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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

驕るNHK - 10 ( NHKの無礼とモズレー氏の比較 )

2019-08-27 19:02:13 | 徒然の記
  当時の陛下の状況について、モズレー氏の説明を紹介します。
 
  ・天皇に対する騒々しい攻撃とデモは、9月いっぱい続き、過去数週間にも及ぶ、お疲れも加わって、その圧迫は天皇にとって耐え難いものになっていた。天皇が望まれたことの全ては、目立たない場所へのご引退であった。
 
  ・天皇はお疲れのうえ、悲しみと気分の滅入りから軽い黄疸にかかり、ご気分が優れず、侍医の手当てを受けておられた。
 
 NHKはこうした陛下のお姿には触れず、退位を躊躇われるだけの方として伝えています。NHKの説明文と比較しながら、次のモズレー氏の説明を読みます。
 
  ・そう言うある日、皇后がお文庫にやって来られ、戦後初めて体験された宮城外の冒険を話された時、しばらくの間だが天皇は元気を取り戻された。
 
  ・皇后が義母の皇太后を、訪問された帰途、皇居の方から流れてくる叫び声を聞かれたことから話は始まる。これは著者の取材した話だが、それは共産主義者が組織した天皇制反対の集会であった。
 
 長くなりますが、モズレー氏の言葉をしばらく紹介します。
 
  ・皇后は運転手に進行を命じ、車は騒がしい群衆の端の方を回って進んだ。彼らはすぐに、車のボンネットに翻る皇后旗に気づき、仲間たちに伝えた。この瞬間、宮城広場は静寂にかえった。
 
   ・皇后は突然ご自分の心臓を、ぎゅっと掴まれたような恐怖に襲われたが、群衆はほとんど、一斉に皇后へ向かって頭を下げ、再び集会を続けたと言うことである。
 
 陛下が元気になられたのは、天皇制反対を叫んでいる者たちも、心のどこかで皇室への敬愛を失っていないとお知りになったからでした。退位について話されたり、譲位への思いを漏らされたり、陛下が田島氏に語られた背景にはこうした事実がありました。
 
  ・日が経つにつれて、天皇はますます夜は不眠、昼はご気分の沈滞に悩まれ、この精神的な緊張状態を緩和するには、ただ一つの手段しかないと決まった。
 
  ・マッカーサー元帥が天皇を招かなければ、天皇が、元帥を訪問されるべきである。寺崎氏を通じて、会見の打ち合わせが始まった。
 
 寺崎氏について、氏は次のように説明しています。
 
  ・寺崎氏は、パール・ハーバーの日米開戦当時、ワシントンの日本大使館一等書記官だった。氏は米国人の夫人とともに戦争中を日本で過ごしたが、戦後間もなく、その完璧な英語と親米的な気質、それと多分、マッカーサー元帥の幕僚の主要メンバーだったボナー・フェラーズ将軍が、夫人の従兄弟の一人だった関係で、宮内庁の渉外官に迎えられた。この寺崎氏が、『昭和天皇独白録』を書いた寺崎英成氏です。
 
 モズレー氏が、陛下の元帥訪問時の様子を語っています。
 
  ・9月27日二重橋の門は再び開き、古ぼけた幌ばりのノールス・ロイスのお車が、お堀の美しい二重橋の上を音もなくすべって行った。ついに、対決が近づいた。
 
 ここで氏は、元帥の著書『マッカーサー回想記 』の内容を紹介します。
 
  ・モーニングに縞のズボン、それにトップ・ハットをかぶられて、天皇はお車に宮内大臣と向かい合わせに乗って、米大使館にお着きになった。
 
  ・私は占領当初から、天皇の処遇を粗略にしてはいけないと命じ、君主にふさわしいあらゆる礼節で天皇に接するよう、指示していた。
 
 『マッカーサー回想記 』を紹介した後、氏が続けます。
 
  ・マカーッサー自身は、すでに天皇は戦犯でないと認め始めていたとしても、やはり天皇が困惑の種になりそうだと考えていた。
 
  ・服従とか、過度の尊敬の身振りを示せば、必然的に王権へのへつらいという、非難を呼ぶであろう。」
 
  ・天皇のようにいつも公共の場では、それが楽しい場合であっても、神経過敏になるような人にとっては、この試練は身震いするほどのものであった。
 
 陛下のお気持を、なぜモズレー氏が知っているのか不思議な気がしますが、当時の状況を考えれば、推察できたのかもしれません。
 
  ・米大使館に入られた天皇は、顔色が青く、落ち着かないご様子であった。当然のこと、天皇に向けられた視線には敵意が満ちていた。そこには、愛も尊敬もなく、抑制されてはいたがただ冷たい、軽蔑しかなかった。
 
  ・やがて分かったことだが、ある一人の男だけはこの例外であった。
 
  ・それは、天皇を元帥の部屋へお送りするため、エレベーターのそばに待機していた、ボナー・フェラーズ将軍である。
 
 つまり将軍は、寺崎夫人の従兄弟でした。天皇はこのことを知られないまま会見に臨まれ、一人だけ笑みをくれた人物を心に刻み感謝をされました。皇居に帰られた後、「私と握手した将軍は、誰か。」と、寺崎氏にお尋ねになり、フェラーズ将軍と分かると、何日ぶりかで初めて微笑されたと言います。
 
 モズレー氏の叙述を紹介することが、NHKとその協力者である学者たちの陛下への無礼と悪意を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に伝えるはずと、考えたからです。
 
 マッカーサー元帥とモズレー氏は、陛下について述べる時敬語を使い、陛下への礼節を忘れていません。しかるに、NHKとその仲間である学者たちは、陛下を語る時丁寧語さえ使いません。
 
 この比較がしたくて、わざわざ本棚の本を探して紹介しました。
 
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驕るNHK - 9 ( 陛下の退位とソ連の狙い )

2019-08-27 07:30:57 | 徒然の記
 今回は、第3章の続きです。
 
 〈  戦争の道義上の責任を強く意識  〉 
 
    昭和26年8月22日の拝謁時の「お言葉 」
  陛下
 
  ・終戦の詔勅は、私の道徳上の責任をいったつもりだ。
 
  ・法律上には全然責任はなく、又責任も色々取りようがあるが、地位を去るといふ責任のとり方は、私の場合、むしろ好む生活のみがやれるという事で安易である。
 
  ・道義上の責任を感ずればこそ、苦しい再建の為努力するという事は、責任を自覚して 多少とも償うという意味であるが、デリケートである。
 
     昭和26年12月13日の拝謁時の「お言葉 」  
        ( 独立回復を祝う式典で述べるおことばの、文案検討に対し、)
  陛下
 
  ・国民が退位を希望するなら、少しも躊躇せぬという事も書いて貰いたい。
 
  ・東宮ちゃんは大分できてて、いいと思うが、それでも退位すれば、私が何か、昔の院政みたような、痛くない腹をさぐられる事もある。
 
  ・そして何か、日本の安定に害がある様に思う。
 
 第3章の ( 1 ) の 2項目にある、陛下のお言葉です。 退位すると責任が終わり、安易な道になる。戦争への道義責任を感じつつ、天皇としてとどまることの方が償いになるのではと、悩まれています。
 
 一方で、退位すれば、皇太子さまがまだ若いので、院政を行うのではないかと疑われ、日本の安定に害があるような気がするとも言われています。NHKと学者たちは、国民が望むのなら、いつでも退位するというお言葉に重点を置いて紹介し、「退位」にこだわります。
 
 私の手元に、二冊の本があります。学生時代に買った本で、断捨離が躊躇われ、本棚に飾っていました。
 
  1.   『天皇ヒロヒト』    ( 昭和41年刊 毎日新聞社 ) レイモンド・モズレー氏著
 
     2.   『マッカーサー回想記』 ( 昭和39年刊 朝日新聞社 )  上下二巻
 
 NHKと学者たちより、マッカーサー元帥やモズレー氏の方が陛下に礼を尽くした説明をしていたと、そういう記憶がありましたので本棚を探しました。
 
 昭和20年9月に、陛下がマッカーサー元帥を訪問されました。その前後の様子を、モズレー氏が、『マッカーサー回想記』を引用しながら書いています。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々の参考のため、氏の著作の一部を紹介しようと思います。
 
  ・オーストラリアもオランダも、そして多少とも英国でさえ、戦争の残虐行為の責任を問う、身代わりのヤギを探していた。
 
  ・東條大将と、その一味だけでは不十分であった。なぜ、天皇ではいけないのか。すべてが、天皇の名で遂行されたのではないか。」
 
  ・彼らは、ワシントンの有力な一派によって天皇の責任を問うという、欲望を掻き立てられていた。
 
 具体的に書かれていませんが、モズレー氏のいう「ワシントンの有力な一派」とは、馬渕睦夫氏や田中英道氏が言う、「ディープステート」のことです。日本語に訳すと「闇の政府」となり、ゴシップ言葉なので潔癖な人はこう言う思考を嫌います。
 
 馬渕氏の言葉を借りると、「ウォール街と「英国シティー」で、国際金融界を支配している、「ユダヤ資本家」だそうです。これを頭に入れておきますと、モズレー氏の文章が理解できます。
 
  ・彼らのある者は無意識に、ある者は計画した上で、実際的な動機から、天皇の退位を望んでいるソ連政府の便宜を図った。彼らは、このような時期に天皇が退位すると、日本に大規模な混乱と無秩序を引き起こすので、共産主義の利益になると考えたのである。
 
  ・ドイツがそうであったように、日本国土の三分の一にソ連の管理権が認められれば、特にこの傾向は強まると信じた。
 
 陛下は、こうした情報をご存知なかったのでしょうが、君主としての政治的嗅覚を持っておられ、一人悩まれていたのだと推察します。田島氏が、退位の話を聞き感涙にむせんだと言うのは、氏の政治音痴を証明している気がします。
 
 それとも氏が陛下の退位を望んだのは、マルキストのホイットニー准将への忠節だったのでしょうか。
 
 モズレー氏の叙述を続けます。
 
  ・マッカーサー元帥は、最初のうち、天皇の地位については、大して気にとめていなかった。彼は、全ての事実を知っていたわけでなく、また聞かされた話にも大半は懐疑的で、ただ他の将軍たちと同じように、天皇裕仁は、悪い人間だと言う考えに傾いていた。
 
  ・元帥の幕僚の一人、ホイットニー准将は、日本の封建制度の話や、天皇の力にまつわる恐怖物語を注意深く選んで、マッカーサーに報告し、元帥の気持をつのらせるのに全力を尽くした。
 
  ・私は天皇に、厳しい態度でのぞもうと決意して日本に来たと、あとで元帥は語っている。
 
  ・この頃天皇を攻撃する記事が、日本の一部の新聞にも現れ始め、天皇を戦争屋、残虐屋としただけでなく、女道楽の好色家だと非難した。
 
 日本の新聞だけは、全て目を通されていたと聞きますので、有りもしないゴシップ記事に、ご心痛がどのようなものであったか窺い知ることができます。こう言う状況の中で、陛下は元帥訪問を決意されました。
 
 スペースがなくなりましたので、ここで一区切りいたします。
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