頭の中でだが、未来に何があるかは、なかなかわかり辛い。ただ、何かあるとさっと逃げるような
生き方をしていて、これまではどうにかなったが、あるときからはもうそれが出来なくなった。
こうゆうときは必ず来るのだな。いまでもこれはやりたくないな、と言うことばかりというより、やれたらいいが
やれないことばかりになって、それだけで十分に辛い思いをしているのだが。
今後こうゆうことはさらに増える。5年前、いや7年前はそれほどこの考えは重みはなかったが、4年ほど前からは
はっきり自覚していて、いまはそれを忘れることがなく、それゆえここで息抜き。違うかも知れない。
今日はまだ雨は降っていない。雨が降る感じはない。きのうのほうが降りそうで、実際にぽつぽつ来たのだが
このときは、カメさん持ちでしかし早歩きをしていた。雨だから。帰ってきて、しばらく脱力。
いっているところはほとんど同じところだが、このごろは回数少なく、3ヶ月くらいは空いたかも。
虫、とくにチョウは姿はほとんどない。花は、ご家庭のものはいいようだが、空き地とかに植えられているものは、
もちろん人の手でであるが、端境期かも知れず、アベリア以外はよさそうなものはなかった。
きのうも同じようなことを考えていたのだが、時間の進行方向は、未来へと向かっているようで、道を踏み外すことは
出来ないようである。多くの人と同じような時間の方向で生きていると思う。時間の進行方向に分かれ道はないように
思うが、そうではないと言う考えもあって、あるとき何かが起こっているのだろう、ときの流れの分岐点に到達して
あれま、同じようでありながら違う感じもする。そうゆうことも起こるとか。
時間に虚数時間を持ち込んだ有名が科学者の名は忘れた、と言うかすぐに思い浮かばないが、これは意味が違うか。
単純に私が考えられるのは、過去に戻ることで、むかし話となるが、これがいつも同じかというと、ときによって
ころころと変わったりもする。記憶の振動か。これが、いま書けることで、お天気については特にないなー。
で、昭和と言う時代の年表も見ている。何年か、恐らく10年はたっている。歴史年表、これは日本のもので
かなり本格的な、値段も高いが大きさ、厚さ十分なものを見つけて、これはあった方がいいと思い、しかし手元に
届いたのは、これも単純なミスだと思うが、歴史ではなく、文化年表だったので、呆れたというか、結構落ちる
ところまで落ちた。中見るまで、間違いに気が付かなかった。もちろん、その歴史年表は売っている。さすがにもう一冊を
注文する気にならなかった。こうゆうことは普通はないのだが、そうでもないかな。
で、ほとんどどうでもいいことだけど、私が大学に入ったのは、1972年である。えらくむかしで、だからもう60歳を
超えてしまっている。いまは61歳になった。もう一度どうでもいいことを書いたを追加。
それで、たとえばいまから30年と少し、もっとかな、むかしに戻ることは出来はしないが、それを思い出すことは
できて、ここのいえもむかしのいえだが・・・。歩いて10分足らずで、ある田舎の鉄道が走っていた。その駅舎も非常に
鄙びたものだが、なかなか情緒があって切符も売っていた。個人に委託されていたのだろうか。
電車である。電化されていた。
ある時間帯は、そのときに限るが、レールに秘密でもないが、特殊な仕掛けがあって、ポイント切り替えで、いまでゆう
富山駅前までも行くことができた。しかし、この時間帯に乗ったという記憶はない。一度降りて、市内軌道に乗ったという
記憶しかない。なかなか便利だが、本数はもちろん限られていた。今ごろこの鉄道があれば、と思うがこれがよみがえる
ことはない。
大学のときに、家族は三重県の津という街にいて、私も小さいころからここに住んでいたのだが、その前があって
小学5年生までは、大阪の堺市に住んでいた。面白い年代である。ときどきこうゆうことは書いているが、毎回
違ったことを書いていると思う。
で、当時、勉強はしなかったが、本はいろいろ買っていた。年齢が上になって、行く学校も中学校になり、さらに高校と
なって、いまさらながらどうしようもないが、参考書のようなものもずいぶんと買っていたようである。これはある意味
気分転換であった。高校は、学区が広かったが、それでも同じ書店で、同級生に顔を合わすことなどもある。
これは若干いやなものがあった。しかし、当時は本屋さんも多かったな。
いまはここの近くと言うと、そういえばコンビニ、略のままで、にも本、雑誌はあるが、見たこともない。新聞も
ある。でもスポーツ紙かな。それで、72年に、津という街から離れて、東海地方に移ったのだけど、休みはいえに
帰るしかない。この時間、ときに本屋さんにもいったが、あるときは昼夜逆転の生活なども送って、さほど外にも
出なかったようである。この街とは、学生の途中で引越しがあって縁が切れた。しかし私はいえに戻らなかったので
結構多くの本やら雑誌は、捨てられたはずだが、いくらかは残っていて、それはいま住んでいるここにまっすぐに
来ている。なんだか傑作な話で、1960年代の天文雑誌などもあるが、いまは見ない。
単純に、このときに、ある程度まとまった本を捨てたというかお別れした、と言うことだが、概して引っ越しは
そうゆうことを伴う。私も帰ればよかったのだが。
簡単に、1972年に何があったか。浅間山荘事件。米国のニクソン大統領、中国訪問。
5月15日、沖縄施政権返還(本土復帰)、米国でウォーターゲート事件発生、このウォータゲート事件というのは
事件の名はすぐに思い出すことが出来るが、一体に何が事件なのか、どうゆう事件なのかさっぱりそのときも
わかっていない。
これはいまでもだが、わからないままだ。このときのドルは、円では一体にいくらだったのか。
これは、失敗作だな。
それで、花々である。あまり見よいものはない。
その一。アベリア。これはきれいだった。
その二。アジサイもまだ。
その三。菜園。トマトが徒長しているようだが。
その四。黄色はシュンギクの花か。
その五。ダリアだろうけど、天候のせいか。
その六。
その七。葉の斑入り。
その八。リアトリス。色がどうも、これはこのカメラの色だが。
その九。このキクがどうゆう種類か、わかり辛いが多くは、このようにもう変色している。
薄い褐色で、白い花の多くはこうゆう感じ。
雨かな。
ちょっと、営業の人が来られて、時間持っていかれたがしょうがない。
生き方をしていて、これまではどうにかなったが、あるときからはもうそれが出来なくなった。
こうゆうときは必ず来るのだな。いまでもこれはやりたくないな、と言うことばかりというより、やれたらいいが
やれないことばかりになって、それだけで十分に辛い思いをしているのだが。
今後こうゆうことはさらに増える。5年前、いや7年前はそれほどこの考えは重みはなかったが、4年ほど前からは
はっきり自覚していて、いまはそれを忘れることがなく、それゆえここで息抜き。違うかも知れない。
今日はまだ雨は降っていない。雨が降る感じはない。きのうのほうが降りそうで、実際にぽつぽつ来たのだが
このときは、カメさん持ちでしかし早歩きをしていた。雨だから。帰ってきて、しばらく脱力。
いっているところはほとんど同じところだが、このごろは回数少なく、3ヶ月くらいは空いたかも。
虫、とくにチョウは姿はほとんどない。花は、ご家庭のものはいいようだが、空き地とかに植えられているものは、
もちろん人の手でであるが、端境期かも知れず、アベリア以外はよさそうなものはなかった。
きのうも同じようなことを考えていたのだが、時間の進行方向は、未来へと向かっているようで、道を踏み外すことは
出来ないようである。多くの人と同じような時間の方向で生きていると思う。時間の進行方向に分かれ道はないように
思うが、そうではないと言う考えもあって、あるとき何かが起こっているのだろう、ときの流れの分岐点に到達して
あれま、同じようでありながら違う感じもする。そうゆうことも起こるとか。
時間に虚数時間を持ち込んだ有名が科学者の名は忘れた、と言うかすぐに思い浮かばないが、これは意味が違うか。
単純に私が考えられるのは、過去に戻ることで、むかし話となるが、これがいつも同じかというと、ときによって
ころころと変わったりもする。記憶の振動か。これが、いま書けることで、お天気については特にないなー。
で、昭和と言う時代の年表も見ている。何年か、恐らく10年はたっている。歴史年表、これは日本のもので
かなり本格的な、値段も高いが大きさ、厚さ十分なものを見つけて、これはあった方がいいと思い、しかし手元に
届いたのは、これも単純なミスだと思うが、歴史ではなく、文化年表だったので、呆れたというか、結構落ちる
ところまで落ちた。中見るまで、間違いに気が付かなかった。もちろん、その歴史年表は売っている。さすがにもう一冊を
注文する気にならなかった。こうゆうことは普通はないのだが、そうでもないかな。
で、ほとんどどうでもいいことだけど、私が大学に入ったのは、1972年である。えらくむかしで、だからもう60歳を
超えてしまっている。いまは61歳になった。もう一度どうでもいいことを書いたを追加。
それで、たとえばいまから30年と少し、もっとかな、むかしに戻ることは出来はしないが、それを思い出すことは
できて、ここのいえもむかしのいえだが・・・。歩いて10分足らずで、ある田舎の鉄道が走っていた。その駅舎も非常に
鄙びたものだが、なかなか情緒があって切符も売っていた。個人に委託されていたのだろうか。
電車である。電化されていた。
ある時間帯は、そのときに限るが、レールに秘密でもないが、特殊な仕掛けがあって、ポイント切り替えで、いまでゆう
富山駅前までも行くことができた。しかし、この時間帯に乗ったという記憶はない。一度降りて、市内軌道に乗ったという
記憶しかない。なかなか便利だが、本数はもちろん限られていた。今ごろこの鉄道があれば、と思うがこれがよみがえる
ことはない。
大学のときに、家族は三重県の津という街にいて、私も小さいころからここに住んでいたのだが、その前があって
小学5年生までは、大阪の堺市に住んでいた。面白い年代である。ときどきこうゆうことは書いているが、毎回
違ったことを書いていると思う。
で、当時、勉強はしなかったが、本はいろいろ買っていた。年齢が上になって、行く学校も中学校になり、さらに高校と
なって、いまさらながらどうしようもないが、参考書のようなものもずいぶんと買っていたようである。これはある意味
気分転換であった。高校は、学区が広かったが、それでも同じ書店で、同級生に顔を合わすことなどもある。
これは若干いやなものがあった。しかし、当時は本屋さんも多かったな。
いまはここの近くと言うと、そういえばコンビニ、略のままで、にも本、雑誌はあるが、見たこともない。新聞も
ある。でもスポーツ紙かな。それで、72年に、津という街から離れて、東海地方に移ったのだけど、休みはいえに
帰るしかない。この時間、ときに本屋さんにもいったが、あるときは昼夜逆転の生活なども送って、さほど外にも
出なかったようである。この街とは、学生の途中で引越しがあって縁が切れた。しかし私はいえに戻らなかったので
結構多くの本やら雑誌は、捨てられたはずだが、いくらかは残っていて、それはいま住んでいるここにまっすぐに
来ている。なんだか傑作な話で、1960年代の天文雑誌などもあるが、いまは見ない。
単純に、このときに、ある程度まとまった本を捨てたというかお別れした、と言うことだが、概して引っ越しは
そうゆうことを伴う。私も帰ればよかったのだが。
簡単に、1972年に何があったか。浅間山荘事件。米国のニクソン大統領、中国訪問。
5月15日、沖縄施政権返還(本土復帰)、米国でウォーターゲート事件発生、このウォータゲート事件というのは
事件の名はすぐに思い出すことが出来るが、一体に何が事件なのか、どうゆう事件なのかさっぱりそのときも
わかっていない。
これはいまでもだが、わからないままだ。このときのドルは、円では一体にいくらだったのか。
これは、失敗作だな。
それで、花々である。あまり見よいものはない。
その一。アベリア。これはきれいだった。
その二。アジサイもまだ。
その三。菜園。トマトが徒長しているようだが。
その四。黄色はシュンギクの花か。
その五。ダリアだろうけど、天候のせいか。
その六。
その七。葉の斑入り。
その八。リアトリス。色がどうも、これはこのカメラの色だが。
その九。このキクがどうゆう種類か、わかり辛いが多くは、このようにもう変色している。
薄い褐色で、白い花の多くはこうゆう感じ。
雨かな。
ちょっと、営業の人が来られて、時間持っていかれたがしょうがない。