最低気温とかでいうと、もっと寒いところはいくらでもある。でも、この辺りの標準と
いうのが、誰にでもあるようで、私もそれを感じていて、最近という言葉を使うと、暖冬
なのである。でも、ことしの冬は寒い。
北陸ゆえ、ほどほどの寒さである。北海道とかの寒さではなく、また太平洋側の、放射冷却
の寒さともまた違うものがあるような気がする。太平洋側での暮らしが最初にあって、その
時間が続いたが、ほどほどの寒さがあって、例えば水道が凍りついた、というのもある。どこに
住んでいても、大体冬は寒い。寒さの基準はもう一つあって、物理的な観測値ではないもの。
それは感じ方で、年々寒さに耐えられなくなるかというと、そうでもないことを経験した。
ある程度の慣れと、それからそれ以外の何かがこの雪とか、寒さを平気なものにしている。
そうゆうものがあって、私も多少の寒さではどってことないと思うようになった。そう思った
ときもあったが、また寒さ病が復活したのか、今は流行のメタボリック・シンドロームで、
代謝も落ちて熱の産生が落っこちたのかも知れない。その割りに、お腹はデタボンのままで
あるから、おかしいような感じがある。脂質は、天然のコートであって、と誰しも感じるが、
そうでもないというのが判明もする。すると、お腹の出っ張りはただの役立たずということに
なってしまう。あー、この植物に例えると、子葉のようなものは、もう役にもたたないのか。
ガックリと来てしまう。
今日は、朝から天気そのものが悪くて、実際の今の状況がどうなのかわからないという、
不運もあったが、実はわかっていても、やっぱり疲れというものはあるので、もうどうにでも
という気持ちもあった。で、いつもの日曜だと、
見ているTVもあるが、これが半分は一種の気力の蓄積の意味もあるようで、しかし見終わる
となんだかしぼんでしまう、そうゆうものも感じられるこのごろでもある。で、もう雪も多いし
姉の家族も来ないだろうと思っていたが、そうではなくて、きっと母のことが心配でもあった
のだろう。やって来てくれた。それから、滅多に来ない、姪っ子や甥っ子にも会えて、多少は
元気になれたような気もするが。何しろお天気が悪すぎる。こちらはいいとしても、そうは
いかないのがこの世の常で、少しだけ元気をもらった。すぐに帰っていったが、それで
よかった。
いえの中でグヅグヅしているのが一番いけないとか気が付いたのである。多少は、エネルギを
もらったような気もした。それで、外に出てみるのだが、これも場所によっても違うし、時間
によっても違うものだが、雪の量は減った。一昨日あれだけあった雪は、例えば多いところ
では60cmくらいあった、と思えた。それが、なんだか半分以下にも減っているようで、それを
見てもこれでは「いかん」とかいう気にもなった。どう転ぶか、そうゆうものはわからないもので、
また自分のエネルギの温存というのも、ただの怠けとも思える。自然の中で、寒さに耐える
のは一つは、暖かなところを探すことだが、それ以外だとせっせと運動するしかないような
気にもなるものである。
道は開いている。車の動きはさほどでもないが、でもまったくないこともなく、それは
昼間の雪も止んだことも影響しているし、また食料をも買い求めないとというようなことも
あるだろうし、見送りとかもあるのかも知れない。
それで、毎度のミニカメさんを手に持って、また傘も持ってというスタイル。これがもう
当然のようにもなってくる。この先も晴れはなく、雪か雨か、真ん中かという予報しかない。
幾分、空の様子、辺りの様子もきのうとは違うと思えるところがある。何が違うのかは
わからないものだが、やはりきのうと今日は違う。雪の量は少し減って、空気は透明度が
増したのかも。で、雪の量は減った。だが新たな雪で、そこにあった道が消えてしまったか
と思われる、ところもまた見つかった。雪はあるところでは減っていて、しかしあるところでは
大して減らず、立ち入りを拒否しているかである。お正月ということで、もう少し賑わいが
あるかと思ったが、やはり歩く人は見かけず、少なくとも散歩だという人はいなかったようだ。
暖冬だ、と言いながらそうでもなさそうになって来た。どうするかというのは、もう答えは
出ていて、それに耐えるというより、寒く感じなくなるまで寒さに向かっていけ、というのが
正解のようでもある。それ以外はないようなで、つまるところ、暖冬だと思うことかも知れ
ない。なんだか滅茶苦茶な、いつもよりさらに輪をかけて、ものになってしまった。
まずは、色のあるものから。雪明かりは明るいというのがカメさんから
わかる。でも、このアジサイもこの寒さと雪で、いよいよ最後というか、
スカスカになる。
緑が雪で写る。
組織が凍死していない、そうゆう緑。
雪のサザンカだが、花の色もまずまず。
雪の壁。
白い。
影がないと、雪も判別できない。
田んぼの雪。なんだか、生き物のいない世界のよう。
道は、恐らくあった。だが、なくなっているようだ。
上を向く穂のないススキ。二度目の雪。このススキはどうなるか。
お疲れ様でした。
いうのが、誰にでもあるようで、私もそれを感じていて、最近という言葉を使うと、暖冬
なのである。でも、ことしの冬は寒い。
北陸ゆえ、ほどほどの寒さである。北海道とかの寒さではなく、また太平洋側の、放射冷却
の寒さともまた違うものがあるような気がする。太平洋側での暮らしが最初にあって、その
時間が続いたが、ほどほどの寒さがあって、例えば水道が凍りついた、というのもある。どこに
住んでいても、大体冬は寒い。寒さの基準はもう一つあって、物理的な観測値ではないもの。
それは感じ方で、年々寒さに耐えられなくなるかというと、そうでもないことを経験した。
ある程度の慣れと、それからそれ以外の何かがこの雪とか、寒さを平気なものにしている。
そうゆうものがあって、私も多少の寒さではどってことないと思うようになった。そう思った
ときもあったが、また寒さ病が復活したのか、今は流行のメタボリック・シンドロームで、
代謝も落ちて熱の産生が落っこちたのかも知れない。その割りに、お腹はデタボンのままで
あるから、おかしいような感じがある。脂質は、天然のコートであって、と誰しも感じるが、
そうでもないというのが判明もする。すると、お腹の出っ張りはただの役立たずということに
なってしまう。あー、この植物に例えると、子葉のようなものは、もう役にもたたないのか。
ガックリと来てしまう。
今日は、朝から天気そのものが悪くて、実際の今の状況がどうなのかわからないという、
不運もあったが、実はわかっていても、やっぱり疲れというものはあるので、もうどうにでも
という気持ちもあった。で、いつもの日曜だと、
見ているTVもあるが、これが半分は一種の気力の蓄積の意味もあるようで、しかし見終わる
となんだかしぼんでしまう、そうゆうものも感じられるこのごろでもある。で、もう雪も多いし
姉の家族も来ないだろうと思っていたが、そうではなくて、きっと母のことが心配でもあった
のだろう。やって来てくれた。それから、滅多に来ない、姪っ子や甥っ子にも会えて、多少は
元気になれたような気もするが。何しろお天気が悪すぎる。こちらはいいとしても、そうは
いかないのがこの世の常で、少しだけ元気をもらった。すぐに帰っていったが、それで
よかった。
いえの中でグヅグヅしているのが一番いけないとか気が付いたのである。多少は、エネルギを
もらったような気もした。それで、外に出てみるのだが、これも場所によっても違うし、時間
によっても違うものだが、雪の量は減った。一昨日あれだけあった雪は、例えば多いところ
では60cmくらいあった、と思えた。それが、なんだか半分以下にも減っているようで、それを
見てもこれでは「いかん」とかいう気にもなった。どう転ぶか、そうゆうものはわからないもので、
また自分のエネルギの温存というのも、ただの怠けとも思える。自然の中で、寒さに耐える
のは一つは、暖かなところを探すことだが、それ以外だとせっせと運動するしかないような
気にもなるものである。
道は開いている。車の動きはさほどでもないが、でもまったくないこともなく、それは
昼間の雪も止んだことも影響しているし、また食料をも買い求めないとというようなことも
あるだろうし、見送りとかもあるのかも知れない。
それで、毎度のミニカメさんを手に持って、また傘も持ってというスタイル。これがもう
当然のようにもなってくる。この先も晴れはなく、雪か雨か、真ん中かという予報しかない。
幾分、空の様子、辺りの様子もきのうとは違うと思えるところがある。何が違うのかは
わからないものだが、やはりきのうと今日は違う。雪の量は少し減って、空気は透明度が
増したのかも。で、雪の量は減った。だが新たな雪で、そこにあった道が消えてしまったか
と思われる、ところもまた見つかった。雪はあるところでは減っていて、しかしあるところでは
大して減らず、立ち入りを拒否しているかである。お正月ということで、もう少し賑わいが
あるかと思ったが、やはり歩く人は見かけず、少なくとも散歩だという人はいなかったようだ。
暖冬だ、と言いながらそうでもなさそうになって来た。どうするかというのは、もう答えは
出ていて、それに耐えるというより、寒く感じなくなるまで寒さに向かっていけ、というのが
正解のようでもある。それ以外はないようなで、つまるところ、暖冬だと思うことかも知れ
ない。なんだか滅茶苦茶な、いつもよりさらに輪をかけて、ものになってしまった。
まずは、色のあるものから。雪明かりは明るいというのがカメさんから
わかる。でも、このアジサイもこの寒さと雪で、いよいよ最後というか、
スカスカになる。
緑が雪で写る。
組織が凍死していない、そうゆう緑。
雪のサザンカだが、花の色もまずまず。
雪の壁。
白い。
影がないと、雪も判別できない。
田んぼの雪。なんだか、生き物のいない世界のよう。
道は、恐らくあった。だが、なくなっているようだ。
上を向く穂のないススキ。二度目の雪。このススキはどうなるか。
お疲れ様でした。