上野千鶴子の「おひとりさまの最期」(2015年11月刊行)を読んだ。著者は1948生まれ。約10歳年上の独り身の女性が,2007年に出版した「おひとりさまの老後」から8年後に,その完結編ともいえるこの「最後」を書いた。男女共同参画やジェンダー論の研究で有名な社会学者が,介護と医療,さまざまな仕組みの現実を踏まえながら,高齢社会に突入した日本の死へのステップを論じる。
病院で死ぬことがポピュラーになったのは,ほんの40年前。高度医療の進展による余命の高齢化,高齢少子社会の到来と晩婚やシングルの増加は,いやがおうにも家族の形態を変え,意識を変容させる。そこに住み慣れた家で最期を迎えることができないのか,いけないのか。家は唯一の安らぎの場,在宅ひとり死は困難なのか。
その第1の壁は家族だという。家族のいないのは苦ではなく楽なのだとも。そして強い意思。
いずれは迎える介護。そこに関わる家族形態の違い,横たわる福祉制度,スタッフ環境の地域差。
迷惑をかけたくないと住み慣れた家を出ていく高齢者。どう関わっていくか悩む家族。
いずれ老いを迎える人々が,今の社会でどう暮らしていくのか。上野の投じた小石の波紋は大きい。
病院で死ぬことがポピュラーになったのは,ほんの40年前。高度医療の進展による余命の高齢化,高齢少子社会の到来と晩婚やシングルの増加は,いやがおうにも家族の形態を変え,意識を変容させる。そこに住み慣れた家で最期を迎えることができないのか,いけないのか。家は唯一の安らぎの場,在宅ひとり死は困難なのか。
その第1の壁は家族だという。家族のいないのは苦ではなく楽なのだとも。そして強い意思。
いずれは迎える介護。そこに関わる家族形態の違い,横たわる福祉制度,スタッフ環境の地域差。
迷惑をかけたくないと住み慣れた家を出ていく高齢者。どう関わっていくか悩む家族。
いずれ老いを迎える人々が,今の社会でどう暮らしていくのか。上野の投じた小石の波紋は大きい。