やはり今年の大晦日は、東北大震災を語らずにはいられない。パール・バックの『つなみ』(The Big Wave )を紹介する。
パール・バックはアメリカの女性小説家。1892(明治25年)~1973(昭和48年)。宣教師の両親と中国で育ち、1917年(大正6年)に帰国した。有名な『大地』は、1931年(昭和6年)に発表した。1938年(昭和13年)にノーベル文学賞受賞。バックの生きた時代を見てみよう。1894年(明治27年)に日清戦争、1904年(明治37年)に日露戦争、1911年(明治44年)辛亥革命、1931年(昭和6年)に満州事変、1941年(昭和16年)太平洋戦争という動乱の時代であった。
『つなみ』は、戦後間もない1947年(昭和22年)に出版された。日本の漁村が舞台となり、つなみによって家族を失い、一人ぼっちになった男の子ジヤの成長を描く児童文学。アメリカは長く読まれ続けられているという。1988年(昭和63年)に邦訳され、2005年に復刻された。図書館で借りた。
バックは1927年(昭和2年)に知的障害のある6歳の娘を連れて長崎県の雲仙に数ヶ月間滞在したという。その5年前にこの雲仙や島原地方を津波が襲っていた。バックはわが子の障害に悩んでいたという。この本は、日本での暮らしから20年経って発表された。1960年(昭和35年)には日本を舞台に映画化もされた。さまざまな思いがバックに去来していたのかと思うとさらに興味深い作品となる。
この作品には、とても戦後、海外の作家が書いたと思えない親近感がある。日本人の精神がたっぷりと詰まっている作品なのだ。死生観、自然観、労働感など、今でもDNAとして共感できるものだ。ジヤの子供から大人への成長は、戦後の日本が悲しみ・苦しみを乗り越え、自立、自活に向かう姿にパール・バックがエールを送ったものなのだろう。
「恐れずにありのままを受け入れなければいかん、人間はいつかは死ぬ。死を怖がるな」「生は死よりも強し」「いつまでも泣けるものじゃない」。ジヤと暮らす家族の父親の力強い言葉が耳に残る。
来年も、来年こそよい年に。
パール・バックはアメリカの女性小説家。1892(明治25年)~1973(昭和48年)。宣教師の両親と中国で育ち、1917年(大正6年)に帰国した。有名な『大地』は、1931年(昭和6年)に発表した。1938年(昭和13年)にノーベル文学賞受賞。バックの生きた時代を見てみよう。1894年(明治27年)に日清戦争、1904年(明治37年)に日露戦争、1911年(明治44年)辛亥革命、1931年(昭和6年)に満州事変、1941年(昭和16年)太平洋戦争という動乱の時代であった。
『つなみ』は、戦後間もない1947年(昭和22年)に出版された。日本の漁村が舞台となり、つなみによって家族を失い、一人ぼっちになった男の子ジヤの成長を描く児童文学。アメリカは長く読まれ続けられているという。1988年(昭和63年)に邦訳され、2005年に復刻された。図書館で借りた。
バックは1927年(昭和2年)に知的障害のある6歳の娘を連れて長崎県の雲仙に数ヶ月間滞在したという。その5年前にこの雲仙や島原地方を津波が襲っていた。バックはわが子の障害に悩んでいたという。この本は、日本での暮らしから20年経って発表された。1960年(昭和35年)には日本を舞台に映画化もされた。さまざまな思いがバックに去来していたのかと思うとさらに興味深い作品となる。
この作品には、とても戦後、海外の作家が書いたと思えない親近感がある。日本人の精神がたっぷりと詰まっている作品なのだ。死生観、自然観、労働感など、今でもDNAとして共感できるものだ。ジヤの子供から大人への成長は、戦後の日本が悲しみ・苦しみを乗り越え、自立、自活に向かう姿にパール・バックがエールを送ったものなのだろう。
「恐れずにありのままを受け入れなければいかん、人間はいつかは死ぬ。死を怖がるな」「生は死よりも強し」「いつまでも泣けるものじゃない」。ジヤと暮らす家族の父親の力強い言葉が耳に残る。
来年も、来年こそよい年に。