パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

気は病から

2009-02-28 | life
先週土曜日から体調が崩れ、腸感冒でダウンした。お腹には時々差込が走り、悪寒も来る。とにかく、立てない。椅子にも座れない。横になるのが精一杯。表現的にはおかしいが、まさにこういう状態の2日間であった。
音楽や本に向かう気も起こらず、なさけなさを通り過ぎて、ある意味で陶酔状態。
しかし、回復とはこういうことなのかというほどに、2日目の終盤には、体にエネルギーが満ちてくるのがわかる。
朝起きて、食事をし、動くという人間のパワーはすごいものだ。この感覚を体感できて感激であった。

「病は気から」というが、やはり病には勝てなかった。
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下山の日々 「人間の覚悟」

2009-02-22 | book
五木寛之の「人間の覚悟」(平成20年・2008年11月20日刊)を読んだ。

氏は、昨年9月から新聞地方紙に「親鸞」を連載中である。この「人間の覚悟」は、氏の仏教、浄土真宗の教えに基づく人生観を述べたもの。

国内の自殺者数は、平成3年には2万人弱であった。それが平成10年から10年連続で3万人を超えている。3万人といえば、1日あたり100人弱の人々が自ら命を絶つ時代。
そして、残忍な犯罪が後を絶たない。だれでもよかった、親が子を、子が親を手にかける。また、格差が固定化、世襲化している。
戦後の昭和を躁の時代と捉え、生き抜くというバイタリティあふれる。一方、平成を鬱の時代ととらえ、心の病の広がりや、目に見えない、テロリズムと金融不安が襲う。

そんな中、五木も鬱を得、40歳後半から50歳初めには、嬉しかったことを綴る「よろこびノート」を、60歳過ぎには悲しかったことを書き綴る「悲しみノート」、そして3回目の70代では「ありがとノート」を綴ったという。
五木は生きること自体が憂鬱なのはどうしようもなく、人生から鬱を取り上げることはできないという。

そして、「下山の哲学」を述べる。人生、50歳までに山に登り、10年間ぐらい頂上にいて、60歳ぐらいから長い下山を始めるのだと。出会い、結婚、子育て、子の自立、そして夫婦でいたわりながら下山していくのだとも。

また、人は知識や自分の意思だけではどうしようもならない働きがある。これが「他力」。この働きの感覚を大切にするために、傲慢さを捨て、謙虚になることが大切である。
ましてやこれから老いを迎える。老いは汚辱ではない。、自然に還ることである。死への意識、老いへの意識を大切にしなければならない。
生き方に上手い下手、上下はない、存在することに意味がある。そう自分を、他人を認めてあげることが大切。
「生きることの大切さ、儚さを胸に、一日一日を感謝して生きていくしかない」。これからの嫌な時代、うんざりする時代でも、必ずやってくる死を見つめながら、人の生き方は一つしかない。そう覚悟していると。

これを即物的に厭世的、ネガティブ思想と捉える赴きもあろう。

しかし、私は浄土真宗の中興の祖、蓮如上人の書いた、手紙「御文章」の「白骨の章」を毎朝、読みながら、朝、起きることができるありがたさを思う。この時が、自分が他力により、生かされていると思う瞬間である。一日一日を大切に、一所懸命にと思う瞬間である。
このブログもいつまで続くかわからないが、生きている証でもある。
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すぐれもの 10 モンベルのレインハット

2009-02-21 | すぐれもの
自転車通勤に、雨はつき物である。合羽のフードもよいが、視野を狭くし、車の接近やまわりの音を聞こえにくくするという欠点がある。

そこで、レインハットだ。

使っているモンベルのレインハットは値段が4,000円もするのだが、快適で防水も完璧だ。
これまで、かなりの風雨でも首から雨が進入することはないし、視野も確保でき、音も聞こえる。それに防寒にもなる。

まず、軽い。そして、つばも広く、しかも後部が前より長く、襟首からの雨の進入を防いでくれる。
紐がつけられる輪が2箇所にあり、わたしは自分でゴム製の紐を付け、風でも飛ばされないように工夫している。
素材もゴアテックスであり、蒸れない。

そして、折りたたみもできるので、使わない時は鞄に入れている。

自転車通勤に雨はうっとうしい限りだが、少しでも快適さを求めたい。
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すぐれもの 9 マフラー

2009-02-15 | すぐれもの
なぜか今年の冬はマフラーが放せない。家にいるとき、寝る時も首に巻いている。
小さい頃、なぜか冬になるとお年寄りはマフラー、首巻をしていた。
加齢とともに、体の活動が低下し、首周りが寒くなる。要は年取ったというなのだ。

九州のいとこが、母にと、以前、手編みのマフラーを贈っていた。それを拝借している。
手編みなので、軽く暖かい。長さは1メートル50センチ、幅も10センチ余りで、首にまいても邪魔ではなく、適度さがいい。
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サラリーマン小説「亭主の家出」 吉村 昭 30

2009-02-14 | 吉村 昭
「亭主の家出」は、吉村昭異色のサラリーマン小説である。昭和52年(1977)の作品。絶版で、図書館で借りて読んだ。

ホテルの結婚式・披露宴の予約課の課長、鯉沼彦九は42歳。結婚15年、妻の公子、中2の息子と中1の娘がいる。朝早く満員電車に乗り、そばをすすり、仕事場へ。帰りも空腹を満たすために、途中飲み屋で酒を傾ける毎日の中で、彦九は家出を決意する。
披露宴模様で結婚事情、妻とは、家庭観など、サラリーマン生活の中で味わう、ほろ苦い12の短編で構成する。
出勤のこと、勤務のこと、酒のこと、休日のこと、食べるということ、華燭の典のこと、夫婦喧嘩のこと、妻と子のこと、巫女のこと、館のこと、理想郷のこと、電話のこと、角刈りのこと、殿様のこと。
さすがに短編は、凝縮され、それぞれに深い味わいがある。30年も前の作品だが、違和感がないのが不思議。

まるで、小鉢に入れられた料理が次々と出され、それぞれの個性が堪能できるがごとく。そして、全編をお酒が包み、芳醇な時間がもたらさせる。いい本と出会えた。
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天神さんと立春

2009-02-08 | life
2月3日は節分。翌4日は立春であった。
ここ数日、風はまだ、冷たいものの、おだやかな陽が差し始めている。

天神さんを出した。京風の木目込みである。

畑の梅の木も、つぼみが白い花びらをほころばすようになった。
本日咲いた梅一輪。


「梅一輪 一輪ほどのあたたかさ」
承応3年(1654)-宝永4年(1707)というから江戸時代前期に生きた服部嵐雪の句。松尾芭蕉の高弟のひとり。

今から300年も前の風情は今も共通。
三寒四温には早いかもしれないが、春は近いと感じる今日この頃である。
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旅行鞄のなか 吉村 昭 29

2009-02-07 | 吉村 昭
旅を主題に、1970年代から80年代に書かれたかかれた45の短編からなる。
吉村のエッセイは、やはりすばらしい。本に出合える喜びをいつも感じることができる。それに期待をうらぎらないのだから、すごい。平成元年(1989)5月刊行。文庫は92年8月。

取材秘話ともいうべき「小説と旅」から

富山市を訪れた『高熱隋道』
人の英知「人間という動物」
浦和、群馬、上越を旅する『長英逃亡』の旅
逃げる小説『破獄』『遠い日の戦争』『光る壁画』
大阪。婦人を亡くした悲しみ。『虹の翼』
「鯨と鎖国」
沖縄を舞台に『殉国』
北海道を舞台に『蜜蜂乱舞』
札幌の食を語る「旅の夜」
ワープロやファクスに戸惑う「鉋と万年筆」
資料収集の難しさ『花渡る海』
仕来りを考える「通夜・葬儀について」
書評委員体験を語る「F氏からの電話」

そして、「旅で訪れたさまざまな地」から

取材で網走、宇和島
弟の死。義妹と訪れた静岡
大学の同級生と行く長崎「添乗員の旅」
昭和43年に訪れた南アフリカのケープタウン「お伽の国」
船旅と北海道
長崎の人情を愛でる「運転手さん」
戦後間もない秋田への食糧買出しの旅「私と鉄道」
青森で出会った角巻の女「お晩すー」
パリのホテルでの出来事。もったいないの精神「手洗いの電灯」
福井のお祭りで出会った老人の笑顔と死。「ゆっくり、ゆっくり」

ほかに吉村の読書遍歴や、作家との出会いと別れ。

さまざまなシーンとともに語られる珠玉のエッセイの数々。堪能あれ。
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ブルックナー 5 映像のヨッフム「ブルックナー7番」

2009-02-01 | music/classic/Bruckner
ブルックナーの大家として、名をはせたオイゲン・ヨッフムの第7交響曲。

1986年9月、東京でのロイヤル(アムステルダム)・コンセルトヘボウ管弦楽団のライブ映像を見た。
ヨッフムは1902年にドイツに生まれ1950年からドイツ・ブルックナー協会の総裁をつとめるなど、まさにブルックナーの権威。87年3月になくなるわけであるから、このライブはまさに晩年、亡くなる半年前の遺言状だ。

式台にすがりながらも、かくしゃくと優雅にタクトを振り、スコアをめくる姿は、聞く側も背筋を伸ばさずにはいられない。

美しく流麗なブル7は、まさに精神の宇宙だ。
特典のインタビューで、ヨッフムは、ブルックナーを好む理由を「すばらしく美しいからだ」と語る。
そして、その曲風を「ワーグナー風の語法ににているが、その語法で表現しようとした思想は独自だ」という。
また、このブル7について、第2楽章のシンバルがこの曲のクライマックスなのだ、音響的にも形式的にも頂点なのだと語る。ブルックナーは、当時登用がまれなシンバルを、半分が過ぎたこの中間点のクライマックスにもってきた。それもただ1回のシンバルなのだと。
このような斬新なブルックナーの手法は、第8交響曲ではハープに現れる。
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