ねこ庭の独り言

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元号問題

2017-06-24 22:23:53 | 徒然の記

 上地龍典(うえじ たつのり)氏著「元号問題」(昭和54年刊 教育社)を読み終えました。

 今から38年前、昭和天皇がご存命の時の本です。明治、大正、昭和と、自分が何気なく使っている元号についての解説書でした。

 氏の本に巡り会い、「知ることの大切さ」を改めて教えられ、無知な自分を再確認いたしました。「西暦でも、元号でも、どっちだっていいではないか。」「年代を計算するのが簡単だから、西暦の方が便利だ。」

  4、5年前まで、私はそんな考えの持ち主でした。これが、どれほど大きな間違いだったかを、本が教えてくれました。

 女性宮家や女系天皇について、「男女同権の時代だから、男系にこだわることないじゃないか。」という人に対し、天皇の歴史を知る私は、強く反対しています。

 「天皇陛下なんて、自分たちには何の関係もない。」「どうなろうと、興味もない。」こんなことを言う者に対して、私は怒りを覚えるだけでなく、軽蔑さえしました。

 しかし本を読み終え、元号に関する自分の無知が明らかになると、皇室に無関心な人々を笑えなくなりました。何であれ正しい知識を持てば、「どうでもいい。」という意見は出て来ないのだと、学生時代に戻ったような反省をしました。

 著者の上地氏は、昭和7年の生まれですから、存命なら現在87才のはずです。それほど著名人でないのか、ネットの情報では検索できませんでした。裏扉にある著者略歴だけが、氏を知る手がかりでしたので、そのまま転記します。

 「関西大学文学部を中退し、業界紙、週刊誌、一般紙記者を経て、」「昭和32年日本写真通信社の主幹となる。」「現在、自民党本部の広報委員会参事。」

 昭和25年に、元号問題が国会で提起されて以来、昭和54年に、正式に法として制定されるまでの間、法制化推進派と元号廃止派の人々が激しい対立をしていたことを、初めて知りました。現在の私たちが、憲法改正派と改正反対派に分かれ、対立している構図と全く同じだったのです。

 昭和54年といえば、私がまだ若く、会社で元気に働いていた頃です。それなのに、元号問題の対立について、何も覚えていないのですから、「無知」からくる「無関心」の恐ろしさを実感します。当時の状況を、氏が次のように語っています。

 「戦後、皇室典範から、元号の定めが除外されたため、」「元号の法的根拠が失われ、現在の " 昭和"は、慣習として使用されているに過ぎなくなった。 」

 「もしこのまま、今上陛下が亡くなられた場合、後の元号を定める手立てがなく、」「元号は自然に消滅してしまうばかりか、」「国民生活に混乱を招くことは、必定であった。」「このため、昭和後の元号制定をどうするかが、国会でもたびたび論議されてきた。」

 昭和20年に、最高司令官マッカーサーが、政府に憲法改正を命じたことは、誰もが知っています。この時改定された皇室典範は、皇族の身分に関することだけに絞られ、国事的な事項は、他の法制によって規定するという方針がとられました。ここで再び、氏の説明を引用します。

 「皇室典範の元号規定は、国事的事項とみなされ削除された。」「このため政府は、昭和21年11月の閣議で、法案の国会提出を決定した。」「法案の了承をGHQに求めたところ、ケーディスという大佐が、」「法案は天皇の権威を認めることになるので、好ましくない。」「元号法を制定したければ、独立後にすればよいと言った。」

 この経過は、昭和47年になり、自民党の元号検討小委員会で、当時の内閣法制局長官だった佐藤氏が、初めて明らかにしました。

 「占領軍が、少しでも反対の意向を示せば、引き下がるほかなかった、当時の事情から、」「法案は、結局日の目を見ることがなかった。」と、叙述されています。

  さてここで、元号法成立の過去をたどる前に、元号そのものについて、著者の説明を聞きましょう。ぼんやりと知っていた話を、正確な事実として記憶するためです。

 「元号の起源は、古代中国・前漢の武帝が建てた、建元 元年( 紀元前140年 )にさかのぼるが、」「わが国では、孝徳天皇の 大化元年 (645年)が、最初と言われる。」

 「元号だけでなく、日本という国号も、この時に定められている。」「大化年代は、わが国に律令が制定され、」「中央集権による、法治国家の基盤が確立した時、として知られている。」「以来幾たびか変遷を重ねながら、元号は引き継がれ、」「明治の改元で、一世一元の制度が確立された。」

 別の本で読みましたが、わが国にとって、大化時代といいますのは、明治時代に匹敵する歴史の転換がなされた、重要な年代です。統一国家が成立し、法治国家の基盤が作られ、天皇制が確立していきます。誰もが知っている古事記や日本書記という、日本最初の本格的な歴史書の編纂も、この時代があればこそ可能になったと、私は密かに考えています。

 参考までに年代を、順番に並べてみますと、それがよく分かります。

  大化元年 645年   古事記編纂 712年   日本書記編纂 720年

 初めて元号を定めた孝徳天皇は、万感胸に迫る思いだったのではないか、と推察します。今は日本を敵視し、攻撃することしかしない中国も、当時は寛大な師として日本を扱い、互いに尊敬していた良き時代でもありました。

 大化、明治の後、わが国の歴史を転換させた年代は、言うまでもなく昭和です。もっと正確に言いますと、昭和の敗戦です。たった70年前の敗戦と、たった7年間のGHQ統治で、2000年の歴史を持つ日本が、過去の全てを否定したというのですから、昭和と平成に生きている私たちは、もっとしっかりしなくてはなりますまい。

 200ページ余りの薄い本ですし、元号のブログですから、簡単に終わると思っていましたが、どっこいそうはいきませんでした。ここで終わりますと、著者が語ろうとしている肝心の部分が、言及されないままとなります。それでは著者だけでなく、私も残念なので、残りを明日に引き継ぐことといたします。

 次を期待する人は誰もいないのですが、実は、私自身が期待し、元号の夢を見ながら眠りにつきたいという、小さな夢を抱いているのです。年を取りましても、夢を持つというのは大事なことです。

 たとえそれが、元号の夢を見たいという、おかしな夢でありましても・・・。

 

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