3. 天皇のお立場について 4. 戦争責任について
アメリカは東条元首相を日本軍国主義の中心人物とし、アジア侵略の首謀者と決めていました。 裁判では、ドイツ・イタリアとの三国同盟も、真珠湾攻撃も、軍国主義者である元首相が独断で計画し実行したと責めました。
しかし三国同盟を独断で推進したのは松岡外相で、当時の首相は近衛文麿公でした。真珠湾奇襲攻撃は、首相であった彼にさえ、海軍は詳細を知らせていませんでした。当時は陸・海軍がそれぞれに作戦を立てて実行し、相互の連携が図られていません。対英米作戦計画について、元首相は法廷で次のように述べました。
「海軍統帥部が、この間何を為したるかは、承知致しません。」
著者の渡部氏も驚き、「首相がこのように言っているとは、信じられない思いですが、嘘ではないでしょう。」と書いていました。
国務と軍事の管轄が完全に分かれた上、陸軍と海軍の意思の疎通がなかったというのが、当時の日本でした。これを認めると東条首相が、軍の独裁者でなかったということになるため、法廷は供述を採用しませんでした。
元首相について今でも詳細に知りませんが、教科書では日本史に残る悪人として書かれています。教科書の説明と並べ、元首相の「言葉」を読むと、戦後の悪評は妥当なのかと疑問が出てきます。
戦後79年たった今、明らかにされた事実を知ると、この裁判が公正という名に程遠い、復讐劇だったことが確認できます。穏やかな気持ちでは読み進めない、元首相の「言葉」ですが、「ねこ庭」ではひどい裁判をしたアメリカに今更非難や攻撃をしようとは考えていません。ただ私は、息子や孫たちに事実を知ってもらいたいと思います。
「侵略戦争をしたのは、軍国主義の日本だけだ。」「領土的野心にかられた帝国主義の日本だけだ。」「日本の指導者はすべて犯罪人だ。」
こんなアメリカの偏ったプロパガンダを、踏み越えてしまいたいと願うだけです。事実を知るのは過去を恨むためでなく、明日の一歩を踏み出すためです。中国や韓国・北朝鮮は、自国の愚かさを棚に上げ、日本を罵り続けています。日本統治や戦争のせいで、自分たちが後進国になった、悲惨な状態に置かれたままだと騒ぎます。彼らは、自分の国の歴史が二千年も三千年もあると誇りますが、10年足らずの日中戦争や35年の日韓併合で国が台無しになるというのなら、どこに歴史の偉大さがあるというのでしょう。
もしかするとそんな国は、腰抜けとか卑怯者とかいうのではないのかと思ってしまいます。これらの国のようにならないためにも、元首相の「言葉」を読んだからといって、中国や韓国・北朝鮮のようにアメリカを恨む気になれません。GHQが居なくなって80年が経過しても、「トロイの木馬」や、「5つの悪法」に振り回されているというのは、アメリカのせいでなく日本の国内問題です。
また話が、横道に逸れてしまいました。今は元首相の「言葉」が大事なテーマでした。コメントなしで、そのまま紹介いたします。
〈 3. 天皇のお立場について・・元首相の「言葉」〉
「所定の手続きにより決定したる国策については、内閣及び統帥部の補弼 ( ほひつ ) の責任者において、その全責任を負うものでありまして、天皇陛下に御責任はありませぬ。」
「この点につきまして、私はすでに一部分供述いたしましたが、お立場に関して、寸毫の誤解の生じる余地をなからしむるため、ここに更に詳述いたします。これは私にとりて、真に重要な事柄であります。」
「天皇陛下が、内閣の組織を命じられるに当たっては必ず、往時は元老の推挙により、後年は重臣の推薦、及び常時補弼の責任者たる、内大臣の進言によられたのでありまして、陛下が、これらの者の推薦及び進言を退け、自己の欲せらるる者に組閣を命ぜられたというごときは、前例としても、未だかってありませぬ。」
「陸軍にありては、三長官、すなわち陸軍大臣、参謀総長、教育総監の意見の合致により、陸軍大臣の補弼の責任において御裁可を仰ぎ、決定を見るのであります。」「海軍のそれも、また同様であります。」「天皇陛下が手続きによる上奏を排して、他を任命せられた実例は記憶いたしませぬ。」
「以上は、明治、大正、昭和を通しての、長い間に確立した慣行であります。」
「国政に関する事項は、必ず右手続きで成立した内閣、統帥部の補弼によって行われるのであります。」「これらの助言によらずして、陛下が独自の考えで、国政または統帥に関する行動を遊ばされることは、ありませぬ。この点は、旧憲法にもその明文があります。」
「これを要するに天皇は、自己の自由意志をもって、内閣及び統帥部の組織を、命じられませぬ。」「内閣及び統帥部の進言は、拒否せらるることはありませぬ。天皇陛下のご希望は、内大臣の助言によります。」
「ご希望が表明せられました時においても、これを内閣及び統帥部において、その責任において審議し、上奏します。」「この上奏は、拒否せらるることはありませぬ。これが、戦争史上空前の重大危機における、天皇陛下のお立場であられたのであります。」
「現実の慣行が以上のごとくでありますから、政治的、外交的、および軍事上の決定責任は、内閣および統帥部に在るのであります。絶対的に陛下の、ご責任ではありませぬ。」
死を覚悟した上で陛下に類を及ぼすまいとした、元首相の懸命な気持ちが伝わってきます。その彼を昭和天皇は、終生忘れられなかったと何かの本で読みました。激動の昭和を生きられた陛下は、天皇の地位の重さから、元首相へのお気持ちを口にされず、というよりホイットニー准将による宮廷改革で、信頼する側近を失われていた陛下は、元首相について語られることはありませんでした。
国民の安寧と幸福を願われる陛下だったから、敗戦後の全国行幸に国民が感激し、廃墟と化した国の再建を頑張ったのであり、戦後の復興の真ん中に昭和天皇がおられたのは間違いのない事実です。
天皇が裁判にかけられなかった一番大きな理由は、マッカーサー元帥の意向でした。会見の時、陛下の「お言葉」に感激した時から、元帥は法廷に引き出した政府要人の誰かが天皇を擁護する証言を述べる希望を持ち続け、他方で本国の天皇処刑派を理論で威嚇しました。『マッカーサー回想記』の該当部分を紹介します。