車泊で「ご当地マンホール」

車中泊の旅とか、そうでない旅(笑)で見つけたご当地もの色々、でもメインはやっぱり「ご当地マンホール」かな。

ご当地マンホールin島根県安来市

2018年06月19日 10時00分00秒 | マンホール・キャラ・島根県
安来市(やすぎし)は島根県の東端に位置し、県境をはさんで鳥取県米子市が位置します。
出雲風土記に、『素戔男尊』がこの地に来られ「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」といわれたことから「安来(やすぎ)」というようになったと伝えられています。
また、弥生~古墳時代にかけて出雲に強力な王権が発生し、その中心地だったという説もあります。


キャッチフレーズは「あらエッサッサ~ 民謡・安来節のルーツ 安来市」
さらにもう一つ「~水と緑と文化が調和する健康・交流のまち~」


1889年、町村制施行により、能義郡安来町が発足。
1951年、旧能義郡安来町、能義村、宇賀荘村が新設合併し、新安来町が発足。
1954年、能義郡安来町、赤江村、荒島村、飯梨村、大塚村が新設合併し安来市が誕生。
2004年、旧安来市、能義郡広瀬町、伯太町が新設合併し、新安来市となりました。
マンホールには「安来節にあわせてどじょうすくい踊りを踊るオヤジ」が描かれています。




これは安来駅前にある「どじょうすくい踊りの親父の顔出し」これが一番近いかもしれません。


市章は「安」をモチーフに、人と自然が共存共栄し、舞い躍るイメージをデザイン化しています。



旧市章は「安ギ」を図案化したもので、昭和29年4月1日に制定されました。




安来市のイメージキャラクター『あらエッサくん』どじょうすくい踊りが得意な小学三年生です。
『あらエッサくん』のザルの中にいるのは、彼の友達「どじょっこ隊」の中の一匹だそうです(笑)


安来市中海町にある「道の駅:あらエッサ」は新しい事もあって施設も設備もとても綺麗でした。
丁度大雨にぶつかってしまい、急遽、こちらの道の駅で車泊させて頂いたことがあります。
改めて、その折は有難うございました m(__)m


撮影日:2011年5月&2017年8月
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マンホールカードin島根県安来市

2018年06月18日 10時00分00秒 | マンホールカード
この4月に第7弾が配布され、ますます止まる所を知らぬ勢いのマンホールカード
丁度昨年の4月に第4弾として、島根県では初のマンホールカードが配布されました。
配布場所は安来市安来町、安来駅の建物内にある『安来市観光協会』です。


カードのデザインは、安来節に合わせて「どじょうすくい踊り」を踊る正統派のオヤジさん(^^;)


配布場所の安来駅前には、かなり年代物らしい、正統派の「どじょうすくい踊り」の像があります。


【ももひき姿に絣(かすり)の着物。 鼻あてをつけ、頭には豆絞りの手ぬぐい。そして、腰に魚籠(びく)をぶら下げ、ザルを手にした「どじょうすくい」のオヤジを描いたデザインです。 民謡・安来節に合わせて踊るどじょうすくいは、その名が示す通り、ザルでドジョウを掬う様子をユーモラスに表現した伝統芸能です。 ぬるりと逃げられたり、ヒルにかまれたり、苦労して捕まえるドジョウ。捕まえた時の満面の笑みは、見る者を幸せな気分にさせます。 本マンホール蓋のデザインもきっと、皆さんの心に温もりを届けてくれることでしょう。 どじょうすくい踊りは、安来節演芸館で楽しむことができます。】


カードに使われたマンホール・・・だそうですが、どう贔屓目に見ても退色し過ぎています(^^;)


カードにデザインされたのは正統派「どじょうすくい踊り」のおやじさんですが・・・
キャラクター流行の昨今、現状では些か可愛らしさが足りない・・と、思ったのかどうか(^^;)
こんなに可愛いボクちゃんが、見事な「どじょうすくい踊り」を披露してくれていました。


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ご当地マンホールin島根県旧斐川町(出雲市)

2018年06月17日 10時00分00秒 | マンホール・キャラ・島根県
簸川郡斐川町(ひかわちょう)は宍道湖の南西部に面し、川沿いに出雲市と境界をなしていました。
「龍神温泉」「川中温泉」と並んで、三大美人の湯の一つ「湯の川温泉」でも知られています。
国史跡でもある「荒神谷遺跡」からは銅剣・銅鐸・銅矛などが出土し、国宝に指定されました。


1955年、荘原村・出西村・伊波野村・直江村・久木村・出東村が合併して簸川郡斐川村が発足。
1965年。斐川村が町制施行して簸川郡斐川町となる。
2011年、出雲市に編入され今に至ります。
マンホールには、荒神谷遺跡から発掘された「銅鐸」と町章が描かれています。


同じく荒神谷遺跡から発掘された「銅鐸」と「銅剣」が描かれた方位版です。



もう一種には、季節風を防ぐために屋敷の周りに植えられた「斐川の築地松」が描かれています。



斐川の築地松は冬季の北西からの季節風を防ぐ為に植えられ「屋敷林・屋敷森」とも呼ばれます。
家の周りに松を植え長方形に刈り揃えた様子は、この地域独特の田園風景を展開しています。


町章は「ひ川」を組み合わせたもので、昭和30年に村章として制定、そのまま引き継がれました。




路上のカラータイルは、町内にある「日本三美人の湯」の一つ「湯の川温泉」 です。


これは、4月中旬に開催される「ひかわチューリップフェスティバル」のカラータイルです。


出雲河川事務所が管轄する、宍道湖自然館ゴビウスのマスコットキャラクター『ゴビィ君』
「ゴビウス」はラテン語で「ハゼ」をあらわしており、だから『ゴビィ君』はハゼなのです。


「ゴビウス」の敷地内に建立されていた句碑は、俳人で小説家でもあった『清水基吉』。
【 八雲立つ 空より鳥の 来て遊べ 】


この足湯は「道の駅:湯の川」に併設されており、誰でも無料で楽しむことが出来ます。
特産品の品揃えも多彩で、施設は清潔と車泊者にはこれ以上無いほど素晴らしい道の駅でした。
出雲方面に来るたびにこの道の駅にお世話になりました事、心から感謝いたしますm(__)m



撮影日:2011年5月&2015年4月
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雲州平田・木綿街道in出雲市平田

2018年06月16日 10時00分00秒 | 社寺・名所・観光・島根県
江戸後期、木綿の集散地として栄えた雲州平田、東に宍道湖を擁し、東西を貫流する船川と水路に恵まれたこの地域は、古くから商家の荷を運ぶ川港の荷揚げ場として利用されてきました。


「木綿街道」と呼ばれた一帯には、今も塗壁造りの建物が軒を連ね、往時の繁栄を忍ばせます。
2段になったなまこ壁や親子格子が一際目を引く「本石橋邸」、建物は1750年頃のものだそうです。
大地主でもあった『石橋孫八』は、明治5年に自宅を校舎として開校、郷土の近代化に貢献しました。
数寄を凝らした建物は、今は街道歩きの拠点「出雲市立木綿街道交流館」として活用されています。


江戸末期から明治初期にかけ、良質の木綿として大阪や京都などで高く評価された「平田木綿」。
遠方との取引が行われるようになると、船川周辺は木綿の集散地として多くの船が往来しました。
かって木綿問屋「岡屋」があった付近には「岡屋小路」と呼ばれる路地が今も残っています。


水鳥が遊ぶこの川も、かっては「平田木綿」を積んだ多くの川舟が行きかっていたのでしょう。
川岸には、船川を行き交う舟の安全と、商いの成功を願って建立されたお社が座していました。

 

江戸時代から約300年間、一子相伝で受け継がれてきた生姜糖の老舗「來間屋生姜糖本舗」
生姜は一つの種から多くの実が取れる事から「子宝に恵まれ、縁を固める」と伝えられてきました。
砂糖で固めた「生姜糖」は「恋の甘方楽」の名で、縁結びの処方箋に入れて販売されています。


木綿街道のシンボル的な建物ともいえる「石橋酒造」は酒造業の他に木綿問屋も営んでいました。
日本酒には目の無いご亭主殿、「世界の花」と名づけられた酒瓶を見る目が未練一杯です(笑)


平田船川沿いに構える京呉服の「たかはし」、「切妻塗壁造り」の建物とはちょっと違った店構え。
店先には赤い丸ポストがあり、そこだけを切り取ってみれば幾年か前に過ごした故郷のようです。


屋内には糸が掛けられた機織り機や、平田木綿で織り上げられたと思われる製品が飾られています。
見たことも無いはずの光景なのに、何故か懐かしく感じるのは、綿の持つ暖かさかもしれません。


平田独特の建物戸もいえる「黒瓦」「なまこ壁」「格子窓」の連なる二階建妻入り造りの町並み。
「出雲格子」の連なる通りには、かって賑わいを見せた当時の面影が今も色濃く残っています。



玄関先に活けられていた一枝の綿花、白く丸いこの花がもたらした繁栄と活気は消えました。
けれど、そこに確かにあった人々の営みは今も形をかえ、町を訪れるものを迎えてくれます。


訪問日:2011年5月
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一畑薬師in出雲市小境町

2018年06月15日 10時00分00秒 | ご朱印・社寺
出雲市小境町、標高200mの一畑山上に建つ「一畑薬師」、「目のお薬師様」として知られます。
私たちは大駐車場から参拝させて頂きましたが、昭和36年までは1300段の石段を登ったそうです。


駐車場から百八基の灯籠が並ぶ道を進み、某有名人(?)の出迎えを受けて最初の石段を登ります。
某有名人(?)ってって誰!?と、もしも気にして下さった方、疑問のお答えは後ほど(^^;)


ここでは出雲構えの狛犬さんに遭遇、お寺だからと期待していなかったご亭主殿は大喜び(笑)
年代が分からないのが残念ですが、顔立ちも尾の立ち方も堂々としており、とても良い姿です。

 

ご亭主殿の喜びは更に続き、仁王門の近くでは、これも堂々たる出雲丹後系の狛犬さんに遭遇。
阿形は口中に玉を含み、子狛を前足の間に抱き、吽形は穏やかな表情でその姿を見つめています。
神社だろうがお寺だろうが全く頓着しないご亭主殿、単に「出来のよい狛犬」が好きなのです。

 

仁王門を潜り境内へ・・・参道の正面には、明治時代に再建された薬師本堂があります。
臨済宗妙心寺派、及び一畑薬師教団の総本山、「醫王山・一畑寺」。通称は一畑薬師。
縁起に【寛平6年(894)、漁師の与市(のち出家して補然と称する)が、海中から引き上げた「薬師如来像」を本尊とし、医王寺として創建したという。天台宗に属したが、正中2年(1325)、『石雲本竺』が臨済宗南禅寺派寺院として再興し、寺号を「成徳寺」と改め、承応2年(1653)には「一畑寺」に改名。寛政2年(1790)、妙心寺派に転属し、昭和27年、一畑薬師教団を開き本山となり現在に至っている。】


薬師本堂の右手には、中国観音霊場・第26番札所、百八観音霊場・第31番札所の観音堂があります。
「瑠璃観世音菩薩」を本尊とし、堂内には日本全国の観音霊場の朱印を見ることが出来ます。
お堂の正面には、普陀山(ふださん)より請来された「瑠璃観世音菩薩石像」が立たれています。


本堂の向かって左手には「十六羅漢堂」があり、表情豊かな16人の羅漢様が参拝者を迎えます。
「羅漢」とは修行僧のことで、信者の施しを受け得るに値する尊貴な人という意味だそうです。


十六羅漢はお釈迦様の高弟16人を言い、一般的に仏道修行者の群れを五百羅漢等とも呼びます。
五百は単に「多い」という意味で、京都の「愛宕念仏寺」には1200体の羅漢さんが座しています。


話がそれましたが、本堂の東側に設けられた展望所からは、回廊や本坊付近の景色を一望できます。
整然と立ち並ぶ甍の向こうに広がる山々がどのあたりなのか、地理に疎い私には全く分かりません。


ですが、山波の遥か向こうに「大山」の姿を確認できたときは、思わず興奮してしまいました。
標高1,729m、その美しい姿から「伯耆富士」の異名を持つ「大山」、ちょっと嬉しい出来事でした。


一畑寺の奉納絵馬は「目のお薬師様」らしく、大きく一文字「め」の文字が墨書されています。
年齢を重ねて、目も言うほど達者でなくなった二人、ここは真摯にご利益をお願いしましょう。


これは境内の一隅に建立されていた歌碑ですが、生憎と誰の読んだものかはわかりません。
【 目のくもり やがて晴れゆく医王山 これぞ日本 一畑の山 】


冒頭の方で書いた某有名人(?)ですが、実は「ゲゲゲの鬼太郎」の『目玉のおやじ』さん。
これは「一畑寺」が目の薬師であることに因むものですが、他にも縁の像が建立されています。
『水木しげる』の作品の中に登場する『のんのんばあ』は、実は「一畑寺」を信仰していたとか。
その縁もあり、境内には「のんのんばあとしげる少年」のブロンズ像も、建立されているのです。

 

参拝日:2013年5月
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