パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

蜜蜂乱舞 吉村 昭 33

2009-03-30 | 吉村 昭
桜の開花が、春の到来を告げる。
「蜜蜂乱舞」は、綿密な取材に裏打ちされた養蜂一家の物語。吉村にしてはめずらしい現代家庭を描く。昭和49年(1974)に1年間、家の光の雑誌に掲載された。昭和62年(1987)に文庫化。

鹿児島の鹿屋市に住む有島伊八郎(56歳)と利恵、高校2年生の典子。そこに大学を中退し、消息を絶っていた息子俊一(24歳)が妻の弘子(19歳)を連れて帰ってくる。

養蜂業は、蜂が花から得た蜜を採取して市場へ流す。花の咲く時期は短く、そのため、蜂の群れを連れて花を求め北へ移動する。

有島家も4月に菜種、下旬にはレンゲと九州を北上。典子を残し、7ヶ月の旅に向かう。
長野県松本でアカシア、6月には秋田十和田湖でアカシア、6月30日には北海道へ。
十勝平野でソバ、7月下旬シナノキ、1月は野宿、キャンプしながら9月まで採蜜を行い、11月下旬に帰郷する。

女王蜂と雌の働き蜂、採卵を促すための雄蜂という秩序ある蜂の生態と、変動する人間社会の営みが対比して描かれる。

途中、暑さや振動に弱い蜜蜂の生態や、移動時の渋滞や停車がもたらす混乱。大水による巣箱の被害、スズメバチの来襲やヒグマの恐怖。
伐採や農地の減少で厳しくなる花の確保など、自然に委ねざる終えない厳しい現実がそこにある。
巣箱を騙し取られる。馬車の馬に蜂が群がるパニック。老人を刺し、廃業する業者。

また、嫁姑論や、交通事故を起こし刑務所に入っている弘子の兄の出所、長旅ゆえに離婚や失踪する養蜂業者などの挿話。
そして、特攻機の基地となっていた鹿屋を舞台に、若い航空隊員の生命を代償とした死の出撃と戦後の暮らしがエピソードとして加わる。

厳しい自然と現実。そこに自らを委ねる家族の絆。まるでホームドラマを見ているような映像的な吉村の文章と構成がいい。
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ブルックナー 8 ブロムシュテットの第4番

2009-03-28 | music/classic/Bruckner
一日ずつ春の陽気になるにつれ、山々の色も変化していく。
今の愛聴はブルックナーの第4番だ。

ブルックナーの田園交響曲と呼ばれる由縁もあり、ドイツの森や山々への畏敬ともいえる感傷が味わえる。

1927年、アメリカ生まれで、アメリカから北欧などで活躍しているN響の名誉指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットが、1981年にドイツの名門ドレスデン・シュターツカペレを指揮した名盤を聞く。

そのアンサンブルの美しさで有名なオケとその美点をさらに力強く引き出すブロムシュテットのタクト。緩急もあり、さわやかさが際立つ。
演奏時間も65分と1975年のカラヤン・ベルリンフィルに次ぐ短さ。ブルックナーは7番とともにジャケットも神秘的でいい。
ノヴァク版   Total 65:44 ①18:23 ②16:30 ③10:51 ④21:06
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ブルックナー 7 チェルビダッケのロマンテック

2009-03-22 | music/classic/Bruckner
セルジュ・チェルビダッケ。ルーマニア生まれの指揮者。主にドイツで活躍した。1912年生まれ~1996年没。

フルトヴェングラーがベルリンフィルを追われ、その後任として支え、フルトヴェングラーの復帰を果たし、カラヤン後は、ヨーロッパをまわり、1971年には、ドイツのシュトゥットガルト放送交響楽団、79年にはミュンヘン・フィルハーモニーとの関係を構築した。
その暴言や厳しさ、録音嫌いや親分肌など、さまざまな逸話を残す。特にテンポの遅さは有名。

そのチェルビダッケが、老境の90年前後に、手兵のミュンヘンフィルと録音したブルックナーチクルスを聞く。

4番「ロマンテック」は予想通りに遅い。特に1楽章は、そのスマートさから、カラヤン・ベルリンフィル((1975)を愛聴していたので、「こりゃなんだ」でした。
しかし、この丁寧さも、しつこさとは異なり、ブルックナーハーモニーをある意味で聞かせていることに気がつくのです。
悠久のアンサンブルとして、聞き手に入ってくるのですから、心地よいのです。

ベーム・ウィーンフィル    (1973) ノヴァク版  Total 68:10 ①20:14 ②15:34 ③11:09 ④21:13
カラヤン・ベルリンフィル   (1975)原典版     Total 62:52 ①18:14 ②14:27 ③10:43 ④20:28
ヴァント・ベルリンフィル   (1998)原典版     Total 68:11 ①19:09 ②15:58 ③11:14 ④21:50
チェリビダケ・ミュンヘンフィル(1988)ハース版   Total 78:07 ①21:38 ②17:34 ③11:03 ④27:52
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日めくり万葉集

2009-03-21 | life
古典といえば、中学時代に覚えた枕草子の冒頭や徒然草の一節、高校時代に接した百人一首。
このような情けない経歴のわたしが、ある日、ふと見たテレビでこれはよいと思いついたのが、今年の1月から始まったNHKの教育テレビ、BSハイビジョンで放送している「日めくり万葉集」という5分間番組だ。
「日めくり」というとおり、一日一句、万葉の世界に浸れるのである。

万葉集は、7世紀後半から8世紀後半に詠まれた4,500余りの歌集だ。
天皇から農民まで、そして恋歌から旅の歌、死への挽歌など、まさに日本的センスの凝縮したスピリチュアルな世界。
1日、1日をこんな精神世界に触れられるのならいいのではないか。
ちなみにテキストもあり、月刊で690円。
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吉村昭とP,P&M エッセイ集「街のはなし」吉村 昭 32

2009-03-20 | 吉村 昭
吉村昭のエッセイ集に「街のはなし」がある。
平成に入り、女性向け月刊誌に6年間掲載された「箸袋から」という連載をまとめたものだ。(平成8年(1996)発刊)
これがまたおもしろい。女性向け雑誌であるから、女性論やファッション、結婚や見合いはもちろん、マナーや習慣、そして氏得意の食まで幅広い。
アメリカのフォークグループ「ピーター・ポール&マリー(P,P&M)」のアナログディスクを聞きながら読んでいたのだが、何か似ているのである。
つまり、個人とグループ、活字と音楽の手法は異なるが、さまざまな視点と題材、心地よい後味は同じなのだ。
P,P&Mもメッセージソングやカントリー、民謡、童謡からポップスまで、3人はハーモニーとギターで人生を語る。

仮に電気もない無人島に行くとしたら、吉村昭のエッセイ集はどれも離せないと思う。
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沈丁花 咲く

2009-03-15 | life
家の沈丁花が咲いた。白い株だ。赤い株は、残念ながら昨年を最後に枯れてしまった。
白い株は珍しいという。大きくなってほしい。
今頃、まちを自転車で走ると、時折、感じる香りが、この沈丁花だ。

沈丁花は、3月に咲く。卒業、進級、進学などの、環境が変わるときだ。だからこそ、印象深い。
不安や希望、挫折などの入り混じった感情が、あの甘酸っぱい、柑橘系の香りと絡み合う。
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ブルックナー 6 雪景色とシノポリのロマンティック

2009-03-14 | music/classic/Bruckner
昨日の大嵐から一夜明け、今日、車で山地を走ると粉雪が舞い、銀世界が現れた。
静けさの中、山々が我々に語りかけるように見えた。まるで、ブルックナーのシンフォニー4番「ロマンティック」の1楽章のように。



このシンフォニーは、ブルックナーが50歳の時、1874年に作曲された。
この頃、いわゆるブラームス派からのワーグナー批判にさらされていた、ワーグナー寄りのブルックナーは、執拗な新聞批評などにまいっていたらしい。
そのせいか、完成は1880年、初演は1881年であった。さらに、1936年にはロベルト・ハースが編集したハース版、戦後のレオポルド・ノヴァークによるノヴァーク版がある。

この4番は、ブルックナー自身がつけたその副題のとおり、素敵な曲である。
これを、早世したジュゼッペ・シノーポリで見る。
NHKのDVD、昭和63年(1988)1にサントリーホールでの、イギリスの名門、フィルハーモニア管弦楽団を指揮した映像である。

1楽章の弦楽器のトレモロから始まる原始林の霧から、ホルンの素敵な主題がまさに「ロマンティック」で全編を貫く。この主題がオーケストラ全体で激しくも凛々しく歌われる。
2楽章は、1楽章とは対照的に物悲しくも寂しいさすらいのテーマ。ロマンティックのまた、一つ別の表情を見せる。しかし、ブルックナーの手法は、悲しさの中にきちんとクライマックスを位置づけている。
3楽章は別名「狩のスケルツォ」という。狩の角笛を思わせる有名なホルンの響きでぐいぐい聴衆を引っ張る。1878年に加えられたという。
4楽章は1楽章や3楽章の主題が激しく押し寄せては引いていく。そこに現れる平穏な主題。シノポリの表情も柔らかく、いきいきとしている。3回も改定したという第1主題をモチーフにしたクライマックスもすばらしい。ブルックナー得意な手法が炸裂する。
また、演奏時間も1時間とブルックナーの作品群の中では適当で人気が高い。

シノーポリは1946年から2001年、イタリア生まれの精神科医で作曲家、指揮者でもある。65歳で心筋梗塞でドイツで亡くなる。
この映像は、シノポリ42歳という若々しさの中に、激しさ悲しさ優美さを見ることができる。
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桜咲き、じゃがいも植える

2009-03-08 | life
土曜日、日曜日とよい天気が続いた。
今日は気温も14度ぐらいまで上がるらしい。
その陽気に誘われてか、さくらんぼの木に花が咲いた。この木は早く咲くので、わが畑は、梅と桜のコラボである。
実がなるまではもうしばらく。

また、じゃがいもの種を植えた。

4キログラムを半分に切り、で15個を6列、90個。
昨年は16日に植えた。6月中旬の収穫まで楽しみである。
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非情と熱情と 「長英逃亡」 吉村 昭 31

2009-03-07 | 吉村 昭
吉村には「逃亡物」というジャンルがあり、逃げるという行為をテーマにいくつかの作品がある。「遠い日の戦争」は先の大戦後の現代物であるが、江戸後期の作品がこの「長英逃亡」である。
高野長英(たかのちょうえい)文化元年5月5日(1804年6月12日) - 嘉永3年10月30日(1850年12月3日)は、江戸後期に活躍した医師・蘭学者である。
幕府が外国の脅威を感じ始めていた頃、いわゆる蛮社の獄(蘭学者への言論弾圧事件。幕府目付鳥居耀蔵が首謀者)で天保10年(1839)、36歳で入牢。5年間の入牢を経て、41歳で獄舎に火をつけ逃亡。以来、6年4ヶ月にも及ぶ逃亡の記が「長英逃亡」(昭和59年・1984)刊である。
共同体意識が強い時代に、江戸内に潜伏以来、群馬・新潟・岩手そして江戸、そして西へ。大阪、四国の宇和島、広島、そしてまた江戸へとさまざまな温情を受けながら逃げ伸びる。そこには危険や罪を犯してまでも知的財産である長英を生かそうという熱い信念を持つ人々がいた。
長英はその間、捕縛への恐怖と不安を抱えながら、日本の将来を憂慮し、西洋の兵書を翻訳し、世に送り続けた。しかし、江戸で捕まり死亡する。

吉村は、美談にせず、その凄惨ともいうべき、逃亡の日々をきちんと追い続ける。晩年に自ら顔にやけどを負わせながらも、生きることに執着する凄惨な長英の姿も浮かび上がらせる。

しかし、脱獄して、2ヶ月で鳥居が失脚し、西洋への関心が高まる。また、長英の力を頼みにしていた薩摩・島津斉彬も、長英の死後3ヵ月後に藩主になるなど、その情熱とはうらはらに数奇で過酷な運命が長英を襲う。
そして、死して13年後に明治維新を迎える。もう少し、生まれるのが遅ければ、長英の人生はまったく、違ったものになったのに違いない。

人間の情熱は凄い。しかし、その運命にもてあそばれる姿は惨めであり、人間は弱い。
なかなか読み応えのある、文庫上・下巻である。
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土との対話

2009-03-01 | life
昨日は、6月の収穫を目指し、じゃがいもの畑づくりをした。
大根や白菜などの冬野菜も終わりを告げ、これから本格的な菜園シーズンの始まりを告げる。
土に鍬を入れるごとに、「久々だな」と声をかけながら土中に空気を入れていく。畑に使っていない場所は土も固く、鍬持つ手にも力が入る。
今週の5日は「啓蟄」である。起こすとミミズの姿もそこかしこに見られ、冬の土中を思い起こさせる。

写真は、昨年10月末から11月はじめにかけて植えた玉ねぎ苗。30センチぐらいになり、しっかりと地に根付いた。消毒をした。

先週蒲団の中で、呆然の時を過ごしていた。それが鍬を持ち、地球に向かうことができていることの不思議さを思う。
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