〈 二闋 三韓来 ( さんかんきたる) ・古代の大英雄、日本武尊 11行詩 〉
・神功皇后の「三韓征伐」
タイトルをそのままにした氏の解説を、紹介します。
「従って天皇に暴虐のことがあった場合も、それを隠さず記録している。応神天皇や継体天皇以前の日本の歴史について、かくも豊富な記述を書き留めているものは、『古事記』と『日本書紀』のほかにない。」
もしも左翼系の学者が説明するように、記紀が皇室を正当化し権威を高めるために編纂されたとすれば、こんなことを書くのだろうかと疑問を抱いた記憶があります。勅命で編纂された最古の正史が『日本書紀』と聞くわりには、天皇を賛美し飾り立てられた事実ばかりが書かれていません。中国、北朝鮮、韓国の歴史書は、皇帝や総書記や大統領が生まれた時から偉大な人物で、輝かしい業績を上げたとする歴史書ですから、氏の意見にうなづかされます。
「そもそも当時のこれほど充実した史書を無視しようというのが、土台無理な話なのである。日本民族に関して、八世紀以前にこれ以上の史料は地上に存在していない。」
「記紀は、ユダヤ人にとっての旧約聖書と同じ位置付けである。ローマの歴史には、ユダヤ人のことが少ししか書かれていない。ローマの歴史書を元にして、ユダヤ人の歴史を書くことを考えるユダヤ人は一人もいないであろう。」
突飛な比較と思われるかも知れせんが、学者としての重要な意見です。旧約聖書はユダヤ人の歴史書ですから、神代のことが詳しく書かれています。ユダヤ人はローマ帝国がどれほど強大な国だったとしても、僅かの記述しかしていないローマの史書を拠り所にせず、旧約聖書をもとに自国の歴史書を編纂するのだと、このように語っています。次の説明を読むと、氏の意図するところがハッキリします。
「日本民族について、シナの史書の記述は極めて少ない。直接に交渉のない東の海上の島のことを、古代シナの史家が正確に書けるわけもなく、書く気もなかったのは当然である。」
戦後左翼系の学者は、記紀の記述を無視し、シナや韓国の歴史書に書かれた日本の記述部分をもとに日本史を書き改めたので、氏はこのことを指摘しています。田中英道氏も同様の意見ですが、学問的にみれば渡辺氏と田中氏の姿勢の方が正しいと思います。
「朝鮮の史書は最古のものでも十二世紀であって、記紀より四世紀以上も新しい。日本史については、たとえ不正確なことが混入していても、記紀の記述が座標軸でなければならない。」「書かれた古い史料は、偽書でない限り最高の敬意を払わなければならない。」
先日紹介した氏の言葉を思い出せば、言わんとするところが理解できます。
「戦後に出された日本史の特徴は、『古事記』や『日本書紀』に書かれた古代を史実でないとして、否定もしくは無視することである。」
左翼系の学者はご先祖が苦心の末編纂した『記紀』を無視し、中国や韓国の歴史書の中に記述された日本を探し出し、中国から見た日本、韓国から見た日本を捉え、日本史を書き直してきました。こうなる原因については、やはり共産党が関係しています。宮本委員長の言葉をもう一度読み返してみます。
「マルクス主義は科学的社会主義論で、矛盾や曖昧さのない理論だから、マルクス主義に則って指導している共産党の政策に間違いはない。マルクス主義は科学であり、根拠のない精神論ではない。」
左翼系の学者は記紀を根拠のない精神論書で、科学的検証に耐える史書でないと考えているということです。彼らはなぜか中国と韓国の歴史書を、科学的検証に耐える文献であると評価していますが、それで良いのでしょうか。息子たちへの参考のため、黄文雄氏の興味深い意見を紹介しておきます。氏は台湾の歴史家、評論家、哲学者です。
「中国の歴史観は、さすがに政治の道具というだけあり、歪曲と捏造に満ちたものである。この国は有史以来、経典の偽作を伝統とし、偽史、偽書、偽経で、溢れている。そのため偽物を見破るための、〈弁偽学〉が発達した。」
「日本では古来、中国史研究が行われてきたが、その入門書というべき〈弁偽学〉の書だけがなかったため、根が善良な日本人は中国史のウソを見破る、という発想を持てないできた。」
「張心淑の『偽史通考』などは、千四百点もの古典の真偽を考証した『弁偽学集大成の書』と目されている。」「日本人の中には、中国は歴史を大切にする国だと、敬意を表する人が多いが、中国はもともと、歴史は捏造するものと考えている国なのだ。」
黄氏は、中国を厳しく批判する台湾人ですから、日本の左翼系学者は氏を無視しており、こういう事実を知らないのではないでしょうか。氏の意見を読めば「ねこ庭」を訪れる方々には、渡辺氏の意見が的外れでないことが分かると思います。
〈 二闋 三韓来 〉の本題に入る前に、なぜ氏が左翼系の学者の姿勢についてここまでに解説するのかが、見えてきました。氏は読者である私たちに、「日本の歴史を取り戻すべき」と、語りかけているのです。
あと一つ、氏が語ろうとしている事実がありますので次回に報告いたします。これが終わると氏も安堵したのか、そのまま本題に入っています。
良書とは、このような本を言うのでしょうか。久しぶりに「学ぶ喜び」を味わっています。
少しずつ読みながら書評をかいていますので、私もあなたと同じ気持ちです。
「続きが待ち遠しいです。」
以来、王朝が変わるたびに繰り返され、その時々の王朝に都合の良い歴史が作られていった・・
何かと言えば中国四千年の歴史が・・と言う人がいますが・・
善悪、黒白をより分けて都合の良い部分を繋ぎ合わせるのは、国の歴史ではなく、その時々の王朝の歴史でしかないと思うのです。
今回の内容もとても面白く・・と言ったら語弊がありますが、本当に興味深く読ませて頂きました。
続きが待ち遠しいです!