最終回にするつもりでしたが、分からなくなりました。
氏は憲法改正と日本の安全保障について、゜憲法改正不要」、「再軍備不要」、「国連中心主義」を本気で貫くべしと、私と相容れない主張をしています。
軍事力無しで国際社会を生き抜けるかについて、やはり言語学者の世界観は狭いのかもしれません。弱肉強食の世界を理解しているように見えますが、そうでもないようです。
しかし言語学者として氏が主張する「国連中心主義」には、耳を傾ける価値のある部分があります。その部分に重きを置いて、氏の意見を紹介します。
・例えば戦後の歴代政府は、事あるごとに、日本の外交政策の基本は国連重視であると表明していますが、肝心の国連で働く日本人の職員数は、加盟以来割り当てられた枠の半分を満たしたことがありません。
・もっと増やせと、国連事務局から度々勧告を受けているほど少ないのです。国連中心の外交と言うのなら、ソ連などがやったように、割当枠をいつもはみ出す職員を送り込み、少しでも日本の立場が有利となるよう情報を集め、発言権を強化すべきではないでしょうか。
日本政府の消極性については、知らない話でしたから驚きました。次の意見となりますと、私とすっかり同じです。
・それでいて、日本の「国連分担金」はと言うと、全加盟国191ヶ国中、アメリカに次ぐ第二位で、アメリカ以外の常任理事国の合計額よりも多いのです。
・現在、国連の意思決定に力を持つ上級職員に、日本人がほとんどいません。こんな状態では、常任理事国になりたいと言う外務省の念願が叶うわけがないでしょう。
・なぜ優秀な人材が、国連職員になりたがらないのか、その理由を真剣に解明し、障害を取り除く対策を一つずつ実行していくしかありません。そんな地道な努力をせず、経済援助を餌に、途上国の票を買い集めるといった小切手外交では、国益を守ることはできないのです。
バブル崩壊後、現在の日本はアメリカに次ぐ分担金を出していませんが、それでも著者の意見には説得力があります。
・国連で働くためには、流暢な英語が不可欠であるため、日本人にはそれが大きな障害になっているという意見があります。
・国連重視の外交を基本とする意思があるのなら、どうして国連の公用語に日本語を加える運動を、政府も民間も推進しないのかということです。
・国連発足当時の公用語は、戦勝国の言語である英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、そして中国語の五つでした。それが昭和48年に突如起こった石油産出国同盟の反抗、いわゆる第一次石油ショックの時、アラビア語を国連の公用語にせよというアラブ諸国の要求を呑み、今では六つとなっています。
・このようなことを考えると、国連への財政寄与が大きく、世界の技術・経済分野で巨大な存在である平和大国日本の言語が、国連の公用語になっていないのは、なんともおかしいではありませんか。
・なぜ日本政府が、このことを主張しないのか、理解に苦しみます。
発足当時の五大国の言語なら、英語、仏語、ロシア語と中国語で十分なのに、スペイン語が加えられていました。その後、産油国の要求で、アラビア語が追加されたなど、こういう話を初めて知りました。
政府も外務省も、国内では大きな顔をしていますが、国際社会では小さくなっています。遠慮深くては国際社会で生きられないと知っているはずなのに、「ハンディキャップ外交論」に縛られたままです。
氏の意見を読みますと、「やっぱり外務省は、害務省でしかないのか、」と、失望させられます。
・これまで海外で日本語ブームが起こっても、長続きしない理由の一つが、日本語を学んで社会へ出ても、それを生かせる知的な職業、職場がないことでした。
・広い実用性と結びつかない日本語は、海外の学習者にとって魅力はあるが、活用性のない袋小路です。
・国連やその他の国際機関で、日本語が公用語となれば、膨大な量の通訳、翻訳、文書管理などの仕事が、日本語のできる外国の知識人に新たな職業として生まれ、ひいては日本語の国際普及に、弾みをつける契機となるのは間違いありません。
発想の転換とは、こういう意見を言うのでしょうか。言語学者ならではの意見です。
「憲法改正」と「安全保障」の考えが違うとしても、国連公用語への日本語追加の意見には敬意を払います。ただ一言付け加えておきますと、軍事専門家の間では、「外交の裏付けには軍事力がいる。」「軍事力があるから、外交ができる。」とい言うのが常識です。氏のいう「軍事力ゼロ」の日本では、国連での発言権がないのです。
スペースが無くなりましたのでやめますが、すぐに次回を始めます。
息子たちにも、訪問される方々にも、次回のおつき合いをお願いします。次回を最終回としますので、暑さをこらえ「ねこ庭」へお越しください。冷えた麦茶を用意いたします。