笹本俊二氏著『第二次大戦下のヨーロッパ』( 昭和45年刊 岩波新書 )を、読了。
氏についての情報を、最終ページの著者略歴から紹介します。
「大正元年、台湾の基隆(きーるん)で生まれる。」「昭和10年、京都大学文学部卒業」「昭和13年から、昭和23年。」「昭和25年から昭和40年の間、二度にわたりヨーロッパに滞在。」
「その間、朝日新聞、東京新聞などの特派員として、」「チューリッヒ、ブタペスト、イスタンブール、」「ベルリン、パリ、ボンなどの地にあった。」
氏が生まれたのは、明治45年でもあります。この年の7月に明治天皇が崩御され、123代目に当たる大正天皇が即位されて、大正時代が始まります。
隣国中国では、1月に孫文が南京で中華民国の成立を宣言し、臨時大統領になります。2月には、愛新覚羅溥儀が清皇帝を退位し、清国が無くなります。3月には袁世凱が、孫文に代わり臨時大総統に就任など、目まぐるしい動きがあり、日本では12月に西園寺内閣が総辞職し、桂内閣が成立しています。
氏は激動の時代に生まれていると、言いたいところですが、私にしても生まれてすぐに日本が敗戦となり、満州から母に背負われ引き上げて来たので、驚きはしません。いつの時代に生まれても、人間は激動の時代に生きているのだろうと、そんな気がします。
大事なのは、氏の著作が出版された年の方でしょう。昭和45年とは、どんな時代だったのか調べてみました。
1月 第三次佐藤内閣成立
3月 大阪万国博覧会開幕 (9月まで)
日航機よど号、ハイジャック事件
4月 中華人民共和国、初の人工衛星 (東方紅1号) 打ち上げ成功
7月 政府が閣議で、日本の呼称を「にっぽん」に統一することを決定
11月 三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊にて割腹自殺
12月 中国新華社通信が、「尖閣諸島は中国領」と報道
ソ連の宇宙探査機が金星に着陸。他の惑星に着陸した初の探査機となる。
私はこの頃、若手社員の一人として働いていましたから、ほとんどの出来事を覚えています。日本経済が成長し、とても忙しい日々でした。宇宙開発で米ソが競い、中国も人工衛星を成功させ、社会主義国が、資本主義国より優れていると思われていた時代でもあります。
「にほん」でも、「にっぽん」でも、どちらでも正しい呼称と思っていましたが、政府が「にっぽん」と閣議決定していたとは、本日初めて知りました。それともう一つ、中国が尖閣諸島は自分の領土だと、こんな昔から主張していたことも初めて知りました。
さてこの時期に、氏はなぜこの本を書いたのかということです。前書きと後書きので語っていたのに、漫然と読んでいました。書評のため、昭和45年の出来事を調べ、氏の思いが少し分かってきました。
本はヒットラーが近隣諸国を、次々と占領していくところから始まり、やがて米英ソ仏の連合国に惨敗し、自殺するまでの話です。日本についてほとんど書かれていませんが、心の底にはいつも日本があったのだと、理解しました。
肝心の中身につきましては、明日からのブログとし、本日はこの本の出版の意図を、紹介します。
「第二次世界大戦とは、当然のことであるが、もっぱら、ヨーロッパの戦争だったのである。」「ドイツ降伏の後遠いアジアでの戦争は、ヨーロッパ人の大多数にとっては、大した意味を持たなくなっていたのである。」
「私や私の仲間の多くは、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争との間に、強い連帯性があると思い込んでいたものである。」「ヨーロッパの戦争が終わってみると、この連帯性というものが、少なくともヨーロッパ人の意識の中には、ほとんど存在してないことを、悟らないわけにはゆかなかった。」
「と言うより、もともとそんなものは、実在しなかったのであり、」「どうやら、幻想だったのである。」「ヨーロッパの戦争が終わり、さっぱりした爽やかな、ヨーロッパ人の表情を見ていると、私には、このことがハッキリしてくるのだった。」
「日独同盟というようなものも、詮じ詰めれば、やはり、幻想の産物ではなかったのか ? 」「そう思うと孤立無援の日本が、にわかに心細く思われてくるのだった。」
これが、後書きで述べられた氏の思いです。順序が逆になりましたが、前書きでは次のように述べています。
「きたる5月9日は、ヨーロッパに平和がよみがえってから、25周年にあたる。」「しかしヨーロッパでは今日なお、多くの問題が未解決のまま残っている。」「また、8月15日アジアは、平和回復25周年を迎える。」
「周知の通り、アジアでも多くの問題が残っており、とくに日本にとっては、最大の問題である中国との関係が、片付いていない。」「片付いていないどころか、その解決の曙光さえ見えない。25年という長い年月の無為を、われわれは、深く恥じなければなるまい。」
「小著によって、ヨーロッパ戦争を回顧する機縁を得る読者があれば、同時にアジアの戦争を想起され、われわれにとって、今大切なことは何であるかを、誠実に検討されるよう心から願いたい。」
現在の朝日新聞や東京新聞は、醜いまでの反日の新聞社で、私は朝日と聞いただけで、嫌悪感を覚えます。笹本氏は同社の特派員ですが、反日記者ではありません。昭和45年という時代がそうだったのか、あるいは笹本氏個人がそうだったのか、一方的な日本批判をしません。
ドイツを巡り、不仲なはずのイギリスとフランスが連帯し、思想的対立国でありながら、米英がソ連と手を組むなど、戦時中のヨーロッパにいて、厳しい現実を目の当たりにしていたから、冷静な思考ができたのでしょうか。
「日本だけが間違った戦争をした。」「アジア諸国を侵略し、多大な被害をもたらした。」「日本こそが、世界平和の破壊者だった。」・・・現在では、朝日新聞を筆頭に、反日マスコミが大合唱しますが、昭和45年の記者は、そんな愚論は述べなかったようです。
久しぶりに、素直な気持ちで読書ができた理由は、こうしたところにもありました。どうやら朝日新聞社は、昭和45年以降に、何か大きな社内的変動があったのかもしれません。
息子たちには、父として言っておきましょう。
「ヨーロッパの戦争を知ることは、日本の戦争を知ることにつながります。」「国際社会は、どんな有様をしているのか。」「大国と小国は、どのような関係になるのか。」「軍事を軽んじる国は、結局どうなるのか。」
こうした事実を、氏の本が教えてくれます。もうすぐ来る、「毎年のお祭り ( 敗戦の日 ) 」でされる、マスコミの大合唱の愚かさがいやでも分かってきます。お前たちの子供が成人となり、結婚をし、家庭を持つ頃、父と母はもう居ないはずです。私がお前たちを愛するように、お前たちも、自分の子供が可愛くてならないのだと思います。
それならば、子供が自分の国に誇りを持ち、愛せるようにしてやるのが親の務めでもあります。自分の国を愛せないような国民が、幸せになれるはずがありません。反日は間違いであるだけでなく、罪悪です。それもこの本が教えてくれます。
何度も同じ繰り返しなので、父である私も少々億劫になっていますから、もう止めましょう。でもいつかきっと、お前たちが、本気でブログを読んでくれる日が来ると思えば、こんな楽しいことはありません。やはり子供は、いつまでも親の宝なのでしょうか。感謝していますが、子供たちの前では照れくさいから、こんなことは言いません。今晩は、山上憶良の歌で終わりといたしましょう。
白銀も黄金も玉も、何せむに
優れる宝 子にしかめやも
ご苦労様です。
朝日新聞、東京新聞にも良き時代があったと云うことでしょうか。
二誌はじめ反日に転がって行った各マスコミが外来種に侵食される前には心ある記者がいたということでしょうか。
反日マスコミは、今でもこれからも日本国民を騙せると思っているのですかね。
お花畑の住民や反日国歌に毒された者達はいづれ淘汰されていく運命です。
どこかの知事の野望が泡沫の夢に終わったように、国民の覚醒と英知が日本国を救う。
その中に、あなたの息子さんやお孫さんがいて、もしかして私の愚息たちが名を連ねている。
あなたの書評に勇気付けられる読者は多い、猛暑が続きます、ご自愛専一に。
「朝日新聞、東京新聞にも良き時代があったと云うことでしょうか。」
笹本氏の著作を読みますと、その感を深くいたします。氏の意見は、良識というより、常識だと思いますが、現在の新聞記者は、似ても似つかぬ姿となっています。
次回からのブログで、私は、その事実をご報告したいと思います。日本を再生させ、救うのは、やはり国民の覚醒と英知にかかっております。
貴方のご子息や、私の息子たちが、その一人に加わってくれることを願っています。
コメントを有難うございます。暑さの折、健康に留意されますように。
たいへんな間違いをしておりましたお詫びして訂正いたします。
反日国歌 → 反日国家
続編を期待しています。