朝は、静かだったと思う。雨も止んでいたし、そんな悪くはならないのかなー。
いい天気になるように祈っているが、日本海に低気圧があって、ここに向かって風が吹き始めたのが
何時ころだったか。いつも出ているときが多い雷注意報がなくなって、強風注意報が出ている。
この強風注意報が出た後から、そういえば風が吹き始めたな、というところだが、これがなかなかしぶとい。
時間とともに、強くなっている。低気圧が接近しているか、通り過ぎようとしている時間帯で
長くなりそうである。
入る空気はあんまり暖かさはない。南からの風だから気温上がるかというと、そうでもない。
湿気はあるが、これだけ風が強いと、体温のほうがさすがに高いので、奪われるのは熱で
風のありがたみと、そうでないものがあることを知る。
風はそれほど嫌いではなかったが、特にここのいえは木とか竹が多い。これに風が当たるので、それなりの
音はする。
この音だけで、行進曲くらい出来そうだな。さらに甲高いときもある。波長の短い音波。何とか流。
カタカナ言葉。低すぎても、お腹に響くし、ホラー映画の導入みたいで、いい感じはしない。高いのはどうか。
これもねー。この風はもちろん役に立つときはある。選挙のときだとあのスピーカーから出る声だけは、聞きたく
ないものである。もう一つ、これもある年齢に達してからだが、太鼓の音がだめになった。風がこれを消す。
概して、何とか祭りと称して、一軒一軒、ここの集落のいえを回る。病人がいようがいよまいが、おかまいなし。
こうゆうときに大荒れの天気になればなー。大雨が触ればなーと思う。やっている本人に悪気はないのはわかるが
好き嫌いはもう生理的なものにまでなっている。
途中から、多分アルコールなども入っているのだろうか。子供もいるが、学校はと思うが休みなんだろうな。
夏の祭りも、夜というか夜中だなと思う時間まで、繰り返し、つまりテープかCDか、あるいはそれ以外の何か。
同じ音楽が繰り返される。同時に何番の方、何々が当たりました、景品と引き換えに来てください、
こんなことまでやっている。そのそばにいるより、ある程度離れているところのほうが音が通る。
これには本当にまいるだけだ。どうしようもない。
このごろ、雨だけはやけに少なかったので、雨は降ってくれてよかったのだが、風はもういい。でもこの風も
もちろん考えようによっては、その後のことを考えると、いや風そのものがなぜを考えると、悪くはない。
適度ならいいのである。これは何でも同じだな。適度な雨、適度な音量、適度な風、同じく気温。
新しい空気が入れば、新しい空が見えてくる。これがないと、まーただただどんよりとした、代わり映えの
しない天気が続くだけだ。たまの嵐はいい。でもそうは行かないのが、最近の天候である。
人のいるところに、国はくっ付いているか。徳川の時代に、これもいつごろからだろうか、地面とともに
「国」の意識が出始めた。国だけあって、人のいないケースは考えられない。
その昔むかしは、国なんてどうでもよかった。地面があって人がいて、食べ物があって、動物がいて、
たまに海の向こうから人が尋ねてきた。そうゆうところだろう。
だから江戸の殿様も、黒船が来たときは、それなりにびっくりしたが、果たしていつごろから、地球は丸いと
いうことを、多くの人が知ったのだろうか。まー勇気のある人、あるいは探検家という人は、時代に関係なく
いたようだ。その徳川の時代だったか、どうゆう訳でそうゆう風になったのか知らないが、米国まで流れ着
いた人がいる。まさかロシアではなかった。場所はどこでもいいが、太平洋を横断して、アメリカ大陸に
流れ着いて、一命を取り留めた。
そこからの旅がまた凄いが、彼を人間として扱ってくれた、その異国の人も、人間嫌いではなかった。
この地球上に、一体に何十億の人が住んでいるか。動物も植物も、陸に、海に、河にいるわけだけど、
そこでどうゆう生活をしているか、これがなかなかいまの時代でもよくは伝わってこない。
むかし、むかしの話しかでないが、中央線の市ヶ谷の駅だったと思う。一人の異国のご婦人で、見た感じは
アメリカの方で、少しお年を召していて、でも一人である。この電車は、どこどこの駅に行くか、そう尋ねられた
ことがある。どこで降りればいいか、というのは何回目に止まったところか、という話を日本語英語でやったと
思ったが、実際は日本語で良かったのかも知れない。多分、同じ電車に乗った。その人のほうが先に降りること
になる。ここで降りるといい、とまでいったかどうか。それは記憶にない。
それにしても、なかなか異国の人と話すこともない。そうゆう経験。同じように、この地球上に何十億といる
同じ人間が、どうゆう生活をしているか、考えるのは面白い。もっとも、何か考える端緒がないと
いけないが。
同時に、最近は特に多いと思うが、異国の人が訪ねてくる、この列島の国に。訪ねて来なくても、この列島の国に
ついて、特にいまはかなり興味を抱いている、関心ある人は多い。観光で、あるいは原子力発電所の事故で、
あるいは、いま揉めている国会のことで。どう思っているのか。そこのところを知りたい。そうゆう意味で
異国の人の中に、言葉のわかる人の一人くらいいて、友人付き合いが出来たらと思ったりもするが。
ちっぽけな島々の中で、生きていると、ほんまに窒息しそう。
きのうの夜、宵の初め、午後7時過ぎ、現われた立山連峰。
その一。窓ガラスに雨で、でも雨はしばらく止んだ。
その二。
その三。
その四。
その五。雨の贈り物というところだが、山は大荒れだっただろうな。
その六。
その七。
その八。
その九。
新聞、ネット、ちょいとだけだが、関心事を見ていて、笑えることも笑えなくなって、
まー訳のわからないことを、今日も頭の中から捻り出したが、出てくるものはこの程度なんだな。
いい天気になるように祈っているが、日本海に低気圧があって、ここに向かって風が吹き始めたのが
何時ころだったか。いつも出ているときが多い雷注意報がなくなって、強風注意報が出ている。
この強風注意報が出た後から、そういえば風が吹き始めたな、というところだが、これがなかなかしぶとい。
時間とともに、強くなっている。低気圧が接近しているか、通り過ぎようとしている時間帯で
長くなりそうである。
入る空気はあんまり暖かさはない。南からの風だから気温上がるかというと、そうでもない。
湿気はあるが、これだけ風が強いと、体温のほうがさすがに高いので、奪われるのは熱で
風のありがたみと、そうでないものがあることを知る。
風はそれほど嫌いではなかったが、特にここのいえは木とか竹が多い。これに風が当たるので、それなりの
音はする。
この音だけで、行進曲くらい出来そうだな。さらに甲高いときもある。波長の短い音波。何とか流。
カタカナ言葉。低すぎても、お腹に響くし、ホラー映画の導入みたいで、いい感じはしない。高いのはどうか。
これもねー。この風はもちろん役に立つときはある。選挙のときだとあのスピーカーから出る声だけは、聞きたく
ないものである。もう一つ、これもある年齢に達してからだが、太鼓の音がだめになった。風がこれを消す。
概して、何とか祭りと称して、一軒一軒、ここの集落のいえを回る。病人がいようがいよまいが、おかまいなし。
こうゆうときに大荒れの天気になればなー。大雨が触ればなーと思う。やっている本人に悪気はないのはわかるが
好き嫌いはもう生理的なものにまでなっている。
途中から、多分アルコールなども入っているのだろうか。子供もいるが、学校はと思うが休みなんだろうな。
夏の祭りも、夜というか夜中だなと思う時間まで、繰り返し、つまりテープかCDか、あるいはそれ以外の何か。
同じ音楽が繰り返される。同時に何番の方、何々が当たりました、景品と引き換えに来てください、
こんなことまでやっている。そのそばにいるより、ある程度離れているところのほうが音が通る。
これには本当にまいるだけだ。どうしようもない。
このごろ、雨だけはやけに少なかったので、雨は降ってくれてよかったのだが、風はもういい。でもこの風も
もちろん考えようによっては、その後のことを考えると、いや風そのものがなぜを考えると、悪くはない。
適度ならいいのである。これは何でも同じだな。適度な雨、適度な音量、適度な風、同じく気温。
新しい空気が入れば、新しい空が見えてくる。これがないと、まーただただどんよりとした、代わり映えの
しない天気が続くだけだ。たまの嵐はいい。でもそうは行かないのが、最近の天候である。
人のいるところに、国はくっ付いているか。徳川の時代に、これもいつごろからだろうか、地面とともに
「国」の意識が出始めた。国だけあって、人のいないケースは考えられない。
その昔むかしは、国なんてどうでもよかった。地面があって人がいて、食べ物があって、動物がいて、
たまに海の向こうから人が尋ねてきた。そうゆうところだろう。
だから江戸の殿様も、黒船が来たときは、それなりにびっくりしたが、果たしていつごろから、地球は丸いと
いうことを、多くの人が知ったのだろうか。まー勇気のある人、あるいは探検家という人は、時代に関係なく
いたようだ。その徳川の時代だったか、どうゆう訳でそうゆう風になったのか知らないが、米国まで流れ着
いた人がいる。まさかロシアではなかった。場所はどこでもいいが、太平洋を横断して、アメリカ大陸に
流れ着いて、一命を取り留めた。
そこからの旅がまた凄いが、彼を人間として扱ってくれた、その異国の人も、人間嫌いではなかった。
この地球上に、一体に何十億の人が住んでいるか。動物も植物も、陸に、海に、河にいるわけだけど、
そこでどうゆう生活をしているか、これがなかなかいまの時代でもよくは伝わってこない。
むかし、むかしの話しかでないが、中央線の市ヶ谷の駅だったと思う。一人の異国のご婦人で、見た感じは
アメリカの方で、少しお年を召していて、でも一人である。この電車は、どこどこの駅に行くか、そう尋ねられた
ことがある。どこで降りればいいか、というのは何回目に止まったところか、という話を日本語英語でやったと
思ったが、実際は日本語で良かったのかも知れない。多分、同じ電車に乗った。その人のほうが先に降りること
になる。ここで降りるといい、とまでいったかどうか。それは記憶にない。
それにしても、なかなか異国の人と話すこともない。そうゆう経験。同じように、この地球上に何十億といる
同じ人間が、どうゆう生活をしているか、考えるのは面白い。もっとも、何か考える端緒がないと
いけないが。
同時に、最近は特に多いと思うが、異国の人が訪ねてくる、この列島の国に。訪ねて来なくても、この列島の国に
ついて、特にいまはかなり興味を抱いている、関心ある人は多い。観光で、あるいは原子力発電所の事故で、
あるいは、いま揉めている国会のことで。どう思っているのか。そこのところを知りたい。そうゆう意味で
異国の人の中に、言葉のわかる人の一人くらいいて、友人付き合いが出来たらと思ったりもするが。
ちっぽけな島々の中で、生きていると、ほんまに窒息しそう。
きのうの夜、宵の初め、午後7時過ぎ、現われた立山連峰。
その一。窓ガラスに雨で、でも雨はしばらく止んだ。
その二。
その三。
その四。
その五。雨の贈り物というところだが、山は大荒れだっただろうな。
その六。
その七。
その八。
その九。
新聞、ネット、ちょいとだけだが、関心事を見ていて、笑えることも笑えなくなって、
まー訳のわからないことを、今日も頭の中から捻り出したが、出てくるものはこの程度なんだな。