パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

プリズンの満月 吉村 昭 44

2010-08-29 | 吉村 昭
吉村昭の「プリズンの満月」は、平成7年(1995)6月発行である。

敗戦後にA・B・C級戦犯を収容していた巣鴨(東池袋)にあった、巣鴨プリズンを舞台にした小説。刑務官の鶴岡の目から見た施設の様子を通し、戦後の歴史の一ページを垣間見る。

20歳で刑務官になり、40年勤め上げ、60歳で定年を迎えた鶴岡は悠々自適の生活を妻、紀代子とともに日々送っていた。そこに一通の手紙が舞い込む、かつての上司が、建築現場の責任者に頼みたいと言ってきた。その現場とは、かつて鶴岡が勤務していた巣鴨プリズンの跡地に建築中の地上60階、地下3階の高層ビルであった。

刑務所・拘置所としての機能を持っていた施設は、敗戦後の昭和20年(1945)11月、GHQに接収される。

鶴岡は、朝鮮戦争の激化とともに巣鴨に日本人の刑務官を配置することになり、昭和25年に熊本の刑務所から配転される。巣鴨では戦犯が1,600名も収容され、60人が処刑されたという。戦勝国が敗戦国を裁くという特異な状態の中で、日本人が日本人を監視するという役目を担うことの苦痛と、管轄していた米兵との軋轢も。

昭和27年、9月に連合国と日本の間の平和条約が締結される背景とともに、昭和27年には運営が日本に移管される。その間、歌手や落語家など芸能や、大相撲の慰問や、後楽園球場でのプロ野球観戦なども行われていたという。

吉村はそのあとがきで、「時間の経過によって物事はよく見えてくるというが、この小説を執筆しながら私もその観を深くした。巣鴨プリズンが刑務所としての姿を急速に失っていったことに戦犯というものの問題を解く鍵があると思っている」と。

昭和33年(1958)に巣鴨プリズンはGHQから変換され、東京拘置所となった。昭和48年(1973)~昭和53年(1978)に建設された池袋サンシャインシティが今、その地に建つ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸奥爆沈 吉村 昭 43

2010-08-22 | 吉村 昭
昭和18年(1943)6月8日、戦局が深刻化していた頃、正午過ぎに日本が世界に誇る戦艦「陸奥」(39,050トン、全長225m、全幅30m)が呉近くの瀬戸内海で爆沈する。乗組員1,474名のうち1,121名が死亡するという大惨事が出来する。時の軍は機密事項として対応し、原因究明にあたる。吉村はある取材でこの事実を知り、丹念に粘り強く、資料収集、取材を始める。

「陸奥爆沈」は、「戦艦武蔵」(昭和41年・1966)と並び称される戦史文学の傑作である。昭和45年(1970)5月刊行。

その原因は潜水艦による雷撃か。調査を進めると、昭和においていくつか起きた軍艦の爆発事件に人為的な原因があることを突き止める。果たして陸奥は・・・。

吉村は「私が戦争を書く理由は、自分を含めた人間というものの奇怪さを考えたからにほかならない。350万人の生命を死に追いやった悲惨事は、この島国にはなかった。たまたまその時代に接触し生きた私は自分なりの眼でその事実を見つめ直してみたいともう」と。
しかし一方で、「だが、私は最近多分に悲観的になっている。それは、とかく過去を美化しがちな人間の本質的な性格に災いされているからで、あの戦争も郷愁に似たものとして回顧される傾きが強い」とも。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「零式戦闘機」と終戦 吉村 昭 42

2010-08-15 | 吉村 昭
8月15日は終戦の日。多くの戦史文学を書き残した吉村昭の作品は、やはりこの8月がふさわしい。

吉村昭の「零式戦闘機(れいしきせんとうき)」は、昭和43年(1968)刊行。「戦艦武蔵」と並ぶ戦史文学の記念碑である。

日本の航空機製作は大正から昭和にかけて本格化する。その歴史の浅さの中、技術者たちのたゆまぬ努力で昭和15年7月、皇紀2600年にちなみ、零式艦上戦闘機は世に出る。

昭和12年の日中戦争、昭和14年の欧州世界大戦。昭和16年12月にはハワイ真珠湾の攻撃などによる米英蘭開戦とまさに日本は戦争の泥沼に突き進む。零式戦闘機はその優れた航続力、速力、火力、操縦性能で敵機を圧倒するが、9ヵ月後には、アメリカの技術力、資源、物量に圧倒され始める。
一方で、日本はあくまでも零式にこだわり、その改良、製造にこだわり続け、多くの飛行機。搭乗員を失い続ける。また、日本本土への空襲も激化の一途をたどる。

吉村は、前半は誕生秘話、そして零戦の活躍を、後半は、戦争の拡大と敗色が濃くなるさまざまな作戦、そして敗戦までを零戦を通し、描く。全編を通し、「牛」が登場する。なんと、飛行機部品運搬のため、名古屋の工場と岐阜の飛行場を行き来していたのは牛車であった。

攻撃は最大の防御という名の下に防弾装置は2の次にされた。19年末には、零戦に爆弾を搭載し、敵艦に体当たり攻撃を加え始める。吉村は「戦争指導者たちの無能さの犠牲にされたと同時に、戦争という巨大な怪物の無気味な口に痛ましくも呑みこまれていった」と。

零式艦上戦闘機の誕生から末路をたどりながら、日本が行なった戦争の姿をあらわにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈まぬ太陽(3)

2010-08-08 | book
国民航空の体制建て直しに関西紡績の会長の国見を国民航空の会長に就任する。その会長室の部長に取り立てられた恩地。「会長室編」である。

国内のガリバー新日本空輸の無責任体質と汚職、社内利権をむさぼる腐敗の横行、派閥人事、企業倫理の欠如、そして、組合の利権集団化。政界、マスコミをも動かす企業体質。
組合員生協の不正、ドルの先物予約・国航開発の乱脈経営問題などなど。

監査役の5シンの戒め私心、保身、邪心、野心、慢心 が何かむなしさを覚える。
王道とは、中国の夏・殷・周の三代の賢王が行った公明正大・無視無偏の道のこと。治めるのに権力、陰謀など覇道でなく、徳をもってすることとある。泥舟の国民航空。

著者は、あとがきで、事故に対する贖罪の意識の希薄さに言及する
かつて不毛地帯(昭和51年1976~1978)で経済の繁栄とともに良心を失いつつある日本の精神的不毛をテーマに執筆した著者は、それから20年、なにも変わらない企業体質に不気味な怖ろしさを覚えると書いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈まぬ太陽(2)

2010-08-07 | book
国際航空の35周年記念パーティー、恩地元(はじめ)は54歳、課長とは名ばかりの窓際族としてその場にいた。昭和60年8月12日午後6時54分、羽田から大阪へ向かう、ボーイング747落ちないジャンボ機、NAL123便は、524人の乗客乗員の乗せ、長野県の標高1600メートルの御巣鷹山に時速500キロのスピードで墜落する。520名もの命が一瞬にして奪われる大惨事が起こる。「沈まぬ太陽(御巣鷹山篇)」である。

故障発生後30分の死の恐怖。突然、夫や子を家族を亡くし、悲しみのどん底に突き落とされた遺族の苦しみと混乱。必死で残骸や遺体回収に取り組む自衛隊員や警察。その中で、救出にあたる恩地。また、2万人の社員の中で選ばれた50人の遺族のお世話係として遺族との補償交渉にもあたる。遺族との軋轢や衝突。きびしい反感感情。遺族の遺体確認や、遺族との補償交渉にあたる国民航空の社員のやるせなさ。一方、520人の死は、520の家族をも崩壊に追いやる現実を目の当たりにする。

クライマックスが、国民航空を告発する遺族会「おすたか会」の結成と航空事故調査委員会の聴聞会である。だれが、520もの家族の営みを奪ったのか。余りにも重い。

最後の国民航空の社員の御巣鷹山の鎮魂の登山の様子。保身のみをおもんぱかる幹部との対比がいつまでも心に残る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈まぬ太陽(1)

2010-08-01 | book
また、今年も8月12日がやってくる。1985年、昭和60年、日本航空123便墜落事故から25年目の夏である。

山崎豊子は、大学病院や銀行などを舞台に力作長編を世に送り出している。また、『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』では戦争をテーマに人間を問うた。

その山崎豊子が平成11年(1999)に出した本が、「沈まぬ太陽」である。日本を代表する航空会社、national flg carrierの「国民航空」を舞台にしたこの作品は、3篇に分かれている。その1篇が、「アフリカ篇」である。

昭和36年(1961)、主人公の恩地元は、入社8年、30歳で、上司にはめられ労働組合の委員長に。そして2年間、経営陣との対立をきっかけに、僻地勤務は2年という内規の中、パキスタン最大の都市カラチ、イランの首都テヘラン、ケニアの首都ナイロビと、10年間にもわたるまさに左遷人事の中で生きる姿を描いた。

もちろん、それぞれの都市で辛酸を舐め、それでいてベストをつくす恩地の姿は、時に凛々しく、ときに人間臭い。
ナイロビで追い詰められ、狩猟にそのはけ口を見出す恩地の姿のなんとつらいことか。さらに、恩地家の人々もその運命に翻弄される。気丈な妻、子どもたちの反発。病身の母親の死に目に会えなかった恩地の姿はほんとうに痛々しい。
また、それぞれの地で生きる人々、うごめく日本人たちの姿も克明に描く。言葉や慣習の壁も厚い。

なぜにここまで人は人を追い詰めるのか。人は何のために社会を生きるのか。「この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基づき、小説的に再構築したものである」との巻頭言がなんと重いことか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする