当時の陛下の状況について、モズレー氏の説明を紹介します。
・天皇に対する騒々しい攻撃とデモは、9月いっぱい続き、過去数週間にも及ぶ、お疲れも加わって、その圧迫は天皇にとって耐え難いものになっていた。天皇が望まれたことの全ては、目立たない場所へのご引退であった。
・天皇はお疲れのうえ、悲しみと気分の滅入りから軽い黄疸にかかり、ご気分が優れず、侍医の手当てを受けておられた。
NHKはこうした陛下のお姿には触れず、退位を躊躇われるだけの方として伝えています。NHKの説明文と比較しながら、次のモズレー氏の説明を読みます。
・そう言うある日、皇后がお文庫にやって来られ、戦後初めて体験された宮城外の冒険を話された時、しばらくの間だが天皇は元気を取り戻された。
・皇后が義母の皇太后を、訪問された帰途、皇居の方から流れてくる叫び声を聞かれたことから話は始まる。これは著者の取材した話だが、それは共産主義者が組織した天皇制反対の集会であった。
長くなりますが、モズレー氏の言葉をしばらく紹介します。
・皇后は運転手に進行を命じ、車は騒がしい群衆の端の方を回って進んだ。彼らはすぐに、車のボンネットに翻る皇后旗に気づき、仲間たちに伝えた。この瞬間、宮城広場は静寂にかえった。
・皇后は突然ご自分の心臓を、ぎゅっと掴まれたような恐怖に襲われたが、群衆はほとんど、一斉に皇后へ向かって頭を下げ、再び集会を続けたと言うことである。
陛下が元気になられたのは、天皇制反対を叫んでいる者たちも、心のどこかで皇室への敬愛を失っていないとお知りになったからでした。退位について話されたり、譲位への思いを漏らされたり、陛下が田島氏に語られた背景にはこうした事実がありました。
・日が経つにつれて、天皇はますます夜は不眠、昼はご気分の沈滞に悩まれ、この精神的な緊張状態を緩和するには、ただ一つの手段しかないと決まった。
・マッカーサー元帥が天皇を招かなければ、天皇が、元帥を訪問されるべきである。寺崎氏を通じて、会見の打ち合わせが始まった。
寺崎氏について、氏は次のように説明しています。
・寺崎氏は、パール・ハーバーの日米開戦当時、ワシントンの日本大使館一等書記官だった。氏は米国人の夫人とともに戦争中を日本で過ごしたが、戦後間もなく、その完璧な英語と親米的な気質、それと多分、マッカーサー元帥の幕僚の主要メンバーだったボナー・フェラーズ将軍が、夫人の従兄弟の一人だった関係で、宮内庁の渉外官に迎えられた。この寺崎氏が、『昭和天皇独白録』を書いた寺崎英成氏です。
モズレー氏が、陛下の元帥訪問時の様子を語っています。
・9月27日二重橋の門は再び開き、古ぼけた幌ばりのノールス・ロイスのお車が、お堀の美しい二重橋の上を音もなくすべって行った。ついに、対決が近づいた。
ここで氏は、元帥の著書『マッカーサー回想記 』の内容を紹介します。
・モーニングに縞のズボン、それにトップ・ハットをかぶられて、天皇はお車に宮内大臣と向かい合わせに乗って、米大使館にお着きになった。
・私は占領当初から、天皇の処遇を粗略にしてはいけないと命じ、君主にふさわしいあらゆる礼節で天皇に接するよう、指示していた。
『マッカーサー回想記 』を紹介した後、氏が続けます。
・マカーッサー自身は、すでに天皇は戦犯でないと認め始めていたとしても、やはり天皇が困惑の種になりそうだと考えていた。
・服従とか、過度の尊敬の身振りを示せば、必然的に王権へのへつらいという、非難を呼ぶであろう。」
・天皇のようにいつも公共の場では、それが楽しい場合であっても、神経過敏になるような人にとっては、この試練は身震いするほどのものであった。
陛下のお気持を、なぜモズレー氏が知っているのか不思議な気がしますが、当時の状況を考えれば、推察できたのかもしれません。
・米大使館に入られた天皇は、顔色が青く、落ち着かないご様子であった。当然のこと、天皇に向けられた視線には敵意が満ちていた。そこには、愛も尊敬もなく、抑制されてはいたがただ冷たい、軽蔑しかなかった。
・やがて分かったことだが、ある一人の男だけはこの例外であった。
・それは、天皇を元帥の部屋へお送りするため、エレベーターのそばに待機していた、ボナー・フェラーズ将軍である。
つまり将軍は、寺崎夫人の従兄弟でした。天皇はこのことを知られないまま会見に臨まれ、一人だけ笑みをくれた人物を心に刻み感謝をされました。皇居に帰られた後、「私と握手した将軍は、誰か。」と、寺崎氏にお尋ねになり、フェラーズ将軍と分かると、何日ぶりかで初めて微笑されたと言います。
モズレー氏の叙述を紹介することが、NHKとその協力者である学者たちの陛下への無礼と悪意を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に伝えるはずと、考えたからです。
マッカーサー元帥とモズレー氏は、陛下について述べる時敬語を使い、陛下への礼節を忘れていません。しかるに、NHKとその仲間である学者たちは、陛下を語る時丁寧語さえ使いません。
この比較がしたくて、わざわざ本棚の本を探して紹介しました。