前から気が付いていたのだが、カレンダの7、8月の写真が、栗林公園である。
栗林公園というとなんか頭に残るものがあるな、なんだっけ。栗林公園をまずは最初は正しく読めな
かったが。何度か考えて、「りつりん」だったなー、という程度であるが。
香川県高松市にある。どうゆう公園か。江戸時代の、藩主とかが作ったものだろう。日本庭園のような
公園。もちろん徳川の時代は、公園ではなかったのだが。
それで、栗林ときて、頭に思い浮かぶのは、源内、平賀源内である。讃岐の国では、源内先生と呼ばれる。
松陰先生と似ているなとかも思うが、どうもそれとは違うようだ。
源内に興味があった、というのはなかなか考えられず、どっちかというと、田中優子さんの著作が先で
ある。源内というと「エレキテル」だが、これも義務教育の教科書には出ているようだが、これ以外のほうが
本を読んでいると、面白そうである。さらに、芳賀徹さんの本も、これは富山の書店で購入した。朝日選書。
両方ともある。ただこれ以上はない。
さらに、平賀源内については、これもむかしの話だが、NHK-TVで、物語、ドラマとして放送されていて
この記憶もあるが、中身はもう忘れている。
源内ファンは、世界中にいるようで、人の魅力は、国とか人種に関係しないものだというものも、ずいぶんと
感じだ。
何が時代錯誤か、というと、一応ネットはある。妙な言い方だな。PCがあって、きわめて遅い「ADSL」の契約を
NTT西としていて、これはもちろん固定電話があるからだが、インターネットというものを体験できる。
携帯電話は持たない。買う気もないし、多分買えないと思う。少しむかし調べたが、どうゆう風になっているか、
まずは大まかにでもつかめないのである。そうゆう意味では、PCよりもはるかにむつかしい。
無線電話程度だな。メールとかもあるか。パケット通信とかあった。写真も送れる。撮ることも出来る。
問題は、使用料金だ。その前に、もちろん無線であるということはわかっているが、理屈は正確には
わからない。ネットもそういえばそうかな。で一番の難点、難問は、お金の問題で、どうもこの値段だと
破産する。予算オーバーと言うところ。
情報関係だと、まずは一応新聞がある。愛読しているのは、北日本新聞である。これが3000円くらい。一ヶ月で。
電話と、ADSLで、金額が5000円から6000円の間。固定電話の通話の料金は、100円はいかない。60円とか。
もちろん、携帯がないから、スマホもない。スマートフォーン。タブレットもよくはわからない。
携帯の延長だろうか。
今日は、ちょうど午前10時になるかなという時間から、本の山を少し潰して、もう少しわかりやすく並べるということ
をやり始めた。背表紙が見えない。カバーがかかっている。ほか、もしかして、探していた本があるかも知れない。
最初の山は、これは小さい。新書が20冊くらいである。これを動かしたとたん、綿埃がたくさんあるのがわかって
さらに本にくっ付いているようで、ふわっと舞い上がりそうであった。不潔恐怖も少し出る。でもガマン。
床、フローリング、板の間、およそ平面で、この目線でものを動かすことはほとんどない。カバーをはずして
背表紙を揃えてタイトルがすぐにわかるように。でもここに収穫的なものはなかった。
もう少し山を潰すことにした。掃除機のほうに行きたかったが、ぐっとその欲望を抑えた。もっと汚れる。
それは後だ。で、中間くらいの高さの山二つ。その下は、もう動かさなくていい何かがあって、もちろん本も
ある。この低い位置の姿勢を保つのはなかなか至難である。おなかの出っ張りが強烈。痛い。
一応所期の目的、掃除ということと、背表紙を揃えること、は終わりそうで、本にはたくさんの埃だから
ここで真空掃除機の登場である。10年くらい前からのゴミかな。
この掃除機を使うのも、細かい動きが必要な場合、延長用のパイプは使わない。短いまま、蛇腹に先っぽを
つなぐ。これが長い間の私の掃除の方法だが、もちろん何年か前からはやっていない。
時間にして、30分強。絶えて、開放されたが、疲れる。
一昨日、もう少し元気があって、足の爪を切った。これが出来ないと大変である。このときの疲労が
残っている。はるかに今日が苦しい。
それで、不思議と思うことは、ネットの目的。ほとんどブログのために使うかか、あるいは品物の注文か、あるいは
ニュース、それに調べもので、PCのエンサイクロペディアを使う。これもお金がかかるということで、寄付をお願い
します、と出る。
SNSの地獄から抜け出すことがいまは課題になっているとのこと。止めどきがいつか。これは時代の発想だな。
そうゆうところまで来ている。もちろん、これがないと決定的に困ることがあるので、すべては辞められないが。
一方で、こういった環境に無縁で、堂々生きている人がいる。そのまねはできないが。
でも、ブログもそのうちに、これまた時代遅れのものに。やらなくなるかも。やめる人が増えるかな。
消えちゃうかも。ツイッターもやったことないし、フェースブックも知らないけど。
流行ものだよな。時代は再び、手書きのハガキ、便箋でのやり取りにと。
CD時代は終わった。音楽も、通信で。でもアナログレコードも人気が出る。時計がいまは、みなアナログだしな。
デジタルはおまけ。
探しものに、あるいは学習に、やはり都合のいいのは、本なんだな。特に私の場合は。
しんどいけど、そうゆうところから、キーワードを探してメモをする。そんな詳しいものではないけど。
完全時代錯誤で、結局残る手段はやはりこれだが、いずれにせよ、本探しは必要になる。
あるものは新しく買わないといけない。古いものがあっても、場所がわからないし。
栗林公園と源内先生。栗林公園はもちろん、ネットで調べたのだけど。
これもネタ探し的な意味合いもあっての、本の整理だけど。
単純に、もう少し選択肢が増える時代にならないかなー。
タイトルを先に考えていて、これだとちょっと中身がおかしくなると言うか、おもろくはないかな。
やっぱりのほほんから出てくるものがいいか。どっちもしかし痛い、と言うのがある種の原動力だが。
風は北風である。あまり気温は上がっていない。
これがいつもの書き出しだべ。
垣の花のその後。多分、剪定してどのくらい時間たったか、3週間くらいかな。
その一。ここはあまり出ないところ。
その二。ここは毎度。
その三。
その四。人の手のような、ヤツデに似る、カエデの大きな葉のように見えるのが、カラスウリの
葉。
その五。これは色が薄いから、新しく出たカエデの葉かな。
その六。アマガエル。
その七。
その八。敏感である。これを追いかける。
その九。剪定ばさみが使われた、と言うのが、アジサイの切り株でわかりやすい。
今日もやはり晴れそうにない。
財布のお金を確認。減っているだけ。
ギリシャの国民投票の結果、これは新聞を見直して、どう判断するのがいいのかの参考にしたが
どうもさほど影響はないみたいね。どっちゃでもエー。
栗林公園というとなんか頭に残るものがあるな、なんだっけ。栗林公園をまずは最初は正しく読めな
かったが。何度か考えて、「りつりん」だったなー、という程度であるが。
香川県高松市にある。どうゆう公園か。江戸時代の、藩主とかが作ったものだろう。日本庭園のような
公園。もちろん徳川の時代は、公園ではなかったのだが。
それで、栗林ときて、頭に思い浮かぶのは、源内、平賀源内である。讃岐の国では、源内先生と呼ばれる。
松陰先生と似ているなとかも思うが、どうもそれとは違うようだ。
源内に興味があった、というのはなかなか考えられず、どっちかというと、田中優子さんの著作が先で
ある。源内というと「エレキテル」だが、これも義務教育の教科書には出ているようだが、これ以外のほうが
本を読んでいると、面白そうである。さらに、芳賀徹さんの本も、これは富山の書店で購入した。朝日選書。
両方ともある。ただこれ以上はない。
さらに、平賀源内については、これもむかしの話だが、NHK-TVで、物語、ドラマとして放送されていて
この記憶もあるが、中身はもう忘れている。
源内ファンは、世界中にいるようで、人の魅力は、国とか人種に関係しないものだというものも、ずいぶんと
感じだ。
何が時代錯誤か、というと、一応ネットはある。妙な言い方だな。PCがあって、きわめて遅い「ADSL」の契約を
NTT西としていて、これはもちろん固定電話があるからだが、インターネットというものを体験できる。
携帯電話は持たない。買う気もないし、多分買えないと思う。少しむかし調べたが、どうゆう風になっているか、
まずは大まかにでもつかめないのである。そうゆう意味では、PCよりもはるかにむつかしい。
無線電話程度だな。メールとかもあるか。パケット通信とかあった。写真も送れる。撮ることも出来る。
問題は、使用料金だ。その前に、もちろん無線であるということはわかっているが、理屈は正確には
わからない。ネットもそういえばそうかな。で一番の難点、難問は、お金の問題で、どうもこの値段だと
破産する。予算オーバーと言うところ。
情報関係だと、まずは一応新聞がある。愛読しているのは、北日本新聞である。これが3000円くらい。一ヶ月で。
電話と、ADSLで、金額が5000円から6000円の間。固定電話の通話の料金は、100円はいかない。60円とか。
もちろん、携帯がないから、スマホもない。スマートフォーン。タブレットもよくはわからない。
携帯の延長だろうか。
今日は、ちょうど午前10時になるかなという時間から、本の山を少し潰して、もう少しわかりやすく並べるということ
をやり始めた。背表紙が見えない。カバーがかかっている。ほか、もしかして、探していた本があるかも知れない。
最初の山は、これは小さい。新書が20冊くらいである。これを動かしたとたん、綿埃がたくさんあるのがわかって
さらに本にくっ付いているようで、ふわっと舞い上がりそうであった。不潔恐怖も少し出る。でもガマン。
床、フローリング、板の間、およそ平面で、この目線でものを動かすことはほとんどない。カバーをはずして
背表紙を揃えてタイトルがすぐにわかるように。でもここに収穫的なものはなかった。
もう少し山を潰すことにした。掃除機のほうに行きたかったが、ぐっとその欲望を抑えた。もっと汚れる。
それは後だ。で、中間くらいの高さの山二つ。その下は、もう動かさなくていい何かがあって、もちろん本も
ある。この低い位置の姿勢を保つのはなかなか至難である。おなかの出っ張りが強烈。痛い。
一応所期の目的、掃除ということと、背表紙を揃えること、は終わりそうで、本にはたくさんの埃だから
ここで真空掃除機の登場である。10年くらい前からのゴミかな。
この掃除機を使うのも、細かい動きが必要な場合、延長用のパイプは使わない。短いまま、蛇腹に先っぽを
つなぐ。これが長い間の私の掃除の方法だが、もちろん何年か前からはやっていない。
時間にして、30分強。絶えて、開放されたが、疲れる。
一昨日、もう少し元気があって、足の爪を切った。これが出来ないと大変である。このときの疲労が
残っている。はるかに今日が苦しい。
それで、不思議と思うことは、ネットの目的。ほとんどブログのために使うかか、あるいは品物の注文か、あるいは
ニュース、それに調べもので、PCのエンサイクロペディアを使う。これもお金がかかるということで、寄付をお願い
します、と出る。
SNSの地獄から抜け出すことがいまは課題になっているとのこと。止めどきがいつか。これは時代の発想だな。
そうゆうところまで来ている。もちろん、これがないと決定的に困ることがあるので、すべては辞められないが。
一方で、こういった環境に無縁で、堂々生きている人がいる。そのまねはできないが。
でも、ブログもそのうちに、これまた時代遅れのものに。やらなくなるかも。やめる人が増えるかな。
消えちゃうかも。ツイッターもやったことないし、フェースブックも知らないけど。
流行ものだよな。時代は再び、手書きのハガキ、便箋でのやり取りにと。
CD時代は終わった。音楽も、通信で。でもアナログレコードも人気が出る。時計がいまは、みなアナログだしな。
デジタルはおまけ。
探しものに、あるいは学習に、やはり都合のいいのは、本なんだな。特に私の場合は。
しんどいけど、そうゆうところから、キーワードを探してメモをする。そんな詳しいものではないけど。
完全時代錯誤で、結局残る手段はやはりこれだが、いずれにせよ、本探しは必要になる。
あるものは新しく買わないといけない。古いものがあっても、場所がわからないし。
栗林公園と源内先生。栗林公園はもちろん、ネットで調べたのだけど。
これもネタ探し的な意味合いもあっての、本の整理だけど。
単純に、もう少し選択肢が増える時代にならないかなー。
タイトルを先に考えていて、これだとちょっと中身がおかしくなると言うか、おもろくはないかな。
やっぱりのほほんから出てくるものがいいか。どっちもしかし痛い、と言うのがある種の原動力だが。
風は北風である。あまり気温は上がっていない。
これがいつもの書き出しだべ。
垣の花のその後。多分、剪定してどのくらい時間たったか、3週間くらいかな。
その一。ここはあまり出ないところ。
その二。ここは毎度。
その三。
その四。人の手のような、ヤツデに似る、カエデの大きな葉のように見えるのが、カラスウリの
葉。
その五。これは色が薄いから、新しく出たカエデの葉かな。
その六。アマガエル。
その七。
その八。敏感である。これを追いかける。
その九。剪定ばさみが使われた、と言うのが、アジサイの切り株でわかりやすい。
今日もやはり晴れそうにない。
財布のお金を確認。減っているだけ。
ギリシャの国民投票の結果、これは新聞を見直して、どう判断するのがいいのかの参考にしたが
どうもさほど影響はないみたいね。どっちゃでもエー。