光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

端境期かな、花や虫を探しに出かけたが、はずれのよう。毎度の時間の逆転劇

2015-07-07 14:15:42 | 植物・花(夏)
  頭の中でだが、未来に何があるかは、なかなかわかり辛い。ただ、何かあるとさっと逃げるような

  生き方をしていて、これまではどうにかなったが、あるときからはもうそれが出来なくなった。

  こうゆうときは必ず来るのだな。いまでもこれはやりたくないな、と言うことばかりというより、やれたらいいが

  やれないことばかりになって、それだけで十分に辛い思いをしているのだが。

  今後こうゆうことはさらに増える。5年前、いや7年前はそれほどこの考えは重みはなかったが、4年ほど前からは

  はっきり自覚していて、いまはそれを忘れることがなく、それゆえここで息抜き。違うかも知れない。


  今日はまだ雨は降っていない。雨が降る感じはない。きのうのほうが降りそうで、実際にぽつぽつ来たのだが

  このときは、カメさん持ちでしかし早歩きをしていた。雨だから。帰ってきて、しばらく脱力。

  いっているところはほとんど同じところだが、このごろは回数少なく、3ヶ月くらいは空いたかも。

  虫、とくにチョウは姿はほとんどない。花は、ご家庭のものはいいようだが、空き地とかに植えられているものは、

  もちろん人の手でであるが、端境期かも知れず、アベリア以外はよさそうなものはなかった。


  きのうも同じようなことを考えていたのだが、時間の進行方向は、未来へと向かっているようで、道を踏み外すことは

  出来ないようである。多くの人と同じような時間の方向で生きていると思う。時間の進行方向に分かれ道はないように

  思うが、そうではないと言う考えもあって、あるとき何かが起こっているのだろう、ときの流れの分岐点に到達して

  あれま、同じようでありながら違う感じもする。そうゆうことも起こるとか。

  時間に虚数時間を持ち込んだ有名が科学者の名は忘れた、と言うかすぐに思い浮かばないが、これは意味が違うか。


  単純に私が考えられるのは、過去に戻ることで、むかし話となるが、これがいつも同じかというと、ときによって

  ころころと変わったりもする。記憶の振動か。これが、いま書けることで、お天気については特にないなー。

 
  で、昭和と言う時代の年表も見ている。何年か、恐らく10年はたっている。歴史年表、これは日本のもので

  かなり本格的な、値段も高いが大きさ、厚さ十分なものを見つけて、これはあった方がいいと思い、しかし手元に

  届いたのは、これも単純なミスだと思うが、歴史ではなく、文化年表だったので、呆れたというか、結構落ちる

  ところまで落ちた。中見るまで、間違いに気が付かなかった。もちろん、その歴史年表は売っている。さすがにもう一冊を

  注文する気にならなかった。こうゆうことは普通はないのだが、そうでもないかな。


  で、ほとんどどうでもいいことだけど、私が大学に入ったのは、1972年である。えらくむかしで、だからもう60歳を

  超えてしまっている。いまは61歳になった。もう一度どうでもいいことを書いたを追加。

  それで、たとえばいまから30年と少し、もっとかな、むかしに戻ることは出来はしないが、それを思い出すことは

  できて、ここのいえもむかしのいえだが・・・。歩いて10分足らずで、ある田舎の鉄道が走っていた。その駅舎も非常に

  鄙びたものだが、なかなか情緒があって切符も売っていた。個人に委託されていたのだろうか。

  電車である。電化されていた。

  ある時間帯は、そのときに限るが、レールに秘密でもないが、特殊な仕掛けがあって、ポイント切り替えで、いまでゆう

  富山駅前までも行くことができた。しかし、この時間帯に乗ったという記憶はない。一度降りて、市内軌道に乗ったという

  記憶しかない。なかなか便利だが、本数はもちろん限られていた。今ごろこの鉄道があれば、と思うがこれがよみがえる

  ことはない。


  大学のときに、家族は三重県の津という街にいて、私も小さいころからここに住んでいたのだが、その前があって

  小学5年生までは、大阪の堺市に住んでいた。面白い年代である。ときどきこうゆうことは書いているが、毎回

  違ったことを書いていると思う。

  で、当時、勉強はしなかったが、本はいろいろ買っていた。年齢が上になって、行く学校も中学校になり、さらに高校と

  なって、いまさらながらどうしようもないが、参考書のようなものもずいぶんと買っていたようである。これはある意味

  気分転換であった。高校は、学区が広かったが、それでも同じ書店で、同級生に顔を合わすことなどもある。

  これは若干いやなものがあった。しかし、当時は本屋さんも多かったな。


  いまはここの近くと言うと、そういえばコンビニ、略のままで、にも本、雑誌はあるが、見たこともない。新聞も

  ある。でもスポーツ紙かな。それで、72年に、津という街から離れて、東海地方に移ったのだけど、休みはいえに

  帰るしかない。この時間、ときに本屋さんにもいったが、あるときは昼夜逆転の生活なども送って、さほど外にも

  出なかったようである。この街とは、学生の途中で引越しがあって縁が切れた。しかし私はいえに戻らなかったので

  結構多くの本やら雑誌は、捨てられたはずだが、いくらかは残っていて、それはいま住んでいるここにまっすぐに

  来ている。なんだか傑作な話で、1960年代の天文雑誌などもあるが、いまは見ない。

  単純に、このときに、ある程度まとまった本を捨てたというかお別れした、と言うことだが、概して引っ越しは

  そうゆうことを伴う。私も帰ればよかったのだが。


  簡単に、1972年に何があったか。浅間山荘事件。米国のニクソン大統領、中国訪問。

  5月15日、沖縄施政権返還(本土復帰)、米国でウォーターゲート事件発生、このウォータゲート事件というのは

  事件の名はすぐに思い出すことが出来るが、一体に何が事件なのか、どうゆう事件なのかさっぱりそのときも

  わかっていない。

  これはいまでもだが、わからないままだ。このときのドルは、円では一体にいくらだったのか。


  
  これは、失敗作だな。

  それで、花々である。あまり見よいものはない。




  その一。アベリア。これはきれいだった。




  その二。アジサイもまだ。




  その三。菜園。トマトが徒長しているようだが。




  その四。黄色はシュンギクの花か。




  その五。ダリアだろうけど、天候のせいか。




  その六。




  その七。葉の斑入り。




  その八。リアトリス。色がどうも、これはこのカメラの色だが。




  その九。このキクがどうゆう種類か、わかり辛いが多くは、このようにもう変色している。

  薄い褐色で、白い花の多くはこうゆう感じ。


  雨かな。


  ちょっと、営業の人が来られて、時間持っていかれたがしょうがない。



丸くない月が遅めに出て、月明かり。小さいクワガタが、今年も来た

2015-07-07 07:12:31 | 虫、その他
  お天気、午前6時ころは、お日様が顔を出した。それよりも1時間半ほど前に

  一度目が覚めて、そのときも空はそんなに悪くなく、明るさがあった。


  きのうの宵の時間に戻ると、このときは厚い雲があったと思う。それよりも前の夕方は

  白い小さい雲を夕日が照らした。この時間は短かった。

  それよりもさらに前の、午後のある時間はポツリと、雨である。ただこれは、たまにポツリ。

  でもカメラの小さいモニタにもポツリ、しっかりと一粒の雨滴。


  月もまずまず見えていたし、6時ごろには雲の中から太陽も顔を出したが、予報はどうも曇りか雨で、

  なかなかすっきりとした天気になりそうにない。

  いまのところ風はなく、気温も適度で、暑すぎることはない。


  きのうのニュースを見ていて、やっていることは変わらず、時間だけが過ぎればいいという感じがした。

  何の夢を見ているのだろうか、政治家はというところ。


  あまりにいろいろで、でも大体やっていることは同じだ。

  新国立で、もう何が問題かわかる。サミットでも同じ。新幹線も同じで、

  世界遺産の登録も同じ感じである。

  ここに、2020年の、東京オリンピックが重なり、ナデシコに熱狂した姿も。


  でも中国とは仲良くしないと、この極東の国は、存立が危ぶまれるし、

  もちろん、ロシア連邦とでも同じことが考えられる。

  敵国と言うものの存在がないと言うことが、当面のこの極東にある、列島の国、自然災害多発の国の

  国民が安心して生きていける、最低条件だと思う。


  地元の新聞を今朝もちらりと見たが、あまりにゴチャゴチャで、なにがどうなってという印象が強い。

  俗にいう全国紙でも同じかな。

  世界にどのくらいの新聞があるか、そこで何が報じられているか。

  これはわからない。


  画像は今年も来た、小型のクワガタ。ゴミムシとか、ゴミムシダマシではないと思う。

  そっちのほうが珍しいが。1週間くらい暖めていた。手が写っているので。












  虫だけ見てください。