パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

今だから「方丈記」 4 安良岡「学術」

2019-10-27 | book
日本中世文学を専攻した安良岡康作の方丈記は、1980年(昭和55年)2月刊行。2017年2月で第52刷。大福光本を底本。12のセンテンスに分け、センテンスごとに本文、現代語訳、注釈、解説を配置。最後に作者、構造、価値、文芸誌的意義を述べた方丈記概説を掲載した。安良岡は、1917年大正6年生まれ、 2001年(平成13年)に亡くなる。

安良岡は、「現実に押し流されることに満足できないで、何とかして、現実を超えた高みに自己の真に生きる道を見出そうと希求する人も存する。この生きる道を真剣に求める人こそ、方丈記とその著者が特に予想し、期待する読者であると思われる。そういう読者の存する限り、この古典は、いかなる時代をも生き続ける意義を持つものと、わたくしは信ずるのである。」という。

講談社学術文庫らしく詳細な注釈が魅力。市古岩波と安良岡講談社を枕元に置いている。
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温かい音色のエア・チェック

2019-10-22 | audio
インターネットで定期的にチェツクするのが、音楽之友社の「ontomo mook」だ。そこに出ていたのが、2019年10月発売の「真空管FMチューナー・キット」だ。本は「電波を受信せよ! 真空管FMチューナー」だ。16,500円なり。

1970年代、高校生や大学生の頃は、「FMファン」などの雑誌も全盛。エア・チェックという言葉も流行った。
早速開けてみる。なんとキットのケースは、2019年1月の「ontomo mook Stereo編」で、「朗音 真空管アンプの愉悦」の真空管アンプの「LXV-OT7」の外観とそっくり。手を抜いたなと思わず。



作り方も、基盤は作ってあり、真空管をはめて、ケースを組み立てるだけ。30分もかからない。










聞くシステム

スピーカー
2013年平成25年8月のstereo付録のスキャンピーク製50mmフルレンジスピーカー・ユニット(ペア完成品)だ。エンクロージャーは、ontomomook sereo編の2013年版のバックロードホーン型エンクロージャー・キットだ。2013年7月に作成した。直径5センチのスピーカーは、小振りでフルレンジながらも、いい音を出す。

アンプ
アキュフェーズのプリメインアンプE-408。2007年(平成19年)購入。


付属のアンテナ線で受信を確かめる。stereo放送にならない。焦る。なんとかチューニング。温かい音色。これが真空管チューナーか。
楽しみが増えた。
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プラモの世界(10)源義経

2019-10-20 | life
童友社のプラモ。京都府の鞍馬寺所蔵と伝えられる「伝 源義経所用」の「緋縅獅子金物鎧・兜・大袖付」だ。


童友社の組立説明図には、江戸時代に誤って修理され、形を失ったとある。社は江戸時代に編纂された「集古十種」を参考にしたとある。「集古十種」は、インターネットで「国立国会図書館デジタルコレクション」で見ることができる。労作である。
頭上に全身の獅子。左右の吹き返しに獅子と牡丹。



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プラモの世界(9)源義家

2019-10-14 | life
八幡太郎義家、義経など、平安から鎌倉にかけての甲冑は、徒歩戦から、騎馬から矢を射る騎射戦へと変化していたのに即応している。それは絵図からも見て取れる。
童友社の兜鎧シリーズの「伝八幡太郎義家所蔵」の「国宝 浅葱綾威鎧」だ。浅葱色は薄い藍色だが、残念ながら童友社のは、白になっている。昭和26年に国宝に指定され、広島県の厳島神社蔵だ。


広島県のHPから
威(おどし)毛の浅黄綾と金物の鍍銀(とぎん)の色が反映しあって,端正な形姿に壮麗な趣を加えている。小札(こざね)は黒漆塗の精緻なもので,鉄と革札を一枚交ぜにして浅黄綾で威している。胴は裾搾りの傾向を示し,衝胴は五段に仕立て大袖の七段仕立とともに壮重感があり,「着長(きせなが)」の名に値する。細長の鍬形(くわがた)をさす兜においても,頂辺孔が小さく鉢の矧合(はぎあわせ)板の数は多くなり,吹返しを急角度に強く曲げている。保存もよく鎌倉時代中期(12世紀)の大鎧の典型的な遺品である。








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父からの手紙

2019-10-13 | book
小杉健治の推理小説「父からの手紙」を読んだ。新聞書評からのロングセラーから。単行本は2003年7月、文庫本は2006年3月初版、1年半後の2007年8月に12刷だ。小杉は、1947年生まれ。83年に月刊文芸誌の推理小説新人賞で作家デビュー。

24歳の麻美子。父は54歳になるが、10年前、麻美子が中学2年生の時に43歳の母と別れた。以来、行方不明だが、毎年、誕生日に便りをくれた。やり手経営コンサルタント会社社長、36歳の高樹龍一との結婚が決まっていた。導入部は、2つ下の弟の伸吾は、女性関係に甘い髙樹との結婚に反対しているシーンだ。

次に、刑事の犬塚を殺して9年間の刑を終え、40歳の秋山圭一が刑務所から出てくるシーンへ。圭一は28歳で会社をリストラされ、水商売の世界に入り、歌子と知り合う。歌子は9年の間に姿を消していた。圭一は父の電気店で腹違いの兄と働いていたが、父が亡くなり、23歳の時に家を飛び出していた。その後、母も亡くなった。圭一は兄の妻みどり、義姉に想いを募らせていた。兄は連帯保証人になり、店も傾き、事件の発端になったのは、義姉の不倫だったそして、10年前に兄が焼身自殺した。その時、結婚後10年越しに義姉は妊娠していた。兄が自殺してしばらくたって刑事の犬塚が圭一の前に現れる。

麻美子の父、竹村信吉は、中学を出て東北から集団就職で東京へ出てきた。紳士服の阿久津テーラーへ就職する。そこで娘の母と知り合う。父と親友の同級生の山部は36歳で金属加工の山部製作所を起こし、社長として、離婚後の母を事務員として雇用し、生活を支えていた。麻美子は、山部の息子、信勝に好意を寄せていたが、高樹に山部製作所の再建を依頼していた。
父は養育費として伸吾が20歳になるまで毎月20万円を振り込み、離婚後、慰謝料として2千万円を振り込んでいた。
そんな高樹と連絡が取れなくなった。マンションへ入ると、高樹と付き合いのあった赤坂の若女将、野上知世の死体が押し入れに。
高樹の失踪で山部への支援も断ち切れる。そして、高樹が遺体となって発見される。
麻美子の破談。山部は工場で自殺する。荒れる信勝。そして、高樹を殺害した犯人として伸吾が逮捕される。そして、麻美子の母が自宅で倒れる。

麻美子と圭一の物語が交互に展開される。そして、2つの物語を繋ぐ接点が犬塚から語られる。追い詰められた麻美子は真犯人を追い、現実に苦悩する圭一はみどりを探す。運命は、やがて2人を会わせる。2人は北陸へと旅立つ。そこで2人が見た人たちは…。後半の息をつかせぬ展開。そして、大団円へ。
大勢の登場人物たち。重厚な推理長編だ。
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敵討ち 吉村 昭 59

2019-10-06 | 吉村 昭
人間模様 「敵討ち」

吉村は2つの敵討ちを取り上げる。いずれも江戸末期から明治当初の混乱期である。
「敵討ち」は、天保9年(1838)、24歳の時に叔父と父を手にかけられた松山藩士の熊倉伝十郎の物語。
この敵の本庄茂平次は、時の天保の改革の鳥居耀蔵の手先として使われていた。
そういう時代背景にも触れながら、時にもてあそばれながらも、7年の歳月の後に敵を討つ。
帰藩し、家督を継ぐが、嘉永6年(1853)、探索の時に罹患した梅毒により、早世する。

また、「最後の仇討ち」は、明治維新の慶応4年(1868)、11歳の時に父・母を惨殺された九州秋月藩の次席家老、臼井亘理の子、六郎の仇討ちの話である。
この仇討ちの13年という歳月はまさに藩にとっては激動の時代である。廃藩置県、徴兵令、廃刀令と武士制度が崩れ去る中で、明治6年に仇討ち禁止令が出るとはいえ、仇討ちの美風はまだ残っていた。
六郎は明治24年(1891)に釈放され、北九州の地に暮らし、大正6年(1917)に60歳で没する。
武士の時代において、無事、本懐を遂げれば、敵討ちは美談であろう。しかし、相手を探し続けながら、果たせるかどうかも分からないこの制度は。ある意味残酷でもある。
今の時代では思いもよらぬことである。
吉村の記録を追いながら、敵討ち後の人生も重ね合わせる語り口は得意とするところである。歴史と対峙させながら、翻弄される2つの人間模様、一市民の人生が淡々と語られる。


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