パンダ イン・マイ・ライフ

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敵討ち 吉村 昭 59

2019-10-06 | 吉村 昭
人間模様 「敵討ち」

吉村は2つの敵討ちを取り上げる。いずれも江戸末期から明治当初の混乱期である。
「敵討ち」は、天保9年(1838)、24歳の時に叔父と父を手にかけられた松山藩士の熊倉伝十郎の物語。
この敵の本庄茂平次は、時の天保の改革の鳥居耀蔵の手先として使われていた。
そういう時代背景にも触れながら、時にもてあそばれながらも、7年の歳月の後に敵を討つ。
帰藩し、家督を継ぐが、嘉永6年(1853)、探索の時に罹患した梅毒により、早世する。

また、「最後の仇討ち」は、明治維新の慶応4年(1868)、11歳の時に父・母を惨殺された九州秋月藩の次席家老、臼井亘理の子、六郎の仇討ちの話である。
この仇討ちの13年という歳月はまさに藩にとっては激動の時代である。廃藩置県、徴兵令、廃刀令と武士制度が崩れ去る中で、明治6年に仇討ち禁止令が出るとはいえ、仇討ちの美風はまだ残っていた。
六郎は明治24年(1891)に釈放され、北九州の地に暮らし、大正6年(1917)に60歳で没する。
武士の時代において、無事、本懐を遂げれば、敵討ちは美談であろう。しかし、相手を探し続けながら、果たせるかどうかも分からないこの制度は。ある意味残酷でもある。
今の時代では思いもよらぬことである。
吉村の記録を追いながら、敵討ち後の人生も重ね合わせる語り口は得意とするところである。歴史と対峙させながら、翻弄される2つの人間模様、一市民の人生が淡々と語られる。



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