ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『絶頂の一族』- 24 ( 「アイク訪日」延期 ? )

2024-05-05 22:03:29 | 徒然の記

  〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( 「アイク訪日」延期 ? )

 岸氏が、自由民主党を代表する悪人として多くの国民に見られている理由が「強行採決」にあったことが、分かりました。そして平成27年に松田氏の著作『絶頂の一族』を読む人は、また改めて岸氏に悪い印象を持つことになります。

  ・新安保条約は日本の命運の分岐点だった。新条約に明確に反対する人々の他にも、新条約は疑問だ、あるいは分からないと言って沈黙した人々も少なからずいたはずだ。

  ・その人々をも、岸は多数を持って強行採決した瞬間敵に回した。

  ・新条約作成に15ヶ月もかけて臨んだ岸が、なぜ晋太郎の言うように「会期延長」の採決だけで踏みとどまらなかったのか。

  ・5月19、20日を境に、岸は憎悪の対象となった。

  ・その戦後最大の抗議デモの盛り上がりに慄然とし、慄いたからなのか、少なくとも岸は、政権を投げ打ってまでアイクに忠誠を尽くそうとした。

  ・岸という政治家の限界はここにあった、と言ったら言い過ぎだろうか。

 氏はこのように岸氏を批判し、読者に矮小化して伝えますが、私は違った見方をします。氏の著書を読むまで私は岸氏を知らず、なんとなく悪い印象を持っていたことを思いますと、同じ事実に接しても、読む人間によって違う受け止め方をするのだと教えられました。

 私が岸氏への印象を変えたのは、松田氏が紹介した洋子氏の著作『父 岸信介の素顔』の一節でした。

  ・父は、生涯に3回死を覚悟した。1回目は東條首相との対決の時、2回目はA級戦犯として巣鴨プリズンに収監された時、3回目は安保国会の時だと申しておりました。

 大東亜戦争の最中、主戦論者の東條首相に主要閣僚でありながら異論を唱え、倒閣に追い込むんだことは覚悟なしにできません。巣鴨プリズンに収監された時死刑判決を覚悟しても、氏は恐怖に慄いていませんでした。東條氏と同じく米国等他国への戦争責任を否定しても、日本国民に対しては潔く戦争責任を認めています。

 3度目の安保騒動も、洋子氏の『父 岸信介の素顔』で語られている岸氏には、松田氏が伝えようとする恐怖に慄く姿はありません。岸氏は戦後の困難な日本を背負い、日本のため死を覚悟した政治家の一人だと、私にはそうとしか見えません。

 ましてアイゼンハワーに忠誠を尽くすための強行採決だったという解釈は、氏の著書の資料を読む限り出てきません。反日左翼の人々に私の意見は、右翼思想に汚った頑固老人の世迷いごとになるのかも知れませんが、日本を愛する人たちにはそうではない気がします。

 岸氏は、アメリカの支配下に置かれた日本を独立させようとした政治家の一人です。大東亜戦争を自衛の戦争と確信し、東京裁判と「日本国憲法」の自虐史観に反対する人物です。その氏が、なんでアメリカの大統領に忠誠を誓おうとするのか、松田氏の解釈の方が理屈に合わないと「ねこ庭」では考えます。

  ・岸は側近の福田赳夫を密使として、マッカーサー大使と密かに大統領の訪日を延期できないかと交渉させていた。岸の側から申し入れると統治能力を疑われ、内閣総辞職につながるため、米国の方からの延期を工作した。

 ところがマッカーサー大使の返事は、次のようなものでした。

  ・アメリカから言い出すと、大統領が日本政府の統治能力に不信感を抱いているように見られる。

  ・アメリカの大統領が、共産主義者や社会党の反対を恐れているかのように誤って解釈され、利用される。

  ・共産主義者が大統領の訪日阻止に成功したと宣伝され、彼らの勝利となってしまう。

 つまり訪日延期は、共産主義勢力へのアメリカの屈服を意味したため受容れられなかったのです。

  ・6月10日に、ハガチー大統領秘書官が来日。アイク訪日の際の行事や警備の打ち合わせのためだった。

  ・ハガチーは約1000人の激しい抗議デモに遭遇し、羽田空港で立ち往生した。米軍のヘリコプターで脱出し、アメリカ大使館へ着くという異常事態になった。

  ・新条約が自然成立し、アイク訪日の4日前となった6月15日から16日にかけ、抗議行動に全国で580万人が参加。空前の規模となった。

  ・ここで悲劇が起こった。

  ・6月15日、全学連主流派のデモ隊が国会の南通用門から突入し、警官隊と激しく衝突した。  

  ・その渦中で、当時22才の東大4年生の女子学生が死亡したのである。検死による彼女の死因は、転倒が原因で起きた胸部圧迫と頭部内出血、つまり圧死だった。

  ・樺美智子という一人の女子大生の死は、新条約を警官導入で強行採決した5月20日に次いで、事態を暗転させる衝撃的な事件になった。

 現在98ページです。〈第1章 祖父・岸信介〉は105ページで終わりなので、残り7ぺージになりました。息子たちだけでなく、私自身にとっても貴重な歴史の再確認ですから、省略せずに紹介したいと思います。

 次回は「自衛隊出動要請」です。

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