パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

他力 2/2

2019-01-27 | book
前回に引き続き「他力」のエッセンスを紹介します。

委任社会に警鐘。税金、教育、資産運用、健康。さまざまなことを人任せにし、自分の持っている能力を鈍麻させてきた。
ドーム球場やハンバーガー。自然の光や生き物たちが見えてこない。自然の大切さ、生命の重さ、罪悪感を感じられなくなっている。
戦後50年は加速の時代。人間はすべて死のキャリアだ。死はみじめな物ではなく、豊かで艶やかで喜びに満ちたものととらえよう。これからは人生、減速と制御の時代。いかに死にたどり着くかだ。
戦後50年、慶ざし成長を遂げた。その中で損か得かの価値観がはびこった。涙とか感動とかのエモーショナルな部分を切り捨てていった。
戦後50年、当てにできるものはどこにもない。今、暗黒の中にいる。だから、自分を照らす、世間を照らす光が欲しい。
戦争について。我々は愚かだった。国家や自分たちを安易に信用しない。
3つの真理。自分で生まれ方を決めることができない。日々、死に向かって進んで行く。人生には期限がある。
父母兄弟の死に遭遇した。人生は大きな流れに任せたいと言い聞かせてきた。寝る前に必ず行うこと。明日の朝、目覚めなかったとして、それでよいのかと問いかける。信条は「わがはからいにあらず」だ。大陸から帰ってきた。帰ってきた人間は非常にエゴが強く、他人を押しのけてでも生きて行こうとする生命力と強の強い人間だ。善良な優しい人間は黙って倒れていった。
お葬式になく信者を前に、光に包まれて浄土に迎えられたので悲しむべきではないという坊主がいる。親鸞は「酒は亡憂の名あり」といったと口伝鈔にある。弔いのあり方と指南した。亡き人を思い、悲しんでいる人には、憂いを忘れるお酒を勧めて、個人の思い出話でもして酔いが回り冗談の一つでも出るようになったら引き上げて来い。
親鸞は29歳まで厳しい修業をしたが、邪心や欲望を抑えることができなかった。自分の力で解脱できないと悟る。人間の命は有限であると諦め、生きているこの瞬間を十分に味わうというしなやかな心が危機に際して大きな力になる。
大乗仏教は菩薩行。他人を救わなければ自分も救われない。菩薩は、この世で一人でも救い洩らしたら自分は仏にならないと決意をする。これが阿弥陀如来の本願。親鸞は、菩薩は阿弥陀如来になったのだから、この世に吸い洩らされる人は一人もいないと説く。オウム真理教はエリート主義で、無差別大量殺人をした。ナチスは差別殺人。真宗の救済は無差別救済。
歎異抄は異端を嘆くのではない。異端がいることで自分たちの考えが正しいことが証明される。なんという不思議な矛盾であろうか。
人間の一生は苦しみの連続。生きていること自体が地球環境を汚しているし、自分より弱い生物を犠牲にして命を維持している。善と悪は背中合わせで一体として存在している。
法然親鸞蓮如には、人間の暗い定めることにより逆に自分を照らしている光を知ることができるという考えがある。
蓮如の書いた白骨の御文章。文体は平凡だが、心が自然に突き動かされてしまう。或る状況の下で耳から聞かなければならない文章だ。たくさんの人と斉唱したい。親鸞は西欧的な知性の強靭さを持ち、蓮如はアジア的な肉厚な情熱を感じる。
人間の心の傷をいやす言葉は二つある。励ましと慰めだ。戦中戦後、ずっとがんばれと言われてきた。老いを否定できるか、死を否定できるか。今、大切なのは、励ましではなく、慰めであり、‹悲›なのだ。

巻末に五木は、「完全に自力を捨てることなど不可能だ。しかし、他力こそ自力の母であると感じる時に、生きる不安や悩みや恐怖になんとか耐えて踏みとどまることができそうな気がする」と書いている。

発売から20年。今なお、色あせないのは幸か不幸か。官僚の不正や虚偽、製品偽装、いじめによる子供や過労による大人の自殺、福祉施設の殺害事件、医学部入試の不公平問題など次々と起こる修羅場。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他力 1/2

2019-01-20 | book
「他力」は、1932年生まれの五木寛之が、1998年、平成10年、戦後50年を経、66歳の時に発表した100章のエッセイ集。文化、経済、教育、暮らしなど、グローバリズムの中の日本の来し方、生き方。これでよいのかと問う一冊。

バブル崩壊、オウム真理教事件や阪神淡路大震災、自殺者の激増、酒鬼薔薇事件。「蓮如」を書き上げた五木は、浄土真宗という宗教感を軸に戦争体験も根底に生き方のヒントを提議する。

一時休筆した五木が1974年昭和49年、40代前半で横浜に帰り、執筆を開始、カモメのジョナサンの創訳や「青春の門」「「戒厳令の夜」の映画化があった。しかし、1981年昭和56年50歳を前に休筆に入り、京都の龍谷大学へ入る。聴講生としていた時期もあったという。エッセンスをどうぞ。

いろんなことがあった。それで生きながらえた。他力という感覚。
非常事だから他力の思想だ。自殺、離婚、自己破産、失業、犯罪、汚職などの事件の増加が、まさに魂の非常時だ。非常時には非常時の思想、生き方がある。それが他力だ。
法然、親鸞、蓮如と引き継がれる他力の考え方、生き方。生きていくのは難儀なこと。その難儀な人生を投げ出さずに生きていく力を3人から与えられている。
人生50年。もろもろの器官が衰えていき、この辺で仕事を終えて去っていいんだよと言う呼びかけがある。いまでいうと60歳か。
私達は病んでいる。歯も衰え、皮膚も衰え、脳の細胞は、一日10万個ずつ死に絶えていく。全身の細胞は、分裂と死滅を繰り返している。一人一人違う。
死ぬレッスン。寝る前には明日、目が覚めないとしたらそれでよいか。朝、目覚めたら、今日が最後の日になる。と言い聞かせてきた。
登山は登るだけではなく、事故を起こさず無事に下山するのも大事な仕事だ。
他力とは、目に見えない自分以外の大きな力が、自分の生き方を支えているという考え方。
今の若者は企画人間養成教育の生贄だ。
感じやすいやわらかい心が必要。老子は、赤ん坊は体がやわらかい。老いていくと体が固くなり、死ぬと硬直する。知的なものだけではなく、情も必要。
思想や信仰、本当に大事なものは、人間から人間にしか伝わらない。面綬でしか伝わらない。
水俣病。当時の行政官の驚くべき告白。わかっていた、必要悪だった。
だめな人間と仕事をする。ジャンクが入っていなければ、本当にいい仕事はできない。人間的な組織になる。思わぬミスがよい結果を招くこともある。
かつて赤紙一枚で人の命を招集することができた政府は、今だって何でもできる。郵便局の支払い停止、金取引に税金。供出もさせられた。なんとかしてくれるだろうという「お上」意識のぬるま湯の中にいる。
政治の混乱、経済の崩壊、宗教の退廃、自殺者の増加、少年凶悪犯罪の激増。和魂洋才ではなく、洋魂洋才を強いられるの日本人としてのアイデンティティーの崩壊が横たわっている。
大阪商人と御堂筋。信仰と商売。西本願寺の北御堂と東本願寺の南御堂と寺の鐘。
暴走しようとする経済や個人の欲望に対してブレーキをかけるのが宗教。無魂洋才は成功しない。ソビエトの社会主義。魂無きシステムは成立しない。
年功序列は無用の用。無能な人間が会社を救うことがあるかもしれない。しかし、今は無能な人間は排除するという考え方。弱者と強者が手を携え共生するという考え方は近代を超えるために大事な考え方です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラモの世界(5)松本城 植栽

2019-01-14 | life
引き続き、松本城に植栽を。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラモの世界 (4) 松江城 植栽

2019-01-13 | life
童友社のHPに「城の樹木」というのがあった。城郭アクセサリーでひとつ600円とある。

早速、買ってみた。大が3センチ1つ、中が1.8センチで7つ、小が1.2センチで10入っていた。


童友社のジョイジョイコレクションのスケールは、松江城が1/500,松本城は1/430である。1/500をベースに考えると、1センチが5メートルとなる。
城の樹木にすると、3センチは15メートル、1.8センチは9メートル、1.2センチは6メートル。松にありえない高さではない。そこで、早速、購入。

松江、松本、松山と城には松がつきもの?。
ジャジャーン

松江城と樹木。


南西から


北東から


東から


南から


リアルさが増す。

どうも、松は、実、葉、皮と食べれたらしい。籠城用の非常食だったのか。
ご覧の樹木が松に見えるか見えないかは別にして。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの引き出し 吉村 昭 50

2019-01-06 | 吉村 昭
平成もいよいよ最後となる。今から10年以上にもなる2008年(平成19年)から2009年(平成20年)にかけて激読(造語です)していた吉村昭の数編をアップする。

1980年代を中心に雑誌や文芸誌、新聞などに掲載された66のエッセイからなる「わたしの引き出し」(文春文庫)。平成4年(1996)刊。

6つの引き出しを用意し、氏らしい幅広いジャンルからウィットに富んだ見識が興味深い。

最初の引き出し「小説の周辺」
戦史小説から歴史小説へ。その取材の中で出会った人たち。
2番目の引き出し「歴史のはざまで」
維新での出来事、医術の題材、先の大戦、沖縄、心臓移植、胃カメラなど。氏の小説の裏話を読むのもまた、楽しみ。
3番目の引き出し「街のながめ」
正月の過ごし方、癌の告知、不意の死、病気、涙、食、東京の変貌
4番目の引き出し「遠い記憶」
性格、母の思い出、お医者さん、リヤカー、米兵、空襲の日暮里、自分の学歴
5番目の引き出し「書斎を出れば」
ボクシング・野球・大相撲、ソフトボールチーム、仮釈放とラーメン、禁酒、家出娘、講演会
6番目の引き出し「お猪口と箸」
酒談義、立ち食い、食事の途中、卵とバナナ、講演と美味

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本のエンドロール

2019-01-01 | book
1977年生まれの安藤祐介の「本のエンドロール」を読んだ。2018年3月に刊行。
この本を呼んだ後では、安藤祐介の・・・ではなく、多くの方々の手を経てと付け加えなければならないと思ってしまう。エンドロールとは奥付のこと。最後尾のページに著者の略歴とともに、本に関わった企業などが列記されている。発行所、印刷、製本。社名の陰には、多くの従業員の方々がおられる。

豊澄印刷を舞台に、本を作りたい、印刷会社はメーカーだと、大手印刷会社ワールドから転職してきた営業の浦本の成長と多くの関係者の本の出版にかける情熱を描いた作品。

営業の先輩、仲井戸。印刷工場の野末や特色作成職人のジロさん、印刷の版を組むDTPオペレーターの福原、ブックデザイナーの臼田。浦本の理解者で恋人、妻の由香里。仕事は生きるための手段だという同期の印刷製造部の野末との対立。野末の家庭での悩み。

5冊の本が世に出るまでを通して、業界の実態と未来、そして関わっている群像を描いた。

一文字の誤植「スロウスタート」、出版社の担当がいなくなった「長篠の嵐」、作家がこれで売れなければ引退すると宣言「ペーパーバック・ライター」、アナログ対デジタル対決「サイバー・ドラッグ」、売れそうもないが世に出したい本「本の宝箱」。

本の流通は確実に減っている。でも消えることはない。本が世に出るまでを丁寧な取材で構築する。
薄利多売で仕事は増えるが、工場の人員は減っている。書籍や雑誌の印刷からデザインや企画提案へシフトしていく印刷会社。
物語はソフト、本はハード。魂と肉体だ。
作家と出版社、そして本という形にしていく印刷社、製本社。本を書く人、企画する人、作る人、配本する人、売る人。普段はかかわりがないが、一本の線でつながっている。
電子書籍と本の未来。

悲壮感はあるが、達成感は何物にも代えがたい。今をどう生きているかということ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする