光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

コスモス 07年09月18日

2007-09-18 18:47:45 | 植物・花(秋)
  朝の予感がはずれたようで、今日は日中さほど暑さで苦しむことはなかった。さほどはである。それでも、日が出ると一気に暑く感じられて、ここはどうも熱帯に近い気候であると思わざるを得ない。その通り、動けば汗が出る。やはりダラダラと出るのである。
  体のだるさがなくなったと思ったのが、先週の土曜日で、その日から外気温の最高が35℃くらいになって、そのだるさが復活した。早寝して、それで早起きかというとこれは違って、とてもじゃないが、4時半に新聞を配達するなど出来ない。一体いつごろ、その知らない配達の方は起きているのか、”きゅっ”という自転車のブレーキの音を聞くといつもそう思う。十分眠って青息で過ごして、今日は少し楽だった。まったく、なんて”だらな”生活をしているのだろう。それに、さらに、眠気がやって来るので、半ば死んでいる人のようでもある。ミイラというものがあるが、それに近いかも知れない。そのミイラがにょきっと起きだしたら、そうゆうことはないか。
  いずれにしろ、曇り空で、風はこれはゆるい。どうするか迷ったが、このところミニカメラをポケットに入れてというのをやっていない。ここは、これを持つしかない。散歩の道も、この前歩いたのはいつか忘れている。大体が、午前の事も忘れるので、これは困るが、でもここが痛いとか、どうも歯がぐらつくとか、心拍が下がった、目が回った、そうゆうことははっきり覚えていて、ときに簡単によみがえる。痴呆の前兆みたいなものがある。これは自分でわかるものだ。
  コスモスの花、そういえばこのコスモスの花をこの秋になって一度出した。ポツポツと咲き始めて、それも雨のときのものだった。あれから、何日たったか、再びその場所に行くと、いくらかその花の数は増えていた。
  コスモスの花を撮るのは難しい。いつもそう思う。結局、接近して、少し離れて、かなり離れて、そのくらいのパターンしか頭に浮ばない。いつ見ても、魅力というか、誘引力のあるものは出来ないと思う。その点、写真雑誌なり、最近ではネットの、バイナリな世界でも、そこに登場するのは、これはいいねーと思うものばかりで、おそらくそうゆうものは私には撮れないだろう、と思ってしまう。
  写真の世界も、なんでこんなのが一位ってなものが時にあって、これが出ると嬉しくなる。しかし、コスモスの場合、まずこうゆうのはない。こんなのが、なぜ載るかなんて思うことない。どうにか、そうゆうものに近寄りたいと思うが、何も思い浮かばない。今日も、そう思いつつ、いくつかのものをファイルにおさめた。
  でも、コスモスそのものは高級種、だと思う。花の咲き具合もいい。ゆるく暑かったぶん、風も弱く、せいぜいユラユラという形容で足りる揺れ方であった。



  このコスモスは、上品で、華麗で、清楚で、誉め言葉しかない。それが、画像になると、どうもいけない。どうしようもなく、なすすべがなく、ただボタンを押す。



  色合いもいい。透過光と反射光の色の差が、これまた絶妙。もう少し、なんとか出来ないものか。コスモスの写真を見ると、いつもそうゆう思いにかられる。

辺境への旅・人のいない場所

2007-09-18 07:24:38 | 散策
  朝の天気、曇り。先ほどまで、北側は黒い雲、東は晴れ間があった。今は、全面黒い雲で覆われている。しかし、雨はまだ。室温25.5℃、ちょっと涼しい。
  剱岳で、ネット検索したら、早月尾根コースで、一日で剱岳の頂上に立ち、その日のうちに下山、という書き込みを見つけて読んだ。早月尾根のコースは、人が少なかった、という言葉が印象的である。
  そんなに多くない書き込みを定期的に見ているが、旅づくし、旅三昧の生活をしている方がおられそうで、でも、それが山登りだと、これは、なかなか大変である。また世界各地に、そこが有名で、いってみると日本人の方が多かった、というような旅でも、いずれにしろ飛行機の乗り、ホテルに泊まり、なれない外国語やら、へんてこな日本語をしゃべらなければならず、また、お金の問題もあって、これまた、感心することが多い。とてもじゃないが、そんなことは出来ない。
  最近近くに、コンビニエンスストアが出来て、これは便利と思うが、どうも欲しいものがない。さらに、夜はどうか知らないが、お昼ころはがらんとしている。まー、無論このお店が出来て、安心感は増した。感謝している。それにしても、どんどんお店をたたむことが多いからだ。
  ここの反対側には、またかーという感じで、電化製品の量販店が出来る。スーパが、デラックスにして、巨大なスーパが出来る。カメラ屋さんが店を出す。何でもかんでも、その辺りに店をだす。すると、やはり最初のセールには、近くの人がお祝い気分で、朝早くから並ぶ。一体、何回並んだのだろうか。自分でもわからない。大型薄型TVが3台になった。映画館みたいな、オーディオルームが出来た。
  休みになる。今日は、本屋さんは3軒、スーパはこれは止めとこう、あとはやはり電化製品関係で4軒、なんとか100インチのプロジェクタが欲しい。そのために、朝から毎日、1時間ジョギングしている。
  夢のような生活である。それに比べて、ここいらは、何もない。で、例えば、ポチポチ、熱い暑いと思って歩いていても、まず人には会わない。あるいは、おばあさんが、ぽつんと一人バス停で立っている。早月尾根より寂しい感じもする。ここは一体どこか、自分でもわからなくなる。辺境という言葉が浮ぶ。もう少し難しい字もある。そっちの方が感じが出る。
  うーん、特に飛行機に乗らなくてもこの寂しさやら、侘しさを味わえる。山に行かなくても、山並みの静けさを味わえる。大して歩かないのに、大汗もかける。そう考えると、まー悪くもないか、そんな気もして来た。もう少し、木が多くて、それに草がボーボー生えていたら言うことないんだけど。

  ヒガンバナ、マンジュシャゲ、9月17日の様子。



  ここまで大きくなりました。これだと、今日にも咲いてしまうかも知れない。雨もポツポツ降ってきたし。