ストラヴィンスキーの「春の祭典」。
手元に1枚のレコードがある。1970年、中1の時に購入した「春の祭典」だ。1969年にズービン・メータ33歳、ロスアンジェルス・フィルの1枚。当時は2,000円を超えていたLPレコードだ。
1936年生まれのメータは、1958年にリヴァプールで行われた指揮者の国際コンクールで優勝し、翌1959年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、大成功を収める。1961年からモントリオール交響楽団の音楽監督、1962年からロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、それぞれ1967年と1978年まで在任した。ロサンジェルス辞任後、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、1991年まで在任した。
春祭は、33分前後の曲だが、複雑なリズムと不協和音が特徴だ。
1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮により『春の祭典』の初演が行われた。クラシックバレーの代表作、チャイコフスキー初のバレエ音楽「白鳥の湖」の初演が1895年だから20年しか経っていない。
この初演、100年を記念して発売されたのが、記念ボックス20CDだ。2012年11月発売。10年後の令和3年2021年6月に購入した。
イギリスの老舗レコードメーカー、デッカの録音群だ。
1946年昭和21年のモノラルから平成22年2010年のステレオデジタル盤に至るまで半世紀以上の35のシンフォニーが聞ける。
アンセルメの1950年と57年、ドラティの1954年と59年、81年、カラヤンの有名な63年と77年、デイヴィスの63年・76年、ショルティの74年・91年、ハイティンクの73年・95年、モントゥーの56年、メータの69年、トーマスの72年、マゼールの74年、アバドの75年、ラトルの77年、小澤征爾の79年ボストン、バーンスタインの82年イスラエル、デュトワの84年モントリオール、シャイーの85年、ブーレーズの91年、レヴァインの92年、アシュケナージの94年、グルギエフの99年、サロネンの2006年などだ。
毎日、とっかえひっかえ、朝と夜に聞いている。30分の至福の時。
手元に1枚のレコードがある。1970年、中1の時に購入した「春の祭典」だ。1969年にズービン・メータ33歳、ロスアンジェルス・フィルの1枚。当時は2,000円を超えていたLPレコードだ。
1936年生まれのメータは、1958年にリヴァプールで行われた指揮者の国際コンクールで優勝し、翌1959年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、大成功を収める。1961年からモントリオール交響楽団の音楽監督、1962年からロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、それぞれ1967年と1978年まで在任した。ロサンジェルス辞任後、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、1991年まで在任した。
春祭は、33分前後の曲だが、複雑なリズムと不協和音が特徴だ。
1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮により『春の祭典』の初演が行われた。クラシックバレーの代表作、チャイコフスキー初のバレエ音楽「白鳥の湖」の初演が1895年だから20年しか経っていない。
この初演、100年を記念して発売されたのが、記念ボックス20CDだ。2012年11月発売。10年後の令和3年2021年6月に購入した。
イギリスの老舗レコードメーカー、デッカの録音群だ。
1946年昭和21年のモノラルから平成22年2010年のステレオデジタル盤に至るまで半世紀以上の35のシンフォニーが聞ける。
アンセルメの1950年と57年、ドラティの1954年と59年、81年、カラヤンの有名な63年と77年、デイヴィスの63年・76年、ショルティの74年・91年、ハイティンクの73年・95年、モントゥーの56年、メータの69年、トーマスの72年、マゼールの74年、アバドの75年、ラトルの77年、小澤征爾の79年ボストン、バーンスタインの82年イスラエル、デュトワの84年モントリオール、シャイーの85年、ブーレーズの91年、レヴァインの92年、アシュケナージの94年、グルギエフの99年、サロネンの2006年などだ。
毎日、とっかえひっかえ、朝と夜に聞いている。30分の至福の時。