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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

驕るNHK - 5 ( 許せない、陛下を貶めるNHK )

2019-08-23 18:13:58 | 徒然の記
  NHKの『拝謁記』報道に関する、5回目の「ねこ庭」です。

 〈  第2章 - 戦争への悔恨 -〉の、最後の項目です。今回はNHKの説明抜きで、紹介します。
 
 〈     終戦工作  敗戦   〉
 
    昭和27年2月26日の拝謁時の「お言葉
 
   陛下
 
  ・実は私は、もっと早く終戦という考を持っていたが、条約の信義という事を、重んじていた為、単独媾和はせぬとドイツと一旦条約を結んだ以上、之を破るのはわるいと思った為、おそくなった。
 
  ・ (  日独伊三国同盟を結んだ理由については、) 日本の軍閥が、ドイツが勝つことを信じ切っていたためだが、その予想が違った。
 
     昭和27年3月14日の拝謁時の「お言葉 」
 
   陛下
 
  ・私は実は、無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和に持って行きたいと念願し、それにはちょっとこちらが勝ったような時に、其時を見つけたい、という念もあった。
 
    昭和26年12月17日の拝謁時の「お言葉  」
 
   陛下
 
  ・終戦で戦争を止める位なら、宣戦前かあるいはもっと早くやめる事が出来なかったか、というような疑いを退位論者でなくとも、疑問を持つと思うし、
 
  ・又首相をかえる事は大権で出来ることゆえ、なぜしなかったかと、疑う向きもあると思う。そうだろうと思うが事の実際としては、下剋上でとても出来るものではなかった。
 
 この項につけられたNHKの説明文は、次の通りです。
 
  ・太平洋戦争を止められなかった後悔で、戦後も苦悩し続けたことがうかがえます。
 
 病気がちだった大正天皇を補佐されるため、陛下が摂政になられたのが、大正10年でした。それ以来崩御されるまで68年間、陛下は日本の第一人者として在位されました。摂政になられた時は20才でしたから、少しでも日本史を知る者なら、陛下のご生涯が苦難の連続であったことを知っています。
 
 太平洋戦争を止められなかったことだけでなく、陛下のご生涯が激動の日本史そのものだと知っています。
 
 関東大震災時、ご自分の命を狙われた「虎ノ門事件」以降の、陛下の苦難のご経験は次の通りです。
 
    「日中戦争」の拡大
 
    「大東亜戦争」の勃発、
 
    「5・15事件」、
 
    「2・26事件」、
 
     終戦を覚悟された「最後の御前会議」、
 
    「玉音放送事件」、
 
    「終戦の詔勅」、
 
     マッカーサー元帥をご訪問
 
    「天皇の人間宣言」  
 
   思いつくだけでもこれだけあります。
 
 国民は田島氏のメモを読まされたくらいで、NHKや反日学者の説明には賛同しません。コソ泥のように、陛下のお言葉をメモした田島氏に教わるまでもなく、国民は、陛下のご苦難を心に留めています。
 
 だから「ねこ庭」は、NHKの悪意と無礼さを許しません。
 
 田島氏の隠匿資料を嬉々として分析した反日学者4名が、陛下のお心を卑しく解釈し番組を作成した行為は、天が罰するはずです。
 
 彼らの陛下を貶める悪意の説明が、息子たちによく理解できるように、昨年読んだ富田氏の『敗戦日本の内側』から、一部分を紹介します。陛下が終戦を覚悟された「最後の御前会議」の場面です。過去記事で取り上げていますが、再度紹介します。
 
 ・ポツダム無宣言の受諾について、閣議では結論が出なかった。
 
 ・首相ほか15名の大臣のうち、12名は受諾しても良いという意見、しかし、阿南陸相、安倍内相、松坂法相の3名は、むしろ玉砕論を唱えたのである。
 
 ・こうして8月14日に、陛下の下命を願いつつ、御前会議が開かれることとなった。
 
  ここで氏が、陛下の「お言葉」を紹介します。
 
 ・ポツダム宣言につき、天皇統治権に対し、疑問があるように解する向きもあるが、私はあれでよろしいと思う。
 
 ・私の決心は、私自らの熟慮検討の結果であって、他から知恵をつけられたものでない。
 
 ・皇土と国民がある限り、将来の国家生成の根幹は十分であるが、この上望みのない戦争を続けるのは、全部を失う惧れが多い。
 
 ・股肱と頼んだ軍人から武器を取り上げ、私の信頼したものを、戦争犯罪人として差し出すことは、情においてまことに忍びない。
 
 ・幾多の戦死者、傷病者、遺家族、戦災国民の身の上を思えば、これからの苦労も偲ばれ、同情に耐えない。
 
 ・三国干渉の時の明治大帝のご決断に習い、かく決心したのである。
 
 ・陸軍の武装解除の苦衷は、十分分かる。事ここに至っては、国家を救う道は、ただこれしかないと考えるから、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、この決心をしたのである。
 
 ・今まで何も聞いていない国民が、突然この決定を聞いたら、さぞかし動揺するであろうから、「詔勅」でも何でも用意してもらいたい。
 
 ・あらゆる手を尽くす。ラジオ放送もやる。
 
 陛下は、純白の手袋をはめられた手でメガネを拭かれ、頬に伝う涙を拭われたと書かれています。陛下のご決断により、「ポツダム宣言受諾」という国家の決断が下されました。
 
 富田氏の著作からの紹介は以上ですが、息子たちは、なんと思って陛下の「お言葉」を読むのでしょうか。富田氏が紹介する「お言葉」は、読むたびに涙がこぼれます。
 
 NHKが昭和天皇を貶めることを、許してはなりません。
コメント (2)
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奢るNHK - 4 ( 犯罪組織NHKと背信者田島氏 )

2019-08-23 07:48:28 | 徒然の記
    今回は、第2章です。
 
 目次を先に転記しますが、NHKがしたのか学者たちなのか、目次にも敬語がありません。
 
 〈 第2章 -  戦争への悔恨 -    〉
 
    (1)  繰り返し戦争を回顧  後悔語る
 
    (2)  「南京事件」も回顧
 
   (3)  こだわった「反省」の言葉 
 
   (4)  天皇の位にとどまるべきか、心の動きも記述 
 
   (5)  戦争への悔恨 専門家の見方
 
 第2章の  ( 1 ) から順番に紹介しますが、先ずはこの中に書かれている「NHKの説明文」です。
 
 〈 NHKの説明文 〉
 
  ・『拝謁記 』 には、昭和天皇が繰り返し、敗戦に至る道のりを振り返り、田島長官に、悔恨の念を語ったと記されています。その多くは、開戦を止められなかったことに対するものでした。
 
 これが書き出しの文章で、続いて下記 4項目に関する「お言葉」が紹介されます。
 
    ・ 昭和3年「張作霖爆殺事件」  
 
           ・ 昭和11年「2・26事件」
 
    ・  昭和16年「太平洋戦争」  
 
       ・  終戦工作 敗戦
 
 4つの「お言葉」以後を、NHKが対話形式で紹介しています。
 
 〈     昭和3年「張作霖爆殺事件   〉
 
   昭和27年5月30日の拝謁時の「お言葉 」
 
   陛下
 
  ・考へれば、下剋上を早く根絶しなかったからだ。田中内閣の時に、張作霖爆死を厳罰にすればよかったのだ。
 
  ・あの時は、軍でも大して反対せず、断じてやれば聞いたろうと思う。
 
   昭和26年6月8日の拝謁の「お言葉 」 
 
   陛下
 
  ・張作霖事件の処罰を曖昧にした事が、後年陸軍の綱紀のゆるむ始めになった。張作霖事件のさばき方が、不徹底であった事が、今日(こんにち)の敗戦に至る禍根の、抑々(そもそも)の発端。
 
 〈    昭和11年「2・26事件」 〉
 
        昭和25年11月7日の拝謁時の「お言葉 」
 
  陛下
 
  ・青年将校は私をかつぐけれど、私の真意を少しも尊重しない。むしろありもせぬ事をいって、彼是(かれこれ)極端な説をなすものだ。
 
   昭和25年12月26日の拝謁時の「お言葉」 
 
  陛下
 
  ・でも、とにかく軍部のやる事は、あの時分は只々(ただただ)無茶で、とてもあの時分の軍部の勢は、誰でも止め得られなかったと思う。
 
 〈   昭和16年「太平洋戦争」 〉
 
    昭和26年9月10日の拝謁時の「お言葉 」 
 
  陛下
 
  ・東條が、唯一の陸軍を抑え得る人間と思って、内閣を作らしたのだ。勿論、見込み違いをしたといえば、その通りだが。
 
       昭和26年12月14日の拝謁時の「お言葉 」 
 
  陛下
 
  ・平和を念じながら、止められなかった。東条内閣の時は、既に病が進んで最早どうすることも出来ぬ、という事になっていた。
 
      昭和27年5月28日の拝謁時の「お言葉」
 
  陛下
 
  ・東條は、政治上の大きな見通しを誤った、という点はあったかも知れぬ。
 
  ・強過ぎて部下がいう事をきかなくなった程、下剋上的の勢が強く、あの場合、もし戦争にならぬようにすれば、内乱を起した事になったかも知れず、又東條の辞職の頃は、あのまゝ居れば殺されたかも知れない。
 
  ・とにかく負け惜しみをいう様だが、今回の戦争は一部の者の意見が、大勢を制してしまった上は、どうも、避けられなかったのではなかったか・・
 
       昭和27年4月5日の拝謁時の「お言葉」  
 
  陛下
 
  ・春秋の筆法からすれば、太平洋戦争は近衛が始めたといってよいよ。
 
      昭和25年12月1日の拝謁時の「お言葉 」
 
  陛下
 
  ・これは私の勝手のグチだが、米国が満州事変の時もっと強く出て呉れるか、或いは適当に妥協して、あとの事は絶対駄目と出てくれればよかつたと思う。
 
     ・( 大正10年のワシントン海軍軍縮条約に触れ、)五五三の海軍比率が、海軍を刺戟して、平和的の海軍がとにかくあゝいう風に、仕舞ひに戦争に賛成し、又比率関係上堂々と戦へず、パールハーバーになった。
 
  ・( 軍縮条約締結時の、アメリカの国務長官の名前を挙げ、)  春秋の筆法なれば、ヒューズ国務長官がパールハーバーの奇襲をしたとも言える。
 
        (  ) 内の言葉は、田島氏が付記した注書きです。
 
 「繰り返し、敗戦に至る道のりを振り返り、田島長官に悔恨の念を語った」とNHKが説明していますが、陛下のお言葉を、「繰り返し」とか、「悔恨の念を」とする表現は彼らの解釈、もっと言えば捏造ではないかと思わされます。
 
 陛下の似た「お言葉」は、昨年読んだ富田健治氏の著『敗戦日本の内側』、岡田啓介元首相の著『岡田啓介回顧録』にも間接的に出てきます。
 
 2・26事件についての陛下の「お言葉」は、高橋正衛氏の『二・二六事件』や末松平太氏の『私の昭和史』の中でもうかがい知ることができ、NHKや学者たちが言うように、「初めて発見された」、「超一級の資料」と言うのはおこがましい話です。
 
 左系の彼らは、保守系の人物の書を読まないのかもしれませんが、もしそうなら、大層な表題に比べ、お粗末な中身です。これを評するのに、「羊頭狗肉」という良い言葉があります。
 
 「昭和25年12月1日の拝謁時のお言葉 」 で、パールハーバーに関する記述には、次のような説明文が付け加えられています。
 
  ・田島長官が、これはこの御部屋の中だけの御話でございます、と決して他言しないよう、釘を刺したことが記されています。
 
 陛下と氏の二人なら「お言葉」は常識の範囲内でしょうが、外へ出れば大変な「お言葉」です。お諌めした田島氏を評価ししているのだと思いますが、このような操作を捏造と呼ぶのではないでしょうか。もっと言えば、陛下のご信頼を得ていながら、「お言葉」を全部外に漏らした田島氏こそが背信者であると、世間に公表しているようなものです。
 
 NHKはこの恥ずべき番組を、国内だけでなく海外へも発信していますが、その責任は誰が取るのでしょう。疑問ばかりが湧いてきます。
コメント (4)
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