パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

小林一茶

2024-06-23 | book
1954年生まれの俳人、長谷川櫂の「小林一茶」を読んだ。2024年令和6年1月発行。文庫の古典新訳コレクション。2016年6月に刊行された「池澤夏樹個人編集 日本文学全集12」からの収録だ。
年代順に百句を並べる。この百句は1980年生まれの一茶研究者、大谷弘至の選んだ百句をもとにしている。

本書の長谷川の一大定義が、俳句の大衆化は一茶から始まったとすることだ。江戸時代初期の芭蕉は、古典主義の復興、つまり王朝、中世の古典文学をちりばめている。そして、次の蕪村も古典を下敷きにしており、古典を知らなければ蕪村の俳句は味わえない。
一茶の俳句は、古典を知らなくてもわかる、つまりだれにでもわかる俳句だ。文化文政時代という時代の中で出現した大衆社会の申し子が一茶だった。

一茶がいかに自分の心を表現するのに長けていたか。一茶の句の特徴を「のびやかさ」「わかりやすさ」「日常語の深み」という。明治以降、近代化、西洋化という名のもとに、西洋の美術用語正を用いた正岡子規の「写生」、描く対象を目の前に限らせる高浜虚子の「客観写生」。目の前のものを写しさえすれば俳句になる、そして目の前にないものは写してはならないという悪しき風潮が始まる。虚子は心の世界を俳句に取り戻そうと「花鳥諷詠」を唱えたが、対象は花鳥に限られてしまった。しかし、これらの四文字熟語は多くの弟子たちを束ねる標語の役割を果たした。大衆は自由を欲しているように見えて、自由を恐れている。

俳句の歴史を、芭蕉、蕪村を古典主義俳句、一茶からを近代大衆俳句とする長谷川の考え。
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山本一力 たすけ鍼

2024-06-16 | 山本一力
たすけ鍼
著者は山本一力。2008年平成20年1月1刷。年4回の季刊誌2004年から2007年にかけて連載されていた。現在、続編が刊行されている。
山本得意の江戸深川が舞台。蛤町の鍼灸師、還暦を迎えた染石(せんこく)が活躍する時代小説。妻は深川の辰巳芸者、年上の太郎。幼馴染で隣に宿を構える町医者が、昭年(しょうねん)。

鰹節問屋、焼津屋の得意先招待の大川遊びの弁当が元で21人の食中毒が出る。染石の弟子の最年長の15歳の父、大工の芳三が、検校から金を借りた。
染石の娘いまりは母と同じ辰巳芸者だ。その同僚から、染石に治療を頼まれる。そこで芸者衆から馴染みの醤油問屋野田屋の息子30歳の与一郎から父をみてほしいと頼まれる。
深川の富岡八幡宮の参道にある大店の米問屋野島屋仁左衛門からは10歳の息子陽太郎を見て欲しいと頼まれる。その帰り、野島屋の手代、草次郎に送られた染石は、匕首を持つ3人の男に襲われる。その一人は匕首の柄に銀細工の龍の彫り物を埋め込んでいた。その彫り物によく似た飾りのキセルを野田屋の頭取番頭、善之助が持っていた。
野島屋仁左衛門と染石の縁が深まる後半。仁左衛門は染石に子ども達に鍼灸を教える稽古場の支援を申し出る。
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山本一力 銀しゃり

2024-06-09 | 山本一力
山本一力の「銀しゃり」を読んだ。2007年平成19年6月刊行。季刊誌に2002年から2005年にかけて連載されていた。

山本得意の江戸の深川が舞台。27歳の鮓職人、新吉が独り立ちし、店を構えた。棄捐令での不景気が押し寄せる。その新吉の成長を、山本得意の捨てる人あらば、拾う人あり、人生万事塞翁が馬的な、ハラハラドキドキの痛快篇だ。

同い年の魚の棒手振の順平、旗本家来の小西秋之助55歳、順平の妹のおけい19歳、秋之助の下男新兵衛、竹屋の棟梁竹蔵、柳橋の船宿の料理人おきょう。
秋之助と懇志の屋台蕎麦屋の孝蔵、新吉が思いを寄せる、7歳の杉作の母親おあき、おあきの夫で杉作の父、仕舞い屋の与助。

さまざまな出来事が起き、登場人物が絡んでいく。そして、新吉を巻き込んでいく。
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心を軽やかにする小林一茶名句百選

2024-06-02 | book
昭和35年生まれの大学教授、齋藤孝の「心を軽やかにする小林一茶名句百選」を読んだ。令和5年6月刊行。

なぜ一茶に惹かれるのか。まず、わかりやすい。そして思いがにじみ出ていること。さらに有季定形であることだ。

一茶は信濃、柏原(現在の長野県、野尻湖の近くの信濃町)の出身。江戸の後半、文化文政の頃の俳人。といっても芭蕉や蕪村といった教養人ではなく、農家(といっても地方では資産家)の出。この生涯が壮絶だ。
3歳で母と死別。後妻との折り合いが悪く、長男なのに15歳で江戸へ奉公に出される。10年間に、いろいろな職業に就く。そして俳諧師として歩むことになる。30歳から7年にも及ぶ西国行脚。39歳で父が亡くなる。その遺言により義理の弟と遺産相続でもめ、やっと51のときに決着を見る。そして故郷に帰り、52歳で結婚し子供を設けるが、妻や4人の子が次々と亡くなる。64歳で3度目の結婚。一茶は65歳で亡くなるも、その翌年に5人目の女児が生まれる。

私に百句を解説する能力はない。ただ、楽しめばよいと思う。見開きで一句鑑賞。右に句と季語。時たま著者の手書きイラストあり。左ページに解説と関連句。

ただ、句が3行に分かれていること、目次の句が上中下を分けるため一字空きになっていることに違和感がある。
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