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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

元伊勢籠(もといせこの)神社 in 京都府宮津市大垣

2025年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

宮津市大垣、天橋立の北側に鎮座される「籠(この)神社」。式内社(名神大社)で、丹後国一宮。元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称し、また「元伊勢根本宮」「内宮元宮」「籠守大権現」「籠宮大明神」とも称します。

御祭神は、社家・海部氏の祖神とされる『彦火明 (ひこほあかりのみこと)(別名:天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命)』。

海部宮司家4代目の祖とされる『彦火明命』は、天孫『邇邇藝命(ににぎのみこと)』の兄弟神で、天祖から「息津(おきつ)鏡・邊津(へつ)鏡」を賜り、海の奥宮である冠島に降臨。丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広め開拓された神とされます。

「神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。両大神が伊勢にお遷りの後、養老三年に本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。旧社名の匏宮の「匏(よさ)」と吉佐宮の「吉佐(よさ)」という宮号は現在も郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)となって継承されて来ております。」公式HPより

民謡に【伊勢へ詣らば元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風 海山越えて 天橋立 吹き渡る】

「元伊勢」とは、天皇の大殿内に祀られていた『天照大神』が、皇女である『豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)』に託され、宮中を出られてから奈良、美濃・淡海と巡行し、伊勢の五十鈴川の河上に御鎮座されるまでの間、一時的にお祀りされた二十数カ所の宮々を云います。

また、それとは別に天照大神のお告げによって丹波国・与佐の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘『八乎止女(やおとめ)』のお祀りする『豊受大神』が、『天照大神』の食事を司る神として伊勢に迎えられた為、この魚井原の宮も「元伊勢」と云います。
絵馬に書かれた「真名井龍神」は、魚井原に湧く御神水を司る水神の眷属を表します。

鳥居からまっすぐの参道、神門前より神域を守護されるのは、国重要文化財指定の狛犬さん一対。千木がつけられた覆い屋の中でどっしりと構える阿形さん、まじまじと見惚れる御亭主殿に「なんか文句あるのか?」とガン見😅

説明に「凝灰岩製の石造狛犬は安土桃山時代の作」で、この狛犬が橋立に現れては人を驚かせたりと悪さをしたので、天正年間(1573年-1592年)に岩見重太郎に斬られたという伝説が残されている」。阿形さんの割れた右前足は、その時の刀傷だとか・・😲

桧皮葺の拝殿は美しく、それに続く本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、府指定文化財。画像では見えにくいのですが、本殿欄干の擬宝珠は「五色の座玉」で、格式の高い神社を表すと伝えられています。

拝殿横の玉垣内は禁足地となっており、苔の庭に 「天然記念物・産霊岩(むすひいわ)」、またの名を「神生み岩」が鎮座。

「摂社:蛭子神社(恵比寿神社)」。御祭神は『彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、倭宿彌命(やまとのすくねのみこと)』、彦火火出見命は大化以前の本宮主祭神。社殿は一間社流造銅板葺で、京都府の有形文化財に指定されています。倭宿彌命は、彦火火出見命の第四代になり、海部宮司家(あまべぐうじけ)四代目、大倭国造・倭直(やまとのあたい)。

画像左より境内社「猿田彦神社」「春日大明神社」。右奥に小さく「天照大神和魂社」

「摂社:真名井稲荷神社」。御祭神は『宇迦御魂、保食神、豊受比売』

明治末期まで奥宮真名井神社に鎮座されていましたが、1991年に本宮境内に移転再建されました。

朱乗りの鳥居前より神域を守護されるのは何故か、阿吽それぞれが金銀の玉を持つ龍神さん。

裏参道入り口より神域を守護されるのは、天保2年(1831)辛卯建立の出雲構えの狛犬さん。精悍な顔立ちにきりりとした構えが美しい一対です。

小さな神池に作られた亀。その背中に本物の亀が乗っている様子が何とも可愛らしく。蛭子神社の御祭神:倭宿彌命は神武天皇が明石についた折に亀に乗って現われ、道案内をしたと云われています。

「古代:御生(みあ)れの庭」

「大和さざれ石」

境内の外れに建立されていた句碑

2017年4月、文化庁により「元伊勢籠神社」は日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定されました。

参拝日:2010年11月3日

(2014年11月22日:御朱印参拝のみ、J🐣さん同行)

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ひとしきり降り続いた雨は、誰かの日ごろの行いが良かったのか、参拝が終わるまで小休止で、無事に参拝を終える事が出来ました。今日の日程は異常とも思えるほど密で、最後は駆け足に近い状態でしたが、気持ち的には物凄く充実。雨上がりの夕焼け空は遊覧船乗り場も、彼方に見える天橋立も茜色に染めて怪しいほどの美しさです。

この後は「道の駅:舟屋の里伊根」まで走って、そちらで車中泊をさせて頂きます。綺麗な夕焼けだったのにまたして降り出した雨・・国道から直ぐのだだっ広い駐車場は、舟屋の里伊根のずっと下にある第二駐車場だと気づかず・・・???の中でとにかく就寝準備。しかもご亭主殿は喉の痛みにまして熱まで出てきた様で、自ら痛み止めを飲むと言い出しました。これは間違いなく緊急事態・・もしかしたら明日はこのまま自宅へ直行という選択になるかもしれません。

経過はともあれ、こうして車で旅をする私たちにとって「道の駅」の存在は本当に有難く大切な場所です。今回は駐車場をお借りするだけになりましたが、その節は本当に有難うございました。🙏🙏

 


山王宮(さんのうぐう)日吉神社 in 京都府宮津市宮町

2025年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

宮津市宮町、宮津湾を望む松ヶ丘を神域として鎮座される「山王宮(さんのうぐう)日吉神社」。御祭神は『大山咋命(おおやまくいのみこと)、大己貴命(おおむちのみこと)

「社記によれば、平安時代に宮津郷内唯一の古社である杉末神社の境内に、近江の国より「日吉大社」を勧請。江戸時代に入り、歴代宮津藩主は山王宮を宮津の総氏神として藩の守護神とし、神域中央に本殿を始めとする社殿が藩主により次々と造営され、宮津郷の総産土神とされた。」

春の祭礼「山王祭」は江戸時代には宮津藩祭と定められ、藩士もその行列に参加。宮津祭とも呼ばれ、地元では「さんのうさん」、「ひよしさん」と呼び親しまれています。

神社入り口の石段参道より神域を守護されるのは、お顔の造作もあやふやになってしまった出雲丹後系の狛犬さん一対。特に阿形さんは、その造作ゆえに損傷が際立ちます。

想像以上に長い石段参道ですが、途中に息を継げる場所もあり、軟弱者の私も何とか自力で参拝できそう😅 朱塗りの柵に囲まれて天を突くのは、樹齢一千年ともいわれる「御神木・椎」。人間がどんなに長生きできたとしても100年そこそこ・・その10倍の年月を生きてきた御神木の圧倒的なパワーが後押ししてくれます。

石段参道半ばより神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。キリリと伸ばした背筋が印象的。

境内正面、入母屋・銅板葺きの拝殿は、天保5年(1834)に藩主『本荘宗發』によって創建されたもの。府登録文化財の指定。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、何とも素朴な顔立ちの狛犬さん一対。体に似合わず太短い足とか、ぺったんこの頭とか😊 始め狛犬を連想させ、妙に愛着を感じさせます。

府指定文化財本殿は向拝のある檜皮葺・入母屋造りで、貞享5年(1688)、宮津藩主『阿部正邦』により再建。扉上には「三猿像」を配した蛙又があるそうですが見逃したようです。

拝殿前に、江戸時代末期の宮津藩主『本庄宗秀』が寄進したという「八角石灯籠」。全体的に丸を基調としたフォルムは、どこかの民族人形のようで、可愛いというのが第一印象です。

府登録文化財の「境内社:恵比須神社」。御祭神は『事代主命』

「境内社:琴平神社」。御祭神は『大物主命』

琴平神社の拝所左右より神域を守護されるのは、珍しく岡崎タイプの狛犬さん一対。なりが小さいからなのか、何だか可愛い😊

府登録文化財の「境内社:船魂(ふなだま)神社」。御祭神は『猿田彦命』

社殿の縁より神域を守護されるのは、出雲丹後の狛犬さん一対。広くはない隙間にはまり込む様に身をすくめる姿に思わず笑が・・

「境内社:致命壮烈社(ちめいそうれつしゃ)」。御祭神は『護国の御英霊』

神馬の腹掛けの神紋は16枚菊

明日は、山王宮日吉神社の摂社となってしまいましたが、宮津郷内唯一の古社である摂社「杉末神社」を紹介します。

参拝日:2010年11月3日

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『大山咋命(おおやまくいのみこと)』、山王。松尾大社・日吉大社の祭神

『大己貴命(おおむちのみこと)。大国主神、大三輪神、国造りの神、蛇神とされる。


ご当地マンホール in 京都府宮津市

2025年08月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・京都府

宮津市(みやづし)は京都府北西部、若狭湾支湾の宮津湾に面する市です。舞鶴市、福知山市、京丹後市、与謝郡与謝野町・伊根町に隣接。中国山地の東端である丹後山地から日本海に向けては比較的急峻な地形で、市境付近は標高500~700mの大江山連峰が尾根を連ね、海岸に向かって傾斜。面積の約8割は山地に占められ、南部と北部が天橋立の砂州によってつらなる特異な地形を有しており、 L 字型に日本海を抱くような形となっています。天然の良港宮津港を有し、江戸時代は本庄氏の城下町、西回り航路寄港地として栄えてきました。日本三景の一つである「天橋立」や、日本三文殊の一つ「智恩寺」、夏には多くの舞水浴客で賑わう「由良海岸」などを擁し、京都府内では京都市、宇治市に次いで観光入込客数の多い自治体として有名です。「市の木:黒松」「市の花:ミツバツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「日本三景・天橋立のある街 自然と文化の架け橋、海園都市みやづ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、与謝郡宮津町・栗田村・吉津村・府中村・日置村・世屋村・養老村・日ヶ谷村・城東村・上宮津村、加佐郡由良村が発足。

1924年、与謝郡宮津町が城東村を編入。

1951年、与謝郡宮津町が上宮津村を編入。

1954年、与謝郡宮津町、栗田村、吉津村、府中村、日置村、世屋村、養老村、日ヶ谷村が合併、市制を施行し宮津市が発足。

1956年、加佐郡由良村を編入、現在に至ります。

マンホールには、宮津湾と阿蘇海を南北に隔てる「天橋立」がデザインされています。(宮津市字大垣付近のカラー歩道)

「天橋立」

仕切弁には「知恵の輪灯篭」と「天橋立」がデザインされています。

プラ汚水桝には「知恵の輪灯篭」と「市の木:黒松」がデザインされています。

「天橋立駅前の知恵の輪灯篭」

昭和29年(1954)8月10日制定の市章は「みやづの頭文字[ミ]=Mを中心に、円の先端は[ヤ]、全体を通じて[ツ]を表し、Mの部分を天橋立に見立て波状で観光と海港をイメージしています。」公式HPより

笠松公園のキャラクターは「天橋立」創造と共に生まれた妖精『かさぼう』

天橋立キャラクターは、天橋立の松から生まれた『あまぼっくり』。微妙に頭がお揃い😊

撮影日:2010年11月3日&2014年11月22日&2017年6月12日


夢コスモス園 in 京都府亀岡市吉川町

2025年08月25日 12時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

亀岡市吉川町穴川地区で毎年10月になると開催される「亀岡・夢コスモス園」。亀岡運動公園体育館の隣、約4.2haの広大な園内には、20種800万本のコスモスが咲き誇り、まさしく関西一の呼び名にふさわしい光景が広がります。

品種が色分けされて並ぶ花畑。視界いっぱいに広がる花の渦の中に埋もれて見上げる空の鮮やかさ。ふと見上げた彼方にうっすらと濃く丹波の山々が顔をのぞかせ、そしてまた鮮やかな花々が視界を埋め尽くす。

休耕田などを利用したコスモス園とか、何度か見に行ったけれど、こんなにも様々に色鮮やかな花に埋もれるなんて、多分初めての経験ではないかしら?

お昼時は、「丹波味わい市」で買っておいた出来立ての「黒豆ごはん」に「栗炊き込みご飯」。この丹波栗の大きな事😆、何だかとっても幸せな気分。

幸せ気分をさらに盛り上げてくれるのが生バンドによる「コスモス演奏会」。カントリーウエスタンの軽快な音にのって、ついついお箸が進み、心が弾みます。

目と耳と舌で存分に楽しんだ後は、再び満開の花の渦の中に。花に浮かれた私たちを出迎えてくれるのは、思い思いに趣向を凝らした「案山子たち」

その時々の時代を反映してか、流行りの映画を題材にしたものが多く並んでいます。創作案山子コンテスト人気投票、私の一押しは「パイレーツオブカリビアンのジョニーディップ」。御亭主殿は。不思議なボディの「スーパーマン」に一票でした。

五感の全部で秋のひと時を満喫した亀岡・夢コスモス園。最後はお土産用の花摘み(有料)。どれにしようかと迷うほど色とりどりのコスモスに心が揺れてます😀

「オータムビューティ」

「ソナタ」

「シーシェル(ピンク)」

「イエローキャンパス」

「ピコティ」

「ダブルクリック」

「サイケ(ホワイト)」

訪問日:2006年10月14日


ふらり亀岡~あちこちウォッチ in 京都府亀岡市

2025年08月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

亀岡市稗田野町、稗田野神社参拝の折にちらりと見かけた「大石酒造・酒の館の酒蔵見学」の看板。丹波と言えば有名な「丹波杜氏」、関西の著名な酒蔵では欠かす事のできない丹波杜氏本場の酒蔵見学・・これはもう素通りできません。

開放された屋外の建物内にも、私には用途の分からない道具たちが整然と並べられており、一つずつきっちりと見て回ったら、余裕で時間オーバーの予感😓

店内に入り、酒蔵を見せて頂きたいのですがと伝えたら、自由に見学くださいと二階へ案内されました。

「ここは戦前から戦後にかけて清酒の仕込蔵として使用した本造蔵です。内部の貯蔵庫は、明治時代の建物で約100年間、原種の貯蔵庫として使用してまいりました。一階は釜場と船場があり、それに仕込桶やタンクが設置されており二階は酛に麹をつくる室があります。」

タンクが並べられた「旧貯蔵庫」の神秘的な静けさ。「製麹室」の奥には白い布をかけられた麹が静かに目覚めを待っています。

館内には酒造りの道具などの他に、本当に種々雑多な「モノたち」が所狭しと並べられています。

古い時代の酒瓶に看板、お酒を楽しむための種々の道具、何もかも目新しくて、何故か懐かしい不思議な感覚。

壁に掛けられたゆかしい飾、もう少し広い玄関だったら真似てみたいね。

思いがけない楽しい時間を過ごし、御亭主殿のたってのお願いで😁「翁鶴:甘辛セット」。私用には「丹波黒豆きんつば」をお土産に酒蔵を後にしました。

「稗田野神社」近くで見かけた「とこなげ山」の碑。帰宅後に調べた所、空海が白鹿に導かれ、松の枝に独鈷杵を見つけた場所とされ、「獨鈷抛(とこなげ)山:千手寺」という名刹があるらしい・・「床」ではなく「獨鈷」なのねと、妙に納得。

街道沿いに二箇所だけ設置されている「人形浄瑠璃台灯篭型バス停」。亀岡市稗田野町地域に伝わる「佐伯灯篭」の舞台となる台灯篭を模したものです。

国指定重要無形民俗文化財「佐伯灯籠」は、五穀豊穣を祈願し、祖霊の冥福を祈る4つの神社の合同祭礼。人形浄瑠璃は、台灯籠と呼ばれる移動式の舞台で演じられる催し物で、独特の構造を持つ35㎝ほどの串人形を1人で操るのが特徴です。

こんな小さな人形たちが紡ぎ出す浄瑠璃の世界・・いつか本物を見てみたいね。

国道372号線篠山街道は灯篭街道と呼ばれ、道路沿いにいくつもの「切子灯籠」がたてられています。

案内には「歴史遺産が多く点在する国道372号線に、灯籠83基、バス停二基を設置し、「灯篭街道」として歴史の舞台を訪ねてほしいとの願いをこめ整備した」旨が記されています。

訪問日:2009年5月30日&2010年6月28日