パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

さわやかな熱き思い ブラームス 2 「シンフォニー3番」

2008-06-29 | music/classic
ブラームスのシンフォニー第3番は、第2交響曲が作曲された1877年の6年後、ブラームス50歳、83年にウィーンフィルで初演された。
4つのシンフォニーの中でも演奏時間は一番短い。
ドイツの温泉地にて作曲されたという。生涯独身を通したブラームスが恋愛感情の時代とも言われ、特別なひとときでもあったのか、すがすがしさの中に熱いメロディーが流れる。
特に第3楽章は映画の中でも使われ、その美しさは類を持たない。
初演のウィーンフィルで。北国タクトさんお勧めのディスク。イギリスの指揮者、ジョン・バルビローリ(1899年12月-1970年7月)、「サー・ジョン」の1968年、ウィーンフィルの美しくも骨太の演奏が聞けます。
34:57 
1楽章10:04
激しさの中に素朴さを朴訥として奏でる1楽章
2楽章9:04
40年前とは思えない鮮明なアンサンブル。ゆったりと流れる時に身を任せてはいかが。静寂な中にクラリネット、ファゴットの奏でる主題。室内楽を思わせる素敵な楽章
3楽章6:12
チェロの甘美なメロディ。センチメンタルな気分をご堪能ください。
4楽章9:37
一転して不安の中に力強い希望、情熱を込めてクライマックスへ。1楽章の主題でエンディング。
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プレスリー狂

2008-06-28 | music/pops
エルビスプレスリー(1935~1977)は、アメリカのロックの帝王である。8月16日が命日。42歳であった。

中学3年生のとき、第二次プレスリーブームがあった。1950年代から60年代にかけて、ロックンロールの王者、銀幕のスタートして君臨。そして70年に入ると、コンサートツアーのドキュメンタリー映画が封切られ、地方でも上映された。
中学1年生のとき、友人から兄さんのシングル「監獄ロック」を買ったのを契機に、1970年8月のラスベガス公演やリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画『Elvis: That's the Way It Is(エルヴィス・オン・ステージ)』がレコードにもなり、1971年2月、中1の冬に購入した。

ブルースからロックンロール、ポップス、カントリーなど幅広いジャンルを巧みにこなしながら、甘い声と、あのアクション、キスの嵐で、ステージパフォーマンスを繰り広げるエルビスは、まさに、超人、スーパースターであった。中学校の教室の後ろで、その格好を真似し、クラスメイトから冷ややかな目でみられていたことを思い出す。ズボンも親に頼んで裾をラッパ風に広げ、襟も立ててもらった。汗を拭く布も作り、一人で物まねをし、悦に入っていた。当時はイギリスのトム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクなど、実力のある男性歌手がヒットを飛ばし、もてはやされた。
1973年1月14日、ハワイのホノルルでの公演が世界15ヶ国に衛星生中継された「アロハ・フロム・ハワイ」は、それこそ炬燵にはまりながら見た。高校入試の冬であった。ステージと客席が離れすぎてやや、希薄な感じがしたのを今でも覚えている。
『エルヴィス・オン・ステージ』はDVDでも手に入れたので、今でも、時々掃除の友としている。
77年にエルビスは亡くなった。でも、今でも心の中に生きている。
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コロッケの季節

2008-06-27 | food
「新じゃが」ができると、コロッケパーティだ。

ワンシーズンに2回ぐらいかな。新じゃがでないと、おいしくない。

30個も揚げると油のおかげで、おなか一杯になる。でも、この季節ならではの楽しみだ。

コロッケにはキャベツ。これががないと物足りない。

ほかほかコロッケと、ひんやりキャベツが、しんなりシャキシャキとそれぞれの香りとともに口の中で渾然一体となる。

わたしは断然ソース派で、ウスターと中濃をかける。ウスターはコロッケの芯までとおり、中濃はコロッケの皮をしんなりさせる。

今年は、添えるキャベツもきゅうりも自家製。コロッケの玉ねぎとともにじゃがいもを際立たせる名脇役である。
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清廉な官僚の一生 川路聖謨「落日の宴」 吉村 昭 14 

2008-06-23 | 吉村 昭
吉村は、一人の幕末の官僚にスポットを当てた。勘定奉行としてロシアのプチャーチンとの交渉にあたり、1854年に日露和親条約を締結に寄与した川路聖謨(かわじ としあきら)である。「落日の宴」(平成8年(1996)発刊)。

1801年に九州の小吏の家に生まれた。父とともに江戸へ出て勉学に励み、17歳で登用試験に合格。その後、40歳で佐渡奉行、46歳で奈良奉行、51歳で大阪町奉行、53歳で勘定奉行と上り詰めた。明晰な頭脳、判断力、人格ともに卓越した人物として吉村は評価する。

アメリカとの開国という中、ロシア、アメリカ、イギリスが相次いで、日本に開国を求める。一方、ロシアは、ヨーロッパにおいてイギリス・フランスと交戦状態に入る。また、国内では尊王攘夷の運動がもたげつつあった。
交渉での凛とした態度、情報収集の確かさを河路の日記から丹念に描くとともに、その時起きた、下田地震や津波の恐ろしさ、幕府の対応にも言及している。
それは逆に川路が、それらのことをきちんととらえる能力と才覚を持っていたことに他ならない。また、その律儀で清廉、公正な性格にも触れ、まさに国政・政治に携わるものの模範として評価するのである。
勘定奉行筆頭という最高位に上り詰めるも、阿部、堀田、井伊と幕閣の変遷とともに官僚としての悲哀も。

官僚として頂点に立ったときの自戒の言葉も身に染み入る。
「相手の意見に反論する時は、つとめておだやかな言葉を使い、憎しみを抱くな。相手が道理に反することを口にしても、それが職務を損なうものでないなら心にとどめるな。枝葉末節のことにこだわるようになり、役職をおろそかにするようになる」
「確固とした意見を持ち、その上で多くの意見を聞くべき、いたずらに衆議に身を任すことは決してしてはいけない。いったん衆議に従った上は自分の意見は忘れ、それに固執すべきではない」「多忙を理由に、人に対する対応を粗略にするな」など。
そしていずれは職を辞するときが来る。「知らぬうちに過ちをおかすときが来る。自分がその役職につくには任が重かった現れで、上司を恨むな」と。

慶応4年1868年、まさに江戸時代最後の年に幕府の終焉とともに68歳で自ら死への道を選ぶ。生まれる時も一人、死ぬ時も一人。

吉村はいわゆる英雄を取り上げない。歴史的事件にかかわる組織の中の一人に焦点を絞り、その清廉な人格や信念ある哲学を語る。
「主人公に大きな魅力を感じなければ、小説を書く気になれない」「彼の人間性が、私には興味深い」「幕府が倒れ、江戸城を官軍に明け渡すことが決まった時、かれは短銃自殺をする。こういう人物が私は好きだ」(「わたしの流儀」(短銃)新潮文庫)。
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ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ!ヤァ!

2008-06-22 | ビートルズ
梅雨の合間に、身も心もシャキッとする軽快なポップスを。
1963年にデビューしたビートルズが、1964年に出した3枚目のアルバムが「A Hard Days Night」だ。A面が同名映画のサウンドトラック7曲とB面が6曲の全13曲で構成。初のすべてオリジナルで、10曲がジョン、3曲がポールの作品。いわゆる「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ!ヤァ!」である。

 

若さを前面に出して、メロディも一曲たりとも飽きさせない、宝石のように輝く珠玉の数々。歌詞はまさにボーイ・ミーツ・ガール一色で、青春の真っ只中にいる。大好きなアルバムである。
全曲を紹介してみよう。

不況和音で始まるジャーン。そして、終わらないぞいわんばかりのエンディング。忙しいけど、君がいるからがんばれるって。1曲目「A Hard Days Night」。ジョンの曲。
「アーオ」とジョンのシャウト。そして「ウェイナイトホーム」「ライト、タイト、イエイ」とサビはポール。ジョンとポールの掛合いがたまらない。最初から乗り乗りだ。
1曲目から行くぞって感じが伝わる。アルバム構成は、ビートルズ初の主演映画のサントラとボーナストラックなのだが、ビートルズのライブを聞いているよう。

2曲目は「I Should Have Known Better」( 恋する2人)だ。これもジョン。
冒頭のハーモニカがいい。行け行けだ。「君にくびったけだ。もっと愛してよ」ってメッセージ。ジョンの「アハハーン」という裏声も甘くてたまらない。
単調なサビのギターも「こうでなくちゃ」と思わせるから不思議。

3曲目は打って変わってジョンのスローバラード。ほっと一息。「If I Fell」(恋におちたら)である。
「わかってくれよ 裏切らないでおくれ 大好きなんだ」。冒頭だけジョンで、「イフ ア ギブマイハート」からポールとの絶妙のハーモニーで切なく訴える。

4曲目はジョージのボーカル。でも作曲はジョン。「I'm Happy Just To Dance With You(すてきなダンス)」。細切れカットのギターコード進行が効果的。「オーオ オーオ アー」でジョンとポールが盛り上げる。君と踊っていれば幸せだ。

ジョン、ジョン、ジョン、ジョージときて5曲目にやっとポール。この頃のビートルズの主導権はジョンにあった。「And I love Her」。ポールのバラードはやっぱ最高。タイトな中にもやはりポールらしいメロディライン。「ああ あの娘が大好きなんだ」とアコースティックギターが奏でる。ボンゴとウッドブロックのリンゴがさりげなく寄り添う。シンプルだけに歌詞もメロディも染みてくる。

6曲目はジョンの「Tell Me Why」。「テルミー ホワイ ユークライ」といきなりたたみかけるコーラスライン。ジョンの3重奏らしい。裏声もぞくぞくって感じ。「なんで 泣いたの、僕を置いていったの」。未練たらたらのジョンのシャウトが効果的。

7曲目。A面の最後は、ポールの名曲「Can't By Me Love」だ。いきなり前奏なしの「キャン バイ ミー ラヴ」だ。「愛はお金では買えない」。乗り乗りのロックンロール。シングルカットされただけのことはある。予約だけで100万枚を超えたという。



8曲目、B面の1曲目は「Any Time At All」だ。ジョンの曲。リンゴのドラムの一打とジョンのシャウトで始まるアップテンポの曲だ。「いつでも行くよ。君の元へ。寄り添ってあげる。こんなに好きなんだから」。アルバムをB面に変えても(裏面のリンゴの中身に変えても)、いきなり熱い。

9曲目はこれもジョンの「I'll Cry Instead」(ぼくが泣く)だ。ミディアムテンポの振られた気持ち。でも立ち直ってやる。きっとだ。

10曲目はポールの3曲目となる「Things We Said Today」(今日の誓い)。「サムディー」からのサビも効果的。1分44秒のアルバムでは一番短い曲だが、カントリー風の抑揚のない調べが2人の揺るぎない恋の行方を語る。「たとえ僕がいなくなっても、愛し続けるって言ってくれる」。

11曲目、「ウオウオ ハー」のジョンのハーモニーで始まる「When I Get Home」は、この「ウオウオ ハー」が効果的に各所に挿入される。素直でストレートなジョンの声が染み入る。「彼女が待っている、早く帰らなきゃ」。もう気持ちは彼女のもとだ。

12曲目は、「You Cant Do That」。ジョンのメロディとハーモニー、そしてギター。ジョンの才能は満開だ。リンゴのビシッと決まるドラムもいい。「そんなことするなよ」。他の男と話す恋人にちょぴり嫉妬する若者は粋がる。R&B風の乗りでカッコいいジョン。びしっと決まっている。

最後は、これもジョンのかっこよさが光る「I'll Be Back」。哀愁のあるメロディがアコースティクギターの裏打ちのストロークと混ざり合う。2曲続けてジョンのヒットだ。「ちょっとのいさかいでも、やっぱり忘れられないだろう。帰ってくるよ」。

どれもこれもかっこいいナンバーばかり。ハードからソフトまで、アルバムとしても完成度は高い。ライブを聞いているよう。若さが前面に出たストレートな歌詞もいいし、編曲も凝っている。聴き応えのある30分だ。
LPは1979年4月に買った。CDはモノラルだが、LPはなぜかステレオ。
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紫陽花と雨

2008-06-21 | life
梅雨に入り、しばらく晴天が続いたが、昨日から、まとまった雨が降り出した。

小さい頃は、まさにシトシト、ジメジメが梅雨の印象であったが、最近の梅雨は豪雨型、局地型というか、悪い意味でメリハリがありすぎる。

田や畑を潤し、夏の準備の季節である。

紫陽花は日本原産の植物である。土の成分によって色が異なる。この季節、玄関口や庭や畑でいきいきと紫や桃色の花を咲かせる。

晴天の中では、紫陽花もぱっとしない。青色にその色が吸収されるのであろうか。雨が降りしきる中、緑の葉とグレイの背景でその存在が生きる。
気圧も下がり、憂鬱な季節であるが、わたしにはホットさせてくれる、ありがたい存在である。

家の畑のはガクアジサイである。
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時代に翻弄される日本 「ニコライ遭難」 吉村 昭 13

2008-06-16 | 吉村 昭
ニコライ2世(1868年(明治元年)~1918年(大正7年))。ロシア革命によるロシア帝国の最後の皇帝であり、1891年(明治24年)に皇太子時代に日本を訪れ、いわゆる大津事件に巻き込まれた。

吉村は、この時期の作品を多く書いている。「海の史劇」(昭和47年(1972))、「ポーツマスの旗」(昭和54年・1979)などである。
明治維新の余韻を強く残す日本が、世界の大国のさまざまな思惑の中で、大きな波に飲み込まれる。
アジア大陸の東の小国である日本が、まさに大国ロシアのさまざまな牽制、進出の中で、大きな試練を受けることになる。
吉村は「ニコライ遭難」で、この大津事件を取り上げた(平成5年・1993)。
維新後20年あまりで、大きな危機に陥った日本の試練。国難ともいえる事態がどうなったのか。また、犯罪に対する裁判は。

ここでも誠意と信念は、吉村の大きく信ずるところとなる。

現代日本を知る上で、長い鎖国の時代から、グローバルな世界へといきなり門戸を開いた日本の生き様に触れることができる。
最後の2章で、犯人や、英雄と騒がれた皇太子を救った2人の日本人、また、ニコライ2世の最後がさりげなく語られる。そこに流転ともいうべき人の運命がある。

我々に投げかけるものも大きい。
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恥ずかしそうなじゃがいもたち

2008-06-15 | food
先週の玉ねぎに続いて、じゃがいもを収穫した。
葉も茎も少し黄色くなり、そろそろです。天気もよく、ここしばらく雨も降らないので掘りました。


種芋を植えたのが3月16日ですから、やく3ヶ月の間、地中でお過ごしいただきました。

白く太ったじゃがいもは、少し恥ずかしそうに太陽の下で賑やかに会話をしているよう。

施肥や土がけなど、その都度、じゃがいもの要求に応えることができたのかわかりませんが、ありがたいことです。
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布袋草

2008-06-14 | life


近くのホームセンターで布袋草(ホテイソウ)を買ってきた。1株100円にもならない。
どこから来たのか早速、蛙も涼みに来たようだ。

別名、布袋葵は南アメリカ原産で、日本には明治時代に入ってきたという水草。
ファンも多いようでブログもたくさん見られる。

3年前、水の中で涼しそうにたたずむ姿に心引かれて買った。
その年、夏に次々に鮮やかな薄紫のスクッとした花を咲かせ、それも1日で終わるという衝撃であった。
だが、昨年はその花を見ることができなかった。

酷暑でも水と溶け合う緑の鮮やかさは、涼感を誘う。

今年は咲くのだろうか。
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我が家の栗の木

2008-06-10 | food
9年前に亡き父が植えた記念樹である。



もう私の身長をとっくに超え、実も年々数を増す。

5時前には日の出を迎える。夏至も21日と、日中が一番長い時。朝、緑鮮やかで伸びやかな植物や木々との出会いがある。
今、栗の花が満開。
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