萩原朔太郎は、近代、明治から昭和にかけての詩人である。その朔太郎が、俳人の蕪村や芭蕉論を展開する。「郷愁の詩人 与謝蕪村」を読んだ。
朔太郎は、明治19年1886年生まれ、昭和17年1942没。
本書は、昭和11年1936に初版。文庫収録は、1988年、昭和63年第1刷、購入したのは、2019年6月の30刷だ。平均すると1年に1回増刷している計算だ。まさにロングセラーだ。
詩人の朔太郎は、俳句の枯淡と寂び、風流という馴染めず、俳句を毛嫌いしていたが、ただ、蕪村は唯一、好きであったという。
そして、正岡子規により提唱された俳句革新の指標としての蕪村に論及する。そして芭蕉論も展開する。
正岡 子規は明治維新の前年、1867年(慶応3年)9月17日生まれ。1902年〈明治35年〉9月19日没だから、朔太郎は、子規の20歳余り下になり、子規が亡くなった時には、朔太郎は若干16歳であった。
収録されている「郷愁の詩人 与謝蕪村」は、昭和8年(1933)、9年(1934)、10年(1935)と発表された。このタイトルのとおり、朔太郎は、俳句は抒情詩、ポエジイ(フランス語で詩)であり、そこに主観が存在するという。
「蕪村の俳句について」で、蕪村を再評価する。単なる写生主義者、単なる技巧的スケッチ画家ではないと。蕪村は、強い主観と、痛切な思慕を歌った、真の抒情詩人であり、真の俳句の俳人であったとする。
具体の例句、春35句、夏22句、秋15句、冬19句の計91句でそれぞれの鑑賞を踏まえ、その論証を行う。
次に、蕪村の俳詩「春風馬堤曲」(発表不詳)で、解説・鑑賞を。
また、付録として、「芭蕉私見」(昭和10年(1935)、11年(1936)発表)で、芭蕉の句18句を挙げ、論評を重ねる。芭蕉は、その生涯を旅で暮らし、そして自然と人生を語るヒューマニストの詩人だと。
蕪村は1700年代、芭蕉は1600年代だ。いずれも古典俳句だが、それを批判するのではなく、それぞれの特徴を分析し、その魅力を伝える。その生涯を旅で暮らした芭蕉。在宅で作句にいそしんだ蕪村。いずれの作品も今に通じると朔太郎はいうのだ。
掲載された評は、いずれも1930年代に発表されたものだ。2020年代の80年を過ぎた今、その文体と中身は今でも色あせず、新鮮で鋭い。近代詩人が、古典俳句を論ずる魅力は尽きない。
芭蕉を音楽的詩人、蕪村を絵画的詩人であり、2人とも叙情詩人であったという。そして、正岡子規を真の叙情詩人ではなかったとも。
朔太郎は、明治19年1886年生まれ、昭和17年1942没。
本書は、昭和11年1936に初版。文庫収録は、1988年、昭和63年第1刷、購入したのは、2019年6月の30刷だ。平均すると1年に1回増刷している計算だ。まさにロングセラーだ。
詩人の朔太郎は、俳句の枯淡と寂び、風流という馴染めず、俳句を毛嫌いしていたが、ただ、蕪村は唯一、好きであったという。
そして、正岡子規により提唱された俳句革新の指標としての蕪村に論及する。そして芭蕉論も展開する。
正岡 子規は明治維新の前年、1867年(慶応3年)9月17日生まれ。1902年〈明治35年〉9月19日没だから、朔太郎は、子規の20歳余り下になり、子規が亡くなった時には、朔太郎は若干16歳であった。
収録されている「郷愁の詩人 与謝蕪村」は、昭和8年(1933)、9年(1934)、10年(1935)と発表された。このタイトルのとおり、朔太郎は、俳句は抒情詩、ポエジイ(フランス語で詩)であり、そこに主観が存在するという。
「蕪村の俳句について」で、蕪村を再評価する。単なる写生主義者、単なる技巧的スケッチ画家ではないと。蕪村は、強い主観と、痛切な思慕を歌った、真の抒情詩人であり、真の俳句の俳人であったとする。
具体の例句、春35句、夏22句、秋15句、冬19句の計91句でそれぞれの鑑賞を踏まえ、その論証を行う。
次に、蕪村の俳詩「春風馬堤曲」(発表不詳)で、解説・鑑賞を。
また、付録として、「芭蕉私見」(昭和10年(1935)、11年(1936)発表)で、芭蕉の句18句を挙げ、論評を重ねる。芭蕉は、その生涯を旅で暮らし、そして自然と人生を語るヒューマニストの詩人だと。
蕪村は1700年代、芭蕉は1600年代だ。いずれも古典俳句だが、それを批判するのではなく、それぞれの特徴を分析し、その魅力を伝える。その生涯を旅で暮らした芭蕉。在宅で作句にいそしんだ蕪村。いずれの作品も今に通じると朔太郎はいうのだ。
掲載された評は、いずれも1930年代に発表されたものだ。2020年代の80年を過ぎた今、その文体と中身は今でも色あせず、新鮮で鋭い。近代詩人が、古典俳句を論ずる魅力は尽きない。
芭蕉を音楽的詩人、蕪村を絵画的詩人であり、2人とも叙情詩人であったという。そして、正岡子規を真の叙情詩人ではなかったとも。