戸川猪佐武氏著『素顔の昭和 ( 戦後 )』( 昭和57年刊 角川書店)を、読みました。
氏は大正12年に神奈川県で生まれ、昭和58年に満59才で亡くなっています。 早稲田大学へ入学し、陸軍に召集されますが、直後に終戦を迎え復学し卒業しました。昭和22年に読売新聞へ入社し、政治部記者として活躍した後、政治評論家になっています。
平成29年に氏が書いた『小説吉田学校』を「ねこ庭」で読み、読後の感想を次のように書いていました。
・同じく保守と呼ばれていても、氏は林房雄氏とは大きな相違がありました。
・林氏の著作には日本への愛と誠が感じられましたが、戸川氏の本にあるのは、特ダネを追うジャーナリストの熱心さだけで、心に響くものが皆無でした。
今回も同様の印象を持ちましたが、井上清氏や中島健蔵氏のような左翼学者と違うため、ホッとするものを感じました。軍国主義日本、帝国主義日本、民衆は立ち上がったなどと、左翼言葉の羅列でなく、普通の文章を目にした安堵感です。
天皇の住まわれている場所は、むかし宮城と言われていたのにどうして皇居と呼ばれるようになったのか、雑学の一つですが氏の本で教わりました。
・敗戦から二年半ほどを経た昭和23年3月26日付の、信濃毎日新聞が次のように報じた。
・宮城の名称は武家時代を思わせるというので、かねてから新名称が考慮されていた。
・このほど宮府内で研究の結果、「皇居」と呼称することに内定し、国会の了解を求めた。またGHQは、政・官・財・言論界では、「お堀端」と呼ばれるようになった。
「お堀端」という言葉は国民に浸透しませんでしたが、「皇居」は違和感なしに通用しています。ここでの注意点は、最後の行のGHQという言葉です。宮城を皇居と変更させたのが、GHQだということの暗示でしょう。
日本人なら宮城の名称から武家時代を連想し、封建社会を思いついたりしませんが、GHQは納得できなかったのでしょう。
占領下の日本人の心を知る貴重な叙述がありますので、戦後の日本しか知らない息子たちのために紹介します。
・あまりにも対米従属的と眉をひそめる者があったとしても、日本人のアメリカナイズは、アメリカ軍によってスタートを切った。
・ことに日本人を驚倒させ、その摂取に走り出させたものはその文明であった。またその中にある、合理性の魅力であった。
・占領軍が存在していることが、自然な一般風景と化していく間に、大衆はアメリカ軍を通じアメリカ人の生き方生活スタイルに興味を覚え、魅力を感じ、模倣しようと努めた。
・敗戦後の生活が、住宅、服装、食事において惨めであればあるほど、それは強かった。
私には、この文章が理解できます。ゆっくりと走るジープの後を追いかけ、ガムやキャンディーをもらおうとした子供たちの中に、自分もいたからです。
爪に火をともすように節約して生きる大人たちを知る私の目には、アメリカ兵たちが信じられないほど贅沢に見えました。
・9月9日付け朝日新聞は、アメリカの連中の能率的な若干の例だがという見出しで、「横浜・厚木間へたちまち油送管、能率的な米進駐軍」という記事を掲載した。
・横浜港の瑞穂桟橋から厚木の飛行場へ、二日間でガソリンの油送管を、引いてしまった。
・距離にしても、40キロメートルはあるところだ。まずトラック、トラックター、車の前につけたシャベルが、焼けた金庫、壊れたバス、コンクリートであろうと軽々と押しまくり、一方へ片づけてしまう。その後は、平ら・・
・操縦は一人で、くわえタバコに鼻歌。この一台が、一日たらずで平らにした場所と同じ広さの焼け跡を、いつぞや神奈川県が片づけたことがあったが、千人の人間が三日間動員されたものだった。
この記事を読んだ、氏の意見です。
・長い戦争の間、日本は世界の文明の発達を、ほとんど吸収できないばかりか、その発達を知ることさえできなかった。
・いきおい日本人にとって、アメリカ軍によって持ち込まれた文明のことごとくは、ひたすら驚きであった。それは幕末から明治初期にかけて、西洋文明に接した日本人に等しかったと言っても誤りではない。
子供だった自分には幕末との比較はできませんでしたが、豊かなアメリカへの「強い憧れ」を抱いたのは確かです。日本の指導者たちには残酷な占領軍だったのかもしれませんが、私たち庶民にがアメリカ兵を通じて見るアメリカは、豊かで寛大で素晴らしい国だったということです。
そのアメリカが「日本国憲法」を押しつけたとしても、庶民には、抵抗感なしに受け入れる空気があったのでないかと考えます。
「現行憲法は、アメリカが力づくで押しつけた。」
「現行憲法は、国民が納得して認めた。」
自分の経験からしますといずれの意見も事実ですが、このような理由は改憲の根拠にならないと同時に、護憲の証拠にもなりません。大切なのは国際情勢の変化と、国民の意識の変化ではないでしょうか。
現行憲法では、日本が領土も国民も守れないという今の常識が重要です。
氏の著作と共に、次回からは現在の日本を考えたいと思います。
ここの所は、大変濃い内容にも関わらず、貴連載の拝読
が中々叶わず 申し訳なく思います。前回貴記事「温故知新」は、
拙方にとっても大事と心得ます。
今回の著述家・戸川猪佐武さんは拙学生の頃、雑誌記事
を何本か拝読した事があり、バランス感覚が良好な印象
があったのを覚えています。勿論、新聞記者出身で、
ネタ志向の限界があったのも事実だろうと想像します。
その上で、保守側の有識層には一定の支持があった
様に記憶しておりまして、特に日共の跳ね上がり思考
を糾した著作には、文学者・福田恆存さんが応援メッセージを
寄せられていたのを思い出しました。
戦後の混乱期に触れた貴記事は、拙者も実感を持って拝読できました。
やはり「百聞は一見にしかず」で、現実にその現場に
居合わせた方でなければ分からないものがありましょう。
もう一つ、憲法改正の問題などを考える上でも、今の
常識や状況を踏まえる必要があるのも同感です。
本当に遠い思い出で恐縮ですが、戸川さんの文章は、
左翼学者連中の挑発的なそれよりは 余程血が通っているだろう事は、
拙者にも理解できる所で「戸川さんの魅力の一つは、
物腰の柔らかさ」と福田さんが触れられていたのも記憶にありまして。
これからを期待されながら、働き盛りで斃れられたのは、
やはり惜しかったと申すべきでしょうか。
いつもながらの、真摯なるコメントに感謝いたします。ご存知と思いますが、「昭和の素顔」は、戦前編と戦後編の二冊があります。
図書館の廃棄図書ですから、戦後編だけしか入手できませんでした。このために整理されたデータの膨大さを知りますと、この書が大変な力作であったことが、よく分かります。
この書もまた、亡くなられた氏の遺言ですから、今回も、じっくりと勉強をさせていただくつもりです。気が向いたときに、ねこ庭へ、お立ち寄りください。