大晦日を迎えた。今年の後半の話題といえば、やはりボブディランのノーベル文学賞「騒動」であろう。やはり、話題性ありの顛末で、まだ余韻は残る。
新聞記事で追う。10月14日付で、13日スウェーデン・アカデミーが、2016年ノーベル文学賞をアメリカのシンガーソングライターのボブ・ディランに授与すると発表した。なんといってもミュージック界の生きる証、1941年生まれだから75歳。その交際の歴史は、フォークの重鎮、ウッディ・ガスリー、ミュージシャンのエルビスプレスリー、ポップ界のビートルズ、ロック界のローリングストーンズなどなどである。
ところが、その発表を受けて、ディランは沈黙を守ってしまう。新聞は国内の関係者の声を連日、掲載している。そして、17日には、なんとアカデミーはディランへの直接の連絡を断念してしまう。しかし、10月28日にアカデミーにディランから電話があり、賞を受けることとなる。なんとディランは、12月10日の授賞式には欠席し、メッセージを寄せた。
1962年、21歳でレコード「Bob Dylan」でデビュー。依頼今日まで、多くのレコード、ステージを提供してきた。
ディランとの出会いは、高校生の時、1974年のPlanet Wavesだ。
レコード書評で知り、両親にアナログレコードを買いにいってもらった。ところが、ついていけない。それもそうだろう。当時、ビートルズの後追い(すでに解散していた)、夢中になったのは、エルビスプレスリーのパフォーマンス、今なお健在のブラスロックのシカゴだった。とてもブルースやカントリー、そして難解な詩、あのだみ声に夢中になる素地はなかった。全曲聞いていない。
でも、はやりディランを知りたくて、当時よく出ていたベスト盤を購入する。1977年、大学時代に購入したゴールデン・グランプリ30シリーズだ。
しかし、これも、当時はやっていたフュージョンジャズを凌駕するほどでもなかった。
そして、3度目正直が1997年2月の大人買いである。
1967年3月リリースのグレーテスト・ヒット第1集
1971年11月リリースの第2集
1994年11月、23年ぶりの第3集
この3枚の一機、大人買いである。しかし、これも関心を寄せる契機にならなかった。
新聞記事で追う。10月14日付で、13日スウェーデン・アカデミーが、2016年ノーベル文学賞をアメリカのシンガーソングライターのボブ・ディランに授与すると発表した。なんといってもミュージック界の生きる証、1941年生まれだから75歳。その交際の歴史は、フォークの重鎮、ウッディ・ガスリー、ミュージシャンのエルビスプレスリー、ポップ界のビートルズ、ロック界のローリングストーンズなどなどである。
ところが、その発表を受けて、ディランは沈黙を守ってしまう。新聞は国内の関係者の声を連日、掲載している。そして、17日には、なんとアカデミーはディランへの直接の連絡を断念してしまう。しかし、10月28日にアカデミーにディランから電話があり、賞を受けることとなる。なんとディランは、12月10日の授賞式には欠席し、メッセージを寄せた。
1962年、21歳でレコード「Bob Dylan」でデビュー。依頼今日まで、多くのレコード、ステージを提供してきた。
ディランとの出会いは、高校生の時、1974年のPlanet Wavesだ。
レコード書評で知り、両親にアナログレコードを買いにいってもらった。ところが、ついていけない。それもそうだろう。当時、ビートルズの後追い(すでに解散していた)、夢中になったのは、エルビスプレスリーのパフォーマンス、今なお健在のブラスロックのシカゴだった。とてもブルースやカントリー、そして難解な詩、あのだみ声に夢中になる素地はなかった。全曲聞いていない。
でも、はやりディランを知りたくて、当時よく出ていたベスト盤を購入する。1977年、大学時代に購入したゴールデン・グランプリ30シリーズだ。
しかし、これも、当時はやっていたフュージョンジャズを凌駕するほどでもなかった。
そして、3度目正直が1997年2月の大人買いである。
1967年3月リリースのグレーテスト・ヒット第1集
1971年11月リリースの第2集
1994年11月、23年ぶりの第3集
この3枚の一機、大人買いである。しかし、これも関心を寄せる契機にならなかった。