本日ブログを訪問された方に、下記のコメントを頂きました。
「 昭和天皇に関係する資料はこの他にも、13年前に日経がすっぱ抜いた「富田メモ」があります。」
これで私は、自分の勘違いに気付きました。昭和天皇の「靖国参拝」中止に関係していたのは、「寺崎氏の資料」でなく「富田メモ」でした。
早速訂正し、昭和天皇に関係する3つの報道を時系列に整理いたします。
1. 『昭和天皇独白録』 1990年(平成2年)12月1日 文藝春秋
2. 『富田メモ』 2006年(平成18年)7月20日 経済新聞朝刊
3. 『昭和天皇 拝謁記 』 2019年(令和元年)8月16日 NHK WEB NEWS
1. と2. については、別途調べた情報を再確認のため紹介します。
〈 1. 『昭和天皇独白録』 〉
•『昭和天皇独白録』は、昭和天皇が戦前、戦中の出来事に関して、1946年(昭和21年)に、側近に対して語った談話をまとめた記録である。
・最初は外務省出身で、当時宮内庁御用掛として昭和天皇の通訳を務めていた、寺崎英成により作成された。
・前後8時間余に亘り、大東亜戦争の遠因、近因、経過及び、終戦の事情等につき、
・聖上陛下の御記憶を、松平宮内大臣(慶民)、木下侍従次長・松平宗秩寮総裁(康昌)、稲田内記部長及び、寺崎御用掛の5人が、承りたる処の記録である。
・陛下は、何もメモを持たせられなかった。
・前3回は御風気の為、御文庫御引篭中、特にベッドを御政務室に御持込みなされ、御仮床のまま御話し下され、
・最后の2回は、葉山御用邸に御休養中、特に5人が葉山に参内して承ったものである。
・記録の大体は稲田が作成し、不明瞭な点に付ては木下が折ある毎に伺ひ、添削を加へたものである。
寺崎氏は不遜な田島氏と違い、陛下への敬語を忘れていません。またお言葉のメモについても、慎重に扱われていたのかがよく分かります。一人で好き勝手した田島氏のメモとは、同じに扱えないことが分かります。
・平成2年12月号の『文藝春秋』に全文が掲載されると、大反響をよび、発行部数は100万部を超えた。
・平成3年3月に、寺崎の日記を付した単行本が『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』として、文藝春秋から刊行された。
・平成7年に、寺崎日記を省き、『昭和天皇独白録』として、文藝春秋から文庫化された。
読めば分かる通り、昭和天皇に関する出版物は大きな反響を呼びます。反響を呼ぶだけでなく、大ベストセラーとなって出版社に利益をもたらし世論を誘導します。
今回、NHKと左系の学者たちは、二匹目のドジョウを狙って世論誘導を計画したのではないでしょうか。
〈 2. 富田メモ 〉
・富田メモとは、元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモである。
・手帳14冊、日記帳13冊、計27冊、特に昭和天皇の、靖国神社参拝に関する発言を記述したと、報道された部分を指して「富田メモ」と言う。
・昭和天皇が、A級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したとされる内容が、注目された。
・靖国神社についての発言は、昭和63年4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)のメモにあった。
・一連のメモは4枚あったとされ、発言はそのうちの4枚目にあたるが、メモ全体の公刊や一般への公開はされていない。
富田氏の遺族の方は、4枚のメモのうちの一枚しか公開していませんが、田島氏の遺族は、いくらNHKに誤魔化されたとはいえ安易に全文を公開させています。
公開された富田メモの一部の内容は、以下の通りです。
・私は或る時に、A級が合祀され、その上 松岡、白鳥までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と
・松平は平和に強い考えがあったと思うのに親の心子知らずと思っている。だから 私はあれ以来参拝していないそれが私の心だ。
メモに関する日経新聞の説明も、紹介されていました。
・昭和天皇は、筑波宮司が、A級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波が退任後、A級戦犯が合祀されたことに懸念を表明し、その中でも、松岡洋右と白鳥敏夫までもが合祀されたことに、強い不快感を表明した。
日経新聞の記事を読んだ時私は次のように考え、その考えは今も変わりません。
・昭和天皇のお気持ちは、そうであったのかもしれませんが、たとえご自分が贔屓にされる相撲の力士についても、報道陣に名前を聞かれると、「 差し障りがありますので」 、と口を濁される陛下でした。
・そういう陛下を知らないはずがないのに、遺族の方がたとえ一部でもメモを公表した事に怒りを覚えました。
今回、NHKが明らかにしたメモ魔の田島氏と合わせ考えますと、初代長官以来、戦後の宮内庁のトップは皆こっそりとメモを取り、マスコミに売る習慣がついていたのではないかと思わされてきます。
一度されると慣例になり、前例を守るのが官僚の世界だと聞きます。現在も眞子さまと小室親子の話が、宮内庁の関係者から外部に漏れている状況と、無縁でない気がします。
もしかすると田島氏は、職務への「守秘義務」という大事なものを、宮内庁から消し去る改革もしていたのかもしれません。自らが率先して・・
話が横道へ逸れましたので、次回からNHKの番組に戻ります。