パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

ふるさと村の食養ごはん

2022-06-26 | book
タイトルにひかれて借りたのが「病気、不調知らずのからだになれるふるさと村の食養ごはん」だ。2021年9月1刷。食事の大切さを説き、基本の食養ごはんと四季のおかずのレシピが掲載されている。

四季のおかずは、季節の野菜で構成されている。そして、最後に四季に関わらない製品が紹介されている。海藻、もやし、豆腐や納豆、油揚げ、麩などだ。

具材は、日本で昔から食べられていたものだ。基本の食養ごはんの主食は、玄米、梅干し、漬物、味噌だ。

うちの畑で作っていた野菜もこのレシピにはある。作り方もシンプルで興味をそそられた。畑への思いが一層募る。耕して、畝を作り、種をまき、苗を植える。成長と共に、草取りをし、追肥を行なう。暑いとき、寒いとき。収穫したものをお腹に入れる。

常にあるのは、腹八分とよく噛むこと。月に一二度のハレの日(食べたいものを食べる日)を設け、ガス抜きをすることもOK。
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お灸女子一年生

2022-06-19 | book
近所の人に勧められて、お灸を始めた。勧められたのは母親で、この製品を買ってくれと頼まれた。母は、子どもの頃、母の祖母がお灸名人で、親戚の人が集まり、お灸をしていたことを覚えている。その時代は、もぐさを直に体に載せて、線香で火をつけていたらしい。

今のお灸事情は、どうも違うらしい。図書館で借りた2012年12月刊行の「お灸女子一年生」は、モデルさんが、気持ちよさそうに台座のついた煙草のようなものを当てている。線香ももぐさも見えない。本のキャッチ―は、「ルックスも内面もキレイに磨きあげましょう」だ。

10のツボが紹介されている。使用時の注意点やルールも書いてある。お灸が効く仕組みも興味深い。もちろん万人に効果があるかどうかはわからない。病気を治すものでもなさそうだ。いわゆる「個人の感想です」の世界か。煙と香りが苦手な人もいるだろう。火を使うのにも抵抗があるかもしれない。
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漱石 8 虞美人草

2022-06-12 | book
夏目漱石が、教職を辞し、職業作家として、明治40年1907年に新聞社に入社。その第1作目が「虞美人草」だ。6月から10月まで連載された。

27歳の甲野欽吾、28歳の宗近一の春の京都旅行から物語は始まる。旅館の隣に住んでいたのが、小夜子と父親の井上狐堂。その井上親子は、東京へ帰る甲野と宗近と同じ列車にいた。
甲野の妹、藤尾24歳。付き合っている小野清三27歳。小野は恩師の井上を迎えに駅へ出かける。
若きインテリの甲野、宗近、小野。この3人に、宗近の妹の糸子と藤尾、小夜子が絡みながら物語は動き始める。そこに明治の家父長制のなかでの宗近の父、甲野の継母、小夜子の父の井上狐堂が介在してくる。19の章からなる。会話表現を挟んで、漱石の博学溢れる文章が展開される。

岩波文庫1939年第1刷。2020年第76冊。
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俳句の入口 藤田湘子

2022-06-05 | book
俳人の藤田湘子(昭和元年1926年~平成17年 2005年)「俳句の入口」を読んだ。2001年平成13年2月刊行。平成9年1997年にNHK教育テレビのNHK俳壇のテキストで連載していた「俳句上達法」を本にしたものだ。
藤田は、「入口」とあるが、入門ではなく、俳句を作り始めて3年から10年経ち、どうもうまくいかないと感じている人向けに書いたものだ。「はじめに」で、数年も経験を積むと慣れが生じマンネリズムに陥りやすいものだと。その俳句の入口にたむろし、なかなか玄関や廊下、奥の部屋まで行けない作者群にアドバイスする本。
70歳になり、俳壇の傾向に異議申すと、意気軒高な湘子先生の姿がそこにある。
それぞれの章で紹介される例句。そして、添削コーナーも読みごたえあり。

3つの章からなる。
第1章は「俳句という器」。俳句の形式について。

俳句は韻文だ。もっとリズムを。高い調べを。とにかく五七五に仕上げる。五七五でリズムの快感を表現せよ。五七五のリズムと付き合うには、まず、十二音+五音、五音+十二音の十二音を考えよ.

水原秋櫻子「作者の主観は常に句の調べに乗って流れ出て、読者に伝えられるものである。」

「切字は古い」なんてとんでもないこと。「切る」という心は決意だ。
散文は①なに(誰)が、②いつ、③どこで④どうしたという形。締まりがなくなるので、散文でも①や③が省略される。韻文は①②③④を全て言わずに表現するもの。切字の効果効用は、①詠嘆を表す②省略の武器③一句の格調を高めることであり、「切字」は強力な表現手段だ。

季語は詩情を刺激する。
1 季語はそのまま使え。
2 季語を離して使え。原因と結果がそのまま述べられてもつまらない。
3 季語をよく知り、親しみ、見つめろ。歳時記でその意味を知り、例句で使い方を知れ。

第2章は俳句と付き合う法。第1章の俳句形式と、どう向かい合い、どんな作り方を心がけたらよいのか。
初期のころはたくさん作らなければならない。目標は月30句が目標だ。

新しさを求めよ。自分を信じて俳句を詠え、そうすれば新しいフレッシュな俳句が生まれる可能性が高い。新しさの源は①自然を写生すること②自分を見つめること③自分に素直であることだ。自分の感じた「ほやほや」の部分を消さぬように、何とか自分の言葉で表すように心がけて欲しい。

活字と親しめ。同じ対象でも評伝する言葉を色々替え、工夫して豊かな表現力を身につけたい。気取った言葉ではなく、自分の普段の気持ちに沿った、十分に詩的に生かされた言葉であってほしい。

佳句に出会うと、受けた感動や興奮を「あっ」「おう」「うむ」と声が上がる。常識の一本道、新しい発見がない句は読み手の琴線を刺激しない。作るときもこの「あっ」がないとだめだ。

日常生活の何気ない行動の中で、ほんの些細なもので良いから、そう感じたりとらえたりしたものがあれば、それを大切に詠うようにせよ。そのポイントは、常識の一本道をふと逸(そ)れたところにある。
風景の句では初心の頃、対象の組み合わせが大と大になりやすい。遠近がよい。近は足元、身辺だ。遠い雲や山よりも自分だ。自分を忘れて何が俳句だ。

俳句メガネに気をつけろ。決まりきった着想と配合、前例にならった言葉遣いはだめだ。
孫を読んでも、いい句はできない。浪花節は俳句ではない。孫が可愛いのは常識。常識がいくら高ぶっても詩にはならない。見つめている自分が現れなければだめだ。一句の主人公は常に我だ。読む人が「ああ、作者を感じる」と思ってもらえばよい。だから、自分の感じた方、自分の言葉が必要だ。

凛凛と詠え。情と景との響き。作者が自分の心の動きを十分に咀嚼し、それを抑えながら目に触れる景色と響き合わせろ。内なるものを見つめることを怠らず、外に向かって遊ぶまなざし、態度を養え。

第3章 俳句上達法
点と線
詠う対象には、①原因があり、②経過があり、③結果がある。しかし、これらを線とすると、俳句で全て述べることはできない。俳句表現の手法には、ある一点をとらえて、全体を感じとってもらうものだ。それには③結果を詠えばよい。
消費と貯蓄
自分の発想で、自分の言葉を使うようにしよう。しかし、作句を始めたときから貯蓄されたものの消費が始まる。手持ちの言葉や発想はどんどん消えていく。うまく作れない、大きな壁にぶつかった、補給不足が原因だ。スランプ対策は、他の芸術に親しんで、新しい発想や方法のヒントを得ることを勧めている。絵画彫刻、よき音楽、詩、短歌。語彙を増やし、発想の変化を求めようとするときにもってこいの蓄財の対象だ。

風景を詠えるか
今は人事句全盛。俳句の作り手の究極の目的理想は、風景も人事も自由に歌いこなすことができることだ。
風景を詠んでも後ろに作者の息遣いがあり、人事詠といえども自然の豊かさが感じ取れる境地だ。
俳句を作り始めの頃は、言葉が出てこない。それが過ぎると詰め込み時代が来る。俳句表現の上で大切な「省略」を忘れてしまう。俳句は潔い詩だ。捨てるときは思いきって捨てろ。
俳句は声に出して朗々と誦しょうし、俳句のリズムを身に染み込ませろ。繊細な内容には繊細なリズム、豪快な内容には豪快なリズム
俳句は短い句の形式
短くて何も言えないから、一点に絞ってそこに賭けるのだ。
如く俳句
季語 季節感を磨け 季節の詩から離れれば俳句の存在理由はなくなる。季語の連想力、季節感、安定感の力は大きい。

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