今日は、夜になっても少しだけ暖かい感じがある。ただし繰り返しになるが、少しだけ
で、それでも感じ方の違いがあるから、書くのであって、この「まだるっこしい」、国語
辞典を見て訂正した。「まだらっこしい」ではなく「まだるっこしい」が正しいようだ、
表現は、やはり雪のある寒さだからのようだ。
過去の記録というのは、自分だと私的に日記とかがあるが、5年日記は一冊の本の形
をしていて、今は2007年から始まって、ちょうど4年目に突入したところである。まだ
来年があるが、それは2011年で先は長い。
これを一日のある時間にまずはその日の何かを書く。起きたときの気温とかお天気
とか、それから歩いたかどうか、薬は飲んだかどうか、その他もう少し簡単に記録する。
一覧があり、そこに気温とか天気を書く。すると一覧であるから、2007年からの同じ月
のものが見ることが出来る。
で、2009年という年はもう終わった。そこに、2009年の1月の気温なりお天気も簡単に
書いてあるが、最近、ふとじっくり去年の、その2009年の値を見、それと比較してみて、
朝の気温、というのは朝の部屋の温度であるが、今年とさほど変わらないな、というの
がはっきりとして、一体なんでこうなるの、という気持ちである。同じような朝の気温
を体験して、またもっと寒い値もあったりもする。それから、雪ももちろんあるが、それ
ほどこの冬の12月から1月のように、長く続くものはないようで、一過性のものであった
ようだ。ただもう少し時間がたたないと、2月とかにゆかないというか見る気にもならない
ので、今のところ雪の回数は去年は少なく、ただ気温からいくと去年とさほど変わら
ないので、少しだが驚いて、やはり気温だけ寒い冬というのがあったことを再確認する。
去年は、
また一昨年も一昨々年も暖冬ということになっていて、これは押しなべて雪の降る
時間が短いこと、長続きしないこと、降ってもすぐに溶けたりもして、そうすると人の
記憶に雪が降って寒くて、閉じ込められた、あるいは雪かきに閉口して、また風邪を引い
たとかの記憶は残らないようだ。うまいこと出来ているようで、それなりの寒い冬を
過ごしているのは変わらないのである。
でもやはり雪がない寒さは耐えやすいか、どうか。去年はやたらコタツなどに入って
いて、肩だけ寒い感じがした。肩はコタツの外に出ているが、いつもと変わらない冬の
格好をしていて、しかしコタツの中に入っている、ところはもちろん寒くはないが、それ
よりも少し上も寒くはなく、ただ肩だけ寒さを覚えた。ことしはコタツの中の暖かさと
いうのはいつもと同じで、また肩もそこだけ寒いという感じはない。でも、コタツから
出ると、やたら寒いという感じが強い。で、ことしの室内の気温というのを今ざっと思い
出してみるが、やはり特別に気温は低いというのはないような感じもする。たしかに、
10℃ないときがあった。それは寒いが、そうゆうときも限られた。
人の寒さの感じ方はいろいろであって、また暖房との相性というのもあるのだろう。
それで、ここまで書いて、ことし久しぶりに今日さほど部屋の中の寒さというものを感じ
なかったような気にもなって、ようやくであるが、もしかしたら寒気も一段落して、これ
からは少なくとも例年並の暖かさ、あるいは寒さになるのではないか、と思いたくなる。
もう少し先を考えると、さて今年の冬は、まずは暖冬とはいえない。そうすると、
夏のことも少しだけ占うことも出来て、大体寒すぎる冬があれば夏はその反対になると
「でる」。すると今年の夏は、どうなる、酷暑で猛暑となるのではないだろうか。そうゆう
ことはしかし心配するのは早すぎるかも。
久しぶりに程ほどの暖かさの冬だと思って、午前はゆっくりコタツでTVで、大体
思い返すとコタツでTVでゆっくりでないときなどはなかった。それで、活躍されている
芸能人の方々のお正月というものを聞いていて、それぞれのものがあるなという感じだが、
芸能人ならではのものというのはやっぱりあって、それをある意味で歓迎しているかの
ようでもある。これももちろんサービス精神であろう。
少しだけ暖かい空気を感じつつ、足は結構疲れているが、これも普段と変わらない
ものだと思うことによって、いつもの通りその辺りを歩いていて、散歩も終わってしま
った。あっけないというか、見るところすべて雪だからしょうがない。これくらい
雪、雪、雪と続くと、雪雪雪とならざるを得ないのである。
小さな田んぼもまた雪原に化ける。それがまとまると大雪原で向こうははるかかなた
である。雪原はどうしても風があって、それでまた少しだけ寒い思いをする。しかし
この雪原でも寒さはゆるめであった。
その一。小さな雪原。きょうは雲が出ている時間も長く、しかし
雪原を見て強い光がない分、感じとしては楽である。
その二。以下は大雪原と思われるもの。いくらか同じようなところを
空と地面の割合を変えたりしながら、撮っている。
その三。
その四。この風景はいつも好ましく思える。
その五。南の方角。
その六。
その七。
その八。
で、それでも感じ方の違いがあるから、書くのであって、この「まだるっこしい」、国語
辞典を見て訂正した。「まだらっこしい」ではなく「まだるっこしい」が正しいようだ、
表現は、やはり雪のある寒さだからのようだ。
過去の記録というのは、自分だと私的に日記とかがあるが、5年日記は一冊の本の形
をしていて、今は2007年から始まって、ちょうど4年目に突入したところである。まだ
来年があるが、それは2011年で先は長い。
これを一日のある時間にまずはその日の何かを書く。起きたときの気温とかお天気
とか、それから歩いたかどうか、薬は飲んだかどうか、その他もう少し簡単に記録する。
一覧があり、そこに気温とか天気を書く。すると一覧であるから、2007年からの同じ月
のものが見ることが出来る。
で、2009年という年はもう終わった。そこに、2009年の1月の気温なりお天気も簡単に
書いてあるが、最近、ふとじっくり去年の、その2009年の値を見、それと比較してみて、
朝の気温、というのは朝の部屋の温度であるが、今年とさほど変わらないな、というの
がはっきりとして、一体なんでこうなるの、という気持ちである。同じような朝の気温
を体験して、またもっと寒い値もあったりもする。それから、雪ももちろんあるが、それ
ほどこの冬の12月から1月のように、長く続くものはないようで、一過性のものであった
ようだ。ただもう少し時間がたたないと、2月とかにゆかないというか見る気にもならない
ので、今のところ雪の回数は去年は少なく、ただ気温からいくと去年とさほど変わら
ないので、少しだが驚いて、やはり気温だけ寒い冬というのがあったことを再確認する。
去年は、
また一昨年も一昨々年も暖冬ということになっていて、これは押しなべて雪の降る
時間が短いこと、長続きしないこと、降ってもすぐに溶けたりもして、そうすると人の
記憶に雪が降って寒くて、閉じ込められた、あるいは雪かきに閉口して、また風邪を引い
たとかの記憶は残らないようだ。うまいこと出来ているようで、それなりの寒い冬を
過ごしているのは変わらないのである。
でもやはり雪がない寒さは耐えやすいか、どうか。去年はやたらコタツなどに入って
いて、肩だけ寒い感じがした。肩はコタツの外に出ているが、いつもと変わらない冬の
格好をしていて、しかしコタツの中に入っている、ところはもちろん寒くはないが、それ
よりも少し上も寒くはなく、ただ肩だけ寒さを覚えた。ことしはコタツの中の暖かさと
いうのはいつもと同じで、また肩もそこだけ寒いという感じはない。でも、コタツから
出ると、やたら寒いという感じが強い。で、ことしの室内の気温というのを今ざっと思い
出してみるが、やはり特別に気温は低いというのはないような感じもする。たしかに、
10℃ないときがあった。それは寒いが、そうゆうときも限られた。
人の寒さの感じ方はいろいろであって、また暖房との相性というのもあるのだろう。
それで、ここまで書いて、ことし久しぶりに今日さほど部屋の中の寒さというものを感じ
なかったような気にもなって、ようやくであるが、もしかしたら寒気も一段落して、これ
からは少なくとも例年並の暖かさ、あるいは寒さになるのではないか、と思いたくなる。
もう少し先を考えると、さて今年の冬は、まずは暖冬とはいえない。そうすると、
夏のことも少しだけ占うことも出来て、大体寒すぎる冬があれば夏はその反対になると
「でる」。すると今年の夏は、どうなる、酷暑で猛暑となるのではないだろうか。そうゆう
ことはしかし心配するのは早すぎるかも。
久しぶりに程ほどの暖かさの冬だと思って、午前はゆっくりコタツでTVで、大体
思い返すとコタツでTVでゆっくりでないときなどはなかった。それで、活躍されている
芸能人の方々のお正月というものを聞いていて、それぞれのものがあるなという感じだが、
芸能人ならではのものというのはやっぱりあって、それをある意味で歓迎しているかの
ようでもある。これももちろんサービス精神であろう。
少しだけ暖かい空気を感じつつ、足は結構疲れているが、これも普段と変わらない
ものだと思うことによって、いつもの通りその辺りを歩いていて、散歩も終わってしま
った。あっけないというか、見るところすべて雪だからしょうがない。これくらい
雪、雪、雪と続くと、雪雪雪とならざるを得ないのである。
小さな田んぼもまた雪原に化ける。それがまとまると大雪原で向こうははるかかなた
である。雪原はどうしても風があって、それでまた少しだけ寒い思いをする。しかし
この雪原でも寒さはゆるめであった。
その一。小さな雪原。きょうは雲が出ている時間も長く、しかし
雪原を見て強い光がない分、感じとしては楽である。
その二。以下は大雪原と思われるもの。いくらか同じようなところを
空と地面の割合を変えたりしながら、撮っている。
その三。
その四。この風景はいつも好ましく思える。
その五。南の方角。
その六。
その七。
その八。