光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ススキの花も咲いていた

2007-09-05 19:03:00 | 植物・花(秋)
  きのう同様、北から、あるいは北北東の方角から、かなり強い風が吹いている。この風に当たっていると、くしゃみが出て、さらにそのままでいると、これはちょっと危ないようだ。台風の影響もあるが、それだけでこれは説明できないように思われる。
  ときに、雲がやけに低く立ち込める。それは西の方からやって来て、恐らく雨を降らすと思うが、どうもそうならない。観天望気は当たらない。
  今どきのこの辺りにあるものの様子はどうだろうか。枯れた木がときどき目立つ。それで、コスモスもいよいよ大きくなって来た。あるものは、花を咲かせている。でも、ちょっと距離はあってよくは見えない。で、すでにさっさと咲いてしまったものもあって、それが、ずべての個体ではないのだが、なぜかその他のものもどうも咲く気配がなく、今年のご機嫌はよくないようだ。大きくなりすぎていくらかは倒れている。ここは、まだまだ小さいコスモスの生長を待つ。
  キカラスウリの咲いている、それが結実して、実が成っているその場所にひさしぶりに行く。大きい実の写真を載せたが、それはなぜかどこかへ消えてしまった。しかし、他は、小さいのが多いが、一つはかなり大きくなった、数はなっていて、これがまた大きくなってゆく、それを見るのもいい。
  今、写真の整理を少しやっていて、結局のところいい方法はないのだが、それで去年の今頃のものを見ていると、そのキカラスウリの実の、それももう黄色になっているのがあって、これはやはり新鮮な気がした。でも、キカラスウリだけでなく、カラスウリもやはり眺めてみたいものの一つだが、これがなかなか見つからない。カラスが食べたわけではないと思う。
  フジバカマも少しずつ大きくなっている。その花は、少し開きかけている。でも、まだまだ本格的に花が開くにはいたらない。もう少し全体が大きくならないといけない。
  忘れていた。少し水が溜まっている田んぼに、シオカラトンボがいて、それがほぼ2mくらい離れていて、草に止まっていた。それに気が付いたのも不思議だが、こちらが動くと相手も動いて、これは面白くない。今頃、シオカラトンボに振り回されるのはちょっと考えものだが、何しろ写すものを持っていたので、がんばって機会を待った。そこに、赤トンボ、アカネが近づく。目にも止まらない速さで、何が起こっているのかまったくわからないが、そのアキアカネはすごすごと退散した。また、しばらくの間、シオカラ君とにらめっこをする。
  これが、本当かどうか、目を疑ったが本当だろう。ここで、嘘は出てこない。明らかに、ヤンマと思えるトンボが接近して、そのシオカラ君と何か話していた、あるいは挨拶をしたようだが、それはホンの瞬間で、これはヤンマだと私が思ったときには、それは、もうはるかかなたまで飛んでいった後だった。その距離は30mはあるだろう。それっきりであった。それにしても、そのヤンマの動きはいいとして、そのものを瞬間だが実際に見て、これはオニヤンマよりすごい感じもした。しかし、それはあまりにも瞬間過ぎて、この映像も脳裏から薄れつつある。

  それで、ススキ、ようやくススキのところに来た。これも、去年ぶらぶら探していたら、ある所にはあるものだなと思えた。そのところは、ケイトウのたくさん咲いている道のちょっと外れたところにある。ケイトウより、このススキを先に見ていた。しかし、セチガライ世の中で、そのススキもだんだん生えているところが少なくなってきた。どうも刈り取られているようである。



  ススキの花と書いたが、それを花穂ということになっているようだ。尾花ともいう。尾花という花穂を出すと書くのがさらっとしていた。



  まだまだ、出来たての花穂のようである。この先の変化もなかなか面白い、それはどうだったか、またススキを追いかける。  

ミニミニ・ミステリの旅

2007-09-05 07:24:26 | 散策
  朝の天気、曇りか晴れ。ただ、西の空は黒い。煙突が見えない。風は弱く、穏やか。室温26℃、少しムシムシ。
  26℃というと、今の感じでは、北側の部屋で、空気をかきまわすため、扇風機を付けて、それで顔を洗った後は、少しスースーする。
  いよいよ、書く事がなくなって、それで、何かないか、部屋の中、他の部屋の中をうろうろする。誰もいない部屋というのがある。もったいない話しである。ただ、ここのちょっと奥まったところに仏壇がある。
  この部屋の窓は、おかしなことに盛夏でも、それが開くことはない。たまに開けると、えらく怒鳴られるか、しばらくすると閉めてある。でも、日が強力で、まわりの桟やら枠は、その木の樹脂か脂が出てきて、茶色に変色している。元々茶色だが、それが赤みを帯びる。一応障子も入っているが、それもやけやけ、紙が一部ぼろぼろ。これを張り替えた記憶はあるが、今はもうぼろぼろのまま。それを開けると、大量の綿ぼこりが、大きな塊になって、その直角の障子の下側の先っぽに現われる。なんとまあ。
  そこに、昔の家にあったと思われる、テーブルがある。和式のテーブルってなんていったかな。昔は、そのテーブルの上に、文庫本やら、筆記用具やら、ちょっとした雑誌やら、それに新聞などが置いてあった。辞書もあった、これは今もあるが、それ以外は様変わりして、まずは、紙おむつなどがでんとある。人は老いてゆくと、このもののお世話にならないといけない。もはや、文庫本も、父にとっては何の意味もなくなった、かどうか、それはわからないが、それも、知らないうちになくなった。今は、紙おむつと、それと替えようの下着とかシャツが重ねて置いてある。どんどん何かがなくなっていく気がする。どないなっとるねん、と思わざるを得ない。
  ちょっとした薬やら、電池やら、電球やら、ドライバやら、そうゆうもの、日常雑貨を置いてある所が居間で、ここも気が付かないうちに、どんどん変わっている。胃薬がないのはわかっているが、俗にいう、市販の薬で、あるのは痒み止め、虫に刺された時に使う、それくらいしかない。目薬は空。その空の瓶が何種類かあるが、これは変化がない。そこらじゅうに必要ないと思われる、貯金箱、ただしビニル製、それに御面などがあるが、昔あった、詳しい地図、新聞に放り込まれるもの、などは、綺麗さっぱりなくなってゆく。父の使っていた鞄もなくなった。その横に積んであった、『文藝春秋』も綺麗さっぱりなくなった。父が使っていた腕時計があるはずだが、これもどこにいったのか不明。もう使われない、髭そりは、いやというほど、束ねておいてある。何が何やら、わからない状態にある。そしてそのまわりは、埃だらけ。
  ミステリと言うより、ゴミのあり方を探る旅になってしまった。戦慄という点では、同じかも知れないけど。