ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『昭和教育史の証言 』- 16 ( 続々・むの たけじ氏の証言 )

2021-01-18 08:00:23 | 徒然の記

   《   7.  むの たけじ氏・・ 「 戦争責任を問う結び目と足場 」》

   ・教師の戦争責任を問うとは、いったい何のために、何をどうすることなのか。問題の輪郭を、できるだけ鮮明にしなければなるまい。

 243ページの叙述です。ここでもまた、氏は三つの視点を上げます。

    1. 問うべきは、ことの原因

    過程や結果の無惨さ、滑稽さをいくら並べても、それだけでは読み物を増やすだけだ。

    2. 問うべきは、問題の広さ

    教育の領域だけを抜き出して、何とかしようとしても徒労に終わる。

    3. 問うべきは、問題の長さとその深さ

    その背景にあった明治の支配体制以後の歩み、もっと遡れば、封建社会の中で培われた、日本人の思想まで視線を行き届かせる必要がある。

  ・最小限でもこれら3点を視点にしてこそ、生の手応えのある認識を、そして現在以後への道標を、獲得できるだろう。

 遠回しなので面倒ですから、「ねこ庭」がで要約しますと、氏がここで言っているのはマルクス思想です。ソ連の崩壊と中国・北朝鮮の実態を見て、空想論だったいと多くの人が気づきましたが、当時は科学的社会主義と信じられていました。氏の意見の根底に、マルクス的唯物史観、階級史観があります。

  ・戦争中の日本の教育、教師の戦争への対応は、国家という名の論理、実際には時の支配階級の要求に忠誠を尽くしたものであった。

  ・世のため人のためと思いこまされ、そう思い込んでいたのが、大勢だったと言わなければならぬ。

  ・一度目の悲劇を、同じ手順で二度目の喜劇に転嫁させないための要は、敗戦のその直後にこそあった。

  ・教師の戦争責任も、そこで浮き彫りにされるはずだった。

 一度目の悲劇は敗戦で、二度目の喜劇というのは、敗戦後に無批判に受け入れた民主主義のことを言っています。氏の意見はほとんど感心しませんが、この部分はなるほどと思わされです。一つくらいなるほどと思わされるところがなくては、紹介する気持がなくなります。

  ・それを象徴したものが、例の 『黒塗り教科書』の顛末だったと私は考える。

  ・外国から来た占領軍には、統治の方針に叛く文章を黒く塗りつぶさせたのは、彼らとしては当然だったろう。

  ・がその処置は、日本自身にとっても、教育の本質にとっても、結びつくものではなかったはずだ。」

 ここでまた氏は、得意の三原則を展開します。猿は人間より3本毛が足りないという話がありますが、無意識のうちに3という数字にこだわる氏は、もしかすると猿並みの知能なのでしょうか。

  ・教育という営みの基本構造は、先行の世代と、後進の世代と、両者をつなぐ過去の経験、という三要素で成り立つこと。

  ・即ち経験に照らして善とされるものは、それを一層発展させ、邪とされるものを廃絶するため、世代間の隙間を埋めていくことが教育の原型だとする、国際通念には間違いがないであろう。

 そんな国際通念があるのかどうか知りませんが、三要素については肯定します。「ねこ庭」が問題視するのは、善とされるものと邪とされるものの根拠が、「東京裁判」に置かれている所です。

 日本の過去は、東京裁判で邪とされたので廃絶しなければならないと言っています。戦後日本の支配者であった連合国、というよりアメリカに迎合した、売国者の意見です。

  ・教材となるものは、成功例や美談のたぐいだけではない。むしろ屈辱の、暗い過失の証言の方が、生々しい教材になるだろう。

  ・本気で戦時中のおのれに責任を感じ、本気で軍国主義と決別しようと決意したら、軍国主義で貫かれた教科書は生き証人であり、反面教師の素材となるはずだ。

 なるほどと思ったのは、この意見です。

 戦前の教科書は黒塗りにせず、廃棄処分にもせず残しておくべきでした。同時に、愚かな氏の証言も、残しておかなくてなりません。戦前の教科書と並べ、反日左翼へ転向した氏の証言を教材とすべきです。

 だから「ねこ庭」では、氏のたわ言を労を厭わずに取り上げ、反面教師の素材となるよう息子たちに遺しています。

  ・絶対君主制の中で飼い慣らされた下僕の根性は、天皇より怖いとされたマッカーサー体制の中で、一段と増幅され、統治者のスローガンを正しいと崇めた他力依存主義に埋没し、責任の問題を法要と同じ綺麗ごとで流してしまったのではないか。

 敗戦後に戦意高揚の記事を書いた自分を反省し、東北の田舎へ移り住み、今度は「東京裁判史観」の宣伝をするということで、自分の戦争責任が帳消しになったと考えています。

 反日マルクス主義者に共通する日本人蔑視の思考で、今なら聞き飽きたセリフですが、当時の人間は感心したのでしょうか。

  ・主権在民とは支配・被支配の関係の中で、死に物狂いの抵抗や戦闘を貫いて自分たちで作っていくものだという意識が、一向に根付かないで、民主主義をまるで金色のトビが飛んできたものであるかのように祭り上げている。

 日本は古来から階級、革命、闘争など、マルクス主義者の言葉の不要な国で当てはまらない国ですが、西洋かぶれの色眼鏡では日本の歴史が見えません。愛国心のない記者くずれの人物の歴史観は、所詮こんなものでしょう。

  ・今日の子は昨日の子であって、明日の母である。歴史は貫通していて、どこにも切れ目はない。

 これを言うのなら、正しくは、

  ・今日の子は昨日の子であって、明日の父と母である。・・でしょう。父と母がいて人類の歴史がつながるのです。

 それより氏はなぜ、たかが「東京裁判」の結果で、日本の過去と現在を断ち切るのでしょう。しかもそれは、戦勝国による復讐裁判に過ぎませんでした。

 「照らして善とされるものはそれを一層発展させ、邪とされるものを廃絶る」と氏は言いますが、善と邪の区別を付けたのは誰だったのか。他力依存主義に埋没し、下僕根性そのままに、天皇より怖いマッカーサーに従っている自分に、なぜ気がつかないのか不思議でなりません。

 次が最後の叙述ですが、決して認められない証言です。

  ・戦争責任を問うことは、事後の決算ではない。戦後に生まれ育ったからといって、無関係では済まされない。

  ・無関係だとこちらが言っても、未済の血債は必ず同一物での償還を求め、支払いが遅れた分だけ、一層高い利息をつけて此方に迫り続ける。

 このような氏の意見が戦後の日本に蔓延し、10年後の昭和61年の、小和田外務次官の国会答弁につながります。

 「日本は国際社会に対し、永久に謝り続けなければならない。」

 韓国政府による捏造の「慰安婦問題」「徴用工問題」は、氏のような意見を言う馬鹿者たちが誘発しました。小和田氏の意見は政府の公式見解となり、ハンディキャップ外交論と言われ、日本を苦しめ続けています。

 日本人を苦しめ続けている反日左翼思考に、さぞ氏は満足していることでしょう。氏を褒めそやす日本のマスコミ、反日左翼活動家、政治家、文化人に、「ねこ庭」が怒りを燃やす理由がここにあります。

 15人の証言者の1人が終わり、次回は別の証言です。黒塗りにせず、全て残しておくべき教育資料です。

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