光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

お祭りは終わった

2007-09-26 07:12:49 | 散策
  朝の天気、晴れ。快晴に近い。風はあって、少し涼しい。室温21℃、ひえひえモード。
  もう今日になってからも、月を見ることができた。西側の窓に、コップが置いてあってこれには適度な水が入っている。それにうまく月光が当たった。グラスの底に月が映った。これがまた適度に美しく、太陽光のそれと違う。でも、元々は太陽の光であって、月は反射しているだけ。一体何が起こっているのか、しばし神妙になる。
  それから、もう日も昇ろうとする時、それより少し前このときも西の空に、今日の月を見た。周りに雲のお供を連れて。これは、しかし残念ながらもはや名月ではなかった。無論、コップの底で怪しく光った月の光も名月のそれではなかった。雲をお供にした月は、これはジャガイモに見えた。でも、これまたなかなかいいもので、ジャガイモの月も気に入った。
  眠る前、時間は逆に進行している、体は温かいが、なぜか少しスースーする感じがあって、タオルケットと毛布を上にかけた。ずっと朝まで、それでも少し涼しいという感じがした。放射冷却があるなー、頭で考える。
  起きる時間、日はまだ山の稜線から顔を出してなかった。いよいよ、秋が本格的な秋が来たと思った。温度計を見て、21℃もある、あるいは21℃しかなく、これはいよいよ秋そのものだ。風が入ってくる。この風は冷たい。最近、朝からTVは付けっぱなしになっている。私は見ていないが、風のうわさでいろいろなことが伝わる。どうも、痛そうなことをやっている。さらに、どのチャンネルを見ても、時に見ることがあるのね、TVはワイドショウしかやっていないみたいだ。キャスタさん、アナウンサ、皆真剣な顔付きだが、やはりワイドなのである。
  お祭りは終わった。それで、この次の秋の大風はいつ吹くのか、その風の準備のために、すでに焦点はそちらにあって、今日もあちこちを奔走する人の姿が見える。

名月に照らされる

2007-09-25 19:12:29 | 植物・花(秋)
  先ほど、日没前に、月は東に、日は西にで、月と太陽がにらめっこをしているのを見て、これで、中秋の名月の観賞は終わったと思った。
  雨がお昼近くまで降っていて、でもそれもあっけなく止んで、あとは、雨はこの辺りでは降らなかった。このところ、ちょっと暑そうだと思えば、近道をしたりする。さらに、妙に体のことが気になって、これがよろしくない。大丈夫かな、など心配をしだすとこれが、なかなかの重圧になって、これから抜け出すことが出来なくなる。このことで頭が一杯になる。
  元々そうゆう性格であるようで、例えばちょっとネットがつながらなくなった、そんなことで頭が痛くなったり、顔色が変わる。厄介である。こうゆうものから抜け出すことが、いっとき出来た気がしたが、それが再びもどりつつある。まー自分の思う通りにはならないこと、は、当たり前で、それでも何事もなかった如く振舞える、そうゆうものに近づこうとする。だが、これが、なかなか出来るものではない。結局この問題は最後まで付きまとうだろう。修行とかではなく、ごく普通の生活の中で、どうにかしないといけない。この振動、ぶれ、揺れは、でもやっぱり最後まで、残りそうだ。
  久しぶりに、高々、そう高々である、30分と少しの道を歩いた。足の筋肉が硬直している気もする。やっぱりねー、なだめすかして、歩く。でも、ひどい時よりはましだ。
  久しぶりに、キカラスウリのからまっているところにやって来た。一部の葉っぱは枯れているし、また実もなぜか縮みだしている。これは、もう気付いていたが、理由はわからない。この実が生って何か弊害が起こるとは考えられない。だから、それを人為的に、例えば蔓を切るなどはないと思う。去年のことはもう、うろ覚えだが、こうはまだなっていなかったと思うが。もっとも、このキカラスウリも、あとは濃い緑が黄色くなって、さらに、焼き芋のようになって、最後はいつ落ちるかということが残されているだけで、特に面白いことが待っているわけではない。でも、がんばって蔓にぶらさがっているキカラスウリを応援したくなるのも人情ではないか。
  キレイに咲いているコスモスのところにも当然ながら行くわけだけど、このコスモスは、太陽の方向を向いて咲いている。これに不思議はないが、すぐ南側が田んぼになっていて、この田んぼの稲刈りも終わっているが、なかなか、花を正面から見ることが出来ない。ちょっと残念である。今年のコスモスは、ここの新聞にも見ごろの花の欄に紹介されているが、さほど大きくないその写真を見てもすぐに花が縮れているのがわかるもので、コスモスも生き辛い今年だったのかなという気がする。これから咲くものもまだあるわけで、記者の方もやりにくいな、と思っているに違いない。

  高原、あるいは、高山は、これはもう秋、のはずだが、ホントのことはわからず、TVなり新聞の広告で、紅葉が始まっていることを知らされる。
  ここにもあるカエデも、赤くなっていると思ったら、それは枯れているのであった。まだ、紅葉とはとてもいえないが、ときどき水玉も期待して、真上を見上げる。



  何だかよくわからない写真である。ちょっと黄色いものが見える。”ちょっと”を、”ちょと”などと書いたりしていて、でもそれでもいいかと思う。それとふと気付いたのだが、この空の青さは、なんか気に入らない。ちょっと前の、ヒルガオだかの、写真の青も。



  ここには、紅葉の”この字”もない。でも、これが写真で、少し上の木々と空がうまくぼけて、いい、あるいは不可思議な色合いが出た、思う。

9月24日の月

2007-09-25 07:26:01 | 散策
  朝の天気、曇りか雨。風は雲の動きからは、南風。室温24℃。
  朝起きると、地面が濡れていて、雨が降ったことがわかる。気が付かないが少しずつ雨は降っている。これは、ありがたい雨、植物にとっても動物にとっても。慈雨。
  きのうは9月24日。夜は、雨が降ってもおかしくはなかった。しかし、月に叢雲ではあったが月は見えた。明日は、たぶん昼は雨でそのあとは曇りだろう。すると明日は月は見えないかも知れない。それならと、中秋の名月でもなく、また満月は27日で、ちょっと丸いとはいえないが、その月をしばらく眺めた。ようやく、ちょっとおりこうになった気もした。
  最近の誤字の多いこと。それに気が付かない。誤打が多すぎて、それを見過ごすのが多いこと、これを笑って済ませている。
  さて、その月である。夕刻の雨で、少し空気はきれいで、お腹のほうは丸い円を描き、お尻のほうは、これは、何だか知らないが、やはり規則性のある曲線を描いた。
  合わない老眼鏡で見ていても、なんとなくではあるが、そこには、ウサギが見えた。それから、ご婦人の顔も見えていて、まずは第一段階を通過した。月に何かを探すのは特に理由はないが、やっぱり、キツネやタヌキを探してみたくなる。ウサギより、どうもキツネや、タヌキである。また、ウサギ顔というのは、人には少ないかあまり見かけないが、どうも、キツネ顔、タヌキ顔の方はおられて、それがある種の誘引力を持っているがゆえ、月にもそれを探す。
  ある人は、ネズミにも似てくる。これはホントにおかしな現象ではあるが、毎日ネズミさんと対面していると、ネズミは人の顔にならず、人がネズミ顔になる。月にも、ネズミはいるかも知れない。それから、お姫様もいるはずだが、それを探すのを忘れた。アタタタ、マイナス50ポイント。
  それから、いつものように小型のさほど重くない、年代ものの、何度も落っことした双眼鏡を取り出す。ほどほどの双眼鏡は、風景を見るもよし、動物を見るもよし、空を飛ぶものを見るもよし、また星空を見るもよしで、特に、星関係だと、星ぼしの集まりである、星団を見るのにこれがおおいに活躍する。
  秋の夜空は暗いが、それゆえ、プレアデス、スバル星団を眺めるのは、この双眼鏡を使うのがよく、まことに美しい、この世のものとは思えない姿を見ることができる。
  月を見るのも、この双眼鏡は役立つ。満月に近い月は明るく、つまりその明かりは地球を照らしている。月夜で、人が歩けるくらいの、それだけの明るさを持っている。それゆえ、小型の双眼鏡がよく、大きい口径のものは、満月に近い月が明るく見え過ぎる。
  これで、月を見ると、クレータなどが見えるが、一番興味深いのは、あるところが、一種異常に明るく輝くように見えることで、これは肉眼ではわからないことだ。そこに何かがある、そうゆう感じはないが、だが不思議とそこの辺りが異常に、周りに比べて明るく、まるで金属が光を反射しているような気もする。
  月に関する興味はつきない。今日が晴れて中秋の名月が見ることが出来るところなら、ダンゴか芋かで、一杯やるのが一番いいが。

ちょっと雨とちょとびっくり

2007-09-24 19:05:52 | 散策
  先ほど、午後4時半ころか、少し雨が降った。一体何日ぶりの雨か、手帳をパラパラと見るが、どうも2週間ぶりである。ちょっと、びっくり。この話しは後回し。
  それで、時間をさかのぼると、朝、午前である。いつも新聞を見るように、あるいはラジオを聴くように、あるいは限られた時間TVを見るように、ネットで、モニタの向こう側を見ようとして、最初は問題はなかった。天気のページを見ていて、今日は雨が降るかもと思い、ようやくだなという感想を持ち、次のページにゆこうとして止まった。
  サーバが見つかりません。毎度である。
  でも、これがある程度続くと、妙なもんで少し頭痛がする。こうゆう話しはよくある事で、もう聞きたくもないし、見たくもない。もう一人の私が言う。いわれてみると、その通りだ。しかし、私はその意見を肯定しながらも、なおこのことに付いて書きたい気がする。
  普通は、昔の言い方でいうと、例えばそれがTVだとすれば、ぼかんと一発モニタをたたけば、直った。さっきまでやっていたのと、同じ映像が出た。少し、話しは進んだが、しかし特に問題はなかった。それを今どきのPCでやった。でも、ぼかんとたたくわけにはゆかず、まずはスイッチを切った。最初からやり直しだ。
  こんなことは普通にあるのである。それで、それでだめだとどうか。もしかして、長いケーブルが途中で切れたか。しかし、私はネット用のケーブルを、絹の糸のようにやさしく扱っていて、ナイロンのようにびりびりと切れるわけはないのである。さし込みは完全か、モデムもルータも確認する。それで、またやり直しだ。
  昔のTVに戻ってみよう。まずは、本体をたたくことはやった。次はどうか、ウーンとまずは、プラグをコンセントから抜いてみる。完全に、TVから”電気が抜けた”、そうゆう状態にして、もう一度コンセントを差し込んで、スイッチを入れる。だが、やはり映像は出ない。とすると、次に考えられるのは、アンテナの問題だが、これはちょっと大事である。面倒になった。
  たたく。アースをする。接続を確かめる。いよいよである。よそのお家に行って、すいません、何々です、あっ、朝早くからすいませんが、どうも3チャンが入らないのだけど、お宅はどうです。何、3チャンはちゃんと写る、そうですか、弱ったなー。ウチのTVは、3チャンがどうも写んなくて。頭をかいて、帰って来る。
  どうもかなり時間がたった。それで、気を取り直して、もう一度TVをつけてみる。なんだ、まるでこれまでの出来事が嘘のように、TVはキレイに写っている。あはははー。
  でも、それは、もうずいぶん前の反応の仕方で、今どきは、一瞬顔が赤く染まり、そのあとは、真っ青である。何もしなくても、時間がたてば、今回の事件も解決したのだが、それが、なにか重要な作業をやっている時でなくてよかった。ミステリは、決して小説のようには解決しない。なぜそうなったか、納得がゆく説明などない。
  
  雨の話しであった。ようやくというか、実に久しぶりに雨になって、すこしリラックスする。そういえば、昼のTVのお天気ニュースで午後の遅めからは雨になるといっていた。それを、忘れていた。怪しげな雲が南の方を覆っている。それが、こちらにようやく流れてきて、約2週間ぶりの雨になった。でも、ホンのちょっと。アメダスの値はどうかな。さっきより気温が上がって来たみたい。

  見かけない木に、花が咲いていて、これはきのうの続き、それを撮ってみた。なかなか、このような花に出会うことはないな、ふと思った。



  これは、かなりお化粧をしているが、薄めである。



  同じ花だが、小さい球形のものは蕾のようで、これがパカッと割れると、オシベがでる。しかし桃色の花弁と、蕾から出たオシベとの関係が、今一つわからない。不思議な花である。
  今日、いつものところを、後半であるが歩いていたら、この花と同じに思えるものをたくさん付けている木を見つけた。いかに何も見てないか、あるいは、ある時にしか、この花をみる事が出来ないか、それを証明した一瞬でもある。

ヒガンバナ2007 ミニアルバム

2007-09-24 14:56:24 | 植物・花(秋)
  彼岸といえば、ヒガンバナ、マンジュシャゲ(曼珠沙華)。

  すでに出した9月20日以降の、その後のヒガンバナです。
  
  思い切って、オリジナル画像をただ縮小するだけで、それ以外のお化粧はやめました。トリミングもナシです。縮小率は、11.5%。

  昔のフイルム写真のプリントのような感じがあります。

  普段は、こうゆうのの中から、いいところだけを切り出して、色々な変換をさらにやって、ここに出しています。
  
  これはこれでいい、という感じがしてこれからもやってみようと思います。

  画像を送るのを忘れました。あれれー。




  9月21日。暗いですね。




  9月22日。 ウーン。




  9月23日、こうゆうところに生えているんですね。




  9月24日、なんか中央下の花は枯れ模様かな。”シビトバナ”ともいわれるとありますけど、これは、水不足が原因ですね。
  
  それでは、また。

静かな朝

2007-09-24 07:20:09 | 散策
  朝のお天気、曇り。風は弱く、穏やか。室温24.5℃。風は冷たい。
  今朝は、ほどほどに明るい。メモを書いて、約1kgの機械も持った。それが、なぜか重く感じられる。たった、1kgとちょっとのものが重い。腕の感覚もおかしい。筋肉、それがあれば、筋肉痛。ある形になると、腕の一部が痙攣する。
  空が青い。そこにポツポツ、雲がある。これは秋の雲でしかし名前はわからない。高度も不明だが、そこにはトンボは飛んでゆけない。鱗のような雲がある。同じような形をしている。腕、というより指の辺りがプルプル震える。かってに動いている。掌を握り締めたり、腕をふったりする。
  朝で、鉢の植物を見る。なんか急に大きくなって来た。遅れて、同じようなものが、ある鉢、BだかCだか忘れた、から出てきている。これは、ほんとうにまいたタネが大きくなって来たものだろうか。この疑惑は、花が咲くまで晴れないが、よっぽどのことがないと、それは来年の初夏である。気の長い話しで、この試練は私に課せられた。
  テントウムシの子供を少し前に見て、ちょっと驚きもし、感動もし、でも、その子供は大きくなって、やがて成虫になるはずだが、そのテントウムシはどこへ行った。一瞬、鉢の花のそばにもいたが、成虫のテントウムシはどこにいる。その玉のような形は同じだがどっちがキレイとかは抜きにして、いつも見ていい気分になるのは水玉で、この水玉を眺める。
  ずいぶんと小さい。数は今日は少ない。大きさは、3、4mmというところで、ちょうど指輪にするのにいい感じだ。水玉はなぜ見えるか、空気の玉は、なぜ見えないか、また妙なことを書くが、これは光が屈折するからかなー。もし光が、水の中に入って屈折しなかったらどうだろうか。どうだろうかって、そりゃ、わかりません。反射しなかったらどうだろうか、そりゃ見えないのではないか。
  牛乳1リットルの入ったパックを出す。やっぱりちょっと重く感じる。それと、イチゴのジャム。これも重いので表示を見ると、850gと書いてある。原産地は、日本ではない。これをツルッと滑らしてそれが足の甲に、って、朝からそんなこと書いてはだめ。
  静かな朝だ、いつもなら、エンジン音やらがする。さらに、稲刈りのシーズンで、トラクタだか、稲刈り機は、やけにゆっくり大きな音をたてて通過してその間、TVの音、ラジオの音は聞こえない。それがない、先ほどから、カチカチ、ゆっくりした、”か細い”音だけがする。雲が太陽を覆う。モズが鳴く。夢じゃないだろうなー。  

天に向かって咲く

2007-09-23 18:55:10 | 植物・花(秋)
  一旦、朝になって止んだ、北からのちょっと涼しい風が、また吹き始めた。
  一体どこに、あなたはいたのか、よおく聞いてみたいが、これはこの日の風やら、雲やら気温やら、それと話しをしてみればいい。まーそうゆう訳にもいかないけれど、お天気くらいわからないものはないし、相変わらず、空気の温度の分布、2次元でもいいのだが、これが、気象情報として出てくれないのは、残念である。
  この空気は、やはり列島の西側、大陸からやって来るのであろう。なんとなく大陸というと、冬型のお天気につながってそれこそ、その高気圧に覆われると、頑として動じることのない真冬の天気を思い出す。それが、そろそろ、あるいはようやく、やって来たのかも知れない。走りかな。前線の北側にあるところは、かなり気温は低いし、この辺りはちょうど境目になっている。23、4℃なら、涼しいを超えて寒いくらいだ。風がかなり強いから。今日の日中は、25℃を越えて27℃くらいまで上がった。でも、ほぼ雲に覆われて、さらに強めの風が吹いて、思ったより涼しい。
  こうなると、体は妙なもので、だるくなってくる。おかしなものだ。そう単純に、涼しいからすぐに元気になるとゆうわけにはいかない。毎年そう思う。でも、ここはある程度踏ん張ると、化学反応とか、あるいは山歩きと同じかなー、そのあとは少し元気が出たりする。それを、信じて、かったるいなーと思いつつ、非常に近いところに歩いて行った。ちゃんとなんでも入る、いつ分解するかわからない、古いバッグにカメラも入れて。
  条件は曇りで、これはいいんだけど、でも風が強い。時に、気まぐれに青空が出ると、背中が焼ける気がするが、風で相殺される。でも、花はやっぱり揺れる。なら、揺れる花、振動する花、宙を舞う花を、って言うけど、それはちょっと難しくて。こうして、アーダ、コーダ考えつつ、ここっと決めたところについて。
  なんか息切れしてきた、大丈夫かな。
  色々試して、だめなものを除いてゆくと意外と残ったものは少なかった。



  背の高いコスモスがかなり固まって咲いていた。これを見上げるようにして撮る、これが結果としてはよかった。まー背が高いから偶然思い付いたが、この角度からのものが、後からモニタで見直して一番よかった。雲はさすがに写らないが、写せないといった方が正しい、空と地の境界が無くなっている。



  この花、お昼に咲くから、ヒルガオかなとも思う。これが実に綺麗に咲いていて、だいぶ前から意識していた。しかし、どうも上品過ぎる、美しすぎる感じもして、ただ見るだけにしていた。でも、やっぱり魅力には勝てない。白いのを強調。ブルーも綺麗で、でもこれは忘れたころに出すのがいいような気がする。
  明日も、今日のような天気が続けばなー、明日だけでなくて、これから先は。

人気投票と秋の空

2007-09-23 07:31:29 | 散策
  朝の天気、曇り。一番驚いたのは、暗いこと。カーテンを開けないと、何も見えない暗さ。不思議と風はおさまった。室温は25℃、生暖かい。
  夜中も、かなりの風が吹いていて、それで目が覚めるくらい。朝方も風がきつかった。しかし、今は静穏。 
  この辺りの今日の最高気温予想は、26℃と出ている。しかし、そう離れていない東海地方で最高が30℃とあるので、これは暑い。彼岸も秋の空といわれるだろう。
  秋ということに、今は、しておいて、やはり色々しみるものがある。何がしみるって、どうもなかなかこの書き込みをやるのも大変だな、という事で、しかし、これは自分の能力からいってもこれくらいで精一杯で、それこそ自分に甘くみると、よーやってる、ということになる。別に、自分に褒美を上げるなんてことは、夢思わないが。
  大体が、上手というか、上品で、優等なものがまず存在する。非の打ちどころがない。そうゆうものをやはり見る。拝見させてもらう。えっと、ブログの話しです。次が、似たり寄ったりかな、自分の書き込みとね、なかなかいいが、ここはおらっちゃが勝っている、なんて思えるもので、これはそんなに多くはない。しかし、精神を落ち着かせるため、これは見ておかないといけない。あとは、ちょっと方向が違う。考えが違う。たまに出てくるもので、これが侮れず、失礼しました、どうもこれはヒントになるなとも思う。
  ブログの感想。
  ブログは、進化する。goo!。ここの書き込みに参加している人が80万人を超えて90万人になろうとしているらしい。私が始めた時は45万くらいだった。
  色々、そこに現われるものも少しずつ変化して、なにやら理解できないものもあるが、いよいよブログも本格化し、競争の時代に入った気がする。
  他の社のものなどは、あからさまに、これまでの記録が公開されて、ある人は満足し、ある人はその数字に打ちひしがれる。でも、これはなかなか興味深い。さらに、どうも、自ら競争に、人気投票に参加する人も多く、そのための装置が組み込まれる。私は、まずはへそ曲がりだし、また天の邪鬼でもあるから、こんなものは絶対に押さなかった。押すと、その人に投票したことになる。で、もはや、競争とか、人気とか、あるいはランキングと無縁である、当たり前か、ことが明白である、あるいはそれを求めない自分としては、この人を推してみようという気にもなってくる。これも、秋であるからだろう。
  きのう、私が見ている、拝見させてもらっている、そのかたの投票ボタンを押した。すると、ルールみたいのが出て、だが残念ながら、その人は、まだ名前が出るランキングに達してなかった。何度も押すと効果が上がるなら、どんどん押してみたいが、その辺は不明だ。
  こうゆう楽しみ方もあるんだな、という発見をした。
  今、各社のブログはどの程度の方が、何百万人の方が使っているのか。また、mで始まる、各社のブログの集合みたいな、そのブログ集団と比べて、どうなのか、若干興味もある。
  セコものもこれから巨大化してゆくだろうけど、やっぱりブログが伸びないといけない、秋の曇天に思う。

黒い雲と北風がようやく来た

2007-09-22 19:07:00 | 散策
  今日も、きびしい残暑かななど思っていると、まずはラジオのプログラムが変わった。どうも季節は、人工のものから変わる。それで、あまりいい気分ではなかった。
  満月の条件というのをまた考えていて、確か国立天文台のあるページにあったのを探していたが、結局見つからないでいた。たぶん、太陽と地球を結ぶ直線をちょうど太陽系の北側から、つまり惑星が反時計回りに回転して見える位置から、わかりやすくするため、かなり遠いところから眺めて、太陽と地球と月が一直線に並ぶ、つまり太陽と地球を結ぶ直線を含む、黄道面に垂直な面を月が通過する時が、満月である。それで間違いないと思うが、そのまま、中途半端な感触が残って落ち着かなかった。一体なんでこんなことを思うのだろう。それは秋だからかも知れない。
  この暑さが続くのはかなわないと思った。もの探しはさっさと止めて、それで、何をしていたか、そうか暑くてどうも調子が思わしくなく、あっさりと、さほど暑くない板の間に、目に水を浸したタオルを当てて横になっていた。眠気はない。これが、なんとなく恒温動物でなく変温動物になってきた、そう思う理由。暑いと眠気も来ない。今日がほどほどの気温なら、あっさりと眠ったかも知れない。
  何だか、落ち込んでゆく話しを書いている。こうして、日々が一日また一日とたっていくわけだけど、なぜかある時刻、午後2時半を過ぎた辺りから急に強い北風が吹き出して、窓がガタガタ揺れるくらいである。この前兆は、午前の積乱雲の発達に見られるのではないかとも思うが、こんなことになるとは考えてもいないし、観天望気でもわからなかった。
  それでも、明日は秋分、太陽は黄経180度に達する日で、まさに明日の午後遅くには、太陽は天の赤道より南に位置することになる。暑さ寒さも彼岸までとはよくいったという気になるが、これまた、その人の主観である。
  一旦北風が吹くと、そこいらを覆っていたものを、まずは移動させることになる。外に干してあるものを中に入れる。雨は望めないが、これも予行演習である。大きく笹がしなって、あっという間にこの辺りの上空は、暗雲に包まれてしまった。なんとなくほっとした。ガタガタという音をたてて、物が落ちる。ぶらさがっている洗濯物も落ちる。ついでに、埃も箪笥の後ろから出てくる。
  朝、少し書いた、足の踏み場の問題だが、あまり考えずに何かを移動させると、それ以外の、その周りにあるものが、すべて”がたん”と倒れそうで、その上にあるものも、みな不安定になりそうで、あわてて中止した。机上の結論は、ここをゴミ箱にするべしだが、そうも言ってられない。かなり使っているモニタが、なぜかチラチラしだした。これは、何時間使用したか、そのデータが記録されているが、それにしても、付けっぱなしはないし、もう少し持つはずだが、それでもこれが真っ暗になると、にっちもさっちもいかなくなる。それはいつか、そんなことを考える時間が果たしてあるのか。問題はねじれにねじれている。


  空気が澄んでいた時があって、そのことはここにも書いていて、すでに1週間前のことになってしまった。剱岳、剣岳、劔岳の姿。



  剱岳の西側、直線でやく42km離れた辺りから撮ったもので、これも、このシーズンとしてはよく見えている。時刻は、午後3時過ぎ。画像変換で、エッジを立てるなどしている。



  同日、午後5時を過ぎた。日の当たる角度がよくなって、陰影がはっきりする。こんな岩肌やら、緑、暗緑色をした剱岳を今までに見たことがない、写した事はないと思う。
  無論、剱岳の近くで、あるいは登って撮られた写真とは比較にはならないが。

いよいよ足の踏み場がなくなる。

2007-09-22 07:19:12 | 散策
  朝の天気、晴れ。風はなく穏やか。室温は27℃。
  空を見ると、青空に少し秋の雲があって、これはやはり秋かもと思う。27℃もあるが。風は吹いていないが、今日も暑いらしいが。
  きのうになると、これはやはり暑く、半ば呆然とする感じがあった。私の温度計は33℃をさしていて、しかし風はなかった。暑いので、光を遮ると、なぜか周りに置いてある様々なものが、なにか異様な感じ、オウラを出しているようである。そこにはただものが置いてあるだけなのであるが、それが根付いている、生き物のようで、かつご主人のようで、私はその周りを掃除する、使用人のように思えた。
  いよいよおかしくなってきた。そう思ったが、何しろ暑くて、ただただ息をしているので精一杯である。こんな暑い日でも、近くて遠いある所で、
  デパートが新装開店して、行列が出来たという。朝の6時から人が並んで、しかし開店は午前10時だった。前日から人が並んだ、そこまではいかなかった。大きな書店が入るともいう。いやもう、きのう開店したのである。したはずである。この暑いのに、34.9℃まで上がったのに、やはり人は押しかける。うーん、このパワーはどこから出るか、また私のこのパワーの無さは、なぜか、また沈黙した。
  このままではいよいよ、何もかもがだめになる。そう思った。まずはいらないものを、外に出さないといけない。あるものは熱で溶けてくっ付いているが、これもバリバリと剥がさないといけない、そう覚悟した。それをやるのは、この連休しかない。それがどうしたわけか、彼岸も中日に近いのにこの暑さ。すでに、この影響がなぜか体に出る。
  結局のところ、暑かろうが、寒かろうが、この日にやると決めたならそれをやらないといけないという事だろう。空の箱はあるから、まずはこれにいらないもの、95%はいらないものだ、を詰めることを始める。まーこのくらい宣言しておかないと。
  朝に、いつものように、鉢の植物を見る。ちょっと大きくなって、それで重くて横に広がるようである。なるほどね。虫に食われている、おいしい方の植物の虫も引っ剥がした。なかなか取れなかった。しかし、最後は取れた。
  水玉は、今日は少し大きいのが目立った。小さいのは無かったようだ。この水玉の光り方が、またよかった。そのかわりかどうか、さっさと藪蚊にさされた。
  この先どうなるか、少し重いおつむでは、その予想は出来ない。