光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

何を集めているか。

2010-01-27 19:02:07 | 植物・花(冬)
  毎年、毎月、毎日、大体ものは溜まっていって、それが役立つこともあるのだろう
けれど、それ以上の価値が出るようなものはないし、もう少し今あるものを有効利用でき
ればという思いもあるから、ものはまずは溜まる。ストレスもあるときが有効に働くかも
知れず、それほど捨てることもないし、また出来ない。どっちだというと溜まる。すると
お腹が出るという連鎖反応が起こるが、これも当然といえば、その通り。あー、むつかしい
出来事、難問というものは多い。

  ちょっと昔だと、やけに新聞の回収というチラシが入って、このため痛い腰を撫ぜ
ながら、まずは新聞回収紙というものに詰めた。あー、ほとんど読んでいない新聞はかわい
そうで、それも見ているのが広告だとよけいに哀愁が漂う。そうゆうこともあるが、無念
なりと思いつつ、回収袋に入れてしばって、外に出した。だいたい、集める時間にはもう
起きていて、いつ来るかなども見張っている。別に怪しくもないのだが、わからないとき
があって、あれれと思う。しかし、回収されないときもある。これは残念なので、もしも
車が止まり、まだ小さな子供の声が聞こえたりすると、親切でもないが、車までの間、新聞
を運んだりもしたが、その新聞回収がぴたりとなくなり、うずたかく高さは積雪を超えた。
50cmくらいになって、フワフワしている。その辺りに、他のものも置いてあって、下手に
動かす気にもならない。
 
  それから、買い物で必ずレシートは受け取る。出さないというお店にゆく機会は
少なく、だから大体レシートは財布かに入る。そこから取り出して、一応中身を見るが
今は、光学装置での読み取り、バーコードとかいうもので行なわれて間違いは自分の方に
あることになる。バーコードというのも誰が発明したのかわからないが、なかなか有効な
もののようで、しかし人はその指令に従うようで、脳みそに刺激はなく、それは人間の
人間らしさを損なうような、働きがあるようである。でも、一桁間違うと大変で、また二桁
だと間違いもわかりそうだが、信頼しすぎるのもよくはない。これで、ものの売り買いと
いうか、市場の傾向を判断できるという考えがあるようだが、それは十分に商品があって
の場合で、これしか必要なもの、あるいは条件に合うものはない、という判断が消費者に
あるという、観点が落ちているのではないか。
  大体、あるものの中から選ぶ。こうゆうものがあれば、という提案は出来ない。しかし、
これはよかったというのは、継承されるようで、しかし、新製品は出る。わからないこと
が多い。

  集めているのは、これでレシートというのがわかった。これは多い。昔のもの、昭和の
時代のものもある。あるが、今は棚のどこかにあって、それは見た目にはどこにあるのか
不明である。現役のレシートは、何を買ったか、参考にする。自分が買ったものをまた
レシートを見て買う。これは、まったくバーコードの原理と同じなもので、なんだか
発展性がない。だけれども、こうゆうものが「のちのち」役立つかも知れない。という
のも同じ理屈で、歴史にない、あるいは埋もれたものを発掘する作業は必要で、昔の
カタログとかも有用になるときがある。過去のデータの何が今に有効に作用するか、これを
すべて点検することはしかし大変だなー。
  しかし、ここに溜まるものはまずは有効性がない。レシートでそれはもう収束する、
収斂するもののようで、これが何か役立つ可能性はなく、退嬰的としかいえない。
  お役所から文書とかは取っておいて意味はあるが、昔むかしの制度というのもこれで
わかる。でも、これもその分野の専門家の方に必要で、自分で持っていてどうにかなる
ものではないようだ。

  PR誌。これは溜まる。ずいぶんと溜まって、それが雪より高くなりそうで、これは
ただ除雪の原理と同じで、場所を移動しておしまいである。あー、溜まるものは多く、
この前少しだけ、レシートの一部を捨てた。それから、小さなゴミ箱の中のものも、捨て
た。すこしすっきりした。しかしそれ以外はなかなか手が付かず、どうしようもない状態
だが、これも半分は粘着質の性格から来るもので、自分でもわかってはいるが、でも
これって「ずぼら」と同じだ。わかっていて、しかし片付かない目の前のものも、目の後のもの
や左右のものを見る。
  スケールというと小さい。ここの昔の家は大きく、ただ広いだけで、言ってみると
大きな正方形か長方形を、障子とか「ふすま」で区切ったというだけのものであった。それゆ
え、冬はさむく、0℃という気温にも耐えないといけなかった。夏だと暑いというときも
あるが、風も入ってきたようで、いいたいことは空きがありすぎて、ただ空間があった。
これは高級かも。今は足元の覚束なさというのがあって、もう限界に来ている。狭い
ところをするり通り抜けることも出来なくなって、ものはやっぱり溜まる。どこかという
と、これも部屋だが、消えていった使わないというところが物置場になる。そこなど、もと
もと部屋とも呼べないところだ。結局、こうしてまた今年も、役立たずのものと一緒に
ゴミまみれになって生活があると思うが、こうゆうことでも書かないと、なんだか憂鬱症
が亢進しそうである。
  そうゆう意味で、きのうひっくり返した電機ヒータでの洪水はものは水浸しになる
と大変であって、いらないものはさっさと捨てるべしということを教えてくれた。ゴミの
少しだけ、消えたようだ。

  デジタルのファイルだと、一回、500GBの外部ディスクのデータを処分した 。一瞬に
して消えたかのようになっている。それで、またそれも一杯になって、もう一つのもの
も、同じく500GBの外部ディスクのデータを消した。消したようになっている。ただし、
これらは二重にコピーしたものがあったから。
  残りのものはみな、一部のみ。これを消すことが出来るかなー。





  スイセンの、別の場所で。




  この茶色い昼の光というのは、冬でもあるのだ、と思うが、
  これもハードの持っている特性によるようである。




  横からしか見えない。



  
  雪の下から、アネモネの葉っぱが出て来た。




  緑で、菊科の植物のよう。黄色い花を咲かせる。




  お寺にある、ナンテンの木の実もほとんど落ちてしまった。またこの
  ナンテンに、キカラスウリが絡まっていて実があった。すべて、下に
  落ちていて、見る影もない。




  松の木は、元気そうで、でも少ないと思う。




  ハボタンも少し元気を回復したか。


 

朝焼けと、眠気を誘う、煙

2010-01-27 16:25:31 | 散策
  今日はほぼ快晴のお天気が続いていて、
  まことに気持ちのいい一日である。
  朝は、0℃台でこれはほどほどに寒く、私には
  極端に寒く感じられたが、きれいに気温は上がって
  午後3時だと12.1℃である。またそれが、
  午後3時までの最高気温のようだ。

  朝は冬晴れ、それからポカポカした春の陽気に。
  しかし風があっていくぶん寒く感じられたのも事実。
  日向の温室だと、これは初夏の陽気にもなるような
  太陽光が、今もある。

  そうゆうことだけど、だからといって、なんだか
  うらやましいような景色が見ることも出来て、というのは
  概してないものである。そうゆうときに出かけるという
  機会に恵まれないのは、残念なことだが、しかたがない。


  よって、手持ちのファイルでは朝焼けがよく、また
  眠気を誘うような、のんびりとした煙の漂う風景がある。
  苦しいときの何とか。




  朝の様子。で、ちょっと濁っている朝焼け。




  黒い点のようなものが移動している。多分トビだろう。うらやましい
  というか、いったいにトビは高く舞って何を見ている。




  真ん中から、噴出す炎があるように見える、朝焼け。




  日没の剱岳のあとを思い出させる、朝焼け。
  ただこちらの方角からで、剱岳での日没はない。




  同じような朝。ぼんやりと煙突の煙。
  この時期、電気代は、去年より20%くらい高かった。
  多分来月も高い。




  だからモクモクと、煙突から煙は出ている。




  のんびりとして、しかし、外は寒い。


快晴の朝は、寒い

2010-01-27 06:38:39 | 散策


  一つ咲く、品のよさ。
  小さな花がいくつか咲けば、目だつかな。



  朝のお天気は、快晴。きのうの夕方からずっと快晴。星空。今はもう、東に立山連峰のシルエットが見えていて、これは美しいが、同時に寒さが伝わる。同じことを何度も書くが、美しさとは、そうゆうもの。風がある、そよ風のようで、これがチクチクと肌をさす。冷たいというより、耐え難い。これは言い過ぎた。
  アメダスの6時の気温、0.4℃。一応プラスの気温で、内陸部だともっと冷える。近くのお隣の県に、高山市があるが、こうゆうところは寒いだろうな。気圧は1026.2hPa、湿度は65%。空気も乾燥している。雪は、なし。室温は、4.7℃で、4℃台は久しぶりで、これが寒い。

  星空を見上げて、寒さを余計に感じるが、夕刻なり、早朝の空にときに明るく輝いていた金星が今は太陽の向こう側にいて、また太陽から離れていないから、まずは見えない。この星があるかないか、だけで空の賑やかさは違う。この星が見えている時間というのが、ちょうど星を眺めるに適しているが、それも考えると、冬の場合は除かれるようだ。いつからこんな寒がりの人間になったのだろう。

  これから、金星は夕方の空に現われることになっている。これとは反対に木星は、太陽に追いつかれて、それゆえ見えなくなってしまう。木星がこんど見えるのは、早朝となって、毎年少しずつ東に移動している。こうして12年くらいたつと、木星は同じ位置に帰って来るが、このようなことを昔の人は観察もし、また知っていたというから、大したものだ。12という数字は馴染みがあるが、木星の公転周期と関係があるのかもとも思ってしまう。

  先ほどは多分、土星と思われる、ちょっと暗めの星を天頂辺りに見て、またきのうの宵の時間、火星が冬の星座から、春の星座へと移動して、見えていた。これで、いくつかの惑星を見たことになるが、なんだか寒すぎて、火星を見ていても暖かくなく、考えてみると、火星も燃えて赤い星ではなかった。それは、アンタレスかも知れず、この星が超新星になる可能性が、近々あるという話しもどこかで読んだ。