パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

蜩ノ記

2013-06-30 | book
地方紙に「紫匂う」という新聞小説が掲載されている。時代小説で、とつとつとした文体に、夫婦の機微が描かれ、凛とした雰囲気に、毎日その掲載を楽しみにしている。それも今月で終わる。
何か、藤沢周平を彷彿とさせる作者は、葉室燐。はじめて名を聞く作家で、ネットで調べてみた。1951年生まれ。私よりも年上で、なんと地方の新聞記者からの転身で、50歳から小説を書き始めたと言う。
2005年に文学賞を受賞し、本格的な文筆活動に入った。まだ、10年にも満たない。その2012年直木賞受賞作の「蜩(ひぐらし)ノ記」を読んだ。

九州のさる藩の戸田秋谷(しゅうこく)は、40過ぎの武士。幼馴染の藩主の側室を助けるため、一夜をともにした咎で、10年後の夏に切腹を言い渡されている。妻の織江と娘の薫、息子郁太郎と暮らす秋谷は、藩の記録を書くことを仕事とし、その日々の日記が「蜩ノ記」だ。切腹まであと3年と迫った桜の季節に、その秋谷のもとへ、これもまた友人といさかいを起こした壇野庄三郎が、監視役として訪れるところから話は始まる。

淡々と、切腹の日を待つ秋谷の人柄に次第にひかれていく庄三郎。藩の圧制に苦しむ農民の姿。出世と保身に走る同僚たち。それらと清貧な秋谷の姿との対比がうまい。家族もつつましく、作風もマッチしている。地位に固執する家老の中根兵右衛門との確執、心理戦が物語の柱だ。
ただ、前半のわかりにくさ、庄三郎といさかいを起こした友人市之進とのあっけない仲直り、あまりに見え見えの薫と庄三郎の結婚など、もっと話に仕掛けがあると、より味わい深い作品になったと思う。文体もまだまだ藤沢周平には程遠い。
短く、遂行を重ねた周平の文体はほんとうに読みやすく、読後もすがすがしいものであった。これからの葉室の成長が楽しみだ。

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常盤新平の「たまかな暮らし」

2013-06-23 | book
常盤新平(ときわしんぺい)の『たまかな暮らし』を読んだ。常盤は、早川書房に入り、編集長として活躍。そして、1969年昭和44年に退社し、翻訳家、エッセイシストなどとして文筆家の道を進む。残念なことに、2013年今年1月に81歳でこの世を去る。

その彼を書評で知り、1997年から2003年まで季刊雑誌に連載していた「四季の味」をまとめたのが、この本だ。2012年6月発刊。なんと心にまた、胃袋に染み入る作品なのだ。26の作品からなる。東京の出版社に勤める中村悠三27歳と、三軒茶屋で母が営む小料理屋の娘やよいの暮らしを軸に、東京の四季と食、離婚した65歳の父、定年を迎えた啓吾とのふれあいを描く。

蕎麦やカレーライス、鰻など、外食するつつましい贅沢と、やよいの母が作る家庭料理の数々。それが悠三の唯一の趣味である歳時記と東京の景色の3つが重なり合い次々に登場する。

そのあきない語り口、常にたまかな(東京弁の質素を意味)を意識した2人の言動。父と子のありがちな距離感。四季で移り変わるやよいの着物姿の描写。ああこんな暮らしがいいなあ。そういえば、悠三ではなく、啓吾の目線でこの物語を追っているのに気付く。

最後の作品の最後に出てくる「ただ食べるだけなら必要を満たすだけだが、おいしく食べるのは芸術だ」が、暮らしぶりの一つの価値観を提言する。人の幸せとは何か。食もその瞬間を生きる行為。四季も読書もそうだ。そこに貫かれる「つつましい暮らし」がいい。刹那だから人は感動し、大切にしたいと思い、いとおしく感じるのだ。しかし、また、読んでみたくなる作家に出あえた。これだから読書はたまらない。
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すぐれもの 17 真空タンブラー

2013-06-22 | すぐれもの
父の日にタンブラーをいただいた。タンブラーとは飲料を入れる容器のこと。最近は、省エネの観点から、持ち運びのできるものが重宝されている。いただいたものは、家飲み派の私にはうれしい品物。

サーモス製品で、中が真空で、冷やしても外に水滴もつかず、冷たさも長持ちする。晩酌は、常飲の麦焼酎「いいちこ」をゴボウ茶で割り、酒用のレモンを数滴入れる。すっきりさわやかな味わいで、氷でキリットした感覚が長持ちする。ジメジメした梅雨に、ありがたい贈り物。

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臨床真理

2013-06-16 | book
柚木裕子の『臨床真理』を読む。柚木のデビュー作で2008年の第7回「このミステリーがすごい!」大賞作品。
2009年1月刊行。
16歳の女の子が福祉施設で死んだ。同じ施設にいた20歳の司は、その彩と付き合っていた。死の原因を追う国立病院の臨床心理士の佐久間美帆。
司は人の心が声の色でわかる。うれしいときは暖色、悲しいときは青色、憎ければ黒、ウソは赤。
美帆の捜査にいやいやながら付き合う高校時代の同級生、警察官の栗原。次第に明らかになる福祉施設の真実。彩を死に陥れたのはだれなのか。

前半の盛り上がりと、結論を急ぐ後半の急転直下が選評となった。
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花菖蒲

2013-06-15 | life
梅雨というのに雨が降らず、畑の野菜や紫陽花も元気がない。そんな中、やっと昨夜、深夜から午前中まで振ってくれました。
午後一番に、松の芽摘みを行いました。日差しもきつくなく、風もあり、気持ちよい芽摘みでした。が、短く切り過ぎてしまい、家人にはたいへん、不評。生え揃うまでに何年かかるやらとぼやかれてしまいました。

そんな中、家の前の花菖蒲が咲き始めました。ただ、春の寒さと水不足で昨年とは違い、ぼちぼち。色もいまいちかな。でも、梅雨にあの紫色はいいですね。
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最後の証人

2013-06-09 | book
柚月裕子の『最後の証人』を読む。佐方貞人シリーズの第一作。2010年5月刊行
『検事の本懐』で、検事を務めた佐方が、その職を辞して、弁護士となり、法廷で検察と対決し、事件の真実を暴く。
小学生の一人息子が雨の夜、自転車で塾の帰りに交差点で交通事故に会い、この世を去る。突然、奈落の底に突き落とされる夫婦。相手の車の運転手が、信号無視、アルコールの臭いがしたと、一人息子の連れの子どもが証言する。しかし、この事故はなぜか不起訴になる。
その7年後にホテルで男女の痴話喧嘩が原因が見られる殺人事件が起きる。

密かに練られる殺人計画。その加害者、被害者を明らかにせず、この事件を淡々と追う。そして、公判最後の3日目に現れた参考人はだれか。佐方は、何を導くのか。そして、出された判決は・・・。
夫婦の悲しい結末と暴かれる組織ぐるみの隠蔽。最後まで緊張感が続き、ハラハラドキドキの展開だ。

水の中を見ろ。事件を追うのではなく、人間の動機を追え。
人間、誰でも過ちはある。しかし、2回目は罪だ。
いつもながらの佐方の感性が、全編を貫く。
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いつか陽のあたる場所で

2013-06-02 | book
乃南アサは,1960年生まれ。昭和35年なので,ほぼ近似値の年齢。1988年に推理小説でデビュー。平成8年に直木賞受賞。テレビ放映され,新聞のテレビ評で,原作を読んでみたいといわしめた『いつか陽のあたる場所で』単行本2007年8月を読んだ。初出は2005年。

それぞれ前科を持ち,刑務所で暮らしていた芭子と綾香。いつ前科がばれるかとドキドキしている2人が,東京下町の谷中で暮らす。
その緊張感と,いつまでも晴れない霧のようなかすんだ暮らしぶりが,近所のさまざまなひとびとの息遣いの中で,やさしく描き出される。季節感もふんだんに取り入れ,文章もうまい。

4つの短編からなる。
小森谷芭子と江口綾香の過去,そして,近所の口やかましいおじいさんとの交流。「おなじ釜の飯」
動物園での2人,交番の警察官との出会い。「ここで会ったが」
カラオケに誘う綾香。しぶしぶ応じる芭子。その綾香が親しくなったやとわれママの正体とは。「唇さむし」
自転車を盗られ,治療院のバイトもやめた芭子。9年ぶりの弟の訪問。いよいよ居場所を無くす芭子に家から送られてきたものは。「すてる神あれば」

なんとなく2人から目が離せない。どうして生きていくのだろう。でも,あの下町の人たちが醸し出す,ゆったりとした雰囲気。高齢社会の中で,1人で生きていくせつなさ,いとおしさ。それでも今はやってくる。
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6月の声

2013-06-01 | life
6月に入った。職場の同僚が家を建てた。何かお祝いをしたくて、花を持って行った。人生の中でそんなにある出来事ではない。将来の不安もあるかもしれないが、そんなことを心配する前にまず、前進だ。

我が家のヤマボウシも天に向かうように白い花が満開だ。梅雨空に力強く拳を突き出すかのようだ。


忙しくて行く機会を逸していた野いちごを見に行くと、さすがにもうほとんど実が落ちていた。残念。でも、待っていてくれたのか、少し見つけることができた。うれしかった。


自家製のヨーグルトに入れて楽しもう。

日々の緊張感の中、こんな何気ないシーンがありがたい。
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