光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

台風が来ているような風が吹く。きのうの宵、姿を見せた立山連峰

2015-06-27 14:04:42 | 散策
  朝は、静かだったと思う。雨も止んでいたし、そんな悪くはならないのかなー。


  いい天気になるように祈っているが、日本海に低気圧があって、ここに向かって風が吹き始めたのが

  何時ころだったか。いつも出ているときが多い雷注意報がなくなって、強風注意報が出ている。

  この強風注意報が出た後から、そういえば風が吹き始めたな、というところだが、これがなかなかしぶとい。

  時間とともに、強くなっている。低気圧が接近しているか、通り過ぎようとしている時間帯で

  長くなりそうである。


  入る空気はあんまり暖かさはない。南からの風だから気温上がるかというと、そうでもない。

  湿気はあるが、これだけ風が強いと、体温のほうがさすがに高いので、奪われるのは熱で

  風のありがたみと、そうでないものがあることを知る。

  風はそれほど嫌いではなかったが、特にここのいえは木とか竹が多い。これに風が当たるので、それなりの

  音はする。


  この音だけで、行進曲くらい出来そうだな。さらに甲高いときもある。波長の短い音波。何とか流。

  カタカナ言葉。低すぎても、お腹に響くし、ホラー映画の導入みたいで、いい感じはしない。高いのはどうか。

  これもねー。この風はもちろん役に立つときはある。選挙のときだとあのスピーカーから出る声だけは、聞きたく

  ないものである。もう一つ、これもある年齢に達してからだが、太鼓の音がだめになった。風がこれを消す。

  概して、何とか祭りと称して、一軒一軒、ここの集落のいえを回る。病人がいようがいよまいが、おかまいなし。

  こうゆうときに大荒れの天気になればなー。大雨が触ればなーと思う。やっている本人に悪気はないのはわかるが

  好き嫌いはもう生理的なものにまでなっている。

  途中から、多分アルコールなども入っているのだろうか。子供もいるが、学校はと思うが休みなんだろうな。


  夏の祭りも、夜というか夜中だなと思う時間まで、繰り返し、つまりテープかCDか、あるいはそれ以外の何か。

  同じ音楽が繰り返される。同時に何番の方、何々が当たりました、景品と引き換えに来てください、

  こんなことまでやっている。そのそばにいるより、ある程度離れているところのほうが音が通る。

  これには本当にまいるだけだ。どうしようもない。


  このごろ、雨だけはやけに少なかったので、雨は降ってくれてよかったのだが、風はもういい。でもこの風も

  もちろん考えようによっては、その後のことを考えると、いや風そのものがなぜを考えると、悪くはない。

  適度ならいいのである。これは何でも同じだな。適度な雨、適度な音量、適度な風、同じく気温。

  新しい空気が入れば、新しい空が見えてくる。これがないと、まーただただどんよりとした、代わり映えの

  しない天気が続くだけだ。たまの嵐はいい。でもそうは行かないのが、最近の天候である。


  人のいるところに、国はくっ付いているか。徳川の時代に、これもいつごろからだろうか、地面とともに

  「国」の意識が出始めた。国だけあって、人のいないケースは考えられない。

  その昔むかしは、国なんてどうでもよかった。地面があって人がいて、食べ物があって、動物がいて、

  たまに海の向こうから人が尋ねてきた。そうゆうところだろう。


  だから江戸の殿様も、黒船が来たときは、それなりにびっくりしたが、果たしていつごろから、地球は丸いと

  いうことを、多くの人が知ったのだろうか。まー勇気のある人、あるいは探検家という人は、時代に関係なく

  いたようだ。その徳川の時代だったか、どうゆう訳でそうゆう風になったのか知らないが、米国まで流れ着

  いた人がいる。まさかロシアではなかった。場所はどこでもいいが、太平洋を横断して、アメリカ大陸に

  流れ着いて、一命を取り留めた。

  そこからの旅がまた凄いが、彼を人間として扱ってくれた、その異国の人も、人間嫌いではなかった。

  この地球上に、一体に何十億の人が住んでいるか。動物も植物も、陸に、海に、河にいるわけだけど、

  そこでどうゆう生活をしているか、これがなかなかいまの時代でもよくは伝わってこない。


  むかし、むかしの話しかでないが、中央線の市ヶ谷の駅だったと思う。一人の異国のご婦人で、見た感じは

  アメリカの方で、少しお年を召していて、でも一人である。この電車は、どこどこの駅に行くか、そう尋ねられた

  ことがある。どこで降りればいいか、というのは何回目に止まったところか、という話を日本語英語でやったと

  思ったが、実際は日本語で良かったのかも知れない。多分、同じ電車に乗った。その人のほうが先に降りること

  になる。ここで降りるといい、とまでいったかどうか。それは記憶にない。


  それにしても、なかなか異国の人と話すこともない。そうゆう経験。同じように、この地球上に何十億といる

  同じ人間が、どうゆう生活をしているか、考えるのは面白い。もっとも、何か考える端緒がないと

  いけないが。


  同時に、最近は特に多いと思うが、異国の人が訪ねてくる、この列島の国に。訪ねて来なくても、この列島の国に

  ついて、特にいまはかなり興味を抱いている、関心ある人は多い。観光で、あるいは原子力発電所の事故で、

  あるいは、いま揉めている国会のことで。どう思っているのか。そこのところを知りたい。そうゆう意味で

  異国の人の中に、言葉のわかる人の一人くらいいて、友人付き合いが出来たらと思ったりもするが。


  ちっぽけな島々の中で、生きていると、ほんまに窒息しそう。


  きのうの夜、宵の初め、午後7時過ぎ、現われた立山連峰。




  その一。窓ガラスに雨で、でも雨はしばらく止んだ。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。雨の贈り物というところだが、山は大荒れだっただろうな。





  その六。




  その七。




  その八。




  その九。


  新聞、ネット、ちょいとだけだが、関心事を見ていて、笑えることも笑えなくなって、

  まー訳のわからないことを、今日も頭の中から捻り出したが、出てくるものはこの程度なんだな。



雨、一日としては十分量、夢の中でも雨、梅の実はかわいい

2015-06-27 07:08:18 | 植物・花(夏)
  午前7時に近くなっている。


  朝はネコが来ていて、最初に、食べ物。雨が嫌いで草も好きでないので、久しぶりにボイラーの上にいた。


  新聞とって、一面見て唖然だが、これがどこの新聞でも同じかどうかわからない。

  多分、一面は、「Y」紙と「S」紙以外では同じではないか。


  それから朝の食事で、もうTVは体操の時間だったが、もう一回、新聞を見て、ゲロゲロになった。

  このPCのある部屋に戻ると、空が明るい。お日様が出た。

  これは記念写真になる。


  落ち着いて、朝飲む薬も間違いなく。


  それから時刻合わせて、PCのだが、天気予報など見て、アメダスも見て、

  気象台の雨量をも見る。

  こんな程度かな。

  雨はきのうの午後からである。本格的になったのは。


  一度雨は小康で、もう真っ暗になりかけるころだが、立山連峰がわずかに見えた。

  しかしうまく写ったかどうか。


  夜である。TVで見たいものはなく、ただつけてはいた。


  外は雨の音。


  夜中である。夜中もひっきりなしに雨が降っているように感じられた。

  夢の中で、雨らしいものも感じたような気がする。

  午前5時、でもこのときたしかに雨の音はしていなかったな。

  このお天気はどうなるか。


  桃のような梅の実。あちこちで今年は梅の実を見る。みな大きい。色も赤くなって

  落ちているものも多い。














  ピンポン球くらいの大きさかな、もっと大きいか。