光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寂しいかなコスモス

2007-09-07 18:53:20 | 植物・花(秋)
  風が、ようやく穏やかになった。
  とおの昔に台風9号とは縁が切れたはずだが、この辺りは、まだまだ風が強く、本物の台風の、さらに暴風雨が吹いている圏内にいるという実感がひしひしとする。この感触は久しぶりで、あまり気持ちのいいものではない。さらに、明日の9月8日は、高山本線の、実に丸3年ぶりの、全面復旧、全線開通の日になっているので、余計この妙な、やけにねちっこい、さらに山間部では大雨という天気は、気が気ではなかった。
  今年、初めての台風の襲来で、もしかしたら今年は台風の影響はないと考えていた、その感がはずれた。雨がひどくなったのは、今日のもうお日様が出る時間、風も、台風はもう遠くに行ってからがひどい。これが、台風の効果であって、素人考えではあるが、気圧の低いところだけを見ていても何もわからず、ここは、ある地点でどのくらいの雨が、風が吹いているか、そうゆうものを面倒だが寄せ集めて鳩首対策をやるのが一番と思われる。
  早朝に割と強めの雨が降っていた。その後も、雨は時にスコールのように降った。この雨が、それでは降り続くかというと、そうではない。向こう側、ちょっと西には真っ黒な雨雲があるが、それがなぜかこっちに来るとヘナヘナー、白い雲に変わってしまう。それでは、雨は降らないか、というと違う。歩いてしばらくすると、やっぱり降ってくる。それがひどいというものでなく、安堵した。
  風は、それこそ一日中ひどく、これは気圧配置の等高線を見ていても何の情報も得られない。もっと小さな範囲で、小さなスケールで、気圧の変化があると思う。が、それを小さな画面に現わすのは不可能でもあり、実際にその、より詳しい、小さなスケールでの気圧配置を表わすことは不可能だろう。だから、ここは観天望気でやらないといけない。上空には大きな気圧の谷がまだまだいくつも残っているのだ、そう考えざるを得ない。
  もしかしたら、今日は星空になるかも知れない。日も、もう沈んだ。一日、雨風で洗われた大気はきっと澄んでいるに違いない。

  写真のことを忘れていて、それだけ印象も薄かったわけだけど、ここは、ちょっと寂しげな今どきのコスモスが頭に浮んだ。そういえば、きのう撮ったのだった。



  白いコスモスが咲いていて、これはっと思って近づいた。それくらい、適当なものが見つからないのだ。それで、これを見ていると花弁が一枚足りないような気もする。よく見ると、そこに花弁になり損ねたものがあるようにも見える。



  一つの個体に、1個か2個の花が咲き始めたもので、ここでは雨になった。コスモスの茎や葉っぱというものをしみじみ眺めることはないが、不思議とこれが写っていて、なんとなく気色の悪いものがじわじわこの花に接近しているような錯覚におそわれる。

気もそぞろで、雪占い

2007-09-07 07:17:30 | 散策
  朝の天気、雨。風は、西北西から、木々は揺れ、雨は、打ちつける。室温26℃。
  台風9号の、一番外側の雨雲が、うまくこの辺りにかかっている。予想を見ても、この雨雲はしばらくこの辺りを通過するようである。
  降雨量は、思いのほか少ない。5時とか6時、その頃から本格的な雨、それでも1時間に、5、6mmくらい、これは無論、予想、観天望気。気象台とは離れているので、正確には書けない。
  西からの風、あるいは西北西の風は、なかなか珍しい。雲がかなりのスピードで移動している。雨が窓をたたくが、音はさほどしない。少し開けていた所は、かなり濡れている。それでも、風に乗って雨が奥まで入ってくる。外にあるスリッパ、ツッカケ、は、ほどほどに濡れて気色悪い。
  色々想像する。TVでざっと状況を見て、アメダスも見て、あー山の方ではかなり降っていると想像する。それが、細い沢筋のちょっとした流れが、下って少し大きな流れになる。さらに、もはや激流といっていい流れになって、大きな支流に合流する。河は、普段のおとなしい姿を一変、大波やらしぶきやら轟音をたてて、ゴーゴーと流れる。流木だの、その辺に転がっているゴミも一飲みにして下流へと運ぶ。だんだん怖くなってくる。  
  それで、この秋は、冬はどうなるか、こうゆう心境の時に考える。右腕が、なぜか少ししびれているようで、これも気がかりだ。それで、短い秋は終わって、すべてのもの、ことが凍てつく本物の冬がやって来る。早い年は12月の頭に大雪が降って混乱する。まー、こうゆうこともあるだろう。しかし、これが、3日後に再び降雪を観測し、一部道路が閉鎖される。雪が、40cm積もった。でも、除雪ができない。一気に、暗い影が走る。暗雲が脳裏に垂れ込める。深い深い、デプレッシブがわが身を軽く包む。
  まーこのくらいのことを、ちょっと想像してみることも、必要であろう。いざという時に、これがちゃんと役に立つ。やっぱり、占いが当たった。こんなもの当たらなくてもいいのに、当たってしまった。しょうがない。諦め、諦観の念がちゃんと出来上がっていて、すごすごと最小限のエネルギで、最小限の道をほじくる。
  これ以上は、やはり考えないことにしよう。それにしても、何も特に圧迫するものなどなかったのに、どうして右手がしびれていたのか、不可思議。今年2回目。こっちの方が怖くなった。