墜落する。
「夜の饗宴」(昭和37年)。駅前のネオン広告戦争に巻き込まれる下請け社員の広野の末路は・・・。社会派短編。

昭和60年代の短編は、著者の投影かと思わせる兄弟や妻の死を通して、心の揺れを描いた秀作である。


密会 吉村 昭 55

2019-06-02 | 吉村 昭
「密会」昭和46年(1971)刊行
過去10年間に発表された短編を9作品。
男と女の機微を描きながらも、サスペンス性や、取材で培った民俗性、業界の実態を取り混ぜながら、構成の妙でぐいぐい読者を引っ張る。

「密会」昭和33年
大学教授を夫に持つ紀久子は、夫の教え子郁夫と関係を持つ。その密会の場で起きた自動車強盗事件。現場の模様を警察に告げるという郁夫に対してとった紀久子の行動は・・・。紀久子と郁夫の破滅の末路。サスペンスタッチの息詰まる作品。
「動く壁」昭和37年
警視庁警備部警衛課に属する逸見久男。28歳。総理大臣の身辺を警護するボディガードの日々を描く。その不安と影。そして久雄の死因とは。
「非情の系譜」昭和38年
50歳を過ぎた 葬儀屋の「私・武智」は火葬場で幼馴染の刺青師の白坂と30年ぶりに再会する。刺青師の日常と「私」の私生活。久々に交流が始まる。そんな中、白坂の中学3年生の娘が針を持ちたいと言い出す。
「電気機関車」昭和38年
父と継母との生活に違和感を感じていた「一郎」は、ある日、久々に父がスポーツランドへ行こうと誘う。それもあるアパートの一室に寄り、若い女とともにであった。
そして3人で向かうスポーツランド。その帰りに、女は交通事故に遭う。2人の女と父、そして「ぼく」の微妙な緊張感が溢れる作品。
「めりーごーらうんど」昭和41年
家庭生活に疎外感を感じていた圭吾41歳は、夜の散策を趣味としていた。その一つ羽田国際空港で出会った一人の女。家で待っているというその子に買ったメリーゴーラウンド。女のアパートに上がると、そこには異様な空気が流れていた。
写実性豊かな文章が最後のクライマックスを際立たせる。
「目撃者」昭和43年
不祥事で6年余りも東北の雪深い町に配転させられた新聞記者の久慈。偶然、列車事故に遭遇する。特ダネを狙うが。取材を通じてますます疎外感を募らせながら、良心の呵責に揺れ悩む久慈が選んだ選択とは。
「旅の記憶」昭和43年
圭一は、友人の島野の離婚した妻、峯子に付き添い実家の新潟に向かう。その途中の列車事故で、峯子と一夜を共にする。その2ヵ月後、圭一は結婚し、家庭を持つ。2年ぶりに島野を訪れた圭一は、子供を抱く峯子と出会う。
「ジジヨメ食った」昭和43年
45歳を過ぎた警察官の小西は、とある漁村の派出所に勤務している。そこで発見された女性の他殺白骨死体。20年前という時効寸前の事件を集落の暗部とともに描き出す。
「楕円の柩」昭和45年
竜夫は21歳。今の生活から這い上がろうと競輪学校を出て、初のレースに臨む。先輩選手の小早川の自殺や、事故で過去の栄光にしがみつきながらペダルをこぐ岸本。
競輪選手の孤独と光と影を描く。最後のレースの緊迫感溢れる文章が圧巻。

いずれも緊張感あふれる秀作である。再販を望む一人である。


星への旅 吉村 昭 54

2019-05-12 | 吉村 昭
吉村昭の初期の短編集「星への旅」

昭和30年代から40年初めの6篇を収録。

ボクシングフライ級チャンピオンがロードワーク中に列車に轢かれた。その原因は。サスペンスタッチで描く「鉄橋」昭和33年(1958)
病気で死んだわたしは16歳。2ヵ月半にわたり、解剖され、火葬場へ。死者が語る死後の世界「少女架刑」昭和34年(1959)
60歳を過ぎた光岡倹四郎は、死体にメスを入れ、骨の標本をつくるバラシ屋。その生活に母娘が入ってくる。「透明標本」昭和36年(1961)
北岡英一は大学生。姉の佐知子と2人で暮らしている。そんな彼が偶然、幼馴染の曽根と出会う。彼は石仏の収集家で、過去に女性との自殺未遂事件を起こしていた。そんな曽根が北岡の家へ転がり込む。「石の微笑」昭和37年(1962)
予備校生の圭一は、自殺願望の集団と出会い、意気投合する。死の瞬間を描いた「星への旅」昭和41年(1966)
空襲の体験。戦争が影を落とす人々の空虚さ。「白い道」昭和42年(1967)。
昭和33年(1958)に作家デビューした吉村が、発表した初期の作品群。この中で「鉄橋」「透明標本」「石の微笑」が芥川賞候補作となる。

全編に強烈な死へのメッセージを残す。ぎらぎらするような研ぎ澄まされた感性の中に、空虚さが常に寄り添う。


漂流 吉村 昭 53

2019-04-14 | 吉村 昭
海難事故の多かった江戸時代に、24歳から37歳まで、13年間の長きを無人島で生き抜いた土佐の国の長平を中心にした「漂流」。
昭和51年(1973)刊。文庫は昭和55年に1刷、431ページにも及ぶ大作。平成20年には44刷を数えた。

天明5年(1785)に土佐の船が漂着した鳥島は、土佐から660km、江戸から600kmも離れた伊豆諸島の無人島。絶滅の危機に瀕しているアホウドリの生息地として今でも有名だ。
4人で流れ着くも3人は死んでしまう。2年後に大阪の難破船の11人、5年後に薩摩の難破船で6人が流れ着く。

草木も湧き水もない島でどうしてくらすことができたのか。鳥の肉や貝、海草、ときたま魚肉を食し、雨水をアホウドリの卵の殻で受け、飢えをしのぐ。
一隻も姿を見せない島暮らし。ある者は病に倒れ、仲間同士で喧嘩も。

夏にいなくなるアホウドリを干し肉として貯え、生き延びる。一方、流木を頼りに、碇を釘に変え、船を作り、長平を含む生き延びた14人は島を脱出する。八丈島の近くの青ヶ島に着き、八丈島から江戸へ。

塩の香りまでするような濃厚で、リアリティのある文章がなぜできるのか。まるで映像を見ているようだ。

気の狂いそうな無人島暮らしでも失わない前向きな姿勢、体力、精神力、そして知恵。まさに人間賛歌の一編、感動の巨編である。