光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

サラサラとした、新雪の美しさ

2010-01-14 18:53:17 | 散策
  朝も早いうちは、どうしても雪の感触というのは、これは特に窓から見ているから
なのかも知れないが、わかりやすいところ、あるいはこれまで見ていたところを、同じよう
に見るからか、雪の実際の量というのは、少なく見積もることが多い。これはまだ日も
出ていない暗さもあるし、それを実感する、ある場所からの、人工の光での雪の様子と
いうのは、何かが足らなく、美しさのみ強調されて、正しい雪の状態はわからない。これも、
今年が三度目の大雪となったから、今頃そうゆう気持ちにもなるのであるが、いくら
なんでも三度はひどくないか。一度あれば、一度で終わった、この3年間であるが、4年目に、
一度あれば、二度あって、三度目もあることを証明してくれた、そうゆう珍しい年でも
あるような、気がする。

  まだまだ安心というところにゆかないので、気も漫ろになるのはこれも当然かも
知れないが、実感としては、3年間さほどしんどい雪下ろしもなくて、4年目にそれがまと
めて来た、というところ。「つけ」はちゃんと払わないといけない。ここ辺りまでの、自然界
の掟というのは、少しだけ現代科学とは異なるようで、ついに北極の寒気が原因という、
ことにもなる。エルニーニョは暖冬のはずが、今はこの強い寒気を説明するには消えて、
新たに北極の寒気の振動というものが導入された。それだけ、北極からの冷たい空気の
放出が行なわれているということだろう。すると、直感でいうと、余計に北極海の氷も
溶けてしまうようで、更なる北極海の氷の減少というのにも影響がありそうだが、どうだ
ろうか。これは、まさしく地球温暖化という現象をよりはっきりと示す結果にならないか。

  もう少し卑近なところに戻らないといけない。雪の多さは、やはり雪と対面しな
いとわからないもので、仕方なく雪をどけるということをやる。これの最後のものをやった
のは、たしか先週の水曜か木曜で、それもやらなくてもいいものだが、少しは平らな
スペースを確保するという目的でやったもので、やらなくてもよかったようだが、そのとき
に多少は雪をどかすに苦労しないで済むかと思ったが、とんでもなくて、そうゆう時間の
たった雪は重く、それを感じながらも雪を移動して、結構青息吐息でこれもそのときに
限ったものではない。最早、雪かきに慣れることもなく、筋肉も弱ったまま。おいおい、
どうなっているという気分であった。
  今日の雪かきは、書いたように空気の多い、軽めの雪でもあって、でもこれも条件が
いいと、やっぱり新雪にして30cmくらいはあったと思うから、「ばか」に出来ないもので、
空気とやはり違う。寒さもあって、溶けない綿飴雪は、スコップに、シャベルに付着した
りして、そうすると空を切る感じにもなって、これは子供さんの雪かきになってしまう。
こうゆう判断も出来ないといけない。

  雪の悪口も、もういいので、それで、もっとたくさん雪が降って、それでもなんと
も思わないというときがあって、それは住んでいる所が違ってお正月に帰省しての、雪かき
となるが、
  このときは昭和で、がっちりした雪が、そのときはひどいと雪壁が1mを超えた。駅の近く
で、降りて早々巨大な雪山に遭遇し、また歩道は雪置き場であったが、でも当時はみな
そうだが、多少は若かったからか、水溜りを短靴で歩いて平気だった。それから、お正月は
雪をどけるというのが、もしかしたら楽しみでもあったのかも知れない。これは今の子供
さんなどの考えと同じで、ずいぶんと幼い。雪は今と違って、どこかへ寄せるしかない
から、所詮歩道がその対象で、歩くのは車道でもあるが、この話しは「ここのいえの場
合ではない」のであって、

  まずは、高さが1mとかある歩道の雪に、細いながら、道幅はスコップの幅の2倍くらいで、
下のアスファルトを出すまで雪を車道側に捨てるという行為を繰り返した。そうして、1、2時
間作業を行なって、1mはあった雪の壁に、長さにして2、3mかの、両脇は雪の壁の歩道を
作ったのである。こうゆう奇妙なことをやっていたことも、今頃思い出して、これももち
ろん若かったからでもあって、またそこは一時的な滞在場所でしかなかった。時間が来れば
またそこから帰ってゆくという気楽さが、何ごとも深刻でないものとしたようだ。
  その雪の壁に比較して、これくらいの雪でどうのこうのいうのは、その当時だと
おかしく、そんなばかな、と内心思ったに違いない。
  でも、今は最早どこかへ行くこともなく、終の棲家というところでもあるから、さて
ガタガタの体に自分で鞭打って、雪をどかさないといけない。空気のような、軽い雪。
それをポイと投げ捨てるが、半分も飛んでゆかないときがある。

 
  さて、気持ちを変えないといけない。新雪はこれはいつ見ても美しい。
  近くをささっと歩いて、辺りの新雪の白さかなというもの。 




  アジサイさんは、大きなモチノキの下にあって、雪の影響は
  見たところ少ない。こうゆうところはいいなー。 




  これも雪を毛糸の帽子のようにかぶる、アジサイはかわいい。



 
  雪と植物の複雑な、関係があるところ。小さなところで、ギクシャクしている。




  雪の勝ちのようで、植物も曲がらないでがんばっている。
 



  紫の色がときに、特にあるカメラでは、白い雪の場合入る。この薄めの
  紫色は私はなぜか好きになれない。




  きのうは恐らく、雪の1cmも積もっていなかったところ。道があって
  そこにも雪は多く、また垣の上の雪の多さも目を瞠る。




  その道の、垣の上に積もる、新雪はどう見ても真っ白で、
  それはやはり美しいものである。

雪と一緒のキジバト

2010-01-14 16:14:16 | 散策
  雪である。大体雪が降って、その雪は軽めのようだ。

  気温はプラスになるが、0℃台で推移。
  それでも雪は溶けていて、
  降る量の方が少し多く、段々と積雪の量は
  増えてゆく。
  で、そこに足を入れると、かなり沈む。危うく
  バランスを崩して、こけそうになるが、
  これでこの雪も重くはないことは、わかりそうだ。
  まー、何かが壊れるまではいかない、と思う。
  

  真っ白、あるいは黒いもの少々。
  キジバトの姿が偶然に目に入った。
  キジバトの寒そうなこと。





  雪の雰囲気と、またキジバトの大きさ。
  縮小のみ。
  ただし画像の調整はほとんどの場合、書かないがやっています。




  これは一部を切り出して。以下も同じ。
  枝の雪がキジバトの体、羽毛に触れているのがいかにも寒そう。




  首もすぼめているのがわかる。上のものより、少しだけ首が
  左に、手前に回転した。




  これはもしかしたら、頭部に積もった雪を払おうと、頭を
  伸ばして、左右に降った、一瞬かも知れない。


  他に、斜めに地面に向かう、竹に降る雪、積もる雪。



  折れ曲がったままの竹。




  葉っぱのあるところ。厳しい寒さで、竹も曲がるし、葉も変色するが、
  この竹なんでか知らないが、そこらじゅうに出て来て、ちょっと
  困ってもいる。



純白の雪

2010-01-14 06:44:34 | 散策


  凍る植物。これをミキサにかけると、おいしいジュースになるとか
  思う。




  朝のお天気は、雪。降ったり止んだりだが、感じでは止んでいるときが多く、しかし今は薄っすらチラチラと雪が落ちているのがわかる。風はほとんどなく、穏やかで、また静か。
  アメダスの6時の気温、マイナス1.4℃。5時だと、マイナスの1.7℃がある。気圧は1016.2hPa、湿度は96%。室温は、3.5℃。
  で、積雪は、31cm。増えた。これは気象台の観測値で、この辺りの新雪の量は10cmくらい。もう少しあるかも知れない。しかし、幸い多くはないようだ。雪は溶けている気配なく、で降っている量は、この辺りでは少ない。今後は
  どうなるかわからないが。


  きのうの夜から、風もおさまって、それはまた雪が一段と激しくなるということと、大体同じで、その雪がソヨソヨと降り始める。外の雪の様子は、外灯が今はやけに明るく、結構雪の降る様子はわかるようで、カーテンを開ける、窓を開ける楽しみと、恐怖がある。
  8時ころだったか、辺り全面が細かい雪に包まれる、あるいは覆われる感じがあって、雪の霧に包まれたといった感じになって、美と恐怖の感情は最高に高まったようだ。あまりに美しい。それゆえ、ここは天国かと思わせるが、しかし事態は地獄に近いというと大袈裟で、しかし恐怖心の風船はパンパンに膨らむ。
  その雪の霧も晴れてみると、そこには大して変化のない景色がある。大体、そうゆうものだろう。

  夜も何度か目が開いて、そのたびにチラリ、窓から外を見やるが、雪は少し増えてその量は少なめ。木々の枝を見えると、原型が想像出来る。
  朝に近くなっての妙な音は除雪車の音だったが、すぐにそのエンジン音も消えた。もう予算もないとかいうのは、古いニュース。

  きのうに比べて、10cm前後雪が降ったが、気温が問題で、恐らく雪は凍っているし、また降っているところでの降雪量は多いだろう。場所によって大きく違う。今日は、寒さとの駆け引きが一番悩むところで、でも何も思い浮かばない。