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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

驕るNHK - 7 ( 元宮内庁長官・富田朝彦氏のメモ )

2019-08-24 16:24:55 | 徒然の記
        本日ブログを訪問された方に、下記のコメントを頂きました。
 
  「 昭和天皇に関係する資料はこの他にも、13年前に日経がすっぱ抜いた「富田メモ」があります。」 
 
 これで私は、自分の勘違いに気付きました。昭和天皇の「靖国参拝」中止に関係していたのは、「寺崎氏の資料」でなく「富田メモ」でした。
 
  早速訂正し、昭和天皇に関係する3つの報道を時系列に整理いたします。
 
   1.   『昭和天皇独白録』    1990年(平成2年)12月1日    文藝春秋
 
   2.   『富田メモ』      2006年(平成18年)7月20日   経済新聞朝刊
 
   3.  『昭和天皇 拝謁記 』        2019年(令和元年)8月16日    NHK  WEB  NEWS
 
  1. と2. については、別途調べた情報を再確認のため紹介します。
 
 〈    1. 『昭和天皇独白録』 〉
 
  •『昭和天皇独白録』は、昭和天皇が戦前、戦中の出来事に関して、1946年(昭和21年)に、側近に対して語った談話をまとめた記録である。
 
  ・最初は外務省出身で、当時宮内庁御用掛として昭和天皇の通訳を務めていた、寺崎英成により作成された。
 
  ・前後8時間余に亘り、大東亜戦争の遠因、近因、経過及び、終戦の事情等につき、
  ・聖上陛下の御記憶を、松平宮内大臣(慶民)、木下侍従次長・松平宗秩寮総裁(康昌)、稲田内記部長及び、寺崎御用掛の5人が、承りたる処の記録である。
 
  ・陛下は、何もメモを持たせられなかった。
 
  ・前3回は御風気の為、御文庫御引篭中、特にベッドを御政務室に御持込みなされ、御仮床のまま御話し下され、
 
  ・最后の2回は、葉山御用邸に御休養中、特に5人が葉山に参内して承ったものである。
 
  ・記録の大体は稲田が作成し、不明瞭な点に付ては木下が折ある毎に伺ひ、添削を加へたものである。
 
 寺崎氏は不遜な田島氏と違い、陛下への敬語を忘れていません。またお言葉のメモについても、慎重に扱われていたのかがよく分かります。一人で好き勝手した田島氏のメモとは、同じに扱えないことが分かります。
 
  ・平成2年12月号の『文藝春秋』に全文が掲載されると、大反響をよび、発行部数は100万部を超えた。
 
  ・平成3年3月に、寺崎の日記を付した単行本が『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』として、文藝春秋から刊行された。
 
  ・平成7年に、寺崎日記を省き、『昭和天皇独白録』として、文藝春秋から文庫化された。
 
 読めば分かる通り、昭和天皇に関する出版物は大きな反響を呼びます。反響を呼ぶだけでなく、大ベストセラーとなって出版社に利益をもたらし世論を誘導します。
 
 今回、NHKと左系の学者たちは、二匹目のドジョウを狙って世論誘導を計画したのではないでしょうか。
 
 〈   2. 富田メモ 〉
 
  ・富田メモとは、元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモである。
 
  ・手帳14冊、日記帳13冊、計27冊、特に昭和天皇の、靖国神社参拝に関する発言を記述したと、報道された部分を指して「富田メモ」と言う。
 
  ・昭和天皇が、A級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したとされる内容が、注目された。
 
  ・靖国神社についての発言は、昭和63年4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)のメモにあった。
 
  ・一連のメモは4枚あったとされ、発言はそのうちの4枚目にあたるが、メモ全体の公刊や一般への公開はされていない。
 
 富田氏の遺族の方は、4枚のメモのうちの一枚しか公開していませんが、田島氏の遺族は、いくらNHKに誤魔化されたとはいえ安易に全文を公開させています。
 
 公開された富田メモの一部の内容は、以下の通りです。
 
   ・私は或る時に、A級が合祀され、その上 松岡、白鳥までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と 
 
   ・松平は平和に強い考えがあったと思うのに親の心子知らずと思っている。だから 私はあれ以来参拝していないそれが私の心だ。
 
 メモに関する日経新聞の説明も、紹介されていました。
 
  ・昭和天皇は、筑波宮司が、A級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波が退任後、A級戦犯が合祀されたことに懸念を表明し、その中でも、松岡洋右と白鳥敏夫までもが合祀されたことに、強い不快感を表明した。
 
 日経新聞の記事を読んだ時私は次のように考え、その考えは今も変わりません。
 
 ・昭和天皇のお気持ちは、そうであったのかもしれませんが、たとえご自分が贔屓にされる相撲の力士についても、報道陣に名前を聞かれると、「 差し障りがありますので」 、と口を濁される陛下でした。
 
 ・そういう陛下を知らないはずがないのに、遺族の方がたとえ一部でもメモを公表した事に怒りを覚えました。
 
 今回、NHKが明らかにしたメモ魔の田島氏と合わせ考えますと、初代長官以来、戦後の宮内庁のトップは皆こっそりとメモを取り、マスコミに売る習慣がついていたのではないかと思わされてきます。
 
 一度されると慣例になり、前例を守るのが官僚の世界だと聞きます。現在も眞子さまと小室親子の話が、宮内庁の関係者から外部に漏れている状況と、無縁でない気がします。
 
 もしかすると田島氏は、職務への「守秘義務」という大事なものを、宮内庁から消し去る改革もしていたのかもしれません。自らが率先して・・
 
 話が横道へ逸れましたので、次回からNHKの番組に戻ります。
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驕るNHK - 6 ( NHKと古川教授による共同犯罪番組)

2019-08-24 08:20:54 | 徒然の記
 〈  第2章 -  戦争への悔恨 -   〉
 
   ( 1 )   繰り返し戦争を回顧  後悔語る
 
   ( 2 )  「南京事件」も回顧
 
   ( 3 )   こだわった「反省」の言葉
 
   ( 4 )   天皇の位にとどまるべきか、心の動きも記述
 
   ( 5 )   戦争への悔恨 専門家の見方
 
 第2章の ( 1 ) が終わり、今回は ( 2 ) の紹介です。
 
  ・『拝謁記』には、日中戦争のさなかに日本軍が略奪などを行い、一般住民や捕虜を殺害した「南京事件」 について、昭和天皇が言及する様子も記されていました。
 
 以上が書き出しの、NHKの説明文です。
 
 
 〈     南京事件」も回顧   〉
 
    昭和27年2月20日の拝謁時の「お言葉
 
   陛下
 
  ・ 反省というのは、私にも沢山あると言えばある。
 
  ・支那事変で、南京で、ひどい事が行われてるという事を、そのすじでないものから、うすうす聞いてはいたが、別に表だって誰も言わず、
 
  ・従って私は、このことを注意もしなかつたが、「市ケ谷裁判」で公になった事を見れば、実にひどい。
 
  ・私の届かぬ事であるが、軍も政府も国民も、すべて下剋上とか、軍部の専横を見逃すとか皆反省すれば、それらを皆反省して繰返したくないものだ。
 
 陛下の言われる「市ヶ谷裁判」というのが、「東京裁判」のことです。裁判は昭和23年の11月に終わっていますから、このお言葉があったのは4年後の話です。
 
 田島氏が陛下と言葉を交わしているのは、GHQの統治下で「東京裁判」についても、「南京事件」についてもGHQが情報統制をしていました。
 
 こうした状況下ですから、陛下はGHQ側の情報で判断されるしかなく、「東京裁判」も「南京事件」についても、責任を感じられたのであったろうと推察します。
 
 「東京裁判」の違法性と、「南京事件」の大ウソについて現在は多くの資料が出ています。これらの事実を知りながら、NHKが『拝謁記』を捏造編集し、中身がないのにありそうな報道をしています。
 
 朝日新聞の「慰安婦問題」と同じパターンの捏造報道であり、犯罪行為ですが誰も指摘しません。
 
 GHQの日本統治時期と、東京裁判の時期と、田島氏がこっそりメモを書いた時期を併記してみると、NHKの意図が見えてきます。
 
      1.  GHQによる日本統治期間  昭和20年9月から昭和27年4月まで、約7年間
 
           2.  東京裁判の行われた時期    昭和21年5月から昭和23年11月まで、約3年間
 
         3.  拝謁記がメモされた期間          昭和24年2月から昭和28年12月まで、約5年間
 
 氏が拝謁していたのは、GHQが日本を統治していた時期とほとんど重なります。この間氏が何も伝えないため、陛下に情報が届かず、心を痛めておられたことが分かります。
 
 こうした時期に語られた「お言葉」を、NHKと学者たちは、なぜ戦後史の超一級資料と簡単に断定するのでしょう。情報のない中での「お言葉」であるとすれば、陛下に思い違いがあって当然です。
 
 困難な時期の「お言葉を」、貴重な歴史資料と断定する彼らの軽率さを、二つ例で示します。後日明らかになった、ウィロビー少将とジョージ・ケナン氏の「東京裁判」に関する批判です。
 
 1.  チャールズ・ウイロビー少将 ( GHQ情報関係責任者・レーリンク氏の著書より )
 
 ・判決後ウィロビーは、帰国の挨拶にやってきたオランダ代表のベルト・レーリンク判事に、次のように語っています。
 
  ・「この裁判は、史上最悪の偽善だった。」
 
  ・「こんな裁判が行われたので、自分は、息子には軍人になることを止めさせるつもりだ。」
 
  ・「なぜ不信をもったかと言うと、日本がおかれていたと同じ状況に置かれたのなら、アメリカも日本と同様に、戦争に出たに違いないと思うからだ。」
 
 2.  ジョージ・ケナン氏 ( 国務省・政策企画本部の初代本部長 )
 
  ・この裁判に、法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。
 
  ・戦時中に、捕虜や非戦闘員に対する虐待を禁止する人道的な法はある。
 
  ・しかし公僕として、個人が国家のためにする行為について、国際的な犯罪はない。国家自身はその政策に責任があり、戦争の勝ち負けが国家への裁判である。
 
  ・日本の場合、敗戦の結果としてこの裁判はなされた。
 
  ・戦勝国が、敗戦国を制裁する権利がないというわけではないが、そういう制裁は戦争行為の一部としてなされるべきであり、正義と関係がない。
 
  ・またそういう制裁を、いかさまな法手続きで装飾するべきではない。
 
  ・この裁判は、国際司法の極致として賞賛されているが、そもそもの最初から、大きな考え違いがあり、
 
  ・敵の指導者の処罰が、不必要に手の込んだ司法手続きのまやかしや、ペテンにおおわれ、その本質がごまかされており、東京裁判は、政治裁判であって法ではない。
 
 ケナン氏は、日本への同情から述べたのでなく、米国人としての正論を述べているにすぎません。なぜなら彼は、次のように言葉を続けています。
 
  ・この裁判を支えている正義を理解する能力が、日本人にはない。戦犯は終戦時に、即刻まとめて射殺した方が適切であった。
 
 島田氏がこっそりメモをした当時、こうした情報は表に出ていませんでした。昭和天皇が知っておられたら、お言葉も違っていたでしょうし、ご心痛が減っていたかもしれません。
 
 現在明らかになっているこうした事実を無視し、なぜNHKは捏造番組を作り、国内と世界へ発信したのか。私はここにNHKの反日姿勢と、犯罪行為を見ます。
 
 この事実の上に立ち、古川氏の説明を読みますと、氏を日本史の専門家と呼べなくなります。むしろこうした反日学者が蔓延している学界を、大掃除する必要を感じさせられます。
 
 予定外ですが、ここで反日「NHKの説明」を紹介します。」タイトルはNHKがつけています。「南京事件」について、陛下に責任があるという視点からの説明です。
 
 〈 専門家 「軍や国の体質・あり方を考える材料」〉
 
  ・日本大学の古川隆久教授は、これはこの段階での、昭和天皇の正直な認識だと思う。うすうす聞いていたけど、止めなかったというところについては、道義的な批判が出る可能性はあるが、
 
  ・むしろ、うすうすしか報告が上がってこないという、戦前の軍や、日本の国の体質やのあり方を考える材料として考えた方がいい、と述べました。
 
     第2章の ( 1 ) ( 2 ) が終わりましたので、次回は ( 3 ) の紹介になります。
コメント (2)
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