ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

佐藤健志氏

2017-06-16 18:21:46 | 徒然の記

 佐藤健志氏を、とても誉める方がいます。私はずっと、その意見に違和感を抱いてきました。

 まずもって、佐藤氏は早口で喋りすぎますし、相手の言葉を遮ってでも、自分の意見を述べたりします。無くて七癖と言いますから、これは生意気というので無く、氏の癖なのでしょうが、あごを突き出し、他人を見下ろすような話しぶりをします。

 謙虚さの見えない姿なので、それだけで私は嫌になり、どうしてこのような人物を評価するのかと、首をひねってきました。しかし、本日偶然にチャンネル桜の動画を見て、佐藤氏への評価をすっかり変えました。

 さる4月15日に放映された動画で、「どこまで独立したか ? 日本」という表題の討論でした。出席者は5名で、司会はいつものとおり水島氏でした。東大名誉教授の小堀桂一郎氏、産経新聞ワシントン特派員の古森義久氏、元自衛隊陸相の用田和仁氏、大学教授の西岡力氏、そして評論家の佐藤健志氏です。

 チャンネル桜の討論番組で、佐藤氏以外は私には常連メンバーでしたし、どの人物も同じ保守と思ってきました。日頃は皆私と同じ考えだという、それだけの印象しか持っていなかったのですが、初めて佐藤氏の意見を聞き、目から鱗の発見をいたしました。

 結論を先に述べますと、保守として正しい意見を述べていたのが、佐藤氏一人しかいなかったという、驚くべき事実でした。他の出席者は、日本の独立が達成されていないと言いながら、なにごとも米国の理解を得てやろうとする親米派でした。敗戦後、日本の独立を徹底的に奪った、張本人の米国には言及せず、今は米国もすっかり変わり、日本をパートナーとして考えているのだから、彼らの理解を得て、憲法を改正し、慰安婦問題の嘘も解消し、安全保障も考えるべきだと、「何もかも米国頼り」の意見でした。

 これに対し佐藤氏の意見は、単純明快です。米英を相手に戦った大東亜戦争での大義と、米国との協調路線を進める大義に、一貫性がない。米国頼りで進むので無く、日本だけででも安全保障はやる、憲法改正もやると、筋を通した歴史観が必要だ。

 これは、私の思いと全て重なり、他の出席者も賛成すると思いましたのに、全員が異を唱えました。一番酷かったのが古森氏で、旗を上げて戦って我々は負けた。負けて下ろした旗をまた上げろと言うのかと、こんな意見です。今更それを言うのは、寝た子を起こすようなもので、日本にとって何の益もない。国内での議論ならまだしも、それを国際社会で言って、何になる。

 小堀桂一郎氏は、現代史を事実に即して学びなさいと、佐藤氏に忠告しました。米国はすでに、過去に日本を悪者にしたことを後悔している。フーバー元大統領の回想記を読みましたか。そこには、ルーズベルトやトルーマン大統領の政策が過ちであったと書いてある。米国は、共産主義国との戦いの最前線にいたのが日本だったと、今は、やり過ぎを後悔していることを知るべきだ。現実が保護国状態であるとしても、私たちは、米国と手を組み協調していかなければならない。・・・えっ、これが保守論客と言われる人物の意見かと、耳を疑いました。

 西岡氏は、私が初めて耳にする珍節でした。大東亜の戦争で、日本は負けて敗戦国となったのかも知れないが、その後の東西冷戦では、西側の民主主義国の陣営に加わり、共産主義と戦った。その結果ロシアが崩壊し、日本は戦勝国の一員となったのだから、いつまでも、大東亜の敗戦国の意識でいることはない。

 用田氏は、もっぱら憲法九条のため、自衛隊が何もできないという話です。日本には国内を守る警察はあるが、外敵と戦う軍隊はない。自衛隊の実情は、戦後に作られた警察予備隊のままである。攻撃されるまで武器が使えず、武器を使えば殺人罪に問われる。外国へ出かけても、他国の軍隊に守られてしか活動できない。こんなことで、どうして国防の任に当たれるのか。憲法と安保を見直しし、米国と共に、日本は戦うという姿勢を見せなくて、米国の理解が得られるだろうか。

 佐藤氏は、それでは東京裁判史観を認めたままになり、筋の通った歴史観がないと言いましたが、耳を傾ける人がいませんでした。出席者たちが、本気で日本の独立を考えている保守というのなら、佐藤氏の意見を否定する理由がわかりません。

 「正論を言い出したら前に進まないので、今は現実を考えながら、プラグマティックにやることが大事でしよう。」などと、水島氏の意見が出席者の総意になるようでは、お粗末の限りです。敗戦後の保守たちは、こうして大切な問題を先送りし、日本中を「お花畑」にしたのです。保守論人というのなら、歴史観を大切にし、しっかりした思想を持つべきでしょうに。

 ですから、私は、出席者の方々に失礼だと知りながら、あえて言います。

「佐藤氏は、立派で、聡明な、正統の保守です。」「他の人々は、己の無知に気づかない、愚かな人間で、とても保守とは呼べません。」

 アメリカが日本を裁いた過ちを認めたというのなら、フーバー元大統領や、個人の議員の談話などに根拠を求めず、「国連の敵国条項」を外させたらどうかと、私は小堀氏に言いたいのです。マッカーサーが回想記や議会証言で、国内向けに語るだけでなく、アメリカは国として、正式に日本への原爆投下を謝罪すべきでないかと、小森氏や西岡氏に問いたくなります。

 憲法改正ができない原因が、今もアメリカにあり、反日左翼は、米国内の反日勢力と手を結び、「日本の歴史」を攻撃しています。国として、アメリカが日本を評価し直しているのなら、国連での反日活動をなぜ放任するのでしょうか。分担金だけ出させ、相変わらず日本軍を否定させ、過去を否定させ、種々の委員会での反日活動や、内政干渉を黙認するのか。佐藤氏以外の方たちの意見には、大きな疑問と怒りを覚えました。

 孤立無援の佐藤氏に送る言葉として、私はもう一度繰り返します。

「佐藤氏は、立派で、聡明な、正統の保守です。」「他の人々は、己の無知に気づかない、愚かな人間で、とても保守とは呼べません。」

 

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後藤田正晴 - 2 ( 警察予備隊創設と、共産党対策 )

2017-06-15 09:19:09 | 徒然の記

 嘘か誠か、驚くような叙述に出会いました。後藤田氏が、警察予備隊を作っていた時期の話です。そのまま紹介します。

 「後藤田はこの期間に、吉田茂という首相の硬骨漢ぶりを、眼のあたりにした。」「吉田こそは、アメリカという支配者に対して、巧妙な手を用いて、自らの信念や理念を崩さず、日本の主体を守り抜くことに成功した首相だ、と思った。」

 「後藤田は、あの当時吉田のような政治家がいなかったら、日本は際限なく、原則を崩してしまったのでないかという。」

 「その吉田が、後藤田や外務省、旧内務省など各省からの官僚が、警察予備隊に関し、シビリアン・コントロールを模索しているとき、突然、顔を出したことがあった。」

 「吉田は講堂にこれらのスタッフを集め、新聞記者の入室を拒んだ後、こう訓示した。」

 「私は表向き、警察予備隊は軍隊でないと言い続けている。だがはっきり言って、これは軍隊である。諸君も軍隊という認識をもって、しっかりと、国土を防衛するつもりで努力してほしい。」

 吉田氏がこうした意思を持っていたことを、初めて知りましたが、同時に戦後日本の不幸は、吉田氏と後藤田氏にあったのかと、納得もしました。両氏は共に軍人の横暴さと、傲慢さを身近にするす経験しか持っていなかったからです。提灯記事を書く保坂氏は、吉田氏と後藤田氏を賞賛しますが、牙を抜いた軍隊を作ることの過ちの大きさを、七十余年後の国民が知らされることになりました。

 ここは大切なところなので、長くなっても紹介します。

 「警察予備隊について、具体的にどのような編成を進めたのか。後藤田は、この面の実務責任者であった。」「武器などは、初めはアメリか軍から譲ってもらった軽装備であった。いってみればアメリカ軍の余剰の武器を、押し付けられた格好であった。」

 「後方部門、つまり兵站、補給を拡充すれば、オーバーシーが可能になってしまう、と後藤田は考えたのである。こうした後藤田の考えに、米軍の将校たちも、別段異論を唱えなかった。」

 アジア諸国に広く展開し、無残に敗北した軍を、吉田氏も後藤田氏も嫌悪していました。自由主義者だった吉田氏は、軍人に痛めつけられ、彼らに怒りを抱いていました。敗戦後に、台湾から帰還した後藤田氏が、郷里の徳島の実家に帰るとき、どんな気持ちだったかという描写があります。

 「後藤田が、帰郷の途中で見た光景は、まさに国敗れて山河ありだった。いたるところに戦禍の跡があり、浮浪者や孤児があふれていた。そのような光景を見て、敗戦の惨めさを感じた。」「人々は食べることのみに必死で、そこには国を盛り立てていこうという気概は、感じられなかった。」

 「馬鹿な戦争をしたものだ。軍人などに国を任せると、このざまだ。二度と彼らに、国を任せることはできないと痛感した。」

 優秀で聡明だと保坂氏は、後藤田氏を描きますが、戦争の原因を単純化して考え、何もかも軍人に転化する人物だとすれば、私には疑問でしかありません。

 後藤田氏は、警察予備隊について次のように語っています。

 「これは重要なことですが、いかなることがあっても、オーバーシー用の武器は持たないし、装備はしない、というのが主眼だったのです。」「足の長い、つまり外国へ出ていけるような装備は、しないということでした。部隊そのものが、外国に出ていけない、隊員にもそのような教育はしない、という方針でやっていたわけだ。」

 「長距離爆撃機など、決して持たないわけです。兵站や補給にしても、国土防衛が中心ですから、それほど大がかりなものでなくていい。だから僕は、アメリカから命令された後方部門は、削ってしまった。」

 日本軍を悪とする思想が、ここから出発していました。氏は戦争の実態を知らない高級官僚でしかなかったかと、私はそう考えざるを得ません。国益をむき出しにし、敵を殲滅させる戦いをするのが国際社会で、それが歴史だと、こんな常識もなかったということです。

 氏が作った軍隊は専守防衛の軍で、実際には日本の防衛さえできないお粗末さでした。七十年が経過し、北朝鮮や中国が、核兵器で攻撃すると脅してくる現在では、敵基地攻撃なしで、国土の防衛ができないことが明らかになりました。

 攻撃される前に敵基地を破壊しなければ、日本は消滅します。国が瞬時に破壊される核戦争が生じたとき、遠く離れた米国が、自国の危機を招く日本防衛をするはずがありません。核戦争時の日本は、自力で国土を防衛するしかありません。これが国際社会の現実ですから、保坂氏がいくら後藤田氏を褒めても、うなづく気になれません。

  占領軍統治下の日本なら、軍人を責め、軍隊を呪っても、異を唱える者はなかったとしても、今は状況が違います。国の安全保障はどうあるべきか、軍隊の役割は何なのかと、優れた指導者なら百年の大計で考えます。

 それでも後藤田氏を無下に出来ないのは、次のような記述があるからです。

 「昭和46年後藤田は警察庁長官として、全国警備局長会議などで共産党に対し、強い警鐘を鳴らした。」

 「日本共産党は、巧妙な戦術を用いて国民を欺いている。微笑戦術を取りながら、国民の持っている警戒心を解き、支持の拡大を進めている。少なくとも幹部たる諸君は、微笑の陰に隠された、革命勢力としての共産党の本質は、少しも変化のないことを、心に銘記しておかねばならない。」

 「共産主義勢力や、新左翼のイデオローグたちに対する後藤田の見方は、常に厳しく、ことあるごとに批判を行った。」

 「例えば学生が暴徒化し、騒乱状態になっても、警察はそれに耐える装備と、訓練を行っている。」「警戒すべきは、共産党だ。彼らは、本質的に、武装革命に転換する可能性があると漏らした。」

 後藤田氏は、このようにして昭和40年代初期の学生運動に向き合い、安保騒動に対峙したのです。むやみに力を行使せず、しかし断固として学生の活動は抑え込む、こうした理性的処理をしたのが後藤田氏だったと知りますと、氏への批判が簡単にできなくなります。

 氏は警察予備隊、つまり今日の自衛隊を骨抜きにした元凶ですが、共産党対策では見事な指揮を取りました。ブログで語る口舌の徒でしかない私は、命がけの仕事をした氏を、簡単に批評できなくなりました。

 ということで、本日はここまでとします。最後まで目を通せば、いい知恵が得られるのかもしれません。

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後藤田正晴 ( 軽蔑したり感謝したり、忙しい本 )

2017-06-14 17:51:10 | 徒然の記

 保坂正康氏著『後藤田正晴』( 平成10年刊 文元春秋社 ) を、読んでいます。400ページの本の230ページですから、やっと半分というところです。

 右か左か、反日か愛国かと、単純思考しか出来ない私にはやっかいな本なので、途中で一休みせずにおれなくなりました。理由は二つです。

     1.    著者である保坂氏が、私の嫌悪する獅子身中の虫の一人であること。

     2.    後藤田正晴氏が、護憲派の政治家であるということ。  

 保坂氏については、平成25年の6月と9月、平成26年の2月と過去3回、氏を批判するブログを書いています。

 「改憲は、積み重ねてきた歴史への背信である。」

 氏の基本的姿勢は一貫してここにあり、憲法改正を語る安倍総理へ反対します。平成25年の6月に、氏は講演会で次のように述べていました。

 「もし帝国主義的な乱暴な国があったら、私たちは憲法とともに積み重ねてきた実績をもとに、その国を批判することができるのです。」

 「あなた方がやっているのは、帝国主義的な手法ではないですかと言えるし、言わなくてならない。今の憲法を持つことには、そういう意味もあるのです。」

 これが尖閣の領海侵犯をする中国への、氏の意見です。ひとかどの評論家を自称していますが、ひとかどの評論家とは考えられません。参考のため、平成25年の9月のブログからも、氏の意見を紹介します。

 「ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が、千鳥が淵戦没者墓苑を訪れたのは、安倍総理が、靖国神社とアーリントン墓地は同じと言ったことに対する、米国の怒りの意思表示である。」

 「靖国神社は宗教的・政治的であると同時に、何よりもA級戦犯の刑死者が祭礼の対象になっている。」「米国共和党の怒りは、神聖なアーリントンを、異質な靖国と同じにしないで欲しい、こんな神社がアーリントンと同じである訳が無い、ということだ。」

 アメリカが何を言おうと、歴史を知り、日本を大切に思う人間は靖国神社をそんな言葉で語りません。だから私は、最初から偏見を持って本を読みました。後藤田正晴氏の伝記ですから、幼少の頃から書き起こされています。氏は後藤田氏を議員会館に何度も訪ね、親しく対談した間柄だと言います。

 保坂氏の本業は作家でなく、評論家だと思いますが、読むに耐えない叙述です。後藤田氏は、今をときめく自民党の実力者なので、多少のお世辞はあると思いますが、鳥肌が立つような追従文でした。

 生きている著名人の伝記を、三文文士が書けばこうなるのかと、我慢しながら読みました。私の偏見なのか、氏の文章を紹介します。 

 「後藤田の顔は、確かに笑顔がいい。邪気の無い、爽やかさを絵に描いたような顔になる。そのために、相手に与える印象がソフトになる。」

 「だが、高校時代の同級生たちはその顔と、ひとたび議論になり、自説を主張する時の厳しい顔もみている。その二つのコントラストが、かえって同級生たちには、人間的な魅力と映った。」

  しかし90ページ読んだ時から、本への興味が湧いてきました。

 「昭和17年、夏のことである。後藤田はマニラの司令部に、連絡将校として出張を命じられたことがあった。」

 「マニラでは日本軍の将兵が、わがもの顔で街を歩いていた。フイリッピン人は、それに怯えていた。」「後藤田はこの時に、日本軍の横暴さを幾つも目撃した。これが大東亜共栄圏の実態かと、日本人でありながらフイリッピン人に同情した。」

 戦前の日本人がアジアで何をしたのか、今も私が知りたいのはここです。市も同じだったのか、後藤田氏に質問しています。

 「どういう光景に出会ったのかと問うと、そりゃあ君、ひどいもんだ。そのことは言いたくない。」

 「とにかく無茶なもんだ。軍人には、ひどいことをするものがいるんだ。あれでは、戦後になって、アジアの人々に弾劾されるのも、無理はない。」「後藤田は、この話の時には眉をひそめた。」

 私が乱読を続ける理由の一つは、戦前の日本が知りたいからです。後藤田氏と、保坂氏の会話には、私の知らない日本がありました。後藤田氏についても、知らない姿でした。

    1.  警察予備隊の創設に、実務官僚として関わっていたこと

    2.   機動隊の創設者であったこと

    3.   浅間山荘事件では、警察のトップとして指揮をしていたこと

 無知を啓蒙してくれる本には感謝する私は、軽蔑する保坂氏の著作にも敬意を表すこととなり、忙しくなりました。

 それで一息入れ、頭を冷やすことにしました。私はまだ若いのですが、それでもこのような本を手にすると疲れます。本日はこれまでとし、「ねこ庭」の雑草でも抜くことにします。

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民進党の田嶋氏と、自民党の井野氏

2017-06-12 00:01:36 | 徒然の記

 私の民進党に対する嫌悪は、共産党へと同様、偏見に匹敵すると自分で思っています。しかし、実際に偏見でないかと、反省させられる事実に遭遇いたしました。

 去る5月13日の、千葉日報の記事でした。「県選出議員国会質疑」というコラムがあり、左右を問わず、千葉県議員の国会質疑が取り上げられます。目立たない、小さな記事です。

 記事の表題は、「外国人の土地購入に法規制を」となっていて、衆議院の経産委員会での、田嶋要氏の質問でした。氏は千葉一区選出の、民主党議員ですが、質問の内容は、山林を外国人が購入する事例が相次ぎ、地域住民の不安が高まっているので、法規制ができないかというものです。

 これに対する井野俊朗法務副大臣の答えは、「規制は難しい。」でした。氏は大正14年に制定された「外国人土地法」で、「政令により外国人や外国法人による土地取得が制限されている。」ことを紹介しましたが、「現憲法下では、政令が一度も制定されたことがない。」と述べました。

 従って同法には、制限規定がなく、国会の審議なしに、政令が作れるかについては、疑問であると答えました。また外務省も田嶋氏に、「自由貿易の観点から、」「土地取引も、差別的待遇は認められない。」と答えたと書いています。

 北海道や新潟や沖縄で、水源地の山林や、市街地の土地を買い進める中国や、対馬で盛んに土地を購入する韓国など、国防的観点から疑問を抱く私は、田嶋氏の国会質問に強く心を動かされました。氏は民主党が政権にいた時、経済産業大臣政務官をしていたのですから、事情を知った上での質問のはずです。

 一方の井野氏は、自民党の議員で内閣府大臣政務官も兼ねています。田嶋氏の質問に対し、当然前向きな答弁をするとばかり思っていましたので、この危機意識のない答えにびっくりいたしました。これまで私は、日本の安全保障をないがしろにし、国を外国へ売り渡しているのは、民進党だとばかり思っていましたので、一瞬言葉を失いました。自民党の古手には、獅子身中の虫としか言えない反日議員がいますが、たった二期目の若手議員でも、すでにこんな有様なのかと驚かされました。

 ネットで井野氏について調べてみますと、なんと氏は、「選択的夫婦別姓制度」について、賛成するという主張をしています。昔からある日本の家族制度を、根幹から崩壊させようとする左翼の意見です。まして弁護士の資格も持っているというのですから、とんでもない自民党議員です。「弁護士の資格」なんて、反日・左翼の名札ではないかと、さっそく私の、手に負えない偏見が頭を持ち上げてきます。それでもこの質問で見る限り、国を大切にする議員は民進党の田嶋氏であり、国を粗末に扱っているのが、自民党の井野氏でした。

 これからは、党名だけでなく、人物本位でも選挙の一票を考えなくてならないと、身の引き締まる思いを致しました。余計なコメントなしで、事実だけを報道することがある、千葉日報が、ますます好きになりました。(常にそうでなく、時々事実だけを報道するのです・・・、念のため。)

 

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ゆうちょ銀行のお客サービス

2017-06-10 01:15:16 | 徒然の記

 株式会社ゆうちょ銀行という名前に変わっても、私たち庶民にとって、それは依然として郵便局です。雨の日も風の日も、全国津々浦々に郵便を届けてくれる、配達の職員と一体になり心に刻まれています。銀行より親しみやすく、切手を一枚、ハガキを一枚買っても、面倒がらず対応してくれました。

 貯金をすれば丁寧に説明してくれ、預けるについては、銀行にない信頼と安心感がありました。しかしあの小泉首相が、郵政を民営化しなくては、日本の政治が歪められたままだと、進軍ラッパを吹き鳴らし、民間会社にしてしまいました。日本郵便株式会社と、株式会社ゆうちょ銀行と、株式会社かんぽ生命保険です。

 あともう一つ日本郵政株式会社があるのですが、今でも私はこれらの会社の関係がよく理解できていません。別会社と言いながら、同じ建物の中で仕事をしていますし、利用する側から見れば、相変わらず郵便局でしかありません。民営化に反対するのなら、自民党をぶっこわすとまで小泉氏が訴え、政界で大騒ぎしたのに、民営化後に、いったい政治がどのように変わったのか、官僚の無駄遣いが減ったのか。今もって不明のままですから、私は詐欺にでもあったのでないかと、そんな気持ちがずっと続いています。

 でも、本題はこれではありません。

昔も今も、変わらず郵便局を利用している私には、最近とても違和感が生じています。ゆうちょ銀行は、貯金残高約175兆円で、三菱UFJファイナンシャル・グループの預金残高124兆円を抜き、平成24年の3月現在で、日本最大の預金金融機関となりました。

 都市銀行には含まれていないものの、みずほ銀行以外で、全国47都道府県の全てに、店舗(支店・出張所)を有しているのは、ゆうちょ銀行だけなのです。住民サービスも向上し、業務の効率化も従来の銀行に負けませんと、そんな宣伝文句があったと記憶しています。

 けれどもこの巨大なゆうちょ銀行が、どれだけのサービスを心掛けているかにつき、大きな疑問が消せません。それは民営化された銀行に言うのか、かんぽ生命保険会社へ訴えるのか、それとも郵便の会社に言うべきなのか、駐車場の設備がまったく整備されていないという実情です。

 千葉や東京は勿論、名古屋でもそうでしたし、北九州でもそうでした。郵便局のある道路は、どこも違法駐車の車が止まり、駐車場所があるかと思えば、付近の駐車場の中に、ニ、三台のスペースを借りているとか、どの郵便局も利用する住民を難渋させています。

 鳴り物入りで作った会社だというのに、このサービス精神のなさについて、誰も苦情を言わないのが不思議でなりません。セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートという、コンビニの店舗を見てください。どの店も、広い駐車場を持ち、大小の車が軽く20台は停められるスペースを確保しています。ゆうちょ銀行グループのサービス心のなさは、ちょっと比較するだけで誰にも分かります。 

 平成27-28年のコンビニ主要三社の売上高は、一社平均で約2兆円です。一方ゆうちょ銀行の平成28年の売上高も約2兆円です。かんぽ生命保険会社が約8兆円、日本郵便株式会社は約2兆円ですから、合計しますと、約12兆円となります。
 
 たかだか2兆円の売り上げのコンビニ各社が、駐車場を完備し事業展開するサービス精神に比較すれば、ゆうちょ銀行などが、いかに顧客への配慮に欠けているか、一目瞭然です。しかも郵便局の利用者は、高齢者が多く、苦情も言えず我慢しています。
 
 全国展開していますから、即座に駐車場を完備するべしなどと、そんな極論は言いません。少なくとも中長期の計画で、都市部の不便な郵便局から始めれば、出来ないはずがありません。違法駐車を放任し、交通渋滞にも気配りせず、トラブルが生じても知らぬ顔で、しかも日本最大の金融機関だというのですから、苦情の一つも言いたくなります。
 
 日本経済のデフレは、市場に金が出回らない所から生じていると言われますから、巨大金融機関であるゆうちょ銀行グループが、郵便局の周辺を買収し、本気で駐車場を作り出したら、それだけで多額の資金が世間に流れ、やがて購買力の向上につながります。素人の私が言うほど簡単でないとは思いますが、かって政府機関だった郵便局なら、経営者は、どうしてそのくらいの社会貢献に目を向けないのでしょう。
 
 それともやっぱり親方日の丸の体質から脱皮出来ず、天下り官僚たちの就職先になっているだけなのでしょうか。こうなりますと私は、どうしても小泉元首相と、あの竹中平蔵氏に怒りをぶつけたくなります。アメリカの言うなりになって、金融市場を解放し、銀行を沢山潰し、自民党でなく、経済の土台をぶっ壊した彼らが許せなくなります。
 
 お花畑の国民に向かって、原発の即時撤廃などと、相変わらず極論を叫んでいる小泉氏に反論したくなります。無責任なスローガンを言わず、国民が一番不便を感じている郵便局の駐車場の整備について、政治家らしく対応したらどうかと、私は言いたいのです。
 
 憲法改正や陛下の退位ほどの優先順位はありませんが、毎日の暮らしに直結した、大事な問題の一つであることだけはハッキリしています。大きなことばかりでなく、たまには私も、地道な日々の問題だって考えているのだと、息子や孫たちに分かってもらいたくなりました。
 
 とうとう、12時を過ぎてしまいました。明日の朝は、ベッドを出るのが9時を回ることになりそうです。朝になりますと、野良猫タビーが餌をもらいにやって来ますから、寝坊ができません。会社を辞めたって、年金生活をしていても、やっぱり私はのんびりしてはおれないのです。
 
 ボケ防止の面からすれば、ありがたい日々です。感謝感謝です。ゆうちょ銀行さん、それから小泉さんと竹中平蔵さん。
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総理後継者と言われる政治家たち

2017-06-08 13:32:33 | 徒然の記

 安部総理の後継者として、マスコミで語られているのが、石破茂、岸田文雄の両氏です。

「政治家は国民に不人気なことでも、キチンと言わなければならない。」というのが、石破氏の信条ですから、安部総理の憲法改正談話に異議を唱えています。

 平成27年の閣議後の記者会見では、安全保障関連法案の審議をめぐり、「国民の理解が進んでいるかどうかは、報道各社の世論調査の通りで、まだ進んでいるとは言えないと思う。」「あの数字を見て、『国民の理解が進んできた』と言い切る自信が、私にはあまりない。」と話しています。

  今回も、「戦力の不保持を定めた2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記すれば矛盾する。」「整合性をどう取るか答えを出さないまま、改正することに納得していない。」と主張しています。

 自民党の政治家で、安部氏の姿勢を批判するのは勇気がいることですし、憲法改正については正論だと賛成します。また外国人参政権に関する法案についても、氏は反対意見を述べています。

「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。」「私は、拙速な法案成立に断固反対する」「憲法上の住民とは日本国民を差すと考えており、多くの疑義がある。」「この問題は国の形そのものにかかわるものであり、憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく。」

 これについても、私は石破氏の意見が正しいと思い、賛同せずにおれません。ところが皇位継承については、保守政治家らしくない粗雑な意見です。

「将来的に皇族は、悠仁親王ただ一人になってしまう可能性は否定できず、」「男系男子のみで皇位を継承し続けることは不可能に近い。」「皇室の安定的な継続を考える上で、このことに関する議論を避ける訳にはいかない。」

「旧宮家の復活案もあるが、一般国民として長く人生を送ってきた人物を、皇位継承者とすることは妥当性に疑問がある。」

「皇室が途絶えることは、日本の国体そのものの滅失を意味するものであり、男系男子の皇位継承を基本としつつ、女系天皇の可能性も敢えて追求するべき。」

 石破氏の意見には、おかしな理屈と言いますか、矛盾があります。宮家の復活について、長く一般国民として暮らしてきた人物を、皇位継承者とするには疑問があるという意見です。女系天皇の配偶者となった一般人は皇族となり、御夫婦の間に生まれた子供も皇位継承者となります。

 一般人の子供が皇位継承者となることと、かっての宮家が皇位継承者として復活することのいずれが、国民に違和感を与えるものか、妥当性が高いのか、大いに議論されるべきです。今上陛下と結婚された一般人の美智子様と、皇太子殿下の配偶者である一般人の雅子様が、どれだけ皇室の伝統を破壊し、陛下の尊厳を貶めているのかを見れば、一般人との婚姻がいかに問題が多いか、今は国民の多くが理解しています。

 まして女系天皇ということになりますと、一般人の男子が介入してきます。善良な人柄ならまだしも、奸計と悪意の無頼漢なら、皇室が崩壊させられる危険性が高まります。氏には、なぜご先祖たちが男系天皇を守ってきたのかという、肝心の問題への思考が欠落しています。外国人参政権法案が、国の形そのものに関わるものだと、拙速を戒める氏が、もっと大切な、国の形にかかわる皇室の問題に、どうしてこうも理解がないのか不思議でなりません。

 その上、政治家は靖国神社へ参拝すべきでないというのが持論だというのでは、国を大切に思う庶民の気持ちが分からない、魂の抜けた政治家としか思えなくなります。

 さてそこで、もう一人の総裁候補者と言われる岸田文雄氏です。5月29日の新聞に、宏池会を率いる氏が、故池田元首相の銅像を前にしている写真が掲載されました。宏池会創設60周年の式典とのことで、氏がポスト安部への決意を語っていました。

「安部首相は卓越したリーダーだが、頼り続けてはならず、」「今から力を蓄え、何をするべきか、考えなければならない。」

 課題が山積しているというのに、今から何をするか考えるような人物が、果たして総裁候補者でいいのかと、素直でない私はすぐに反応します。国会での答弁を聞いていても、何を喋っているのか、さっぱり分からない不明瞭さに、うんざりさせられています。

 ネットの情報を調べてみますと、氏の意見は意外とハッキリしていました。「憲法改正賛成」、「集団的自衛権の行使を禁じた、政府の憲法解釈見直しに賛成。」「新基準を満たした、原発の再開に賛成。」「女性宮家の創設に反対。」

  こうした肝心なことを明言しない氏は、果たして総理の器なのだろうかと、首を傾げてしまいます。

 「今の日本の政治において、気になることがあります。」「強いリーダーシップ、米国中心の外交、タカ派的体質が強調されることです。」「それぞれの意義を否定するものではありませんが、要はバランスが大切だと思っています。」

 氏の言葉として紹介されていますが、反日のマスコミが安部総理のリーダーシップや、タカ派的体質を攻撃しているからといって、的外れな反応をしてどうするのでしょう。国の安全保障や歴史の見直しなど、これらはタカ派的傾向と言うより、これから国際社会で、日本が普通の国となるための、普通の動きです。米国中心の外交に疑問を抱くのであるなら、敗戦後の無節操な国民的自己反省への警鐘があってしかるべしと、私は思います。

 

 こうしてみますと、いろいろ苦情はあっても、安部氏の後に、石破氏と岸田氏に総理になってもらいたいと、そんな気持ちにはなりません。利敵行為に明け暮れる反日野党が、毎日国会で国民の嫌悪をかき立てているから、人材の払底した自民党でも、一強政党の地位にいます。いわば民進党や共産党の役割は、安部内閣のための支援団体でしかありません。

敗戦後の日本の歪みが、こんなにも明確になってきた時なのに、国民の選択の幅は一向に広がりません。私はしばらく、ねこ庭の草取りでもしながら、汗を流すといたしましょう。

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満州事変 - 2

2017-06-07 19:38:18 | 徒然の記

 欧米と協調する平和外交を掲げる幣原外相と、満州に日本の利権を確立しようとする陸軍とのせめぎあいが、具体的に書かれています。あるいはまた、国際連盟の中で、いかに日本が突出した行動をしていたか、日本の動向に欧米諸国がどれほど振り回されていたかなど、教えさせられることばかりでした。

 読書が進むにつれ、当時の日本は、現在の中国や北朝鮮、あるいはシリアやロシアなどと同様に、世界の目を惹きつけずにおかない激しい自己主張の国であったことが分かりました。氏の書を読んでいますと、軍国主義の日本が、軍事力にものを言わせ、世界を相手に満州支配を進めていったのだと、これも又理解させられました。

 しかし、こうして敗戦後に書かれた、日本を悪者にする書の数々を読むうち、自然と疑問も生じてきました。戦前を肯定するものは、教科書や一般書籍だけでなく、歌謡曲から童謡まで全てが検閲され、徹底的に、禁止・削除させられた、GHQの時代を思い出したからです。占領軍の支配者たちが、怒りと憎しみを持って日本の過去を否定しただけでなく、日本人の政治家や学者や、思想家と呼ばれる者たちまでが参加し、一斉に自国の歴史を否定したという、敗戦後の無節操な日本が思い出されました。

 私は過日、「変節した学者たち」という表題で、宮沢俊義、横田喜三郎、大内兵衛、中野好夫、末川博、我妻栄、戒能通孝、家永三郎氏等々、わが国で一流と言われる人々の変節を、ブログにまとめました。現在の日本で、平和主義者、人道主義者として、あたかもわが国の良識のように語られている学者たちが、じつは信念を捨てた卑しい人間だったことを明らかにしました。

 「無知な者は、騙される。」・・・・。あの時、本を読んで発見しましたのは、この事実でした。つまり私は、臼井氏の書を読みながら、氏も又こうした学者の一人ではなかろうかと、そんな疑念にかられてまいりました。客観的事実のように書かれていますが、注意深く読みますと、結局この本では「日本悪説」がさりげなく、上品に語られています。

 敗戦後に、連合国軍総司令官マッカーサーの支配下で、本は一字一句まで検閲を受け、GHQが認めた内容でしか出版できなかった過去を、日本が今も引きずったままであることを、私は発見いたしました。愛国心を否定され、歴史の否定を迫られた、惨めな占領統治につき、政治家や学者たちが、一度でも国民に事実を語ったことがあったでしょうか。国の歴史を分断され、国を愛する気持ちを禁じられた、あの占領時の、ねじ曲げられた事実が、一度でも真剣に議論されたことがあったのでしょうか・・・、私が発見しましたのは、この長きにわたる戦後の異常さです。

  昭和6年9月、関東軍が南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして、満州の大半を占領した時、内閣は今後の処理は「必要の度を越えざるものとする」と、曖昧な閣議決定をしました。杉山陸軍次官、二宮参謀次長、荒木教育総監部本部長といった、陸軍の首脳は、この時開いた会議で次のような方針を確認していました。

「軍部はこの際、満蒙問題の一併解決を期す。」「もし万一政府にして、この軍部案に同意せざるにおいては、之に原因して、」「政府が倒壊するも、毫も意図する所にあらず。」

つまり内閣が倒れたとしても、陸軍は満州占領を目的に邁進すると、こういう意気込みですから、まさに軍部の独走であり、軍人の横暴以外のなにものでもありません。日本軍の強引な拡張政策を、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアの各国大使は、強く抗議しました。

 しかし一方でフランス大使は、「中国人には一度は力による教訓を与えなくてならない」と、個人的には考えていると語っています。「秩序ある文明国の日本と、混乱せる変態的な中国とは、」「きちんと区別して取り扱わねばならない。」「もし満州から、日本の勢力を排除すれば、」「満州はソ連の勢力下になり、世界のために危険千万である。」と、イタリア大使が個人として語っています。

 軍部独走の事実を詳しく述べながら、エピソードのように氏が挿入しているこうした事実の方に、私は関心を引かされます。そこには「日本だけが悪だ」という、占領時の言論統制のほころびが見えるからです。反日・亡国の朝日新聞でさえ、「錦州問題の解決によって、満蒙の万象は、」「溌剌たる、新建設時代に入った。」と、手放しの軍部賞賛記事です。

 これらが敗戦後の軍事占領下になりますと、手のひらを返すような軍部攻撃となり、フランス大使やイタリア大使の話など、まるで無かったかのような日本悪説に変わるのです。アメリカに取り入り、地位を得たり財を得たり、政権の座を得たり、どれだけの指導者たちが変節をしたか、このどんでん返しの「国民的変節」を検証せずに、日本の戦後は終わりません。

 「一億玉砕」から「一億総懺悔」へと、スローガンが変わりました。やがて高度成長期が来て、「一億総白痴化」となり、今は「一億お花畑」と成り果てました。ここいらで、歴史を弄ぶ喜劇は終わりにしたいものです。といっても、即効薬や特効薬はありません。政治家と学者とマスコミと国民が、同時に目を覚まさなくては、日本の再生はありません。

 臼井氏の著作に関しては、まだまだ多くのことを教えられましたし、尽きない感謝がありますが、この辺りで止めます。くどいようですが、これだけは言っておきましょう。「馬鹿な国民が多くいる国には、馬鹿な政府があります。」「馬鹿な国民が多くいる国には、馬鹿なマスコミがはびこります。」「馬鹿な国民が多くいる国では、馬鹿な学者が幅を利かせます。」

 私たちは、少しずつでも賢くなり、自分の力で考えるようになりたいものです。自分の国を愛せない者は、人間のクズです。いつの時代になりましても、これはきっと真実であろうと私は考えます。くどいのですが、これも言っておきましょう。共産党や民進党など、反日・左翼の野党の議員に一票を入れてはなりません。これが国民の力です・・・と、日本再生のための特効薬は、結局選挙の一票でした。

  とても簡単なのに、とても困難な、特効薬ですね。

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満州事変

2017-06-04 15:38:30 | 徒然の記

 臼井勝美氏著「満州事変」(昭和49年刊 中央公論社)を読了。氏は大正13年に栃木県で生まれ、京都大学文学部を卒業後九州大学の助教授を経て、最後は筑波大学名誉教授となっています。

大正・昭和初期の日中関係史の重鎮であり、外務省で外交文書の編纂にも従事したと言われています。それだけに、多くの事実が詳述され、沢山のことを教えられました。自分が知りたいと思い続けてきた歴史の一端が、解き明かされたという感がしました。

事実が込み入っているため、読書にかかる前、ネットの情報で関係事項を整理してみました。「満州事変」「満州帝国」「上海事変」と、時系列に並べ、要点だけを抜粋しました。

1. 「満州事変」 昭和6年9月、関東軍が南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業だとして、満州の大半を占領した。

2. 「満州帝国」 昭和7年、元清朝の宣統帝溥儀を執政として迎え、中国から独立させ、日本が満州に作った傀儡国家。昭和20年8月、日本の敗戦とともに消滅した。

3. 「上海事変」第一次と第二次に分かれる。

 第一次・・・昭和7年、中華民国の上海共同租界の周辺で起きた、日華両軍の衝突。

 第二次・・・昭和12年7月盧溝橋事件、8月大山中尉殺害事件が発生し、日華両軍が本格的戦争に突入した。当時の日本人居留民は約二万人で、この保護のため日本軍が約四千人駐留していた。中国軍は、約3万人の大軍で攻め、殲滅作戦で向かってきた。

 実態は戦争なのに、当時は何故か「事変」と呼んでいました。戦争を事変などと言っているのは、日本軍が、いかに中国を蔑視していたかという事実の現れであると、昔読んだ本では説明されていました。日本の軍人や政治家たちが、あっと言う間に中国を破るという力のおごりが、こうした言葉を使わせたと書いてありました。今日までそれを信じてきたのですが、臼井氏の著作を読み、あれが偏見に満ちた本だったと分かりました。

「宣戦布告し、戦争だとハッキリさせると、米国が中立法に従い、」「石油の輸出を禁止するのを恐れ、政府は事変という言葉を使った。」「日中とも同じ事情で、米国の輸出禁止を警戒していたため、双方が戦争と認めるのを嫌った。」事実はこうだったのです。

 当時松井大将は、政府に宣戦布告を要請しましたが、近衛内閣が受け入れず、このまま泥沼の日中戦争へと続いてしまいます。力に奢っていたとか、中国軍を軽視していたとか、書名も著者名も忘れていますが、あれこそが捏造の歴史本だったのでしょう。

さてここで、当時の中国について、氏の著作から引用してみましよう。「昭和3年、蒋介石の北伐が一応成功し、」「形式的には、国民政府による中国の統一が達成されたのであるが、」「実際は、諸軍閥が各地に武力を保持して割拠し、」「地方財政をほしいままにして、半独立状態を続けており、」「これら軍閥の離合集散をめぐり、中国各地には、絶えず内戦が展開されていた。」

 ジョンソン米国公使は、事態を次のように観察していた。「内戦の展開は、華南における共産党の活躍に好機を与えている。」「国民政府にとって、北方軍閥の反政府行動とともに、」「南方における土匪や共産分子の活動が、憂慮すべきものとなっている。」

 中国には日本のみならず、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアなど、欧米諸国が主要都市に進出し、領事館や教会や商館を建て、自国の居留民保護のため、軍隊を派遣していました。昭和5年に、共産党軍が長沙へ進入し、火災と略奪で市内は混乱状態に陥り、国民党政府や党の建物、イギリスやアメリカの教会、日本領事館や日本商店が焼き払われました。

 この時幣原外相は、東京駐在の汪・中国公使に、二千余名の日本人居留者保護のため、軍艦二隻の派遣の了解を求めました。幣原外相と汪公使のやりとりが引用されていますので、そのまま転記します。

「共産軍の脅威を受けているので、軍艦を派遣するが、」「正規軍を相手にするものに非ざるはもちろん、」「いわゆる人道上の共同の敵たる匪賊に対する、予防のためなるにつき、」「誤解なきを希望す。」

「日本の軍艦派遣は、結局政府軍の手薄を補充して、」「地方の公安維持に貢献することになるので、」「反対する理由はない。」

 汪公使は、日本の軍艦派遣が、国民党政府軍の補充となると述べています。欧米諸国も共産党軍と応戦し、自国民を守っています。それなのに東京裁判では、日本だけが中国を侵略し、暴虐の限りを尽くしたと、そういうことになっており、私たち国民の多くがそれを信じています。

 しかも幣原外相の言葉で、共産党軍は、「いわゆる人道上の共同の敵たる匪賊」という表現になっています。つまり国民党政府と日本政府共同の敵、匪賊という扱いです。かって江沢民主席は、事あるごとに「日本は歴史を知れ、過去の歴史を学べ。」と、日本政府と日本人を責めましたが、彼らの方こそ、自分たちが匪賊から出発しているという歴史を、もう少し学ばなければなるまいと思えてきます。言っても無駄な話ですが、中国政府の指導者には、廉恥心と謙虚さが足りません。

 そうは言いつつ、満州事変と満州帝国の設立につきましては、日本による中国侵略という面が否定できません。今日の目で見れば、いくら日本びいきの私でも、関東軍の暴走を肯定する気にはなりません。この点に関し、中国政府と国民が日本の横暴を責めるのは、当然であると思います。 

 反日の野党議員と私が異なるのは、「何もかも、日本だけが悪い。」「日本だけが間違っていた。」と、自分の国を憎み、蔑まないところです。大切なことは、時代の状況です。日本が悪いとするのなら、他の欧米諸国も同じであると考えるのが道理というものです。売国の野党議員の言葉を借りるなら、「日本だけ差別するな。」という理屈です。

 多くの日本人が、中国侵略の事実を認め、反省しているからこそ、政治家も経済人も、莫大な資金を中国へ注ぎ込み、巨額の支援金を払い続けているではありませんか。軽蔑され、罵倒され、無視されても、反論の一つもせず、黙って我慢してきた70余年があるのです。

 でも、もうそろそろ私たちは、自分で、過去の歴史をおさらいする時が来ています。他人の言葉で過去を理解するのでなく、自分の目と頭で、過去を知る、あるいは過去を見直す時が、今ではないでしょうか。そうしなければ、現在の日本が正しく掴めないと、思えてなりません。

  敗戦後の70余年は、歪められた歳月であったと、国民の多くが自分で納得する日が近いような気がいたします。憲法の改正も、皇室典範の見直しも、自衛隊の国軍としての位置づけも、国民の総意で是正したいものです。

「憲法が保障しているのは、少数者の意見の尊重です。」民進党の山尾議員は、そう言って自民党の法改正に反対しますが、民主主義の基本を無視したこんな意見が、国会の場で堂々と述べられる喜劇に、私はもう飽き飽きしています。自分たちが多数を得た時は、民意だと言って得意になる民進党ですから、話にならない屁理屈です。国民がもっと歴史の事実を知れば、こんな反日の野党にいつまでも大きな顔をさせておかないはずです。

 獅子身中の虫、除去すべき害虫でしかない野党さえ消滅したら、私たちは、安倍政権の愚策や失政について、もっと厳しく語れるようになります。若者の希望を持てなくする格差社会や、国の崩壊につながる無節操な移民政策、あるいは犯罪を助長するだけでしかないカジノ法案など、許せない政策が沢山あります。反日と亡国の野党に比べればと、賢明な国民の多くは我慢していますが、その必要も無くなります。

 本日はここまでとし、続きは明日にいたします。長い間ブログを離れていましたので、まだ思考が回復しておりません。

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