パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

人情企業の応援歌『空飛ぶタイヤ』

2011-08-28 | book
2006年9月刊行。2段組の5センチ単行本を一気に読ませるのは、作者の意図に、中小企業へのエールを感じるからだろう。

赤松徳郎は、40過ぎの2代目社長だ。その赤松運送のトラックが、交通事故を起こした。6歳の子どもを連れたお母さんが亡くなった。死因は、外れたタイヤであった。自動車会社に整備不良が原因とされ、社会から追求される赤塚運送。被害者は訴え、会社の将来を見限る従業員。取引会社は減り、銀行はこれまでの融資の返済を求めてくる。社会・地域は、執拗に赤松を犯罪者として、どん底に陥れる。

ほんとうに整備不良なのか。赤松は他の交通事故の例を入手し、自力で調査を始める。そんな中、社長は、自動車会社側のリコール隠しの臭いをかぎつける。その背景には自分の会社・従業員に対する信頼があるからに他ならない。
捨てる神在れば拾う神あり。苦難に立ち向かう赤松に、他の銀行や警察も救いの手を差し伸べる。一方で、自動車会社でも、その行く末を案じる社員がいた。しかし、硬直化した組織は、いとも簡単に社員を切り捨てる。その仕組みは非情で、隠蔽をスクープしたマスコミさえも、握りつぶす。

同時並行で繰り広げられる、小学校のPTA会長を努める赤松の息子に向けられた教室内での盗難の嫌疑も、家族に対する信頼と、真摯なPTAへの献身が、会長辞任を提案した臨時総会で逆転劇をもたらす。

最後まではらはらどきどきの展開だ。人はいつ、こういう状況になるのか、わからない。社会全体が敵になる状況で、どんな生き方ができるのか。人間は弱い。最後は家族、そして人のつながりが支えるということを作者は言いたいのだろう。
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池井戸純「果つる底なき」

2011-08-21 | book
この7月に直木賞作家となった池井戸純は1998年、平成10年に第44回の江戸川乱歩賞を『果つる底なき』で受賞した。1963年昭和38年生まれのであるから、乱歩賞時は35歳、新進気鋭の作家であった。

この作品は出自の銀行を舞台にした、いわゆる復讐劇で、同僚を無くした銀行員の伊木が、その正体にかかんに挑んでいくハードボイルド作品である。同僚の死が、単なる死ではない、そんな謎が少しずつ解き明かされていく前半。次々と襲われる知人、大きなうねりが訪れる訪れる中盤。そして、自ら命を狙われる緊迫した後半と大団円へと一気に読ませる。

受賞するのが目的ではなく、絶えず作品を送り出す作家になることが目的だという、池井戸の乱歩賞受賞の言葉が、今回の直木賞受賞につながったのだろう。



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吉村 昭 46 終戦の日「深海の使者」

2011-08-15 | 吉村 昭
8月15日は終戦の日。「深海の使者」は吉村昭が昭和48年(1973)に発刊したいわゆる戦争文学の一つ。題名からわかるように太平洋戦争に突入した昭和17年、日独両国の関係強化のためその行き来の手段とし採用された潜水艦の物語。

陸地はもちろん、制空権も限られた中、日本とドイツの道は海の下しか無かった。太平洋からインド洋、そしてアフリカの南を通り、大西洋へ。敵の襲来と海流の恐怖。病気や深海での厳しい生活の様子も。往復に4ヶ月の行程、滞在時間も換算すると204日もかかった。ましてや国際的にも戦局は悪化の一途をたどる中の出来事である。19年には英米軍のフランスノルマンディー上陸、米軍のサイパン上陸と日独を取り巻く状況はますます悪化してくる。

ドイツに向かった5つの潜水艦のうち、1隻が往復。ドイツからの潜水艦も2隻の内1隻が到達できた。

吉村の綿密な資料分析がそこに生きる人々の生き様を映し出す。終戦時の欧州在住の日本人の動向、終戦後の潜水艦の末路がむなしさを誘う。
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月の街 山の街

2011-08-14 | book
韓国版のいい話。『月の街 山の街』を読んだ。今年の2月刊行。
韓国では、シリーズものとして、評判を呼んでいるそうだ。スマップの草なぎ剛の翻訳で仕掛けている。

どの国でも、そこに暮らす人々の感性があり、貧しくても、人として凛と生きる姿がある。これらの実話を選び、掲載した。

伝統と慣習にしばられているとはいえ、それらも人が作り出したものだ。アメリカと韓国、国は異なっても、本当の話として、心を揺さぶる人々の感性があることがうれしく、ほっとしてしまう。しかし、新聞やテレビも、殺伐とした記事が埋め尽くす毎日。人はこんな心を打つ感性を、いとも簡単に忘れてしまうものなのだ。


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体験というショート集 「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」

2011-08-13 | book
朝日新聞で言えば、「ひととき」欄か。日常では、ちょっとした出来事がひっきりなしに起きる。その中には、悲しいことであったり、うれしいことであったり、ジーンときたことであったりする。中身は、決して特定の人物や政治や経済を語るものではないが、生きるうえで皆に伝えたいことであったりする。これらのいわゆる「いい話」を集めた本が「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」だ。556ページ。副題が「本当のアメリカン・ライフの物語」という。

編者は、アメリカの小説家ポール・オースター。1947年生まれというから今年、64歳になる。この人が1999年5月に、ラジオの番組でつきに1度、物語を語ってくれと依頼されたことがきっかけとなり、リスナーから寄せられた話題を読み、それを番組にしようというプロジェクトが始まった。99年10月のことである。条件は、短い、本当に起きた話。1年間で、4,000通の物語が寄せられた。うち3分の一が家族の話だったという。毎月、20分番組で5.6本選んで紹介した。その中の179の物語が掲載されている。2001年9月に発刊。日本では2005年6月。

物語は、いわゆる自慢話はなく、爆笑者のヘマであったり、胸を締め付けられるような偶然、死とのニアミス、奇跡のような遭遇、もろもろの予兆、悲しみ、痛み、夢などである。それが動物、物、家族、スラップステッック(どたばた喜劇)、見知らぬ隣人、戦争、愛、死、夢、瞑想の10の分野に分け、掲載されている。

もちろん、これらが生まれた背景には、アメリカが歩んできた歴史があり、その時間と無関係なアメリカ人はいない。まさにアメリカン・ライフなわけだ。

まさかということが人生には起こる。というか、自分がここにいることさえ、偶然なのだ。
偶然の積み重ねが今なのだから、だれでも自分の人生の一部を語ることができる。けっして人生、捨てたものじゃないと思わせる珠玉のストーリの数々。

つらいとき、悲しいとき、ふと本を開かせる粋なショートたち。改めてこんな出会いを招いてくれた新聞の書評、そして、偶然に感謝する。

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ビートルズのすべて 5 4人はアイドル(4)

2011-08-07 | ビートルズ
一方、ポールは「ザ・ナイト・ビフォア(The Night Before)」、カントリーミュージック的な「夢の人(I've Just Seen A Face)」を手がけた。そして、なんといっても「イエスタデイ(Yesterday)」だ。
当初の題名は「スクランブルド・エッグス」で、歌詞もできていた。みんなとジョージ・マーチンの助言で、ポール一人の弾き語り、そして、少人数のストリングスを加えることになった。

「イエスタデイ(Yesterday)」のポール一人弾き語りバージョン、発表されたストリングスバージョンの2曲を聴く。

ジョージ・マーチンは、ストリングスの導入は当時のポップス界にとっては、大きな一歩だったという。クラシックの弦楽4重奏を取り入れ、感傷的で、郷愁に満ちたメロディの美しさ親しみやすさ、普遍性。そして、ポールのやさしく、情感に富んだ歌声。
この作品で、ビートルズに親しんだというファンも少なくない。ビートの聴いた演奏、ワイルドなシャウトを看板にしたロックンロールバンドというイメージを打ち破るものだった。ただ、これまでのビートルズの魅力はロックンロールにあり、というファンにとってはいささか不満で、評価が分かれた曲でもある。小倉自体も好きな作品に挙げることはないという。この「イエスタデイ(Yesterday)」が、イギリスでシングルカットされなかったのも、ポールが、僕たちはロックンロールバンドだと言ったことよる。

ファン層を広げ、新たな音楽展開をもたらすものであった。
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