俳人の藤田湘子さんの「新版 20週俳句入門」(平成22年(2010)4月)の第4週で紹介されている「現代を代表する二俳人」の飯田龍太さんと森澄雄さん。
その森澄雄さんの「俳句のいのち」を読んだ。平成10年(1998)2月刊行。
森澄雄さんは、大正8年(1919)2月生まれ。平成22年(2010)8月没。91歳。長崎県長崎市で育つ。九州大学卒。同時に応召、南方を転戦し、ボルネオで終戦を迎える。東京で高校教師。「馬酔木」の句会に参加、加藤楸邨さんを師事。
飯田 龍太さんは1920年(大正9年)7月生まれの1歳下。2007年(平成19年)2月に86歳で亡くなる。
2人は戦後の昭和から平成にかけてまさに、伝統俳句の中心的存在として活躍した。
「俳句のいのち」は、4章からなり、まず、芭蕉さんだ。正岡子規さんが軽視した芭蕉さんを、澄雄さんは師事する。そして2章は知人のこと。3章は自らの句を紹介するエッセイ。そして、終章は、平成になってからの主宰句誌の添削だ。
あとがきの平成10年(1998)は、澄雄さん79歳。3年前に脳出血で倒れ、左半身不随となり、その心境を綴っている。18歳から今日まで60年間、命を運ぶ作業として俳句を作ってきたという。そして、単なる写実では物事の真実に到達することは困難。自由な創造の力を借りるときに、初めて真実が見えてくるというのだ。それは芭蕉さんの「虚にいて実をおこなふべし」からだ。「今は永遠に帰ってこない。その一瞬の今をとらえることが、俳句のいのちだ」と。
その森澄雄さんの「俳句のいのち」を読んだ。平成10年(1998)2月刊行。
森澄雄さんは、大正8年(1919)2月生まれ。平成22年(2010)8月没。91歳。長崎県長崎市で育つ。九州大学卒。同時に応召、南方を転戦し、ボルネオで終戦を迎える。東京で高校教師。「馬酔木」の句会に参加、加藤楸邨さんを師事。
飯田 龍太さんは1920年(大正9年)7月生まれの1歳下。2007年(平成19年)2月に86歳で亡くなる。
2人は戦後の昭和から平成にかけてまさに、伝統俳句の中心的存在として活躍した。
「俳句のいのち」は、4章からなり、まず、芭蕉さんだ。正岡子規さんが軽視した芭蕉さんを、澄雄さんは師事する。そして2章は知人のこと。3章は自らの句を紹介するエッセイ。そして、終章は、平成になってからの主宰句誌の添削だ。
あとがきの平成10年(1998)は、澄雄さん79歳。3年前に脳出血で倒れ、左半身不随となり、その心境を綴っている。18歳から今日まで60年間、命を運ぶ作業として俳句を作ってきたという。そして、単なる写実では物事の真実に到達することは困難。自由な創造の力を借りるときに、初めて真実が見えてくるというのだ。それは芭蕉さんの「虚にいて実をおこなふべし」からだ。「今は永遠に帰ってこない。その一瞬の今をとらえることが、俳句のいのちだ」と。