パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

節分に皮から作る「水ぎょうざ」

2011-01-30 | food

今週末も日本列島は、冷蔵庫状態。そんな1月も終わりを告げ、2月3日は節分。読んで字のごとく季節を分ける日です。特に冬と春を分けるこの節分は、旧正月でもあり、翌日は立春です。
中国では、旧正月が新年のお祝い。大みそかには家族が集まり、縁起のよい話をしながら水ギョーザを作るそうです。ギョーザのぷっくりした形も、「おなかをふくらませる」という意味で縁起がよいとされているのです。

1月12日の朝日新聞のおかず練習長№038は、なんと、皮作りからの水ぎょうざでした。

強力粉と薄力粉を3:2でこねて、常温で30分寝かせると、これがしっとり。きらきらともっちりです。
ただ、皮を作るときにかなり不揃いになりました。こねて棒状になった生地を切るときに、厚さと大きさを揃え、円形になっていないと、麺棒で伸ばしたときに、大きさや厚さが不揃いになり、円形になりません。でも、今後、回数を重ねると上手になるかもしれません。
しかし、市販の皮にない、もっちりした食べ応えが魅力です。そして、皮を閉じるときに水がいらないほどしっとりしていますので、手間要らずです。

初挑戦で、この出来栄えですから、ぜひチャレンジしてみてください。初めてだったので、生地作りから食べるまで、約2時間で出来上がりました。今回は、レシピどおりに鍋の熱湯で茹でて盛り付けましたが、簡易コンロで茹でながら、アツアツを食べるのもいいと思います。

さて、レシピです。
 粉の割合は、生地の延ばしやすさを考えて、薄力粉3対強力粉2。でもさらに歯ごたえがほしい場合は強力粉の割合を増やすといいとのこと。水の量は、硬さをみながら調整しましょう。表面の白い粉がなくなり、つるんとしてツヤが出るまで練ります。

 次はあん作り。エビを入れることでうまみをアップさせます。野菜を最初に加えると水分が出て包みにくくなるので、野菜を加える前に豚肉とエビの粘りをしっかり出します。早く粘りを出すコツはボウルにたたきつけながら練るといいとのこと。あんがしまって包みやすくなるので、冷蔵庫に入れます。

 麺台はまな板でも代用できますが、包丁の切り込み跡に打ち粉が入り、菌が繁殖しやすくなるので、できれば専用の台を用意したいものです。ホームセンターなどで手に入る白木板などは安価です。

【材料】(32個分)《生地》薄力粉120グラム、強力粉80グラム、塩小さじ3分の1、水90~110cc《あん》豚バラひき肉150グラム、むきエビ100グラム、白菜100グラム、ニラ20グラム、万能ネギ20グラム、ショウガ10グラム《調味料》塩小さじ3分の1、日本酒大さじ1、しょうゆ小さじ1.5、コショウ適量、ゴマ油小さじ2《たれ》しょうゆ大さじ2、酢大さじ1、ゴマ油適量、ショウガみじん切り小さじ1《つけ合わせ》豆苗1袋、ユズ皮の細切り適量。豆苗は、水菜で代用しました。

(1)ボウルに薄力粉と強力粉をふるい、塩を加える。水を回し入れながら練る。

(2)麺台に取り出してしっかり練り、食品用ポリ袋に入れて30分ほど寝かせる。

(3)豆苗は長さ3、4センチに切り、水洗いしてザルにあける。

(4)白菜、ニラを粗みじん切り、万能ネギ、ショウガをみじん切りにする。エビはボウルに入れ、塩、片栗粉(いずれも分量外)、少量の水でもみ洗いし、水気をふいて粗みじん切りにする。

(5)ボウルに豚肉、エビを入れ、ゴマ油以外の調味料を加え、粘りが出るまで練る。

(6)(5)に(4)の野菜とゴマ油を加え、軽く混ぜ合わせる。バットに移し、32等分にして冷蔵庫に入れておく。

(7)寝かせた生地を棒状にし、32等分に切る。切り口を上下にし、打ち粉(分量外)をまぶし、手のひらで押さえつける。麺棒で直径6、7センチの円形に延ばす。

(8)皮の中央にあんをのせ、包む。

(9)沸騰したたっぷりの湯にギョーザを入れ、4、5分ゆでる。一つ取り出して中を確認し、火が通っていれば、水気を切って器に盛り、ユズ皮をのせる。

(10)(9)の残った湯に豆苗をくぐらせ、ギョーザに添える。たれにつけていただく。

     ◇

1人前=8個約332キロカロリー、塩分2.7グラム、脂質9.2グラム

 《生地の延ばし方》 麺棒は右手に持ち、左手で生地を持ちます。麺棒は横や斜めに転がさず、前後にだけ動かしましょう。前に押すときは強く、引くときは力を抜くのがコツ。引くときに力を入れると、きれいな円形になりません。麺棒を引ききり、生地から離れたタイミングで、左手に持っていた生地を反時計回りに90度回転させます。この繰り返しで、円形の皮ができます。

 《包み方》 皮の中央にあんをのせた後、皮の端と端を少し引っぱりながら半分に折って1カ所を合わせます。軽く握った右手を左手で包み、人さし指と親指の間に半円形になったギョーザの端を合わせて置きます。人さし指と親指の腹でギュッと力を入れて閉じ合わせます。

水ぎょうざのお相手は、叔父の形見の南部鉄瓶に、壱岐焼酎の猿川(サルコー)の湯割です。ゆずの香りと水餃子のもちもち感が、酢醤油だれとあいまってたいへんおいしくいただけました。


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大寒に「サンラータン風鍋」

2011-01-23 | food
1月20日は大寒であった。今シーズンはほんとうに寒い日が続く。
こんな寒い夜は、あったか鍋でしょう。
今回は、朝日新聞の毎週水曜日に掲載されている「おかず練習帳」から、サンラータン風鍋に挑戦しました。
サンラータンとは、酸辣湯と書く。酢とラー油を用います。すっぱさと辛味をご堪能あれ。

それに、食材を食べた後で入れる春雨が、スープの水分を吸い、いい感じで仕上がります。カロリー控えめでいけましたよ。


【材料】(4人前)

 鶏モモ肉200グラム、白菜200グラム、シメジ60グラム、マイタケ60グラム、ネギ60グラム、ニンジン30グラム、水菜60グラム、溶き卵1個分、春雨(乾燥)40グラム、ミツバ20グラム、鶏肉用下味調味料(日本酒、片栗粉各大さじ1、塩、コショウ各少量)、スープ(中華スープのもと大さじ2と水1リットルを合わせたもの、日本酒、しょうゆ、みりん各大さじ2、コショウ小さじ3分の1)、スープ用調味料(酢大さじ2、ゴマ油小さじ2、ラー油適量)、たれ(しょうゆ大さじ2、酢大さじ1)、ゴマ油小さじ2

(1)春雨は水に15分ほどつけて戻し、長さ6、7センチに切る。

(2)鶏肉は皮を下にして幅1センチほどの棒状に切る。下味調味料を加える。

(3)白菜、ニンジンは長さ7、8センチの細切りに、ネギは斜め薄切りに、水菜は長さ4、5センチ、ミツバは長さ1、2センチに切る。シメジ、マイタケは根元を切ってほぐす。

(4)沸騰した湯に(2)をほぐしながら加え、表面の色が変わったら取り出す。

(5)土鍋の底に少量の白菜を敷き、上に残りの白菜、鶏肉、ネギ、ニンジン、シメジ、マイタケを並べ、スープを注ぐ。

(6)ふたをして沸騰させ、材料に火が通れば火を弱め、溶き卵を周りから流し入れる。火を止め、水菜、スープ用調味料を加える。わんに取り、好みでたれをかけて食べる。

《具材を食べ終わったら》

煮汁を200ccほど残し、春雨とたれ少量を加え、煮詰める。煮汁がなくなってきたら、ゴマ油小さじ2を回し入れ、ミツバを盛る。


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シューマン第4シンフォニー(3) クーべリック

2011-01-16 | music/classic
チェコ生まれの指揮者、ラファエル・クーべリック(1914~1996)が、ドイツのミュンヘンにあるバイエルン放送交響楽団を指揮した。4番シンフォニー。1978年の録音だ。

今年の年末年始は、シューマンのシンフォニーを聴いて過ごした。
バイエルンの重厚できれいな響きが楽しめる。1楽章、2楽章、3楽章とじっくりと暖かいタッチ。4楽章の躍動感がたまらない。
29:14(①11:38 ②4:22 ③5:48 ④7:26)
ロマンティックですがすがしい演奏。

昨日、今日と大学入試センター試験だ。荒れた天気で、学生も保護者も気をもむことが多い。

しかし、年末から寒気が次々と訪れる。特に今朝は冷蔵庫であった。こんな時にも、すがすがしいシューマンの4番シンフォニーは合う。
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成人の日 シューマン第4シンフォニー(2) スウィトナー

2011-01-10 | music/classic
一昨日は、キウイや栗、柿、金柑などの果実、つつじや梅、植栽に寒肥をした。また、昨日は、町内会の、とんど焼きに合わせ、新年会。1年の無病息災を祈る。そして、今日は、成人の日。親にとっては、ひとつの節目であろう。ここまでの成長に喜びを、将来に不安を抱く一日。

自分が成人の日を迎え、そして、社会に出て、毎年、何らかの記念の品を揃えた。時には、本であり、音楽CDであった。今年は、シューマンの4つのシンフォニーを聞いている。

シューマンの生まれ育ったドイツ。そのドイツの楽団、ベルリン・シュターツカペレといえば、その音楽監督を26年間も務めた指揮者、オトマール・スウィトナーの指揮で、4番シンフォニーを聴く。

1987年、スウィトナー65歳の時の録音。当時の東ドイツの教会での録音。アンサンブルの名手だけあって、それぞれのパートが有機的につむがれていく。残響などが、効果的だ。
バーンスタインより、楽章間の間が少なく、ひとつの交響詩的な要素が強い。
1楽章、2楽章とも早めのテンポで進む。3番の堂々としたスケルツォは、アクセントが心地よい。4楽章の激しさは、堅牢なドイツの楽団らしく、重厚だ。まるで、4楽章のために他の楽章があるかのようだ。クレシェンドのすごさ、そして、ティンパニーの響きがたまらない。

30:58(①10:58 ②4:07 ③5:38 ④10:15)
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シューマン 第4シンフォニー(1) 愛妻交響詩 バーンスタイン

2011-01-09 | music/classic
ロベルト・シューマン(1810~1856)は、19世紀前半を生きた、ドイツの作曲家である。今年、生誕200年を迎える彼が、17歳の時にベートーベンが、18歳の時に、シューベルトがこの世を去った。そして、23歳の時にブラームスが生まれた。
巨匠亡き後のドイツで、古典派からロマン派への足取りをきちんと歩み、作曲はもとより、音楽家の育成支援、論評など、そのドイツ音楽発展の足跡は金字塔である。

そのシューマンは46歳で死去する。20歳台は、多くのピアノ曲を、30歳は200曲もの歌曲を、そして、30歳台は管弦楽を書き綴る。
この管弦楽で、10年もの間、熟成されていたのが、4番シンフォニーだ。

愛妻、クララと30歳の時に結婚したシューマンは、31歳の時に第1シンフォニー「春」を、そして、「クララへ」と題した2番に着手するが、不評で、41歳の時に改作したのが、4番である。大きく4つの楽章に分かれているが、休憩はない。

ライブ演奏で、躍動感ある演奏は、バーンスタイン、ウィーンフィル。1984年のデジタル録音だ。緩急のあるスタイル、そしてじっくりと、どんどん熱を帯びてくる。ドラマティックなバーンスタインならではのライブのよさも引き立っている。32分42秒。

1楽章 11:48 陰鬱な導入部から始まる。言い知れぬ不安と緊張感。その中で、明日への希望を見出そうと、もがく強い意志。その両者は、波のように寄せては引く。
2楽章  5:13 ほんとうに寂しい。つき放たれた自分がいる。それを包む、やさしさ。クララの愛の楽章か。ゆったりと語るバーンスタイン。
3楽章  5:54 荒々しさと、陰鬱さを兼ね備えたドラマテックな楽章。もだえ苦しむシューマン。
4楽章 9:29 生きる喜び。歓喜の歌。

交響的幻想曲とも題されていた4番シンフォニー。苦悩や孤独、そして、生きることへの強い意思、ついに勝ち得る歓喜の時。クララとの新婚当時の思いが、4楽章一体となった交響詩ともいえる。200年を経た音楽の泉に、30分あまりの時があっという間に過ぎていく。

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「親鸞」連載

2011-01-02 | book
一月一日から、新聞連載の「親鸞<激動編>」が始まった。五木寛之の作である。2008年9月からの前回の連載では、生まれてから、35歳で越後へ流刑になるまでであった。
今度は、越後での7年間、関東や常陸の国での20年間を描くという。五木は1932年生まれであるから、79歳になる。この作家は親鸞、浄土真宗がライフワークのひとつであるから、前回も毎日、楽しみに読み、切抜きをしていた。
新聞小説は、毎日、毎日が勝負であり、そのイラストとともに、毎回の山場にその苦心の跡をいつも感じていた。すごい精神力、体力である。

一年、また新鮮な朝を迎えられることに感謝である。

年末から咲き出した山茶花。


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周平一言

2011-01-01 | 藤沢周平
今年、就職して30年を迎える。昨年は、ほんとうにいろんなことがあった。一日、一日の積み重ねが「今」である。

1月26日は藤沢周平の没日だ。今年、2011年は、没後14年の年にあたる。10年前の2001年、就職20年のときに、周平の全集を購入した。

そんな中、昨年12月5日の日経「忘れがたき文士たち」の3回目が周平であった。
家の借金、そして結核という病気、職を転々とし、娘の誕生と妻の死。それは。1968年(昭和38年)、36歳の時。妻は、28歳であった。ペンネームの藤沢は、妻の実家の地名、周は妻の親族の名から採られたという。

文壇デビューは44歳、1971年昭和46年の「溟い海」。妻の死は、周平の環境に大きな影響を与えたことだろう。ゴルフやギャンブル、酒におぼれることもなく、小説だけが、やりばのない心の糧であったのか。初期の作品は暗く、まさにこのころの周平の「負のロマン」に支えられていたという。

節目の年を向かえ、ぼちぼち、周平作品を刻んでいくこととする。

そして、初日の出を迎えた。

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