何と、月まで出ている。月は何度か、この冬雪が降り始めて、見たような記憶も
あるが、そうゆうものも忘れるように出来ていて、今は思い出せない。それで、今日の
さほど細くはない月を見て、今後も覚えているかどうか、というのも怪しいものだが、今
西の空に傾きつつある、しかし久しぶりの月を見て、さほど寒さを覚えない幸福という
ものはある。
寒さと言うより、雪をどうするか、というのが一番の問題のようで、寒いところと
いうのは、この辺りはさほどでもなく、また朝の最低気温もごくごくありふれた値となるが、
それも歳を重ねると、何倍かの寒さにも思える。
で、太平洋側の冬の朝というと、大体が晴れるから、このときの寒さは、子供なが
らに震える気持ちもあった。やたら寒く、しかし空っ風で雪は降らず、ただガタガタと
いう音を鳴らすそうゆう風が一晩中吹いていたことを思い出す。これが夜なのは、無論昼は
学校とかにいっている。また外で遊んでいて、寒さもきわまる夜になると、あるものの
ドアというか戸が風で揺れるのだろう、ちょうど一番よく聞こえるようで、その音の
単調さもあってか、それよりも耳に入りやすいというものか、そうゆうものを今頃にも
思い出すことが出来る。
寒さもさほどではないが、でも寒さに耐えがたい時間が来るということを言いたかった
ので、今日の久しぶりの暖かさは、まずは寒さの思い出というものをよみがえらせて
くれた。そうゆうものでもあるのかも知れない。朝に冷えるが、日中の気温は程ほどと
いうのが、太平洋側でもあって、さて一日中さほど寒くもないが、また暖かいは別として、
日中冷蔵庫の中の温度というのも、やりにくいものだ。それが現実になってしまった。
今の話しである。
お天気はもう少し早く回復していて、その後空気は冷たいまま、という状態である。
それを断ち切るものはなんだったのか、その辺りはよくはわからないが、
気が付いて、というか予想以上に暖かいと感じたのはもう午後の時間で、でもお昼
の天気情報でのリアルタイムに近い気温は見ていなく、もしその値が、7℃とか8℃あって
も、そうは期待は出来なかったと思う。数字と体感気温は違う。
歩いてもまわりは雪景色で、道に雪の山は依然として多い。どう見ても雪の放置の
仕方がおかしいようなところも散見されるがどうなっているのかよくはわからない。道幅が
狭く、これはすれ違いが困難になるようなものもあるが、そうゆう話しは措いておいて、
さて一番喜んでいるのは、身近にいる生き物ということになるだろうか。この暖かさで、
いつもは存在を感じさせない、「いえ」の番をする、ワンちゃんも日向に出て寝そべって、
まさしく夢心地のようで、あるイヌはぐっすりお昼寝である。こうゆう感じを私も味わって
いる、ということになるだろう。ぐっすりでなくても、イヌは日向の方へと移動する
ようで、また知っている範囲で長く生きている老犬も今日は立ち上がっていた。その後
に、なぜか悲しげな声を出して鳴いていたが、これはどうゆうことかはっきりはしない。
いつもは晴れると、また気温が上がると、小さな鳥、その中にシジュウカラや、また
メジロがいるが、そのメジロはあるかないかのツバキの花にいた。いたが小さすぎて、
目で見るに十分だった。そのメジロにも気付かれると、さっと小さな羽ばたき音をさせる
こともなく移動していった。
滅多に見かけない、ネコの姿も今日はあった。知らないネコであるが、そこの道を
いつも歩いている。ネコの姿を見て、近寄らないようにゆっくり歩いてしかしカメラの
ボタンは形式的だが押した。そのネコは黒と白のネコでよくいるタイプだが、帰ってから
遅くなってネコの画像があると思い直し、それを見るが小さいながら、ある瞬間はその目
は閉じられているようで、そのネコも心地よさに、道の前で昼寝となりそうな様子である。
雪道は細くて一本つながるものだが、そうでないところというのも同じところを何度か
出したが、今回の雪でも、そこは雪ゆえの、除雪の雪の溜まり場となって山が出来て、
通せんぼ状態。そこで、雪はいいとして、今日の青空をぐるり180度見渡してみた。
横を通れないことはないが、そこで元に戻ることにして、
あとは空の青さ。
青い空で、日が当たって暖かい。
その二。
その三。わからなかったが、どうやら飛行機雲があるようだ。
その四。一本、二本、三本って、ケータイでもあるまい。
元に戻って、南側。
太陽のある方向で、青い色は段々と薄まる。しかし晴れの空しかない。
まったくの快晴。
単調だが、空の青さは変わらない。
きのうは日の出の位置を見て、少しだけ北側に移動したのがわかった。
太陽の高度は、さてこれを見るかぎり、変化はわからない。
そこを離れてもう少し進み、山の見えるほうへとゆく。先ほどの飛行機雲が
あった。
方角はもう少し南だが、しかし今日は晴れだが、「山は霞んで」いて、
ときに薄っすら見えるくらいで、このときは見えなかった。春霞という
感じである。
あるが、そうゆうものも忘れるように出来ていて、今は思い出せない。それで、今日の
さほど細くはない月を見て、今後も覚えているかどうか、というのも怪しいものだが、今
西の空に傾きつつある、しかし久しぶりの月を見て、さほど寒さを覚えない幸福という
ものはある。
寒さと言うより、雪をどうするか、というのが一番の問題のようで、寒いところと
いうのは、この辺りはさほどでもなく、また朝の最低気温もごくごくありふれた値となるが、
それも歳を重ねると、何倍かの寒さにも思える。
で、太平洋側の冬の朝というと、大体が晴れるから、このときの寒さは、子供なが
らに震える気持ちもあった。やたら寒く、しかし空っ風で雪は降らず、ただガタガタと
いう音を鳴らすそうゆう風が一晩中吹いていたことを思い出す。これが夜なのは、無論昼は
学校とかにいっている。また外で遊んでいて、寒さもきわまる夜になると、あるものの
ドアというか戸が風で揺れるのだろう、ちょうど一番よく聞こえるようで、その音の
単調さもあってか、それよりも耳に入りやすいというものか、そうゆうものを今頃にも
思い出すことが出来る。
寒さもさほどではないが、でも寒さに耐えがたい時間が来るということを言いたかった
ので、今日の久しぶりの暖かさは、まずは寒さの思い出というものをよみがえらせて
くれた。そうゆうものでもあるのかも知れない。朝に冷えるが、日中の気温は程ほどと
いうのが、太平洋側でもあって、さて一日中さほど寒くもないが、また暖かいは別として、
日中冷蔵庫の中の温度というのも、やりにくいものだ。それが現実になってしまった。
今の話しである。
お天気はもう少し早く回復していて、その後空気は冷たいまま、という状態である。
それを断ち切るものはなんだったのか、その辺りはよくはわからないが、
気が付いて、というか予想以上に暖かいと感じたのはもう午後の時間で、でもお昼
の天気情報でのリアルタイムに近い気温は見ていなく、もしその値が、7℃とか8℃あって
も、そうは期待は出来なかったと思う。数字と体感気温は違う。
歩いてもまわりは雪景色で、道に雪の山は依然として多い。どう見ても雪の放置の
仕方がおかしいようなところも散見されるがどうなっているのかよくはわからない。道幅が
狭く、これはすれ違いが困難になるようなものもあるが、そうゆう話しは措いておいて、
さて一番喜んでいるのは、身近にいる生き物ということになるだろうか。この暖かさで、
いつもは存在を感じさせない、「いえ」の番をする、ワンちゃんも日向に出て寝そべって、
まさしく夢心地のようで、あるイヌはぐっすりお昼寝である。こうゆう感じを私も味わって
いる、ということになるだろう。ぐっすりでなくても、イヌは日向の方へと移動する
ようで、また知っている範囲で長く生きている老犬も今日は立ち上がっていた。その後
に、なぜか悲しげな声を出して鳴いていたが、これはどうゆうことかはっきりはしない。
いつもは晴れると、また気温が上がると、小さな鳥、その中にシジュウカラや、また
メジロがいるが、そのメジロはあるかないかのツバキの花にいた。いたが小さすぎて、
目で見るに十分だった。そのメジロにも気付かれると、さっと小さな羽ばたき音をさせる
こともなく移動していった。
滅多に見かけない、ネコの姿も今日はあった。知らないネコであるが、そこの道を
いつも歩いている。ネコの姿を見て、近寄らないようにゆっくり歩いてしかしカメラの
ボタンは形式的だが押した。そのネコは黒と白のネコでよくいるタイプだが、帰ってから
遅くなってネコの画像があると思い直し、それを見るが小さいながら、ある瞬間はその目
は閉じられているようで、そのネコも心地よさに、道の前で昼寝となりそうな様子である。
雪道は細くて一本つながるものだが、そうでないところというのも同じところを何度か
出したが、今回の雪でも、そこは雪ゆえの、除雪の雪の溜まり場となって山が出来て、
通せんぼ状態。そこで、雪はいいとして、今日の青空をぐるり180度見渡してみた。
横を通れないことはないが、そこで元に戻ることにして、
あとは空の青さ。
青い空で、日が当たって暖かい。
その二。
その三。わからなかったが、どうやら飛行機雲があるようだ。
その四。一本、二本、三本って、ケータイでもあるまい。
元に戻って、南側。
太陽のある方向で、青い色は段々と薄まる。しかし晴れの空しかない。
まったくの快晴。
単調だが、空の青さは変わらない。
きのうは日の出の位置を見て、少しだけ北側に移動したのがわかった。
太陽の高度は、さてこれを見るかぎり、変化はわからない。
そこを離れてもう少し進み、山の見えるほうへとゆく。先ほどの飛行機雲が
あった。
方角はもう少し南だが、しかし今日は晴れだが、「山は霞んで」いて、
ときに薄っすら見えるくらいで、このときは見えなかった。春霞という
感じである。