パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

ビートルズのすべて 12 ビートルズの音楽を集大成(3)

2014-02-23 | book
「アビイ・ロード」においてもっとも話題になったのは、アナログディスクでは、B面のすべてを使って構成されたメドレー作品でした。「半端なやつをみんな一緒にしようというのは僕のアイデアだったと思う。ま、そういうことを主張するのは控えてるんだけれど、とにかく最終的にあれを全部メドレーにしようというアイデアを思いついて、B面をオペラっぽい構成にしたんだ」と語るのはポールです。
ジョージ・マーティンも「サージェント・ペパーズ」での手法を取り入れるのに異論はなかったようです。しかも、基本的には4人によるアンサンブルを主体とし、スタジオミュージシャンの起用は極力控える。それは、ビートルズの原点への回帰ということを意味したものでした。「サージェント・ペパーズ」における組曲的な構成に批判的で当初、メドレーや組曲的な構成を批判的だったジョンも、彼の作品、その断片が用いられることになったのをきっかけに、そのプランを了解することになります。
「半端なものはいつでもいっぱい転がっていた。「サージェント」時代に書いたものをそのままにしていた。何年もほっておくと、ちょっと興味がなくなるだろう。だからそういうきれっぱしを片付けるにはいい方法だった」とジョンは語っています。
もっとも、B面でのメドレーに好意的だったジョンですが、どうやら最終的には、そうした組曲的な構成が気に入らず、後年になって批判的なコメントも述べています。
ジョンにとっては、作品はあくまでもそれ1曲、単体で存在するものという考えの持ち主だからでした。
「サージェント・ペパーズ」に続いて制作された「ホワイトアルバム」を評価していたのもそういうところにあったわけです。結果、『アビイ・ロード』はアナログ時代のA面はジョンの意向をそのまま反映した1曲、単体で存在した作品が並び、B面では、ジョンやジョージの作品も組み入れながら、ポールの意向を反映したメドレー・組曲形式のものとなったわけです。
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ふたり女房

2014-02-16 | book
澤田瞳子。1977年昭和52年生まれ。。京都奈良をフィールドとする30代の若い時代小説『ふたり女房』を読んだ。新聞書評から。

2011年から2013年に掲載された6話からなる2013年5月刊行。江戸時代、京都の薬草園「鷹ヶ峰御薬園(たかがみねおやくえん)で医師・薬師として暮らす21歳の元岡真葛(もとおかまくず)を主人公にした推理編。冒頭の登場人物の難しい紹介のくだりが気になるところではある。

養子をもらったものの凋落を始めた老舗の薬問屋。そこに奉公する姉さんに会えない。そんな相談に応じる真葛。悲しい結末に出会う。「人待ちの冬」
学者の延島杳山(ようざん)28歳と出会った真葛は、町で仏像を切り売りする中年の僧と出会う。その僧を追う男の悲しい思い。医師として悩む真葛。「春想悲仏」
ともに暮らす実の兄と慕う医師の匡(ただす)の子が疱瘡にかかった。時を同じくして公家の子供もかかり、匡と真葛はかけつける。疱瘡にまつわる秘話。「為友さま御宿」
紅葉狩りに出かけた匡と真葛は、気の強い妻を持つ養子の武家と出会う。そんな折、治療に向かった寺院に、その武家と同じ名前の人物を待つ、目の不自由な女性と出会う。いつの時代、女性が男性をリードするという「ふたり女房」
「初雪の坂」。孤児の小吉が御薬園から薬を盗んだ。そんな折、真葛の知り合いの隠居が御薬園からもらった薬が原因で無くなったという。2人には、共通のお寺があった。
「粥杖打ち」。宮中の恒例行事。お尻を粥の柄杓でたたいて安産を願う。そんな折、23歳の真葛に江戸行きの話を延島杳山が持ってくる。一方、宮中を下がった商家の娘が妊娠したとのうわさが市中に流れる。女性と勉学。江戸行きを決意する真葛。

さまざまな登場人物に囲まれて悩みながらも成長する真葛がさわやか。京都の香りがそこはかと漂いいい雰囲気だ。まだ、若い作家と登場人物である。話題や見所には事欠かない古都、京都が舞台。住んでなくても、地名や施設名を聞いて、何か親しみが湧くのは、私だけだろうか。最後に真葛の江戸行きの雲行きもあり、これからも連載してくれるといい。
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ビートルズのすべて 12 ビートルズの音楽を集大成(2)

2014-02-11 | ビートルズ
「ゲット・バック」は、ビートルズの原点に戻る、ライブにその魅力があるとうことで、4人の演奏を主体にライブを行うというのがそのテーマでした。同時にすべて新曲を用意し、それをライブで披露するというプランも意味があったわけですが、その新曲というのがいささか問題点・課題になったことも明らかだったようです。
「僕が一番つまらなく感じるのは、バンドの全員で演奏しなくなったことだ。ツアーを止めてからは、レコーディングのときしか顔を合わせなくなった。だから、レコーディングセッションもリハーサルなしでやることになった。それで時々、気が滅入るようになった。ビートルズはこの数年、音楽的にまとまっていなかった。いいレコードをつくるテクニックは随分身につけたけれど、音楽的には作業に結びついていなかった」というのは、ゲット・バック・セッションを振り返ってのジョンの言葉ですが。それはこの「アビイ・ロード」でも言えたようです。

新曲のリハーサル以前に新曲に関してできあったものは、作者の意向に即してレコーディングが行われる。しかも、作者にはすでにレコーディングについての何らかのイメージがあり、それを実現しようとする。その結果作者以外のメンバーは単に作者のイメージを具体化するための演奏者でしかないといったレコーディングが進められていったわけですね。また、作者が断片を持ち込み、それをセッションで完成させていく場合にも同じようなことが起こっていったわけです。
ジョージが語るには、ポールの作品にそうした傾向が強く、ポールが求めるもの意外はその演奏を許さない。それがポールとジョージの対立を生み、ジョージがグループを一時離れるという事態を生んだことは以前、お話ししてきたとおりです。その後メンバーの説得によりメンバーに復帰したジョージに対し、ポールは以前と違って敬意を持って接するようになったとも語っています。
ともあれ、ポールにしろ、ジョンにしろ、作品の断片のいくつかはあっても、作品としては未完成のままであり、そこから新曲をつくり、レコーディングを始めるというプロセスは当たり前のようになっていたわけです。
そうした事態の対処として、ポール、ジョージ・マーティンはかつて、「サージェント・ペパーズ」に収録された、いくつかの作品のように、断片を持ち寄り、それをつなぎ合わせることを思い立ちます。
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ビートルズのすべて 12 ビートルズの音楽を集大成(1)

2014-02-09 | ビートルズ
「ビートルズのすべて」のラス前の12回目は、「アビイ・ロード(Abbey Road)」 ビートルズの音楽を集大成です。

アルバム『アビイ・ロード』にまつわるエピソードを中心に紹介していきたいと思います。
『アビイ・ロード』が発表されたのは、69年9月26日でした。『アビイ・ロード』はビートルズのアルバムの中でもその人気・評価も高く、最高傑作としてあげるファンも少なくありません。昨年、ビートルズのオリジナルアルバムがリマスタリングして発売され話題を呼びました。
レオ・モノラルのボックスセットともに、オリジナルアルバムは単体で発売されました。さる資料によれば、欧米で最も売れたアルバムは、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」 でしたが、それに対して、日本では「アビイ・ロード(Abbey Road)」だったという結果を知り、とても興味深く思えました。というものそれは、日本におけるビートルズの親しまれ方・評価を物語るものではないかと思えたからです。
さて、『アビイ・ロード』ですが、前回お話したように、ビートルズにとって11枚目のオリジナルアルバムにあたります。実際には最後に発表されたアルバム、『レット・イット・ビー』。そこに収録された作品の元になったゲット・バック・セッションに次いで行われたセッションにおける作品を収録したものです。そして、ビートルズにとっては最後にレコーディングされたアルバムということになるわけです。
さまざまな資料によればこの『アビイ・ロード』のレコーディングが行われるようになったのは、69年の7月1日ということですが、収録された作品には、それ以前にレコーディングされたものもあるようです。
69年1月から映画の撮影と並行して行われ、後レコーディングだけに専念して行われたゲット・バック・セッションは収録作品を定め、完成しながら発表が見送りとなっていました。この「アビイ・ロード」は、それから漏れた作品も含め、新たなアルバムのプランのもと実施されることになったわけです。
ビートルズの原点に戻るということをテーマに始められたゲット・バック・セッションがそうであったように、『アビイ・ロード』のテーマもポールの提案によるものでした。それもゲット・バック・セッションに当初関わりながら最終的な仕上げ作業から離れていった、かつてのプロデューサーのジョージ・マーティンの復帰をポールが望み、それを説得、ジョージ・マーティンもそれを了解し、制作を務めることになります。
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すぐれもの ゴマすり器のスリッキー

2014-02-02 | food
赤いすり部と底のゴマを入れる口が特徴のゴマすり器。これが名古屋角大産業のスリッキーだ。商標登録は「slicky-n」。
我が家では祖母が使い,だめになり,母が購入して使っていた。
しかし,遂にゴマがすれなくなった。他のすり器も使ってみようと買ってみたのだが,これがどうもいけない。思ったようにすれないのだ。

近くの店で,この赤いキャップを探し回ったのだがない。そこでネットで探し,購入した。441円。

というわけで3代目のスリッキーだ。

レトロなパッケージ。



特許「ヘラナイ ワレナイ シメラナイ」のキャッチ―がいいね・・・



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椋鳥(ムクドリ)と昭和の栄

2014-02-01 | life
我が家の庭の椿は昭和の栄という。その椿に今年もムクドリがやって来た。椿の蜜を食べにくる。
ムクドリは,俗にギャーギャーといい,鳴き声がやかましい。姿も灰褐色で,優美とはいえない。

でも,大きいので,やって来たのがすぐわかる。この季節に会える友かな。

今回は,いいショットが撮れた。でも手前の椿の葉に焦点が合い,ピンボケになった。残念!!。
でも,下の椿の中のショットはなかなかでしょ。

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