〈 二闋 三韓来 ( さんかんきたる) ・古代の大英雄、日本武尊 11行詩 〉
・神功皇后の「三韓征伐」
今回は、最初からコメントなしで氏の解説を紹介します。
「この遠征は案ずるより産むが易いといった感じで、これという困難もなかったようである。対馬の和田津に立ち寄り、そこから順風にめぐまれ、新羅に押し渡った。新羅王は大いに恐れて、戦わずして素旗(しらはた) をかかげて降伏した。その時新羅王は、神功皇后に向かってこう誓った。」
・これより自分は御馬飼になり、毎年春秋二度馬櫛と馬の鞭を献納します。
・毎年男女たちを貢ぎ(労働力)として、送り届けます。
・東から出る太陽が西から出、川が川上に流れ、川の石が天に昇って星になるようなことがない限り、献納物を怠ることはございません。
新羅王波沙む錦は、微叱己智波珍干岐を人質として出したほか、金銀や錦を八十艘分も提供したと言います。なぜこのようなことになったのかは、次の叙述が語っています。
「新羅の隣国である高麗と百済の二国の王たちは、新羅が簡単に降伏したと聞いて、こっそり日本軍の様子を探らせた。そして、戦っても勝ち目はない、と悟って、自分から日本軍の陣営にやってきた。そして今後は日本に貢物を奉ることを、叩頭して約束した。神功皇后はその降伏を受け入れ、両国を内宮家(うちつみやけ)としたという。これがいわゆる三韓である。」
言外にしか述べられていませんが、新羅や高麗、百済が降伏したのは、神功皇后を戴いた日本軍が、一致団結し士気が高かったからだと思います。自分より遥かに強い相手と分かれば、朝鮮族は無駄な戦いをせず服従する方を選びます。これを朝鮮の「事大主義」と呼び、以前は軽蔑していましたが、今は違います。武力にものを言わせる国々がいて、せめぎ合っている大陸国家では「事大主義」も国が生き延びるための知恵です。
朝鮮半島の国々は、このようにして現在まで生き延びてきました。周囲を海に囲まれ、容易に外敵に攻められなかった日本と違いますので、今は軽蔑していません。しかしウィキペディアで検索しますと、次のように書かれていました。
「事大主義という言葉がある。 一般的には、時流や大勢に身を任せることで自身の安息を図ろうとする、自律性・主体性を欠いた人間の態度を指す言葉だとされる。」
「 政治学者の神島二郎によると、柳田国男が民俗学研究を通じて解明しようとしたものこそ、日本人の〈島国根性と事大主義〉であったという。」
日本に無関係な言葉と思っていましたが、民俗学の泰斗と言われる柳田氏が日本人を説明する言葉として使っていました。そうなると朝鮮人だけを軽視したり理解したりと、他人事のように言っておれなくなります。右左に関係のない民俗学者だと思っていましたが、柳田氏は左傾の学者だったのでしょうか。
話が横道へそれますが、60年安保の時反日左翼過激派の先頭に立っていたのは、全学連でした。鉄パイプ、釘を打ちつけたゲバ棒と呼ばれる角材、火炎瓶などを使い、機動隊と激しくぶつかったのも彼らでした。その彼らがバイブルのようにしていたのが、吉本隆明氏の『共同幻想論』でした。
その吉本氏が著作の土台にしたのが、柳田氏の『遠野物語』でした。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の思考になりますが、柳田氏も左翼系の学者だったということでしょうか。島国根性という言葉は当たっているとしても、日本人が事大主義だという柳田氏は、私から見ればとんでもない学者です。氏の説が正しければ、神功皇后は朝鮮出兵をしていませんし、東條首相は世界を相手に戦っていません。
それだけでなく、国運をかけた日清、日露の戦争も日本はしていません。柳田氏が民俗学の専門バカでしかなかったことを、はからずも渡部氏の著書のおかげで知りました。代わりにスペースが足りなくなり、〈二闋〉の解説紹介が先送りになりました。
かなり残念でショックです。
昭和天皇のお側近く、枢密顧問官に就任し日本国憲法の審議にも立ち会った人物が、ただの民俗学バカだったとは・・
彼もまた国体を内側から食い荒らす蟻の類だったのでしょうか・・
これはあくまで、私一人の意見です。
ウィキペディアで、政治学者の神島二郎がそのように言っていると説明しているので、私の推測が生じます。
もし、上島氏が勘違いしているのであれば、そして吉本隆明氏が自分に都合の良いように柳田氏の書を解釈しているのであれば、私の意見は根拠を失います。
貴方にショックを与えたことについて、申し訳なく思います。貴方のコメントを頂き、私もショックです。
その点については、考えあぐねてしまいますね。
ただ、柳田氏の著作は、含みの多い書き方をしている部分も有りますので、
読む人によって、いろんな受け取りかたもあるのでしょう。
柳田氏の代表的著作の『遠野物語』については、各方面から高く評価されてるようです。
三島由紀夫氏も、文芸評論で、『遠野物語』を絶賛しています。
柳田國男氏自身は、左翼でも右翼でもないでしょう。
しかし、『民俗学の元祖』と言われるほどですから、
その継承者のなかには、保守系の人もおれば、左翼風味の人もいます。
柳田民俗学の評価は、難しいと思いますね。
昨年の12月私は氏の著書『遠野物語』を、四苦八苦して読みました。おっしゃる通り、全編「含みの多い書き方」なので、学問的素養のない者には、簡単に読めない本です。
結論を先に言いますと「島国根性」と「事大主義」については言及されていませんでした。氏を反日左翼学者とすることについては、tibinekoさん同様私にもショックがあります。
次回は渡部氏の著作の紹介を休み、柳田氏の著作について検討したいと思います。果たしてどういう結果になるのか、またコメントをお寄せください。