パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

すぐれもの 28 L.L.Beanのビーン・ブーツ

2022-01-30 | すぐれもの
30年以上愛用しているL.L.Beanのデッキシューズを、また、購入しました。その際、ビーン・ブーツが目に入りました。数年前、同僚が履いていて、そのスタイルにぞっこん。ただ、サイズが合わない服や靴は、ストレスを超え、苦痛です。返品作業もストレスです。ましてや最近は、コロナ禍のご時世にショップへ行き靴を合わせる勇気もなく過ごしていました。さらに、還暦過ぎて、あと何年履けるか分からないのに、今更、買うのかと、自分の声も聞こえてきます。

幸いに、カスタマーレビューで、68歳の方が購入されたという記事があり再考。
デッキシューズで自分のサイズは分かっており、ビーンブーツのサイト上の商品詳細に「薄手や中程度の厚さのソックスをおはきの方は、1つ下のサイズ、ハーフサイズをおはきの方は1 1/2サイズ下をご注文ください」とあったので、思い切って注文してみたのです。合わなければ、返品すればいいんだと踏ん切りをつけました。それが、「エル・エル・ビーン・ブーツ、ラバー・モカシン」です。
雨の日を楽しみたいと思っています。
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すぐれもの 27 L.L.Beanのデッキシューズ

2022-01-23 | すぐれもの
L.L.Beanは、アメリカのアウトドア用品メーカー。服や靴など、サイズの大きい人向けにはありがたいメーカーです。国内に店舗があり、インターネットで通販も可能です。

1980年代、まだ、20代の頃、福岡で買ったL.L.Beanのデッキシューズがあります。手入れが悪く、レザーのアッパーはシミが全体にあり、くたびれ感がありますが、アウトソールはしっかりしていて、30年選手で現役です。ただ、インソールがかなり傷み、ロゴも消えていたので、交換したいと問い合わせると、そういうサービスはしていないといわれ、がっかりでした。


そこで、インターネットで調べると、まだ、同じ型が売れていました。「ハンドソーン・モカシン、キャンプ・モック」です。
  
同じサイズを注文しました。還暦を過ぎ、30年は生きられないけど、親子ともいえる同じデッキシューズを交代で履き続けます。

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春祭の穴

2022-01-16 | music/classic
ストラヴィンスキーの「春の祭典」。
手元に1枚のレコードがある。1970年、中1の時に購入した「春の祭典」だ。1969年にズービン・メータ33歳、ロスアンジェルス・フィルの1枚。当時は2,000円を超えていたLPレコードだ。
1936年生まれのメータは、1958年にリヴァプールで行われた指揮者の国際コンクールで優勝し、翌1959年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューし、大成功を収める。1961年からモントリオール交響楽団の音楽監督、1962年からロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、それぞれ1967年と1978年まで在任した。ロサンジェルス辞任後、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、1991年まで在任した。

春祭は、33分前後の曲だが、複雑なリズムと不協和音が特徴だ。
1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮により『春の祭典』の初演が行われた。クラシックバレーの代表作、チャイコフスキー初のバレエ音楽「白鳥の湖」の初演が1895年だから20年しか経っていない。

この初演、100年を記念して発売されたのが、記念ボックス20CDだ。2012年11月発売。10年後の令和3年2021年6月に購入した。
イギリスの老舗レコードメーカー、デッカの録音群だ。
1946年昭和21年のモノラルから平成22年2010年のステレオデジタル盤に至るまで半世紀以上の35のシンフォニーが聞ける。

アンセルメの1950年と57年、ドラティの1954年と59年、81年、カラヤンの有名な63年と77年、デイヴィスの63年・76年、ショルティの74年・91年、ハイティンクの73年・95年、モントゥーの56年、メータの69年、トーマスの72年、マゼールの74年、アバドの75年、ラトルの77年、小澤征爾の79年ボストン、バーンスタインの82年イスラエル、デュトワの84年モントリオール、シャイーの85年、ブーレーズの91年、レヴァインの92年、アシュケナージの94年、グルギエフの99年、サロネンの2006年などだ。

毎日、とっかえひっかえ、朝と夜に聞いている。30分の至福の時。


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高浜虚子 俳句はかく解しかく味わう

2022-01-09 | book
俳句はかく解しかく味わう」は、俳人の高浜虚子が、100年も前、大正7年1918年4月に、虚子1874年〈明治7年〉 - 1959年〈昭和34年〉数え年45歳の時の作だ。
冒頭、虚子は、徳川初期から、明治、大正の今日に至るまで、多少の盛衰や変化はあっても俳句は要するに芭蕉の文学だと言い切る。そして、時代の頓着なしに数十句の解釈を試みて、俳句の解釈力を養うという事にしようと思うと述べる。登場するのは46人、194句だ。
紹介の句が多いのは、上位から、芭蕉が30、蕪村と子規が26、一茶が20、蕪村の時代の天明の太祇が14、芭蕉の時代の元禄の凡兆が11である。1句のみの紹介が30人いる。

春の水、夏野、五月雨、秋風、冬木立などの季語ごとの比較、最後に蕪村の天明時代の招波、太祇、几薫の句の解説を行う。

巻末の解説は大岡信だ。大岡はこの本が出版された大正7年1918に注目する。虚子は明治大正昭和と徘界の中心にいた。明治35年1902年は虚子の先輩、正岡子規が35歳で亡くなる年。翌年、子規と虚子と同郷の俳人、河東碧梧桐は、子規の芭蕉軽視の考えを俳句形式の破壊まで進めた「新傾向俳句」を打ち出す。当時、俳句より小説に勢力を傾けていた虚子は、碧梧桐の動きに危機感を感じ、大正2年1913、俳壇に復帰する。主宰の「ホトトギス」の「雑詠」欄を武器に「ホトトギス」の黄金期を築くことになる。この「雑詠」欄の選句をもとに、個々の俳人の作家論を、虚子は大正4年から6年まで「ホトトギス」に「進むべき俳句の道」を掲載し、単行本として大正7年7月に世に送る。同年4月に古典俳句の鑑賞と啓もう書ともいうべき本書「俳句はかく解しかく味わう」を出すのだ。
大岡は、その後、昭和10年頃に起こる、虚子の唱導した「花鳥諷詠」を否定する、生活主義ともいえるの「新興俳句運動」や、戦後の「前衛俳句運動」にも言及する。これら俳句革新運動には、いずれも虚子が立ち、虚子の方向性で収れんされていくのだと。
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生誕100年 長谷川町子

2022-01-02 | book
1920年大正9年1月生まれ。生誕100年となる長谷川町子。この一生を追う企画が、別冊太陽の日本の心289が「昭和を描いた国民的漫画家 長谷川町子」だ。長谷川町子美術館記念館の公式ブックとある。2021年6月初版第1刷。

15歳1935年昭和10年に天才少女漫画家と紹介され、1992年平成4年亡くなるまでの作品群からそのマンガへの情熱をたどる。3姉妹からの命名の姉妹社、昭和49年1974年2月を最後に、28年続いた日刊新聞の「サザエさん」、週刊誌掲載の「エプロンおばさん」と「いじわるばあさん」などの名作を始め、その仕事を紹介する。
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