パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

ブルックナー 20 マズアのシンフォニー7番 爽やか

2009-08-30 | music/classic/Bruckner
残暑厳しく、蒸し暑さも感じられる。

そんな時に、ドイツの指揮者・楽団のすがすがしいブル7に出会えた。
クルト・マズア。1927年生まれの東ドイツ出身の指揮者。ドイツのライプツィヒにある、ゲヴァントハウス管弦楽団との協演。1972年、ドレスデンのルカ協会での録音。

どちらかというとアクのない、すっきりとした演奏。ブロムシュテットやカラヤンに近い。

テンポも淡々と、メリハリも押さえ、明るく、ひたすら流れ行く清流のよう。

Total 64:07 ①19:44 ②21:30 ③9:51 ④13:02
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ブルックナー 19 カラヤンのシンフォニー7番 白鳥の歌

2009-08-29 | music/classic/Bruckner
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、今も人気の衰えないオーストリア生まれの指揮者。1989年7月に死去する3か月前の4月にウィーンフィルとのウィーンでのライブ録音。81歳のカラヤンにとって最後の録音となった、まさに白鳥の歌ともいうディスクである。
当時団員問題から、ベルリンフィルとの縁が薄れ、ウィーンフィルとの蜜月時代の作品である。

ライブらしい緊張感。そして、なんと円熟の美しく荘厳なステージなのだ。ウィーンフィルの演奏は限りなく甘美だ。
ブルックナー録音も数多く残すカラヤンである。完璧主義者といわれていたカラヤンの最後の録音はライブだった。

胸に染み入る。

Total 63:05①19:40 ②23:15 ③10:11 ④13:00
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ブルックナー 18 マタチッチのシンフォニー7番 劇的

2009-08-23 | music/classic/Bruckner
昨夜土曜日、夜の散歩。いつも暑さしのぎにラジオを聞いていました。NHKFMの名曲リサイタルか、民放FM、それともプロ野球中継か。しかし、今日はスイッチを入れるのをやめました。それは虫の声のせい。
道のここかしこから聞こえる合唱隊。これまでにはないボリュームで迫ります。朝夕の涼しさが、虫たちの出番を用意してくれました。

夏の蒸し暑さが少し和らぎ、虫の音も聞こえる中で、引き続き、ブル7シリーズです。朝比奈、ベーム、ブロムシュテット、ヨッフム、ジュリーニに続いて6人目は、ロブロ・フォン・マタチッチ(1899~1985)。荘厳にして、迫力ある劇的なブル7を、1967年にチェコフィルで振る。ユーゴスラビア生まれの指揮者。
40年前の録音にしては、状態もよく、そのスケールの大きさに心酔しました。これはいいです。

Total 68:53①21:32 ②23:56 ③10:41 ④12:44

この曲は不思議な曲です。全編を覆う甘美なメロディと、各楽章が個性的なので、1時間という演奏時間もそんなに苦になりません。

マタチッチは、1960年代から70年代にかけてよく来日し、NHK交響楽団は名誉指揮者の称号を与えたといいます。 
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ブルックナー 17 ジュリーニの7番 歌心

2009-08-22 | music/classic/Bruckner
シンフォニー7番は、ブルックナー起死回生の1曲であった。1884年、ブルックナー60歳の初演で好評を博し、86年には、親ワーグナーのブルックナーが、反ワーグナー派からの執拗な攻撃を受けていたウィーンで熱烈な歓迎を受ける。

多くの指揮者が、名演を残している。しばらく、この7番に酔いしれるとしよう。

カルロ・マリア・ジュリーニが、歌心十分に酔わせる。ウィーンフィルとの協演。1986年録音。ノヴァーク版。2005年に91歳で亡くなるジュリーニ、72歳のときの録音だ。

丁寧な演奏で定評のあるジュリーニが、そのアンサンブルの華麗さで有名なウィーンフィルをいかんなくドライブさせる。ベームとは異なり、旋律の美しさをその荘厳さの中できちんと伝えてくる。内に秘めた美しさともいうべきか。特に2楽章は、泣きが入るほどだ。

Total 66:37 ①20:22 ②24:08 ③10:36 ④12:31
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死のある風景 吉村 昭 39 

2009-08-16 | 吉村 昭
昨日、菩提寺のご住職がお亡くなりになった。一昨日には息子さんが家に来られ、お経をあげていただいた。
死はいつも生と隣り合わせにあることを実感する。ましてや昨日は終戦記念日。甲子園の高校野球大会時の黙祷は、平和のありがたさを、また、戦争の悲惨さを体言する。
吉村昭は、常に戦争の現実に目を向けてきた。「死のある風景」は、吉村昭の短編集。昭和末期の13年間に書かれた10篇の私小説からなる。平成元年(1989)10月刊行。文庫表紙の入道雲が、印象的だ。

「金魚」。終戦の年3月に中学を卒業した私は、それまで周りの皆が出征していくのを目の当たりにしていた。若者にとって戦争とは。
「煤煙」。戦後間もない東京で、物資不足の中、餓死した屍を横目に見ながら、4人で汽車に乗り、秋田へ米を入手に行く。しかし、米は統制品で売買や交換は禁じられていた。
「初富士」。普段正月を家で過ごす私は、嫂や弟夫婦と富士山近くの菩提寺に参る気になる。住職たちとつかのまの一こま。
「早春」。叔母が私に話があるという。叔父が余命いくばくもないという中、叔母は叔父のいる前で、叔父の女性遍歴を語りだす。
「秋の声」。肝機能の低下で禁酒を余儀なくされる。その私に馴染みの飲み屋の女主人が、子宮ガンで亡くなったと聞く。
「標本」。昭和23年に肺結核治療のため、5本の肋(あばら)骨を切除した。その骨が病院にあるという。
「油蝉」。68歳になる従妹が亡くなった。静岡に葬式に出かける私。従妹の人生と次々に訪れる一族の死と向き合う。
「緑雨」。その昔、同人雑誌でいっしょだったある女性の告別式に誘われた。了解したものの参加するかどうか迷う私。
「白い壁」。耳の病気で入院した私は、そこでさまざまな病と闘う人たちと出会う。元気に退院する後ろめたさと向き合うことになる。
「屋形船」。誘われて花火大会を見に隅田川へ船で出た私。40年前の終戦直後には数多くの死体が漂い流れていた。

「死」は生の行き着くところであり、いろいろな場面で、死は我々に生をいやがうえにも考えさせる。まさにどう生きるか、どう生きているかと直面する。
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お盆考

2009-08-15 | life
お盆は、終戦記念日もあり、いやがうえにも死と向き合うことになる。
親戚にお邪魔し、お線香に火をつけ、仏壇に手を合わせ、ご文章を唱える。

亡くなられた祖父、祖母、おじ、おば、いとこたち。生前を知る人、知らない人。自分がここにいるのも、祖先や家族がいるからと、つくづく思い知らされる。
元気な顔も、毎年のように年を重ねる。それは、私にも言えること。

その、昔、若々しく、元気だった伯母にも皺が増え、背が曲がる。「体には気をつけて」と毎年のこととはいえ、声がかかる。それはお互いに言えること。

来年もまた、会おう。お盆の親戚訪問は、ひと時の自分探しの小旅行である。
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久々の梅天日干し

2009-08-09 | life
夏のお盆頃に三日三晩、外に梅干を出す。4・5年ぶりにこの風物詩を我が家で。

自家製の梅干は、マイ弁当の必需品。みそ汁とともに、ほんとうに飽きない。不思議だ。

天候不順の夏に久々に出てきた青空。いい梅と紫蘇が出会い、この季節を向かえ、また、熟成の時を過ごす。
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ミッキーの掛け時計

2009-08-08 | life
ディズニーキャラクターの掛け時計は、毎正時ごとにディズニーメロディーとともに、文字盤の真ん中が上下に開き、ミッキーとミニーが登場するというすぐれものである。我が家には平成7年の12月にお目見えした。親戚からいただいた記念の品である。

このからくり部分が壊れ、音楽が鳴らず、人形も揺れなくなった。
近所の時計屋さんに見てもらうと、修理代で15,000円はするという。長年親しんだ品物を、おいそれと代える気にもならず、時計機能は大丈夫なので、また、掛けることにした。

デジタル時代になると、部品も10年単位という。使い捨てという言葉が、まさに当てはまるのも寂しいものだ。

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冷夏のとうもろこし

2009-08-02 | food
今年の天候不順を体現するように、家のとうもろこしがいただけない。実が全体にない。つまり、花が実を結ばなかった。それに長雨で大きくない。

でも、やはり夏にはこの色、この甘味であろう。夏の記憶にはとうもろこしが欠かせない。
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冷夏に布袋草

2009-08-01 | life
本ブログで何回も紹介した布袋草の花。今週の月曜日27日には、いくつもの花弁が華麗に咲いた。

いつもながら、一日でしおれてしまう。夏という派手な季節に、この瞬間の生きる様がいじらしい。

ただ、今年は一部の地域を除き未だに梅雨明けの報もなく、まぶしい太陽にお目にかかれない。
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