パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

たどたどしく声に出して読む歎異抄

2012-09-30 | book
9月17日の台風16号の襲来、そして、お彼岸も過ぎ、あっという間に秋になった。週末は、日本列島は台風17.18号のダブルパンチだ。

「たどたどしく声に出して読む歎異抄」は、2012年4月発刊。著者は詩人の伊藤比呂美。1955年東京生まれで熊本市在住だが、現在、カリフォルニアにも住んでいることから、日本との往復生活をしている。この著作の中にも「旅」という内容で12編の文章がある。

年齢的にも近く、死生観と今をどう生きるかという、はざ間の中で、親鸞の著作を読み、その声を聞くというスタンスに立った本。

親鸞の弟子の唯円が親鸞の言葉を記したとされる「歎異抄」をはじめ、日常のおつとめで唱える正信念仏偈、親鸞が経文を漢文体ではなく和文体で記した「和讃」、親鸞の書簡など、それぞれに現代文が読める。言葉の力を感じる1冊。
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ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(5)

2012-09-23 | ビートルズ
66年、バイクによる事故により隠遁生活を送っていたボブ・ディラン67年、復帰作として発表した「ジョン・ウェズリー・ハーディング」はシンプルなロックスタイルによるもので、以後、ボブディランはカントリーミュージックをはじめ、アメリカのルーツ音楽への回帰への姿勢を明らかにします。

ここで、ボブディランの曲、ジョージがゲットバックセッションで取り上げた、「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ - I Threw It All Away」をお聞きください。

激しいシャウトといいますか、60年代半ば、フォークから、フォークロックへと転向したボブディランは、ワイルドな叫び声を上げていたわけですが、今お聞きのようになめらかな歌声で、しかもカントリーミュージックへ傾倒していったわけです。サイケデリックロックやブルースロックが全盛を極めようとしていた時代にあって、もうこれはもう非常に異色的な出来事で、当時は話題になりました。

さて、ビートルズにとってボブディランとともに大きな刺激、という以上に大きな影響を受けたのが、ザ・バンドの存在だったようです。
ザ・バンドはボブディランのバックバンドを勤めた後、デビューしたものです。ザ・バンドは世の風潮、当時の多くのロックバンドが価値観を断ち切り、反戦や反体制運動に関わり、支援することが多かったのに対し、反抗に対する反抗の姿勢を明確に打ち出していました。それは伝統に根ざした音楽に敬意を払い、それを継承し、現代化すること。また、世代間の断絶に関して、親と子、家族、親族の絆の重要さを訴えていたことなどです。
では、ここで、ザ・バンドの「ザ・ウエイト」をお聞きください。

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ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(4)

2012-09-22 | ビートルズ
さて、ビートルズが、ゲット・バック・セッションに取り組んだ、69年前後、ロックミュージックは大きな変革期を迎えていました。これまで、60年代のロック革命といったことを触れてきましたが、それをリードしてきたのは、まぎれもなくビートルズとボブディランです。

9回目のエピソード、愛こそはすべてで触れてきたように、67年の夏、ヒッピームーブメントを背景にしたサマー・オブ・ラブがありました。それらと深いかかわりのあったサンフランシスコを本拠とするジェファーソン・エアプレーンやグレイトフル・デッドなどが脚光を浴び、サイケデリックロックが大きな盛り上がりを見せ、それはイギリスなどにも波及していきます。

前後して、60年代半ば以降、イギリスでは、リズム・アンド・ブルース、ソウルミュージックに続いて、ブルースロックが脚光を浴び、ブームを呼ぶことになります。そして、それはやがてハードロックの原点の一つとにもなっていきます。

社会的には、反体制運動、反戦運動が大きな盛り上がりを見せ、そうした動向を反映した作品も数も多く生まれていました。そうした中にあってビートルズとともに、60年代のロック革命の担い手として、時代の先端を歩み、ロックシーンに多大な影響を与えてきたボブディランが音楽的な方向を改め始めます。
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紫蘇の花

2012-09-17 | food
週末に襲った台風16号。南の湿った暑い空気をもたらした。
この暑い夏のせいで、白菜、大根などの冬野菜の準備に気後れがして、この週末の土曜日に種を蒔いた。他の畑では、苗を植えたり、もう10センチもの芽が出ている。遅きに逸した感もあるが、俺流もいいか。

その畑では、この猛暑を乗り切った紫蘇が穂を出し、白い花が満開だ。この花が散り、実をつける。てんぷらにしても良し、実をとって佃煮にする。
土手の散歩もバッタの群れがお出迎えだ。

台風一過で秋の到来が待ち遠しい。
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ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(3)

2012-09-17 | ビートルズ
原点に戻るというポールの発案から、ゲットバックセッションとして語られるようになったレコーディングは、69年の1月、映画スタジオにおいて、そのリハーサルが開始されます。

ホワイトアルバム終了後、前回も紹介しましたが、リンゴによると「バンドのよさを取り戻した」という言葉もありましたが、実際のところ、ゲットバックセッションにおいて、さまざまな曲のリハーサルが行われ、その断片なども含め、最終的には100曲以上もの作品が演奏されたとのことでしたが、なかなか思うようにこことははかどらなかったようです。

さて、演奏した作品には、ゲットバック、原点に戻るというテーマに習うように、ビートルズ初期、それもハンブルグ時代に彼らがカバーした、リズムアンドブルース、ロックンロールのクラシックナンバー、たとえば、エルビス・プレスリーの作品ですね、それからビートルズ初期に書かれながらレコーディングしないままにあった作品、同時にボブディランの最新の作品なども含まれていました。

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ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(2)

2012-09-16 | ビートルズ
発案者は、ブライアン・エプスタイン亡き後、グループの先頭に立って、グループを牽引してきたポール・マッカートニーでした。

「ライブをやらせれば、僕ら最高のバンドだ」という認識のもと、とにかく演奏さえ続けていれば、何もかもすべて帰結するんじゃないかと思ったんだ」というポールの言葉がそれを裏付けています。もっともその言葉は意欲や意気込みにあふれるものというよりも、ホワイトアルバムの制作時における、ビートルズ内部での亀裂、緊張関係などを解決し、崩壊状態を目の当たりにした、ポールの切ない願いを物語るものではないかと思います。

同時に新曲の曲作り、リハーサル、レコーディングの過程を撮影し、最終的にはライブコンサートを披露するというプランも含まれていました。当初はテレビ番組での放映が予定されていましたが、それが頓挫し、映画で公開するプランに改められることになります。
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ビートルズのすべて 11 解散への足踏み(1)

2012-09-09 | ビートルズ
いよいよ11回目になりました。「『レット・イット・ビー(Let It Be)』 解散への足踏み ビートルズの終末」です。

アルバム『レット・イット・ビー(Let It Be)』について触れていきたい。

かつてビートルズに親しんできた方、また、ビートルズの軌跡、足跡をご存知の方であれば、今回のテーマに首を傾げられる方もおられるかもしれません。

前回テーマにしてきたのは、ビートルズ9枚目のオリジナルアルバムである『ホワイトアルバム』でした。それに続いて発表されたアルバムは「アビイ・ロード - Abbey Road)」です。ま、そうした経緯からすれば、今回は、「アビイ・ロード」の話をするのがふさわしいことになります。もっともビートルズの足跡をたどっていけば、アルバムの発表順こそ、「アビイ・ロード」が先になるが、実は「アビイ・ロード」は最後にレコーディングされたアルバムです。
そして、発表の順序こそ「アビイ・ロード」の後になりましたが、「レット・イット・ビー」に収録された作品は、「アビイ・ロード」より先に収録された作品でした。もっとも、レコ-ディングを終え、作品として完成しながら発表が見送られました。同時にレコーディングの模様は撮影され、映画化される計画がもたれていたが、その完成が遅れたこともあって、しばしお蔵入りすることになりました。
ビートルズは、「ホワイトアルバム」の発表後、新作のレコーディングに取り組みます。そのアイデアとしては、ビートルズの本来の姿、その原点に立ち戻り、ライブバンドとして、アルバム作りに取り組むというものでした。
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100円のコーラを1000円で売る方法

2012-09-02 | book
「100円のコーラを1000円で売る方法」は、昨年、2011年の12月に1刷、そして翌年の2月には5刷となった、いわゆる経営ハウツー本。それも、小説タッチで、顧客マーケティングの極意を10章にわたり、解説する。ベストセラーになった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」のパターンである。
著者は現役の企業マン、永井孝尚。地方の営業所から、会計ソフトの本社商品企画部に、入社10年目の宮前久美が転属してくるところから物語が始まる。巻頭の「企業の目的は顧客の創造である」が本の大筋を物語る。

顧客のニーズが、ヒット商品を生むのではない。虫歯を防ぐキシリトールガムがなぜ歯医者に受け入れられたか。スキンケア商品をごり押ししないエステサロンとは。1000円のコーラをなぜお客は注文するのか。省エネルックは失敗し、なぜクールビスは成功したか。新商品は売れても、売れないときが来る。値引きをすれば売れるというものではない。などなど。

宮前の考えをことごとく商品企画部の上司、与田剛が打ち破る。その与田が書くホワイトボードがヒントとなり、宮前は成長していく。終わりに再度登場するライバル会社の内山明日香が、続編を予感させる。

顧客のニーズとはなにか。売れるということはどういうことか。この本は単に会計ソフト会社に限らず、企業・自治体・NPOなどはもとより、ボランティアや家庭など、さまざまな人のニーズに関わる集団経営・運営に大きな示唆、ヒントを与えてくれる。

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