佐藤健志氏を、とても誉める方がいます。私はずっと、その意見に違和感を抱いてきました。
まずもって、佐藤氏は早口で喋りすぎますし、相手の言葉を遮ってでも、自分の意見を述べたりします。無くて七癖と言いますから、これは生意気というので無く、氏の癖なのでしょうが、あごを突き出し、他人を見下ろすような話しぶりをします。
謙虚さの見えない姿なので、それだけで私は嫌になり、どうしてこのような人物を評価するのかと、首をひねってきました。しかし、本日偶然にチャンネル桜の動画を見て、佐藤氏への評価をすっかり変えました。
さる4月15日に放映された動画で、「どこまで独立したか ? 日本」という表題の討論でした。出席者は5名で、司会はいつものとおり水島氏でした。東大名誉教授の小堀桂一郎氏、産経新聞ワシントン特派員の古森義久氏、元自衛隊陸相の用田和仁氏、大学教授の西岡力氏、そして評論家の佐藤健志氏です。
チャンネル桜の討論番組で、佐藤氏以外は私には常連メンバーでしたし、どの人物も同じ保守と思ってきました。日頃は皆私と同じ考えだという、それだけの印象しか持っていなかったのですが、初めて佐藤氏の意見を聞き、目から鱗の発見をいたしました。
結論を先に述べますと、保守として正しい意見を述べていたのが、佐藤氏一人しかいなかったという、驚くべき事実でした。他の出席者は、日本の独立が達成されていないと言いながら、なにごとも米国の理解を得てやろうとする親米派でした。敗戦後、日本の独立を徹底的に奪った、張本人の米国には言及せず、今は米国もすっかり変わり、日本をパートナーとして考えているのだから、彼らの理解を得て、憲法を改正し、慰安婦問題の嘘も解消し、安全保障も考えるべきだと、「何もかも米国頼り」の意見でした。
これに対し佐藤氏の意見は、単純明快です。米英を相手に戦った大東亜戦争での大義と、米国との協調路線を進める大義に、一貫性がない。米国頼りで進むので無く、日本だけででも安全保障はやる、憲法改正もやると、筋を通した歴史観が必要だ。
これは、私の思いと全て重なり、他の出席者も賛成すると思いましたのに、全員が異を唱えました。一番酷かったのが古森氏で、旗を上げて戦って我々は負けた。負けて下ろした旗をまた上げろと言うのかと、こんな意見です。今更それを言うのは、寝た子を起こすようなもので、日本にとって何の益もない。国内での議論ならまだしも、それを国際社会で言って、何になる。
小堀桂一郎氏は、現代史を事実に即して学びなさいと、佐藤氏に忠告しました。米国はすでに、過去に日本を悪者にしたことを後悔している。フーバー元大統領の回想記を読みましたか。そこには、ルーズベルトやトルーマン大統領の政策が過ちであったと書いてある。米国は、共産主義国との戦いの最前線にいたのが日本だったと、今は、やり過ぎを後悔していることを知るべきだ。現実が保護国状態であるとしても、私たちは、米国と手を組み協調していかなければならない。・・・えっ、これが保守論客と言われる人物の意見かと、耳を疑いました。
西岡氏は、私が初めて耳にする珍節でした。大東亜の戦争で、日本は負けて敗戦国となったのかも知れないが、その後の東西冷戦では、西側の民主主義国の陣営に加わり、共産主義と戦った。その結果ロシアが崩壊し、日本は戦勝国の一員となったのだから、いつまでも、大東亜の敗戦国の意識でいることはない。
用田氏は、もっぱら憲法九条のため、自衛隊が何もできないという話です。日本には国内を守る警察はあるが、外敵と戦う軍隊はない。自衛隊の実情は、戦後に作られた警察予備隊のままである。攻撃されるまで武器が使えず、武器を使えば殺人罪に問われる。外国へ出かけても、他国の軍隊に守られてしか活動できない。こんなことで、どうして国防の任に当たれるのか。憲法と安保を見直しし、米国と共に、日本は戦うという姿勢を見せなくて、米国の理解が得られるだろうか。
佐藤氏は、それでは東京裁判史観を認めたままになり、筋の通った歴史観がないと言いましたが、耳を傾ける人がいませんでした。出席者たちが、本気で日本の独立を考えている保守というのなら、佐藤氏の意見を否定する理由がわかりません。
「正論を言い出したら前に進まないので、今は現実を考えながら、プラグマティックにやることが大事でしよう。」などと、水島氏の意見が出席者の総意になるようでは、お粗末の限りです。敗戦後の保守たちは、こうして大切な問題を先送りし、日本中を「お花畑」にしたのです。保守論人というのなら、歴史観を大切にし、しっかりした思想を持つべきでしょうに。
ですから、私は、出席者の方々に失礼だと知りながら、あえて言います。
「佐藤氏は、立派で、聡明な、正統の保守です。」「他の人々は、己の無知に気づかない、愚かな人間で、とても保守とは呼べません。」
アメリカが日本を裁いた過ちを認めたというのなら、フーバー元大統領や、個人の議員の談話などに根拠を求めず、「国連の敵国条項」を外させたらどうかと、私は小堀氏に言いたいのです。マッカーサーが回想記や議会証言で、国内向けに語るだけでなく、アメリカは国として、正式に日本への原爆投下を謝罪すべきでないかと、小森氏や西岡氏に問いたくなります。
憲法改正ができない原因が、今もアメリカにあり、反日左翼は、米国内の反日勢力と手を結び、「日本の歴史」を攻撃しています。国として、アメリカが日本を評価し直しているのなら、国連での反日活動をなぜ放任するのでしょうか。分担金だけ出させ、相変わらず日本軍を否定させ、過去を否定させ、種々の委員会での反日活動や、内政干渉を黙認するのか。佐藤氏以外の方たちの意見には、大きな疑問と怒りを覚えました。
孤立無援の佐藤氏に送る言葉として、私はもう一度繰り返します。
「佐藤氏は、立派で、聡明な、正統の保守です。」「他の人々は、己の無知に気づかない、愚かな人間で、とても保守とは呼べません。」